鳩翁道話

鳩翁道話(13)巻一の下(5)野良息子の話、最後


さあ、野良息子の話の最終回です。今回で『鳩翁道話』の第一巻はおしまいです。

●親は子に迷うもの

なんと子に迷う、親の哀れな心をもご推察なさりませ。親猫が子猫をくわえて歩くように、蔭になり日向になり、人のそしりもご先祖さまへの義理も、またわが身のつまらぬ行末も構うこともない。子が可愛さに心を捉われきって、迷いに迷った親の心。実にあわれに、また気の毒なものでござります。

しかし、これはこの親が特別というわけではない。子を持った世間の親のこころはみなこの通りなのじゃ。

先師、石田梅岩先生の歌に・・

 子に迷う親の心を見るにつけ
  我がかぞいろもかくやありなん

これは、人の親が子に迷うのを見て、自分の父母もこのように思し召されたのだろうと思われてお詠みなされた歌じゃ。実にこの通りに違いはござりませぬ。この親の大慈大悲の光明が、かの不孝者の腸(はらわた)に沁みわたるとありがたいものじゃが。

●子から光明が輝き出る

さて、さすがに恐ろしい鬼のような乱暴者も、このありさまを見て、五体を絞め木でギリギリと絞めつけられるように感じて、なぜかは知らねども、胸先、喉元まで涙が突き上げてきて、声をあげて泣くこともできず、袖口を口にくわえて大地に倒れ伏して声を忍ばせて泣いている。

円位上人の歌に・・

 何事のおわしますかはしらねども
  かたじけなさに涙こぼるる

まことによう詠んだ歌でござります。

このとき、かの野良息子は、親のことを忝(かたじけな)いと思ったわけでもなく、またありがたいと思ったわけでもない。ただ何かは知らず、親の慈悲心がはらわたへこたえると、ようしたものじゃ、いても立ってもいられぬようになる。

これがこれ、人々固有の「本心」と言って、明らかな徳をみな生まれつき備わってはいるけれども、おのれが気随気ままの身勝手で、しばらくその光を隠していたのじゃ。

しかし、親の大慈大悲の光明ではらわたを貫かれ、自然と息子が本来持っていた光明が誘われて輝き出すと、気随気ままのむら雲はどこかへやら消え失せて、そこから親の慈悲が本当にありがたくなってくる。

 木賊(とくさ)刈る園原山の木の間より
  磨かれ出づる月のさやけさ

<木賊というのはヤスリのようにものを磨くのに使われていた植物:安田注>

格別の悪党が本心に立ち返ると、ひときわ勝れて磨かれ出る月のさやけさ、なんとありがたいものではござりませぬか。

●親族会議の結末

さてかの野良息子は、すぐさま座敷へ駆け込み、親たちに詫びを申そうとは思ったが・・

「いや、待て。このまま駆け込んだら、親類縁者は驚き、どんなことをするだろうと親たちも気が気ではないだろう。何も知らない顔で表口から入り座敷に出て、まずは親類に詫びをしよう」

・・と心に決めて、裏口から表口まで忍び足で周り、それから先はわざと雪踏の音もたかく、咳ばらいをしながら座敷に通ると、親類どもは大いに驚き、親達は我が子の顔を見て、夫婦とも泣いてござる。

かの息子も、何も言わずにうつむいて泣いている。

少し経って、かの野良息子、親類の人々に向かって・・

「さてこれまでも、勘当、勘当と度々聞きはしましたが、さのみつらいとも思ったこともございませんでした。が、今夜、寄合と承り、どうした事やらしきりに心細く覚えまする。これまでの重々の無調法、この上はきっと改めまするによって、今夜の勘当は、なにぶんしばらくご容赦下されい。長くとは申しますまい。ただ三十日の日延べをお願いしたい。そのうちに性根が改まらなければ、そのときは勘当をされても、一言も申し分はござらぬ。どうぞお前様方のお取りなしで、わが両親に三十日の、日延べをいたしてくださるるよう、お詫びなされて下されまいか」

・・と、いつになく頭を畳へすりつけて頼む。

このとき親類中は、親達の強情なまでの返答に、その座が白けてしまって、立とうにも立つこともできず、なんとなく居心地が悪い思いをしていたところに、この息子のひとこと。

これ幸いと一同はロをそろえて、親たちに、「今夜の所は、待ってやって下され」と詫び言をする。

親たちは、本心に立ち返らなくても、もとより勘当はせぬ心。まして今の一言を聞いて、ただ嬉し泣きに泣いている。

親類もこれをしおに、息子に向かって「しっかりと孝行をさっしゃれ」と言い捨てて、その夜の親族会議は終わりとあいなりました。

●悪童かえって大孝行となる

これから、かの息子どのが、手のひらを返すように孝行な人になり、二親に仕えるありさまは、実に小児が父母を慕うがごとく、これまでの悪行はあとかたもなく消え失せました。

このことが世間のうわさにもなり、半年も経たぬうちに、ご地頭様のお耳に入り、ついにお目がねをもって、大庄屋役をかの息子に仰せつけられました。

この一事をもってしても、かの息子がどれほどの孝行をしたか、ご推察いただけると存じます。

さてそののち三年ばかり経って、母親が大病にかかり、その末期の枕に、かの息子を呼んで言われるには・・

「いつぞやの勘当の評定の日より、何と思うたかお前の心が改まり、この上ものう孝行にしてくれる。もしそのときに、そなたの心が改まらず、そのうちにわしが死んだならば、地獄へ行く外はなかったところじゃ。今はそなたが孝行にしてくれる。何も思い煩うことがないゆえ、いま死んだら極楽へ行くに違いはない。わしを仏にしてくれるは、皆そなたの孝行のゆえじゃ」

・・と、手を合わせて拝みながら臨終をされたという事じゃ。

なるほど「当来の果を以て未来を知る」と。

この世で心苦しければ、未来もまた心苦しい。今日の手遅れは明日について回る。心の苦しいは地獄、心の楽は極楽。

親の苦楽は子たるものの行状にある。子が善であれば親は仏、子が悪であれば親は鬼になりまするぞえ。

一旦若気のあやまりで、何の分別もなく親に心使いをさせたり、親を泣かせたりの不孝も、この道理をよく理解して、今日ただいま志を立て直し、我が身に立ち返って孝行すれば、親ご様は今日から極楽暮らし。しかし、立ち返らず、いままでの通り不行状がやみませぬと、親御はそのまま地獄暮らし。

地獄極楽は、ただ「身に立ち返る」と「立ち返らぬ」との違いだけ。

この「身に立ち返る」を孟子は「放心を求むる」という。これがすなわち学問の事じゃ。
またあとは明晩お話し申しましょう。

下座

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『鳩翁道話』第一巻が終わりました。これで『鳩翁道話』の連載はしばらくお休みします。

長い間、ありがとうございました。

鳩翁道話(12)巻一の下(4)野良息子の話が急展開


前回に続いて野良息子の話です。なんともひどい息子もあったもので、自分を勘当するための親族会議に乗り込んで金をせしめようとしています。が、不思議にこの野良息子が悪心を翻して大孝行の人になるという、これからが成仏の段でございります。

●母親、勘当をやめてくれと父親にいう

「人の親の心は闇にあらねども子を思う道に迷いぬるかな」

野良息子の親たちの前に、勘当の願書が回って来ると、母親は大声をあげて泣き出す。老父は歯もなき歯茎を食いしばって下を向いて身動きもしない。

が、やがてくぐもった声で、「おばば、印鑑を取ってござれ」と老妻にいう。母親は返事をすることもできず、泣く泣く箪笥の引き出しから、革の財布に入った印鑑を取り出し、それを爺親の前に置く。

野良息子は、雨戸の外から息をつめて成り行きをうかがっている。

そのうちに老父は覚悟を決めた。が、本当は印鑑などは押したくない。ぐずぐずと財布の紐を解き、ようやく印鑑を取り出して、朱肉をつけて判を押そうとする。

そのとき、母親が父親の手にすがって、「先ず待って下され」という。

「この期におよんで何をいう。親類中も見ていらるる。未練な事を言わっしゃるな」と父親はいうが母は聞かず、「まず私が言うことを聞いて下され」と懇願する。

「確かにあの不孝者にこの家を譲ったら、三年もたたぬうちに草を生やして荒れ果てるでござろう。それが悲しいといっても、天にも地にもたった一人の子。その子を勘当したら、跡とりのために代わりに子をもらわねばなりませぬ。

もらった養子が実直で、わしら夫婦に孝行をし、家もしっかりと相続してくれればよけれども、しかし養子だから孝行だと決まったこともござるまい。その養子も不心得で、家を野原にするかも知れませぬ。どうもわしら夫婦は運の悪い夫婦なれば、そうなることもあるではござらぬか。

どうせ子のためにつぶす身代なら、せがれのために家を失い、馴染んだ村を立ち退いて、夫婦ともに乞食になっても、我が子の尻について歩けたなら、わしは本望に思います。五十年このかた、一生に一度の願い。どうぞ聞き入れて勘当をやめて下され。子ゆえに乞食をすると思えば、恨みにも思いませぬ」

・・と、声をあげて泣く泣く言わるる。

親類もこれを聞き、一同に顔を見合せ、親父が何と言わるるぞと、見守っている。

●親父様の言いよう

と、親父は何を思ったか、印鑑を財布に入れ、手早に財布のひもを締めて、勘当の願書を親類の前に差し戻して言う。

「さてさて親類の皆様方へは、まことに面目ない事でござれども、いま婆(ばば)が言うところ、わしももっともと思いますゆえ、今後せがれの勘当はいたしますまい。このように申さば、その甘い心で育てたがゆえに、あのような不孝者が出来たと、定めてお前様方は笑わっしゃろうが、笑われても苦しゅうはござらぬ」という。

親類たちは呆れて聞いている。

「もちろん、あのせがれを勘当しなければ、この家がつぶれる事は、ものの三年も待つことはございますまい。わが子ゆえに先祖代々の家を野原にするのは、ご先祖様に対してすまぬという事も、よう合点しておりまする。勘当せねば、お前様方と不付合いになり、親類一同からの義絶も合点でござる。

定めて、わしらが村を立ち退くとき、金を無心したり、物をねだったりせぬかと、その用心のための義絶であろうが、そのようなことはご案じ下さいますな。世間の義理も、先祖への不孝も、親類の義絶も省みず、こんな決心をするのは、ただただわが子が可愛いばかり。その子の尻を追って乞食をしながら、ついて歩くならば、それはわしら夫婦が本望というもの。決してお前様方に無心やねだりはいたしませぬ。

そもそもどのように死ぬのも一生は一生じや。可愛い子のために、道にのたれ死に、並木のこやしになるのも、自ら好んでするのであれば恨みとは存ぜぬ。さあ、どうぞお前様方もお引き取りください。明日からはお互い他人でござる。我が子のためなら、何と言われてもかまいはござらぬ」

と、同じく大声をあげて男泣きに泣かるる。勘当せぬと聞いて、母親もうれし泣きに泣く。

親類縁者は、あまりの事にあきれ果て返答もせず、ただ夫婦の顔をうちながめているばかりなり。

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あれあれ。すごいことになりました。今回はここまで、続きは次回に。

鳩翁道話(11)巻一の下(3)野良息子の話の続き

さて前回は甘やかされて育てられた息子が悪さをする野良息子になり、とうとう親類縁者の願いによって勘当となる一歩手前というお話でした。今回はその続きから。

●せっかくの救いも無駄に

近世、徳本上人の歌に、

 これほどに縒(よ)れつ縺(もつ)れつする弥陀を
   あえて頼まぬ人ぞはかなき

というのがござります。

これは仏の大慈大悲を言うのじゃ。

仏様は、人間の本心がよいことをご存知なので、「それは悪い、これがよくない」と、明けても暮れてもお世話をくださるのだが、人間の身贔屓、身勝手の私心私欲が本心のままにはまいるまいと、とかく本心に背きおる。

親が子を思うのも、また不孝者が親を思わぬのも、これとよう似たものじゃ。

「あえて頼まぬ人ぞはかなき」

みなさま方、おひとりおひとりが本心に立ち返って、阿弥陀様にお救いいただき、お助かりなされませ。

●息子の悪巧み

話を戻しましょう。

さて、かの野良息子は、この日、近村で博打を打っておりました。と、そのとき村の友達が来て野良息子にいう。

「貴様を勘当するために、今夜、親類が集会するげな。なんぼ貴様のようなものでも、勘当されたら、定めて難儀をするであらう」と。

野良息子は、友達の話を半分も聞かぬ間に大声をあげる。

「何じゃ、今夜おれがうちで勘当の親族会議か。こいつぁ面白い。もともと親父や母者のしみったれた面を、もう見たくもねぇし、気色も悪いとこのごろは思っていた。我慢も限界に来ていたところだ。これで勘当してくれたら俺も晴れて一本立ち。唐(中国)へ飛ぼうが、天竺(インド)に引越しをしようが、文句を言われる筋合いもない。こんなありがたいことはねぇぞ」

などという。さらにいうには・・

「今夜は、親族会議の席に乗こんで、『なんでおれを勘当するんだ』と、一番団十郎を踏みこんでゆすりをかけてやろう。そうすりゃあ、五十両や七十両の餞別、立ち退き料はもうもらったが同じだ。その金を持って京か大坂へ出て、女郎小屋でもはじめたら、そりゃあおもしれえ事であろう。今夜、首尾よくいくように、まずは前祝いに一盃やろうぜ」

・・と、同じ悪仲間たちと、茶碗酒の大酒盛り。日が暮れる前に、泥のように酔ったところで、「よし、じゃあこの勢いで家に乗り込み、ひと勝負を張ろうじゃねえか」と大脇差を帯に突っ込み、家のある村に帰った時分は、ちょうど夜の八時ごろ。

「おおかた、いま時分は、親類どもが寄り集り、ない知恵の底をふるって親族会議をしているであろう。ちょうどそのその所に躍り込んで我がまま言って大暴れをしたら、百両ぐらいは掴めるだろう」と、そのまま我が家に帰ろうとした。

が、そのときはっと思案した。

「いやいや。親類どもがちょうど寄り合っている中に俺が顔を見せたなら、皆うつむいて何も話せなくなってしまうだろう。その中で大声あげるも、何となく調子が出ない。俺のことを悪し様にいっている、その調子に乗って躍りこまないと座つきが悪い。こいつは一本思案を変えて、裏の薮(やぶ)から座敷の縁さきに回り、親類のやつらが話すのを聞いてやろう。定めて俺がことをぼろくそにいうであろう。その拍子に障子を蹴破って、大声で怒鳴って親類連中の中に躍り込んだら面白い」

●薮から家をのぞく

・・とひとり思案し、雪踏を脱いで腰にはさみ、尻っぱしょりをして、裏の薮から切戸を越え、縁さきに廻って見れば、果して内では、ひそひそと親族会議の真っ最中。

雨戸のすき間から覗いて見れば、親類縁者が車座に直り、めんめんに願書に判を押している。その願書が両親の前にくると、かの息子がこれを見て、「さあここが勝負じゃ。親父が判を押しやがるのを合図に、この戸を蹴破って飛び込もう」と、かた膝立てて、息をつめて覗いている。

何と人も恐ろしい心に、なればなるものではござりませぬか。

孟子は「人の性は善なり」と仰られた。その真理には微塵も相違はござりませぬ。

が、その習いが性となるときは、このような恐ろしい悪党者ができるものでございます。このとき孔子・孟子が野良息子の前にお出ましになり、百日、千日と道をお説きなされたとて、とてもわが身に立ち返りそうな勢いじやない。こんな風に固まってしまった悪人は、無間地獄の釜こげになるといういうものじゃ。

たとえお釈迦さまが元服して、土佐おどりをめされるような大努力をされても、中々正気に戻るということではございませぬ。

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さあ、この野良息子、どうなることやら。続きはまた次回に。

しかし、「お釈迦さまが元服して、土佐おどりをめされる」って、すごい比ゆですね。

では、続きをお楽しみに。

鳩翁道話(10)巻一の下(2)野良息子の話が始まるよ

さて、今回からは本文だけを載せていきます。

●甘やかされて野良息子に

ある田舎に、身分相応に暮らしていた百姓がござりました。

夫婦の中に男の子が一人いましたが、可愛いさのあまりに、老牛が子牛を舐めて育てるように、盲目的に溺愛して育てあげられました。

そんなわけでその子は、次第に乱暴者になり、馬の尻尾を抜たり、牛の鼻先を火で炙ったり、あるいは近所の子どもたちを、軽々しく叩いて泣かせたりと、そんな悪戯をしているうちに成人して、とうとう手にあまる不孝者とあいなりました。

小力はある。大酒は飲む。博変は打ち覚える。そのうちいつしか神事相撲を取り覚え、それを頼んですぐに喧嘩口論を始めるわ、女郎買いや妾狂いもするわ。

ときたま親達が意見をすると、大声を張り上げて居丈高に親に向かって怒鳴る。

「お前たちは、俺が放蕩者じゃの不孝者じゃのと言うがな。その不孝ものは誰が頼んで生んだのじゃ。俺の方も生んでもらっても迷惑している。それほど放蕩者が嫌いなら、もとの所へおさめてもらおう。そうすりゃあ、俺も助かる」などと、無茶苦茶な口答えをする。

親たちもなすすべなく、その身は細り、年は寄る。息子は次第に勢いを増す。可愛いのと、仕方ないので、勘当することもできず、我がまま気ままをさせておくと、いよいよ図にのって、あちらでは誰それを投げ飛ばしたの、こちらでは誰それの腕をねじ折ったのと、あらあらしい大喧嘩をするようになった。

そのたびごとに、親達はいうに及ばず、親類縁者の者どもも胸板に釘を打たれるように胸を痛める次第。そんな恐ろしい悪党ものがござりました。

この者とて、腹のうちからこのようなわんぱく者ではないのじゃが、「おれがおれが」が増長して、心を取り失ったばかりに、このような不出来者ができあがった。なんと「放心」は恐ろしい事じゃござりませぬか。

●勘当への道

もちろん親類縁者から親達へも、「あんな奴など勘当せい」とたびたび催促はするけれども、なにぶん一人っ子のことじゃ。今日は勘当、あすは義絶と、口では言うが、なかなか勘当もできないうちに年月のみ徒に経ち、かの乱暴者がとうとう二十六才になりました。

悪行は次第につのる。このまま続けば、後々は親類縁者へどのような難儀をかけようやらと、親戚一同恐ろしくなって親族会議を開いてとうとう親たちに言った。

「すぐにでもあの野良息子を勘当をしなければ、親類中がお前さま方の家と義絶をいたさねはなりませぬぞ。あの息子をあのままにしておかれると、親類中はいうに及ばず、村中へもどんな難儀がかかろうやら知れぬ。お前さま方ご夫婦には、もとより恨みはなけれども、われら面々、家が大事でござる。さあ、親類としての関係を一切絶つか。あるいは息子を勘当をさっしゃるか。どちらにするかの返事がいま聞きたい」

そう言って寄こした。

親達ももうこれ以上は仕様がない。

「子どのもために親類の義絶になっては、ご先祖様へもすまぬ事。さらば今夜、みなさま寄合をして下され。相談の上、息子を勘当するむねを村方のお役人にお願いする願所をしたためましょう。ご親類のみなさま、いづれご連印下されねはならぬ。ご苦労ながらご印鑑をご持参にて、暮、早々よりお寄り下されい」と、返答をされた。

古語に「老牛は子牛を舐めて育て、牝虎は子を口に入れて育てる」とあります。

畜類でも鳥類でも、身に変えて子を可愛がる。ましてや人のうえで、その子を勘当せにゃならぬようになったら、さぞ悲しい事でござりましょう。これみなその子の「放心」から起る事じゃ。

身に立ち返りさえすれば、波風ものう収まるのに、さりとては身に立ち返る人がない。親にしてみれば勘当したくはないのだけれども、子の方から勘当してくれと突き付けてくる。これには困ったものじゃ。

<次回に続く>

鳩翁道話(9)巻一の下(1)今回から下が始まります

さて、今回から巻の1の<下>に入ります。

実は「下」になるとほとんど解説が不要になります。今回だけはほんのちょっとの解説をつけますが、次回からは基本的には解説なし。鳩翁先生のお話のみを載せていきます。

では、どうぞ。

******以下、本文の現代語訳*******

●犬や鶏は探しても失くした心を探さない

「人、鶏犬の放たるることあるときはこれを求むることを知る。放心あれども求むることを知らず。学問の道他なし。其の放心を求むる而巳(のみ)(人有鶏犬放知求之、有放心而不知求、学問之道無他、求其放心一而巳矣)」。

これは孟子がたとえでお示しなされたのでござります。

飼っている鶏でも飼猫でも、いつも家へ帰る時分に帰って来ないと、その飼主はうろうろと尋ねまする。あるいは犬に取られはせなんだか、あるいは蛇に取られはせぬか、もしや人が盗んだかと、向う三軒両隣、迷い子を尋ねるように、「もし宅のミケは、こなたにはいませぬか」「鶏は参りませぬか」と尋ね歩く。それは人情でござります。

ここが肝心なところじゃ。

犬や鶏は紛失しても、格別害にはなりませぬ。「心は身のあるじ」という諺があるように、心は一身の旦那様じゃ。その旦那様の心が、モノのために奪われてしまうと、親の意見も耳に入らなくなるし、主人の教訓も空ふく風、蛙のつらに水をかけたよう。

これはこれ、みな心を紛失してあるによってじゃ。

目ばかりぱちぱちして、口には「ハイハイ」と言ってはいるが、心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえぬ。

心がないから、これではまるで心の不具者。それにも気づかず、失くしてしまったその心を尋ねようとも、探そうとも思わず、「親が悪い」、「主人が悪い」、「夫が悪い」、「兄が悪い」、「八兵衛は悪い奴じゃ」、「お松は悪い女じや」と、向こうへばかり目をつけて、我身に立ち返って自分の心を尋ねる事はせぬ。

なんともひどい事じゃござりませぬか。犬や鶏は尋ねても、肝心の心は尋ねぬ。よくよくの慌てものじゃ。

●心を探すとはわが身に立ち返ること

これじゃによって、聖人はこれをお歎きなされて、人の道ある事をお示しなされて下さる。このお示しを承わるのを「学問」という。

その学問の趣意は、この心を尋ね探すのでござります。

故に「学問の道他なし。其の放心を求むる而巳(のみ)」と仰せられました。

「而己(のみ)」とは、邪魔なものをすべて刷き尽くして、もう何にも余りはない、という意味の言葉。「心を求める以外には、別に学問というものはない」と、しっかりと請け合いをなされたご証文でござります。

一生懸命に中国や日本の故事来歴を知り、文字の穿璧ばかりすることを学問とは申しませぬ。

何はともあれ「心」のことじゃ。八千余巻の仏教の経論も、諸子百家の書物も、みな心の行方を記した地図のようなものでござります。

さて、この「心を求むる」ということは、前にも申し上げましたとおり、「我が身に立ち返る」という事でござります。立ち返るという事を知らぬと、これは恐ろしいものじゃ。どこまで行くやら行方が知れませぬ。また逆に一度立ち返ると、これはありがたいものじゃ。孝子にも忠臣にも、立ちどころになることができまする。

善悪の二つは、身に立ち返るか、返らぬかの二つの境界の違い。「道は二つ、仁と不仁」と孟子が仰られたのも、ごもっともでござります。

これについて、恐ろしくもまたありがたい話がござります。お眠かろうが、聞いておくれなされ。

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【蛇足な解説】

▼すばらしい構成

鳩翁先生の道話の巻一の<下>が始まりました。

鳩翁道話の体裁としては<上>が講義の前半。そしてそこで休憩があって、<下>からは講義の後半になります。学校などで二コマ連続の講義があって、最初の1コマ目が<上>で、2コマ目が<下>だと思えばいいでしょう。

最初にも書きましたが<下>の方は、ほとんど解説が必要ない。すごくわかりやすい。これは講義としてはまことに理にかなっています。

講義の一番最初に受講者の心をつかむことは大事ですが、しかし、遠路はるばるわざわざ聴講に来た受講者ならば聞く気にはなってここにいます。だから最初の方は、少しくらい難しいことを言っても、面倒な話になっても大丈夫(中高や大学なんかはダメですが)。

が、一度休憩を挟んだ後は絶対難しい話や面倒な話はダメ。聞いている方も疲れているわけだから、もうついてこれない。

能の構成も「序・破・急」といって、最初に心をつかみ(「序」)、そして次にもっともも大事なところをする(「破」)。で、ここで中入りといって主人公であるシテが一度、幕に入る(幕間ですね)。そして再び登場したら、今度は「急」でワーッ!とやって盛り上げて終わる。

鳩翁先生の道話もまさにこれ!鳩翁道話が江戸時代に人気だったという、その秘密がわかりますね。

ちなみに今回は<下>の最初なので、ちょっとだけ難しいことを言ってます。

が、次回以降はエピソード話になってすごくわかりやすい。まあ、次回以降をお楽しみに。

というわけで、一応、今日はここまで。
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