いやはや、チベット暴動はすごい状況になってきましたね。本当のことが何もわからない、というのがすごい。こんなにネットも普及しているし、中国ももうあまり秘密主義ではないよ、という顔をしているのに、これだけ何もわからせないということを貫き通せるのは、さすがの老獪さですね。
アメリカもヨーロッパも経済のことがあるから「オリンピックには出ん!」なんて強気はいえないし、なんかルワンダのようでもありますね。あの老獪さに比べれば、どうも利権がからんで複雑そうな日銀総裁問題でわいわいしている日本なんて、本当に若い、若いって感じです。
というわけで、チベット問題はどこまでが事実で、どこまでが憶測かわからないので、それ自体に対するコメントなんかは誰もできないんじゃないかな。でも、テレビに出ている人たちなんかはしなければならないから大変ですね。
というわけで、自分がチベットに行った1987年のときのことを。
『最後の授業』という小説があります。フランス・ドイツの国境の町(フランス領)が舞台で、ドイツに占領され、学校ではもうフランスは今日限り使えなくなるという、フランス語での最後の授業の模様が書かれた小説です。
小学校の授業で読んだのかなぁ。
当時、チベットでも中学以上ではチベット語を使うことが禁止されていました(小学校はどうだったか覚えていない)。学校で使うのは中国語のみ。チベット語を使うと、鞭で叩かれると、ある高校生は言ってました。
そして生まれる子供も、チベット名ではなく中国語での命名が奨励されていた。むろん日常的にはチベット語を話していたけど、それでも中国語が国語で、チベット語は第二言語。
・・そんな話を聞いて『最後の授業』を思い出しました。
リトアニアの人で知り合いが何人かいます。知り合った当時、大学を卒業して少し経ったくらいの人たちですが、彼らはみな5、6ヶ国語を操ります。それも、たとえばロシア語ならトルストイを読むし、ドイツ語ではゲーテを読むほどに。
で、彼らが操るのはどんな言語かと考えてみれば、それらはすべて、かつて占領されていた国々の言語なのです。
一番最近のは英語。むろん、これは<いわゆる>”占領”ではなく、経済的占領ですが。だからリトアニアは地理的には英国の方が近いのですが、英語はアメリカ英語。むろん、これも非常に流暢。
一番間違えるのはリトアニア語だとか・・。文法が!異常に!難しい(ちょっと習ったのですが、サンスクリット語の文法に似ていて、すぐに挫折)からもありますが、それでも悲しい・・。
『ショアー』という映画の中で、ユダヤ人は「聖書を読む人々」である、という定義があったような記憶があるんだけど(違う作品かなぁ)、ユダヤ人はもうずっとずっと前に土地も言語も奪われて、それでもユダヤ人たり得ていた。
もし日本人から日本語を取り上げられ、そしてこの列島から追い出されたら、何を以て日本人たり得るんだろう、そんなことをもう20年以上も考えています。こういうことを考えたのもチベットでの体験が元です。
さて、そのころのチベットですが、そんな状態でしたが、まだ街路ではダライ・ラマの写真もワッペンも売られていたし、実質、一妻多夫制も残っていました。公衆トイレだって、中国のように横の板がないだけでなく、前後もなく、みんな仲良く大便していたし、なんといってもトイレに男女の別もなかった。泊まっていけ、泊まっていけと一宿一飯の恩義に預かったりと、大都市のラサでさえ、まだまだのんびりしていた。
それが89年の大暴動で大きく変わってしまった。
今回の暴動のあとではどうなってしまうんだろうか。
安田
アメリカもヨーロッパも経済のことがあるから「オリンピックには出ん!」なんて強気はいえないし、なんかルワンダのようでもありますね。あの老獪さに比べれば、どうも利権がからんで複雑そうな日銀総裁問題でわいわいしている日本なんて、本当に若い、若いって感じです。
というわけで、チベット問題はどこまでが事実で、どこまでが憶測かわからないので、それ自体に対するコメントなんかは誰もできないんじゃないかな。でも、テレビに出ている人たちなんかはしなければならないから大変ですね。
というわけで、自分がチベットに行った1987年のときのことを。
『最後の授業』という小説があります。フランス・ドイツの国境の町(フランス領)が舞台で、ドイツに占領され、学校ではもうフランスは今日限り使えなくなるという、フランス語での最後の授業の模様が書かれた小説です。
小学校の授業で読んだのかなぁ。
当時、チベットでも中学以上ではチベット語を使うことが禁止されていました(小学校はどうだったか覚えていない)。学校で使うのは中国語のみ。チベット語を使うと、鞭で叩かれると、ある高校生は言ってました。
そして生まれる子供も、チベット名ではなく中国語での命名が奨励されていた。むろん日常的にはチベット語を話していたけど、それでも中国語が国語で、チベット語は第二言語。
・・そんな話を聞いて『最後の授業』を思い出しました。
リトアニアの人で知り合いが何人かいます。知り合った当時、大学を卒業して少し経ったくらいの人たちですが、彼らはみな5、6ヶ国語を操ります。それも、たとえばロシア語ならトルストイを読むし、ドイツ語ではゲーテを読むほどに。
で、彼らが操るのはどんな言語かと考えてみれば、それらはすべて、かつて占領されていた国々の言語なのです。
一番最近のは英語。むろん、これは<いわゆる>”占領”ではなく、経済的占領ですが。だからリトアニアは地理的には英国の方が近いのですが、英語はアメリカ英語。むろん、これも非常に流暢。
一番間違えるのはリトアニア語だとか・・。文法が!異常に!難しい(ちょっと習ったのですが、サンスクリット語の文法に似ていて、すぐに挫折)からもありますが、それでも悲しい・・。
『ショアー』という映画の中で、ユダヤ人は「聖書を読む人々」である、という定義があったような記憶があるんだけど(違う作品かなぁ)、ユダヤ人はもうずっとずっと前に土地も言語も奪われて、それでもユダヤ人たり得ていた。
もし日本人から日本語を取り上げられ、そしてこの列島から追い出されたら、何を以て日本人たり得るんだろう、そんなことをもう20年以上も考えています。こういうことを考えたのもチベットでの体験が元です。
さて、そのころのチベットですが、そんな状態でしたが、まだ街路ではダライ・ラマの写真もワッペンも売られていたし、実質、一妻多夫制も残っていました。公衆トイレだって、中国のように横の板がないだけでなく、前後もなく、みんな仲良く大便していたし、なんといってもトイレに男女の別もなかった。泊まっていけ、泊まっていけと一宿一飯の恩義に預かったりと、大都市のラサでさえ、まだまだのんびりしていた。
それが89年の大暴動で大きく変わってしまった。
今回の暴動のあとではどうなってしまうんだろうか。
安田