今年最後の「DEN」シリーズはリトアニアの話です。
バルト三国のひとつであるリトアニアは、風光明媚で、そして女性が強く、美しいことで有名です。しかし、そのようなことはともかく、リトアニアの人々との出会いは、それまでの人生観を一挙に変えるほどの衝撃がありました。
「明日も今日と同じ日が訪れる」という前提で暮らす毎日。そんな前提が一挙に崩される日が訪れたら私たちはどうなってしまうのか。ノストラダムスの大予言から始まり、いま話題の「2012」まで、人々はそのような日の来ることを恐れながらも、しかしどこかで心待ちにしています。
が、現実はそんなに甘くはない。そのような破局の日の後にも、日常は再び訪れる。再び訪れた、その日常の中で、私たちはどうやって生き直すことができるのか、それを考えさせられました。奇跡は起きないのです。
ここに書いてあるリトアニア公演以降、何度か彼の地を訪れました。そのときの写真を次回のブログでは載せておきますね。
【血ワ牛肉マウ●第五場】
<復讐の隠喩>
昨年(1999年)末、喜多流の松井彬(まつい・あきら)氏を団長とするポーランド、リトアニア公演に参加した。リトアニアでは、グレタという20歳の女姓が通訳をしてくれたが、彼女に山会うまで、この国についてはほとんど知らなかった。
今ではとても長閑なこの国で、たった9年前に「血の日曜日」と呼ばれる事件が起き、多くの市民の血が流されたということも彼女からはじめて聞いた。
1991年正月、リトアニアでは旧ソ連からの独立の気運が高まる中、突然ソ連軍の武装部隊が首都ヴィリニュスの議事堂を包囲した。抗議のために死を賭して議事堂にたてこもる議員たち。最高責任者である最高会議議長は、その一触即発の緊張を和らげるために、何とピアノに向かってチュルリョーニスの「海」を弾く。むろん彼も死を覚悟していた。
議会を守ろうと、数万人の市民が集まる。市民は武器を持たずに非武装の抵抗を示したが、ソ連軍の戦車や装甲車はそんな彼らを轢き殺し、女性1人を含む13人の命が消えた。
「5歳だった弟は、二階の窓から戦車に向かって泣きながら小枝を投げていました」
当時、12歳の少女だったグレタは、そんな弟を抱きしめながら、両親不在の家の中で恐怖と怒りに震えていた。それから9年、独立を勝ち取ったリトアニアで、グレタは国際経済学を大学で学びながら、自ら会社を経営する魅力的な20歳の女性になった。
社会主義から資本主義へ、まさに180度の価値観の変化についていけずに、無気力や非行、そして自殺に走る者も多いという。突然変わってしまった祉会に対する不満、旧ソ連に対する恨みもあるだろうし、そんな世の中に復讐をしたいと思うだろう。
しかし彼女は、いつまでも恨んだり、不満を言ってみても仕方がないという。この環境の中で「すごく幸せになることが一番の復讐」だと信じている。
近年、何度も大国の侵略を受けながらも、ついに心だけはまつろわなかった民の娘は、強固な、しかしとても優雅な意志を持つ。それは「優雅な生活」を「復讐」の隠喩に置き換えようとしたフィッツジェラルドのまさに実践版だ。
肉体的には服従を強いられても精神は決してまつろわぬ人々は、優雅に復讐するための知恵を隠喩という形で得るのだろうか。
そして、われらが能の中にもそのような精神の一部を見ることができるのだ。
たとえば能『土蜘蛛』がある。
この能は、隼人舞発生の神話を思いださせる。
自分の釣り針に固執した兄、海幸(うみさち)は、弟の山幸(やまさち)の得た塩盈玉(しおみつたま)でなぶられたあげくに結局は降参する。それ以降、海幸の一族は、山幸一族への服従を示すために塩盈玉で溺れた様を演じ続けることを強いられ、それが隼人舞という芸能になったという。
海幸の子孫たちは、おそらくは征服者たちの嘲笑と蔑視の中で、一族の敗北のさまを演じ続けたのだろう。その永遠に続く屈辱の記憶の繰り返しは、彼らから復讐への意志を奪い、その深部に底なしの空洞を空けてしまう。
征服者による恐ろしいほど残酷な心理作戦だ。
そして、『古事記』や『風土記』にも登場する勇猛な民、土蜘蛛族も朝廷軍に服従を替ったときから、同じ目的のために屈辱の芸能を強いられることになったのではなかろうか。
しかし、現在の『土蜘蛛』にその悲壮感はない。
能一番を見終わった観客の脳裏に鮮明に残るのは、土蜘蛛を退治した独(ひとり)武者ではなく、首を切られたシテ、土蜘妹であろうし、その拍手は見事に首討ち落とされた土蜘蛛に向けられる。能では『土蜘蛛』はすでに屈辱の芸能ではなくなっている。
『土蜘蛛』からは、屈辱の芸能を誇りの芸能へと変換させた土蜘妹一族による隠喩化への意志を読むことができる。武力では征服者に勝てないと悟った彼らは、屈辱のまねびを続けていくうちに、芸能を通じて復讐するという隠喩を考えたのだろう。
そして、その隠喩は単なる修辞法ではなかった。自分たちの理解者には伝わらなければ意味をなさず、しかし為政者にその意志を見破られれば一族の絶滅に直結するという、生死を賭けたギリギリの修辞術だった。
<2000年3月号>
★チュルリョーニス:1875年〜1911年。リトアニアを代表する作曲家、画家。35歳の若さで亡くなったが、彼の絵画や音楽はリトアニア国民の精神的な支柱となっている。音楽では「海」、「森林で」のように自然をテーマにした作品が有名。→Wikipedia
★ちなみにリトアニアはヨーロッパ最後の異教国家。異教って言葉がよけいなお世話だけど。→リトアニア大公国
バルト三国のひとつであるリトアニアは、風光明媚で、そして女性が強く、美しいことで有名です。しかし、そのようなことはともかく、リトアニアの人々との出会いは、それまでの人生観を一挙に変えるほどの衝撃がありました。
「明日も今日と同じ日が訪れる」という前提で暮らす毎日。そんな前提が一挙に崩される日が訪れたら私たちはどうなってしまうのか。ノストラダムスの大予言から始まり、いま話題の「2012」まで、人々はそのような日の来ることを恐れながらも、しかしどこかで心待ちにしています。
が、現実はそんなに甘くはない。そのような破局の日の後にも、日常は再び訪れる。再び訪れた、その日常の中で、私たちはどうやって生き直すことができるのか、それを考えさせられました。奇跡は起きないのです。
ここに書いてあるリトアニア公演以降、何度か彼の地を訪れました。そのときの写真を次回のブログでは載せておきますね。
【血ワ牛肉マウ●第五場】
<復讐の隠喩>
昨年(1999年)末、喜多流の松井彬(まつい・あきら)氏を団長とするポーランド、リトアニア公演に参加した。リトアニアでは、グレタという20歳の女姓が通訳をしてくれたが、彼女に山会うまで、この国についてはほとんど知らなかった。
今ではとても長閑なこの国で、たった9年前に「血の日曜日」と呼ばれる事件が起き、多くの市民の血が流されたということも彼女からはじめて聞いた。
1991年正月、リトアニアでは旧ソ連からの独立の気運が高まる中、突然ソ連軍の武装部隊が首都ヴィリニュスの議事堂を包囲した。抗議のために死を賭して議事堂にたてこもる議員たち。最高責任者である最高会議議長は、その一触即発の緊張を和らげるために、何とピアノに向かってチュルリョーニスの「海」を弾く。むろん彼も死を覚悟していた。
議会を守ろうと、数万人の市民が集まる。市民は武器を持たずに非武装の抵抗を示したが、ソ連軍の戦車や装甲車はそんな彼らを轢き殺し、女性1人を含む13人の命が消えた。
「5歳だった弟は、二階の窓から戦車に向かって泣きながら小枝を投げていました」
当時、12歳の少女だったグレタは、そんな弟を抱きしめながら、両親不在の家の中で恐怖と怒りに震えていた。それから9年、独立を勝ち取ったリトアニアで、グレタは国際経済学を大学で学びながら、自ら会社を経営する魅力的な20歳の女性になった。
社会主義から資本主義へ、まさに180度の価値観の変化についていけずに、無気力や非行、そして自殺に走る者も多いという。突然変わってしまった祉会に対する不満、旧ソ連に対する恨みもあるだろうし、そんな世の中に復讐をしたいと思うだろう。
しかし彼女は、いつまでも恨んだり、不満を言ってみても仕方がないという。この環境の中で「すごく幸せになることが一番の復讐」だと信じている。
近年、何度も大国の侵略を受けながらも、ついに心だけはまつろわなかった民の娘は、強固な、しかしとても優雅な意志を持つ。それは「優雅な生活」を「復讐」の隠喩に置き換えようとしたフィッツジェラルドのまさに実践版だ。
肉体的には服従を強いられても精神は決してまつろわぬ人々は、優雅に復讐するための知恵を隠喩という形で得るのだろうか。
そして、われらが能の中にもそのような精神の一部を見ることができるのだ。
たとえば能『土蜘蛛』がある。
この能は、隼人舞発生の神話を思いださせる。
自分の釣り針に固執した兄、海幸(うみさち)は、弟の山幸(やまさち)の得た塩盈玉(しおみつたま)でなぶられたあげくに結局は降参する。それ以降、海幸の一族は、山幸一族への服従を示すために塩盈玉で溺れた様を演じ続けることを強いられ、それが隼人舞という芸能になったという。
海幸の子孫たちは、おそらくは征服者たちの嘲笑と蔑視の中で、一族の敗北のさまを演じ続けたのだろう。その永遠に続く屈辱の記憶の繰り返しは、彼らから復讐への意志を奪い、その深部に底なしの空洞を空けてしまう。
征服者による恐ろしいほど残酷な心理作戦だ。
そして、『古事記』や『風土記』にも登場する勇猛な民、土蜘蛛族も朝廷軍に服従を替ったときから、同じ目的のために屈辱の芸能を強いられることになったのではなかろうか。
しかし、現在の『土蜘蛛』にその悲壮感はない。
能一番を見終わった観客の脳裏に鮮明に残るのは、土蜘蛛を退治した独(ひとり)武者ではなく、首を切られたシテ、土蜘妹であろうし、その拍手は見事に首討ち落とされた土蜘蛛に向けられる。能では『土蜘蛛』はすでに屈辱の芸能ではなくなっている。
『土蜘蛛』からは、屈辱の芸能を誇りの芸能へと変換させた土蜘妹一族による隠喩化への意志を読むことができる。武力では征服者に勝てないと悟った彼らは、屈辱のまねびを続けていくうちに、芸能を通じて復讐するという隠喩を考えたのだろう。
そして、その隠喩は単なる修辞法ではなかった。自分たちの理解者には伝わらなければ意味をなさず、しかし為政者にその意志を見破られれば一族の絶滅に直結するという、生死を賭けたギリギリの修辞術だった。
<2000年3月号>
★チュルリョーニス:1875年〜1911年。リトアニアを代表する作曲家、画家。35歳の若さで亡くなったが、彼の絵画や音楽はリトアニア国民の精神的な支柱となっている。音楽では「海」、「森林で」のように自然をテーマにした作品が有名。→Wikipedia
★ちなみにリトアニアはヨーロッパ最後の異教国家。異教って言葉がよけいなお世話だけど。→リトアニア大公国