おおらかな身体:マンガ版

益田ミリさんの『みちこさん英語をやりなおす(ミシマ社)』を読んで、8コマ×「X」で考えるのって面白そうだと思って、「8コマ思考(って勝手になづけました)」にトライ!すると、なかなかいい。4コマだとウケと狙うことになりますが、8コマだと考えがまとまるし、話が飛びすぎているところが見えてきます

で、ついでなので、いま書いている本をマンガにしてみようと、冒頭部分だけをちょっと描いてみました。お見せするほどのものでもないのですが、せっかく描いたので…。

問題は僕に絵心がないこと。小中学校で図画とか美術とか「2」しかもらったことがなかった…。ですから、デッサンはめちゃくちゃですし、手足はただの棒です。スミマセン…。また漫画家の先生方が使うようなツールは持っていないので、万年筆で描きました。

ちなみに「続き」はありません。

※絵をクリックすると大きくなります(虫めがねが出ている間はさらに大きくなります)。
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このごろいろいろなこと

今日は寺子屋です。

いまだにPCの設定ができていないので、なかなかブログが書けません。すみませんがTwitterもご覧ください。

http://twitter.com/eutonie

今年から開始時間が変更になっています。19時30分ですので、どうぞお間違えのないよう。場所はいつもの東江寺さん。今日のテーマは「過ち」です。受講料はむろんお賽銭!

寺子屋のページをご覧ください。[PC用の寺子屋ページ]・[携帯用の寺子屋ページ]

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さて、この数日間はいろいろなことがあり、そしていろいろと考えることがありました。忘れないうちにブログに書いておこうと思うのですが、バタバタしているとすぐに忘れるので、まずはタイトルだけ。

[島根県知事との座談会周辺]
・出雲神楽の中の託宣儀礼(憑依する祖霊)
・目がたくさんある面と「方相氏(周礼)」
・さまざまなオロチ(立つ大蛇、膝行する大蛇、長い大蛇)
・「神楽」は神ではなく祖霊を招く芸能だった
・祖霊とは血縁ではなく地縁的祭祀共同体の祖先だった
・古典芸能の可能性とこれからについて

[某企業のトップの方のためのレクチャー周辺]
・千年ブランドとしての能、二千年ブランドとしての論語(聖書、仏典)
・「辻」の芸能、「座」の芸能とSNS
・危うい約束の上に立つ共同幻想が崩れつつあるという実感

[黛まどかさんの国語の授業]
・依代としての「季語」と能の執り物
・旅とは夢のようなもの

[日光までの小旅行]
・室の八島に曽良が行こうとしたこと
・歌枕とは本当は何だったのか
・室の八島にはなぜ煙が立つのか
・室の八島の木はなぜ双生の木が多いのか

[倫理研究所でのデススタディ・レクチャー周辺]
・思い出(思い出すことと忘れること)としての葬儀

★当たり前だけど、そこに行って始めてわかるということが多い。そして、これも当たり前だけど、そこにいるときには何もわからないということも多い。

殷王朝における上帝祭祀について

先日、キリスト教のミサについてメモのようなものを書きましたが、今日は古代中国の王朝である殷王朝の上帝祭祀について書きます。

古代におけるさまざまな儀礼間にどのような関連があるのかを考えたいと思っています。

そして、それが神話の中にどのような描かれているか、またそれが私たちの日々の営みのどんなところから生まれてきたか、そしてそれを現代という文脈の中で考えたときにどのように考えられるか(心身ともにね)・・なんてことを考えています。

で、それを大修館書店の『言語』の連載に書いていきます。・・が、今回はまだ無理そう。

今回もメモ的に書きますので、以下の文章は、多分ほとんどの人には「つまらない」と感じられてしまうと思います。後日、もう少しわかりやすく書きます。

あ、殷王朝というのは現在、その存在が確認されている中国最古の王朝です。近頃は、その前の夏王朝の存在もかなり確実視されてきてはいますが、殷王朝のすごいところは甲骨文や金文による文字資料が存在するということです。

「上帝」=「帝」というのは殷王朝における最高神です。次の時代の周になると、これが「天」になります。

上帝への祭祀は戦前くらいまでは殷王朝には存在しなかった、なんていわれてました。島邦男氏が『殷墟卜辞研究』(弘前大学版)で上帝祭祀は存在したとして、その祭祀について書かれ、赤塚忠氏が『中国古代の宗教と文化』(角川書店→研文社)の中でその祭祀の復元をされています。

以下は赤塚忠氏の復元されたものを、メモとしてまとめたもので、今度行うセミナーで使うためのものです。

※島邦男氏の『殷墟卜辞研究』はすべて手書きです。甲骨学会の会報も手書きだったんですよね。PCとかない時代だったし、甲骨文字や金文、さらにはその釈文だって活字にない字ばかりなので・・。

というわけで以下も「ない漢字」は適当なものに直してあります。

●殷王朝における上帝祭祀の復元 赤塚忠

上帝祭祀は祈年祭として行われていた

【準備】
時期・冬至〜陰暦三月が多い

・卜問
 祭場
 祭るべき神々とその儀礼
 犠牲の種類と数量
 参加すべき者と分担
・狩猟
 狩猟
 漁
 羌人の捕獲
・祭場の準備・・山を背にし、水に臨む地を祭場とし祭壇などを作る
 土・・大地の象徴、諸神を寄りつかせる→四土
 宗・・祭りの宮
 邑・・模擬的な邑(参集した王以下の群臣・諸族が宿る)

【招神と供饌】
・降雨と降雨を促す祭礼
・禰(みたまや)に祈り、酒を飲んで(あるいは酒を捧げて)その霊を受ける
・錙鞭堯卜蕁木を組んで焼く。犠牲を焼いて捧げる。柴
・酒礼・・河に対して行うことが多い
 ※衣を送ったり、船を浮かべたりもする
・方禘
 方:神職者が四方から祭場に神霊を招き寄せる呪術儀礼
 禘:招いた神霊を定められた神位に鎮座させる呪術儀礼
   最重要は風(上帝の使者)を祭って、年間の天候の順調が推移を促すこと
・犠牲の供饌
 卯・斬・剛・俎など、犠牲を切り裂いて、その生々しい血を出して、それを捧げる
・祭る順序
 その地の神→上甲以下の先王→河→岳、虁(夔)などの諸神→王の黍礼
 先王を一定の系列で祭る。族祖の霊の獲得による王の聖化。
 先妣も祭る:女性神。

・上帝に対する供饌=将(將)
 この儀礼を行い得るのは王の他は「婦好」「婦邢」などの女性と諸族長のみ
 犠牲の骨を捧げることが重要か
 「凡」の祭礼もともに行われた。神霊を呼び寄せる。
・上帝の一撃:上帝が王の供した「將」に一撃を下す。
       上帝の嘉納の象徴儀礼
       「尸(かたしろ)」がいたか。賓・客

★主祭者から主宰者への性格の転換

【藉田】
以下の儀礼は王自ら行う。が、婦邢が行うことも少なくない。

黍と灌
 黍:禾(あるいはそれを象徴する植物)を植えて、これに水を廻らす
 灌:水を注ぎかける泴(盥)
 降雨と豊穣の予祝儀礼

藉田:鍬で耕す儀礼

【労酒】
労酒:饗宴。直会。
魯:慶賀。歌舞を伴う予祝をする。

【帰還】
帰国の卜問

※ミサと比べてみると面白いでしょ。これと大嘗祭とを比べるとまた面白いです。
※女性の役割が非常に大きい。これは大嘗祭も同じ。これについてはゆっくり考えたいです。よく言われる、女性の

 安田

上海から朗報

小田原にあるCLCAというNPO法人の子供たちに謡を教えたり、あるいはときどきいろいろな方を紹介してワークショップなどをしています。

CLCAの最初のCは「こども」、Lは「生活」、次のCは「文化」という、その三本柱で、世の中にNPOなどというものができる、ずっとずっとずっと前(どのくらい前なんだろう)から寄宿型の教育をされていた「はじめ塾」というところが母体になってできているNPO法人です。

さて、このCLCAの子供たちがいま中国に行ってます。新作能の『九頭龍(くずりゅう)』を引っさげて、蘇州で文化交流をするためです。実は蘇州ぐみはもうちょっと後で、まずは先行グループが上海に入っています。

で、僕は今回は一緒に行けなかったのですが、ナント厚顔無恥にも「上海に行ったら上海古籍書店に行って本を買ってきて。船便で送っていいから」とお願いしてしまいました。遊びじゃないのにね・・。

さきほど電話があり、あった!ということ。そして船便の手配も終わったとのこと。やった!!

前のブログにも書いた以下の本です。

・殷周金文集成 全8巻
・甲骨文校釈総集 全20巻

合計28巻!またまたうちの本棚が大変なことになりますが、しかしとっても楽しみです。

これってたぶん、北京オリンピックおめでとう!出版のような気がして、もう来年か再来年には入手できないかも知れないなんて思っていて、こりゃあ上海に行かなきゃなあって考えていたくらいですから、本当にすごく嬉しいです。

うちにも「三代吉金文存」や、いくつかの甲骨文の本(いろいろバラバラに出ているので大変)はあるのですが、これでかなり整理されて揃いそうです。中味を見てないからわかりませんが・・・。

日本でも漢籍はどんどん入手不可能になるし、頼みの綱だった台湾も古典を出していた出版社が倒産しています。こんなときメイン・ランドでの古典の見直しと出版はとても嬉しいです。

ただ、チベットの話は本当に悲しいけど・・。これに関しては、もう少し情報が入ってきてから書きます。

カトリックの典礼と・・

能の笛方の槻宅(つきたく)さんとは、いろいろなところでワークショップをご一緒させていただいています。今年も東京、島根などいろいろなところであるので、昨日(あ、一昨日になってしまった)はその打ち合わせをさせていただきました。

・・が、実は打ち合わせはそっちのけで、槻宅さんからカトリックの典礼のお話を伺ったのですが、これが非常に面白かった。能や中国古代(特に殷)の宗教儀礼との関連から考えると、本当に面白すぎです。西洋なのに不思議だな、と思ったら、原始キリスト教は西洋発生じゃないというお話。なるほど、そういえばそうです。

門外漢の僕にわかりやすく説明してくださったことと、伺いながら書いた自分のメモなので間違いもあると思います。どこかに書くときにはちゃんとした文献に当たろうと思っておりますが、以下、そのときのメモを・・・。

典礼は大きく分けると「コトバの典礼」と「感謝の典礼」とになる。

●言葉の典礼
行列で入ってくる
歌などがあり
あいさつなどがあり
祈り
朗読×3(予形→対形→原形)
 ※予形は旧約、対形は使徒書簡など、原形は福音書
説教

[ここでテーブルに移動]

●感謝の典礼:最後の晩餐の再現(祈り、磔刑の前の晩)
テーブルに供え物(奉納)
手を洗う★
侍者が手伝って準備
典礼文
 序唱・・これに関しては槻宅さんに非常に面白いご自説あり
 奉献文・・最後の晩餐を中心に組み立てられた祈り
パンを掲げて「これは主の体」云々
歌:毎週末、キリストの再誕までこれを繰り返すという内容
主の祈り、握手
アニュス・デイを歌いながらパンを割る(これが非常に重要!)
パンをぶどう酒につけたり・・
 配ってパンを食べる
 ぶどう酒を飲む(というのはこのごろあまりやらないらしい)
 ・・濃茶はここから来たかという説もあるとのこと

◆◆◆◆◆◆

特に感謝の典礼は重要で、キリストの体を自分に受けるため、すなわち聖体拝領。コミュニオ(神との一体化)

プロテスタントではこれを「想起」と考えるが、カトリックではキリストの「現存」と考えるとのこと。

この「現存」というのがとっても面白いのと、あと手を洗うというのもかなり引っかかりますが、これについてはまた後日に。

すみません、今日はメモだけで失礼します。

 安田
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