俳句・芭蕉

四民の方外『奥の細道』プロジェクト

NPO法人『天籟』の来期事業として、四民の方外『奥の細道』プロジェクトが本格的に始動!

四民の方外とは士農工商の四民の外に生きる!という江戸時代の俳諧師の生き方。不登校とか引きこもりとかニートとかリストラとか<四民>の付けた呼び名に安住せず、四民の方外での生き方を探る旅を。

・・とTwitterに書いた。

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芭蕉は、世に出ることがほとんど不可能!という出自をもつ。彼は「そんなのイヤだ」とさまざまな努力をするがすべて裏目。ついに「士農工商」という四民の外に生きよう、と決意。さまざまな紆余曲折と工夫と、そして「奥の細道」の旅でそれを完成させた。

「社会(四民)」の中で生きるのがキツイ人々を、無理やり「社会(四民)」復帰させようとしているのが今の政策。不登校やニートや引きこもりに対するね。で、これが全然、うまくいってない。

・・・ではなく、むしろ積極的に「社会(四民)」の外で生きると決意することによって、その方法を探り、そしてその力を「社会(四民)」に還元する、そんな方途があってもいいだろう、と思う。

そのために大切なのは「旅」。からだを使うこと!

定住していても心は放浪という「定住漂泊」があるように、自分の殻に閉じこもったままでも、しかし体は放浪するという「引きこもり漂泊」があってもいいんじゃないか。

在原業平の東下りの旅なんてモロそれだし(彼は杜若と出会うことによって外に目が向く)、「歌枕見て参れ」と追放された実方の旅だってそうだし(彼は客死してしまう)、なんといっても能のワキ僧の旅は、もうまさにそれ(彼は亡霊と出会う)!

『奥の細道』だってそうだ!

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で、平日の一週間、歩けるような立場にいる人(仕事をしてないとか、学校に行ってないとか=「社会(四民)」の外にいる人)と『奥の細道』を歩きつつ、歌枕に出会ったり、俳句などを通じて抒情世界と親しんだり、そして何より自分の身体と出会ったりする旅をする、というのがこの企画。

ロルファーの大貫毅朗さんも一緒に歩きます。事前に行う「歩きたい体を作るワークショップ」と、歩きながらのアドバイス、そして一日歩いた後のメンテナンスを、大貫さんと安田とが行います。

また、臨床心理士も一緒に歩き、歩きながらの「てくてくカウンセリング」も実施の予定(これはまだ調整中。なんといっても一週間なので)。

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最初は深川〜日光までの、ほぼ旧・日光街道に沿った旅。詳しい日程は、またアップします。

このプロジェクトにCGやCMを手がけている(株)グリオより、記録用のビデオカメラと、それをアップロード・更新するための(未発売ですが)iPadをご提供いただきました!

皆様の有形無形、物品、金銭のサポート、お待ちしております。

そうそう。できれば宿泊の先々で寺子屋を開ければと思っております。お心当たりの方、どうぞよろしくお願いいたします。ご興味のある方、寺子屋を主宰してやろうという方、ご連絡をお願いいたします。担当者より連絡をさせていただきます。

info@watowa.net

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いまは国土地理院の25,000分の1の地図と格闘中!

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俳句と能:謡は俳諧の源氏

いま『奥の細道』の那須の段について書いていますが、やけに能の話が出てきます。

能楽師だからっていい気になって、「ちょっと出しすぎなんじゃないの」と思っていらっしゃる方もいるかも知れないので・・・。

芭蕉の発句や連句は、能がベースになっているものがたくさんあります。能を知らないとよくわからなかったり、全く違う解釈をしてしまう可能性のあるものもたくさんあります。

宝井其角は「謡は俳諧の源氏」と言っています。能の謡は、俳諧にとっては『源氏物語』なのです。

むろん、作品は一度作者の手を離れた瞬間から作品そのものとして一人歩きをするので、それが能がベースになっているかどうかなんてのはどうでもいいようにも思えるのですが、しかしそれを知っていると作品がより面白くなります。

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先日、あるアニメを見ていたら、主人公が印籠を出して「この印籠が目に入らぬか」と叫んでいました。

これは視聴者が『水戸黄門』を知っているという前提です。

数百年後に『水戸黄門』を知る人が少なくなり、そしてこのアニメだけが古典として残ったときに、『水戸黄門』抜きにこの印籠のメタファーとか、なんとかを論じていたらちょっとおかしいでしょ(それはそれで深くなりそうですが)。

で、同じように芭蕉を読むときには能が必要だと思うのです。

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が、同時に当時の謡というのは、たとえば落語や、たとえば漱石の『猫』などで扱われるように、そんなにたいしたものではなかった。むろん土地にもよりますが、みんながワイワイと気楽に謡っていたものだった。

なんといっても「お肴」といわれることもあったくらいです。

酒の肴にちょっと謡です。

そのくらい日常の中に入っていた。『水戸黄門』くらい(かどうかはともかく)にね。

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でも、それは江戸時代までで、「俳句」は明治になってから正岡子規が再興したものだから、「俳句」には謡や能は必要ないんじゃないの、という人もいるでしょう。

が、正岡子規も、謡も能も非常に親しんでいました。なんといっても若い頃には能を作っています。桜餅屋の娘がシテ(主人公)というナンとも不思議な能で、全然関心しないのですが、しかし漱石は非常なる賛辞を書いています。

高浜虚子などは謡だけでなく鼓(大鼓)もやっていて、元日に漱石とその仲間たちとした楽しいやり取りが『永日小品』の「元日」に書かれています。青空文庫にありますから、ぜひお読みください。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html

この「元日」は、語りの会でしようと思うのですが、いつも読みながら笑ってしまってうまくいきません。

そんなわけで俳句をされる人は、ぜひ謡を謡っていただきたいな、と思うのです。

奥の細道について(8)草刈おのこ

さて、那須野の野越えをしようとした芭蕉。急の雨に遭い、しかも日も急に暮れて農夫の家に一夜の宿を借りる。開けて再び野中の道を歩き出すと、そこに野飼の馬がいた。この馬には物語が隠されている、というのが前回までのお話でした。

では、今日のところ。

●草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。

この文です。また例によって現代語訳を・・。

(現代語訳)そばで草を刈っている男に近寄って嘆願したところ、田舎者ではあるけれども、やはり人情を知らないわけではなく・・

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歩き始めた芭蕉翁、野飼の馬を見た途端、[草刈おのこ]に歎き寄ってしまう。

ちなみに芭蕉はこの旅ではかなり健康であったと言われています。昨日は歩いて野越えをしようと思っていた芭蕉。急に歎き寄るのは、どうもただ疲れていたから「馬に乗せて」とお願いしているわけではないようなのです。

それは[草刈おのこ]を見つけたら歎き寄る、これが約束だからです。

この[草刈おのこ]に能『錦木(にしきぎ)』の影が見えることは多くの人の指摘するところです。

能『錦木』には、「彼の岡に草刈る男、心して人の通路、明らかに教へよや」という句が見えます。草刈る男たちに「人の通路」を教えよ、と尋ねるという句です。

『奥の細道』のここの[草刈おのこ]は、能『錦木』を踏まえているということは多くの人の指摘するところですが、しかし[草刈おのこ]に尋ねるというのは『錦木』だけではありません。

能『敦盛』でも、ワキである僧(実は敦盛を討った熊谷直実)は、現れた草刈たちに「いかにこれなる草刈達に尋ね申すべき事の候」と声をかけます。

<草刈がいたら声をかけて何かを尋ねる>

これが約束事なのです。

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では、その約束事を無視して、声をかけなかったり、尋ねなかったりしたらどうなるか。

能『隅田川』で、都より我が子の行方を尋ねて旅をしてきて隅田川までやってきた狂女は、その渡し守に「私も舟に乗せてください」といいます。それに対して船頭は「お前は狂女だろう。狂女ならば面白く狂え。狂わなければ舟には乗せないぞ」というのですが、狂女はその答えに対して・・・。

「うたてやな。隅田川の渡し守ならば『日も暮れぬ舟に乗れ』とこそ承るべけれ。かたの如くも都の者を舟に乗るなと承るは、隅田川の渡し守とも覚えぬことな宣いそよ」

・・というのです。

隅田川の渡し守ならば「日も暮れぬ舟に乗れ」というのが約束事ではないか、そう彼女はいいます。

そういう狂女の言い分は『伊勢物語』に由来しています。

『伊勢物語』で、在原業平が隅田川に来たときに船頭が「日も暮れぬ舟に乗れ」というのです。この船頭のひとことが『伊勢物語』という古典に載せられた瞬間から、隅田川の渡し守は<「日も暮れぬ舟に乗れ」という!>ということが約束事として義務付けられてしまったのです。

そして、それを破った人は「うたてやな」、ああ、なんとも不風流な人だ、などと言われてしまうのです。

これは風流の旅をする芭蕉には恥ずかしい。

それに対して、隅田川の狂女はどうかというと、船頭は彼女に「狂女なれども都の人とて、名にし負ひたる優しさよ」という賛辞を述べます。「優しさ」とは優雅さ、すなわち王朝風の教養を身につけている人ということです。

都からの狂い舞をしながらの旅です。たぶんかなり汚い。それになんといっても狂女です。

狂女ではある。

が、しかし『伊勢物語』の故事によって、このように言うのは何とも王朝風に優雅だ!

・・と船頭は感服しているのです。

能『巴』でも、木曾の山奥から出てきた僧は、江州(滋賀県)の粟津原で出会った女性に対して、「優しやな。女性(にょしょう)なれどもこの里の、都に近き住まいとて、名に優しさよ」と言います。

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ともに「〜なれども」という語が重要です。

「A」ではあるが(〜なれども)なんとも王朝風に優雅である。

能において、この「〜なれども」は、「一見そうは見えなくても、『王朝風に優雅』である」を引き出すための「〜なれども」なのです。

・・ということを踏まえると、ここの「野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず」の「〜といへども、さすがに」が「〜なれども」に構造としては似ているでしょ。

となると、ここは、現代語訳にあるように「田舎者ではあるけれども、やはり人情を知らないわけではなく」ではないんじゃないかと思うのです。

「情け」には、もちろん「人情」という意味もありますが、「風情」とか「風流の心」、「風雅」のような意味もあります。「情しらぬには非ず」は、まさに「優し」です。

そんなわけでここは、「田舎者ではあるが、さすがにこの那須野に住んでいるだけあって能や王朝の故事を知る人だ」という意味になるんではないかなと思うのです。

そして、この情けある[草刈おのこ]は能『錦木』のように、道を教えるはずです。さらに能『遊行柳』がそこに加われば、その道しるべは馬がするはずなのですが、それについてはまた後でお話することにして・・・。

さて、こんな風に、この[草刈おのこ]に出会った瞬間から、そして芭蕉が彼の男に歎き寄った瞬間から、この場面は王朝の歌物語か、はたまた能の中の物語へと変容するのです。

[まだまだ続く]

奥の細道について(5)何かが起こる予感

さて、前回書いた第一文ですが、実はあそこにはもうひとつ気になるところ(「是より」)があるのですが、それはここで書くと面倒なので後で見ることにして、次の文にいきましょう。

●遥(はるか)に一村を見かけて行くに、雨降り日暮るる。

この文で気になるのは「遥に一村を見かけて行くに」と「雨降り日暮るる」。あ、全部だ。

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これまた現代語訳してしまうと何ら問題が感じられなくなる。一応、現代語訳を。

◎はるか遠くに一村があるのをみとめ、それを目ざして行ったところ、途中で雨が降り出し、日も暮れてしまった。

こんな風に訳されます。

ね。「この何が問題?」って感じでしょ。

そんなわけで原文を見ていくことにします。

まずは「遥に一村を見かけて」。

これはもう完全に、能『雲林院(うんりいん)』で謡われる「遥に人家を見て」云々の謡を意識していると思われます。

能『雲林院』は、幼い頃から伊勢物語に慣れ親しんでいた芦屋・公光(きんみつ)という者が、ある夜、不思議な夢を見て、都に上るというところから始まる物語です。その旅の途路、雲林院に着き、「遥に人家を見て、花あれば則ち入るなれば、木蔭に立ち寄り花を折れば」と花を手折ろうとする。すると、老人(実は在原業平の霊)が現れて「誰だ花を折るのは」と呼びかけます。

この<呼び掛け>は能の常套パターンですが、能『雲林院』でも能『遊行柳』と同じく老人が現れて<呼び掛け>をします。

同じ、老人による<呼び掛け>。

芭蕉は『雲林院』の謡をここで謡う(たぶん謡っていたんじゃないかなぁ)ことによって、能と同じように何事かが起こる、当然、遊行柳の西行、雲林院の在原業平のような詩魂と出会い、そんな状況のための呼び水にしたのでしょう。

できれば老人が現れて「のう」とか呼びかけてほしかった。

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さて、この「遥に一村を見かけて」が能『雲林院』の「遥に人家を見て」の影響だとすると、この「遥(はるか)に」の距離が問題になります。

『雲林院』では、遥かに人家を見て、花が美しく咲き乱れていたので、木陰に立ち寄って花を手折ろうとする。立ち寄れちゃうくらいですから、この「遥か」には、かなり近い。

芭蕉は野越えですから、これほど近くはないとしても、しかしそんなに遠いわけではない。なんといっても「遥に一村を見かけて」行こうとしているわけですから目視はできたはず。

「野」というのは、ただの平原ではない。たとえばこんな和歌があります。

♪春日野は 今日はな焼きそ 若草の つまもこもれり 我もこもれり♪

妻も我も篭れちゃうくらいだから草は高かったに違いない。

現代の那須と、当時の那須野がどれくらい違うかは調べていませんが(これを何かに書く時には調べます)、少なくとも現代の那須を考えると、大平原というわけではなかったんじゃないかな。木だって生えている。どんなに遠くても目視できる距離というのは、そんなに遠くない。

・・ということを前提に次を見てみます。

◆◆◆◆◆

「雨降り日暮るる」

なんとも唐突です。

これ、現代語訳の「途中で雨が降り出し、日も暮れてしまった」で読むと、あまり唐突ではないのですが、原文のまま読むと「雨が降り、日が暮れる」と唐突です。

雨が降るのは唐突でもいい。が、急に日が暮れるのは変です。

少なくとも目視できる一村を目指して行こうとしている。あそこに着くまでは日は暮れないはずだった。日が暮れるのがわかっているくらいならば、その前の村で宿を取ったはずです。が、日も急に暮れてしまった。

またまた能を思い出します。

前に、楽な道を行こうとしたら呼び止められるという曲に能『遊行柳』と能『山姥』がある、ということを書きましたが、この能『山姥』では、暮れるはずのない日が、突然、暮れてしまうのです。

まだまだ暮れないと思っていたからこそ、この道を来たのに急に暮れちゃった。えー!っ感じです。

で、これは「えー!」だけじゃなく、不思議でもあります。

が、これによってやはり何事かが起こる気配がより強まる。怪談なんかでも、まだ夜になるはずがないのに急に夜になったりする、そんな感じです。

となると、やっぱり「雨」も変ですね。

能でも急に雨が降ったり、雪が降ったりして何かが始まります。

さあ、二番目の文で「これから何かが始まるぞ」という舞台設定が完成しました。

さてさて、次はどうなるか・・って、『奥の細道』がミステリーだか、怪談のようになってきました。

[続く]

奥の細道について(4)最初の文と遊行柳

さて、『奥の細道』に戻りましょう。

◆◆◆◆◆

と、その話をする前に、古典を読むときには「遅読」が大切だということを・・・。

本には、その本に応じて読むべきスピードがあると思うのです。で、古典はできるだけゆっくり読むことが大切。どれだけゆっくり読めるかということが、古典を読む能力に関係するんじゃないかな。

数十分もかけて、能舞台をじっくりと一周廻る、能『道成寺』の乱拍子のように、充実した空隙を腹に力を込めながらゆっくりと読む。

ちょっと尾篭な話を。

<トイレ本>の習慣があります。「えー、きたない」と言われたりもするのですが、トイレの中に、本を一冊置いてあるのです。

ものを考えるには「馬上、枕上、厠上」と言われているように、トイレはものを考えるにはなかなかいい場所です。で、本を読むにも、なかなかいい場所なのです。

いま置いてあるのは文庫本の「死霊(「しれい」と読む:埴谷雄高)」。最初に読んだのはとっても若い時で、ほとんど衒学趣味で読みました。「どうだ『死霊』を読んでるんだ。すごいだろう」って具合に。友人は「死霊」の影響で不眠症にわざわざなりました。

で、数年前に文庫になったので再読をしたら、どうも若い頃に読んだ感じとだいぶ違う。でも、そのときは難しいところは飛ばしてドンドン筋だけを追って読んでしまいました(文庫ってそういうところありますね)。

が、漱石が「小説は筋なんか読むもんじゃない」と言ったように、この「死霊」も筋を読んでしまうと物語の面白さにばかり目がいって、大事なところを飛ばしてしまいます。

でも筋は面白いので、なかなかそこで止まれない。そこにおいしいエサがあるのに、紙袋で遊んでいるので、エサは気になりつつも遊びがやめられないネコのように・・。

が、トイレで読むとページを捲るのが面倒なので、見開きで終わらせようとするからじっくり読める。物語に引っ張られて次にいきたくなっても我慢して、ページの最初に戻って同じところを何度も読む。

どうも「死霊」は、そんな読み方に向いているんじゃないかなと思って、いまは「死霊」をトイレに置いているのです(ちょっと前までは『論語講義』渋沢栄一の学術文庫版)。

古典も同じく、何度も何度も同じところを経巡りながら、できるだけゆっくり読むことが大事。『奥の細道』ならば、芭蕉が奥の細道を踏破するのにかけた時間と同じくらいはかけたい。

◆◆◆◆◆

ではそんなつもりで、『奥の細道』の那須の段に戻って、最初の文をもう一度、見てみます。

●那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。

この文の中で気になるところは3箇所。「知る人あれば」と「野越」、そして「直道」です。

一応、現代語訳も。

◎那須の黒羽というところに、知人がいるので、ここから那須野越えを始めて、野中の真っ直ぐな近道をして行こうとした。

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では、3つの気になるところをひとつひとつ見ていきましょう。

最初の、黒羽というところに、「知人がいるので」という理由。

これは見方によっては別に問題でもなんでもないのですが・・。

これからの旅の意味づけなのですが、言っちゃえばどうでもいい意味づけ。それが問題なのです。これは能ではよくあるパターンで、すなわち意味のない意味づけ。どうでもいい意味づけをする。

水戸黄門の第一部で一行が旅をするのは、黄門様の息子、松平頼常が藩主を勤める讃岐高松藩の内紛を収めるため、という理由になっていますが、誰が見てもあれは旅をしたいからしているだけ。四十周年を迎えた今年の水戸黄門にも旅の目的は一応あるが、年々その目的は希薄化してきている。

そして、事件はその目的とは何の関係もないところで起こる。

能でも、何事かが起こる。しかし能の旅人(ワキ)はそれを期待して行くのではない。諸国行脚とか、なんとか詣でとか、そんな何気ない旅の途中に「何か」が起こる。それが大切なのです。

でも一応、もっともらしい理由はつける。それも大切です。が、どうでもいい。で、そのどうでもいいことが、さらに大切です。

だから「自分探しの旅」なんかを理由に旅をすると、何かは起こりにくい。それよりもバケーション!って思って旅をした方が起こりやすいのです。心の中で何かを期待していても、「何も期待してないもんね。まあ、知ってる人がいるからちょっと寄ろうかな、って、そんな感じ?」ってフリ。

それが大事!那須の旅はそんな風に始まります。

◆◆◆◆◆

さて、次に「是より野越にかゝりて」とあります。

ゆっくりと読んでいると、ここで立ち止まる。「野越え」ですよ、「野越え」!

「野越え」と聞いて、「ひょえ〜」とか「ワクワク」とか思える人は、そういう旅をしたことのある人でしょう。

現代日本に、この「野越え」のような土地はあるのかなあ。30年ほど前には、まだまだあった。あと、「野越え」で思い出すのは、ヨーロッパの森。一歩踏み込むと、どこに連れていかれるかわからない、そういう怖さを持った場所です。

前にも書きましたが、若い頃には、高尾山から富士山まで、山中の路を通って、よく往復をしました。富士の裾野に入り、砂利道舗装をされて歩きやすい東海自然歩道をちょっと外れて樹海に分け入ると、ヨーロッパの森に迷い込んだときのような感じがします。平坦な道なんだけども、怖い。

で、ある日、ちょっと足を伸ばしてみようと思い、やはり山の道を通って高尾山から、そのまま和歌山県まで歩いたことがあります。

一人旅で、一人用のテントと寝袋を持って、キャンプ場も避けながら歩きました。一応、地図とコンパスは持っているし、数時間でいざとなったら人里に降りることのできる道を取ったのですが、しかしそこは山の道。

「どうも、これから何日間は、人里やキャンプ場も近くにない道を歩くことになる」というときの、あのいいようのない不安はなかなかのものでした。

「是より野越にかゝりて」というときには、そんな感じがあったんじゃないかな。「野越え、山越え」という言葉があるように、山越えのような不安というか、ある大変さもあったのかも知れません。これは「歩き」の専門家に聞いてみたいところです。

山のように起伏はない。しかし、何が出るかわからないし、ちゃんと目的地にたどり着くかもわからない。多分、背丈以上もあった草原を通過する。途中で死んだって誰も気づいてくれない。

草原の中に小野小町のしゃれこうべがあって、その眼窩からススキが生えていた、なんて能にはあります。

そんな(って、何がそんな、かはともかく)「是より野越にかゝりて」です。

◆◆◆◆◆

さて、この文で一番の問題は3つ目の「直道をゆかんとす」です。

「直道(すぐみち)」は「近道」とか「広い道」とかいう意味です。

前のブログで、ここの旅程は能『遊行柳』をイメージしていたはずだということを書きました。

で、『遊行柳』でも、旅の僧は、目の前に広がる道々を見て、「広き道」に行こうとするのです。すると、そこに老人が現れ、その老人に「修行の身のくせに広い道を行くのは何事か!」とさとされ、歩きにくい古道を道しるべされ、西行ゆかりの柳に出会い、さらには西行の霊とも柳の精霊とも思えるシテの物語に接するのです。

となると芭蕉もここで「直道」を行こうと言っているのは、ここで誰かが現れて、古道を示してくれるのを待つためのコトバではないのだろうか、そう思うのです。

むろん誰かというのは西行ゆかりの亡霊か何か、ね。

さて、ここで原文と現代語訳の語尾の違いを見ておきましょう。

(原)那須の黒ばねと・・直道をゆかんとす。

(現)那須の黒羽と・・真っ直ぐな近道をして行こうとした。

現代文では過去形になっていますが、原文では現在形です。演劇である能のセリフのようです。

芭蕉たちの旅のお手本のような『竹斎』は過去形で書かれています。これは『伊勢物語』と能のパロディのような作品なので、『伊勢』の文体を真似しているのでしょうが、『奥の細道』は基本的には『土佐日記』とか、そういう日記の文体である現在形で書かれています。

でも、たまに「着きにけり」のような過去形(完了形)が使われていたりするのですが、これはもう完全に能のマネです。

そんなこんなで(何度も書きますが)『奥の細道』を読むときには、能を謡うように読むといいと思うのです。

というわけで能『遊行柳』の僧のように「直道」を行こうと思う、という芭蕉。さてさて、何が起きるのか。

[続きます]
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