8月7日(日)に行われる「天籟(てんらい)能」を、とことん楽しむための「能楽寺子屋」を開催中です(1回〜3回は終了)。

第1回 5月24日(火) 「能と狂言を楽しむ」−能・狂言入門−
第2回 6月16日(木) 能「羽衣」の魅力(1)羽衣、ワキ、笛の秘密
第3回 6月28日(火) 復活能「真田」の魅力−シテ方をお迎えして−


第4回 7月12日(火) 能「羽衣」の魅力(2)囃子
第5回 7月19日(火) 能「羽衣」の魅力(3)月宮に昇る天女
第6回 7月27日(水) 公演直前まとめ−初めての方もぜひ− 

能楽寺子屋は広尾のお寺、東江寺(とうこうじ)さんで19時から開かれます(終了予定21時)。受講料は「お賽銭」ですので、どうぞお気楽にお出ましください。また飛び込みも歓迎ですが、資料作成の都合上、できれば事前にメールをいただけると助かります。

info@watowa.net

東江寺 東京都渋谷区広尾5-1- 2 →地図


すでに終了した第1回〜第3回の中から、いくつかのトピックをご紹介していきます。

まずは「舞」について。

▼舞(まい)で寝ちゃうのはもったいない

今回の「天籟能」の能の演目は『羽衣』『真田』

天(あま)の羽衣をまとった天女が優美な舞を舞いながら天上世界に昇っていくという、美しい能『羽衣』と、多くの演者が舞台狭しとチャンバラをする『真田』という対照的なふたつの演目をお送りします。

「舞」は、能『羽衣』のメインとなるものです。

松にかかっていた美しい衣、羽衣を漁師である伯龍(はくりょう)が拾います。それは「天人の羽衣」なので返してほしいという天女に、「そんな素晴らしいものならば余計に返せない」とつれない伯龍。返せ、返さないの問答の末、あまりに嘆く天女を見て、漁師伯龍もさすがにかわいそうになり羽衣を返すことにします。

しかし、交換条件がひとつあります。それはその羽衣をまとって天女の舞を見せてもらいたいということ。

まあ、ここでいろいろあるのですが、それは今度、お話することにして、天女は羽衣を着て舞うのです。

能では、この舞が最大の見どころです。

が、ひとつ問題が…。

舞が始まると謡(うたい)がなくなってしまうのです。すなわちコトバがない

「謡だって何をいっているか全然わからない」という人がいますが、それでも何もないよりはまし。能の笛である能管を中心に、大鼓、小鼓、太鼓によって囃され、その曲に乗って(か、乗らぬかそれすら不分明)ゆったりと舞われる舞。

もっとわけわかんなくなる。そりゃあ、眠くなるのも当たり前。

もっとも大事な部分の割りには、眠っている人が一番多いのも、この「舞」なのです。

でも、それはもったいない!

…というわけで、2回目と3回目に舞を楽しむための寺子屋をしました。

以下のお話は能楽師、笛方(森田流)の槻宅(つきたく)聡(さとし)さんのお話です。

▼まずは「中(ちゅう)之舞」を聞いてみよう

『羽衣』で舞われるのは「序之舞(じょのまい)」と呼ばれる舞です。このほかに「中(ちゅう)之舞」、「破(は)之舞」、「早舞」、「神舞」、「男舞」などがあります。

ちなみに能の舞には、このほかに「神楽(かぐら)」、「楽(がく)」、「鞨鼓(かっこ)」、「獅子(しし)」、「乱(みだれ)」などがありますが、これらのものと「序之舞」以下のものとの違いはわかりますか。

そうですね。前者にはみな、「舞」という言葉がついています。この「舞」がついているものは、みな非常に似通った構造をもっています。そして、これらの「舞」の基本は「中(ちゅう)之舞」なのです。

ということで、ここでは「中之舞」でお話をしていくことにしましょう。中之舞の構造を理解するとほかの舞も理解できるようになります。

では、まず 「中之舞」のほんの一部を聞いていただきます。



「いかがでしたか」

…と寺子屋で皆さんに尋ねると「・・・」という反応。

そうですね。反応のしようがありません。何を言ったらいいか、わからない…というか、何をやっているかわからない。

▼唱歌(しょうが)を謡ってみよう

実は私たちは、これをコトバで覚えます。それを「唱歌(しょうが)」といいます。

文部省「唱歌」のときには「しょうか」と発音しますが、能の笛では「しょうが」といいます。

では、その唱歌を謡ってみますね。



みなさん、まだよくわからない顔をしている(笑)

でも「ミニマル・ミュージックみたいだ」という声もありました。

▼一緒に謡います

「では、今度は皆さんとこれを一緒に謡ってみましょう!」

…といって全部を謡ったのですが、それを全部載せるのもナンなので、最初の部分だけを載せます。



…と寺子屋では、このように短く切りながら、「中之舞」の唱歌をみなさんと何度か繰り返して謡いました。

寺子屋には参加せずに、このページだけをご覧になられている方は、この前の「唱歌」の動画にあわせて何度か謡ってみてください

あ、覚えようとする必要はありません。

また、ひとりでするのは恥ずかしかったり、面倒だったりするので、そういう方はぜひ寺子屋に足をお運びください。

▼唱歌を謡ったあとに笛を聞くと


そんな風にして何度か謡ったあと、また中之舞を聞いてみます。



すると、あら不思議、最初は何がナンだかわからなかった能管が「オヒャーラー」と聞こえるようになるのです。

コトバ化され、分節化された音は、突然意味のあるものになるのです。

※分節の「分」の「わける」は「わかる」。分節化された途端に「わからない」ものが、「わかる」ものになるのです。

▼繰り返しと「知らせ」

能の中の舞では、これが何度も繰り返されます

ときどき「ヲロシ」などの特別なことが行われることがありますが、基本はこれが繰り返されると思ってください。

何度も繰り返すといいましたが、いまは「何回繰り返す」ということは決まっています。しかし、様式性がそれほど固まっていなかった時代には、気分によっていくらでも長く舞ったりすることができでしょうし、短くすることもできたようです。

じゃあ、繰り返しが終わるのは何でわかるかというと、舞っている人が扇や足拍子で「知らせ」というこをします。するとそこに「区切り」ができます。そして、「段」ができるのです。

「段」ができると、また分節ができ、さらに「わかる」ようになります。

が、これについてはまたお話をしましょう。

▼序之舞

いま、みなさんと謡ったのは「中之舞」ですが、『羽衣』で舞われるのは「序之舞」です。

「序之舞」は、最初に「序」という特別な足遣いがあります。これに関してはまた。

そして「中之舞」に比べると、ゆったりになります。お聞きください。



▼神舞

では、神様の舞である「神舞」もお聞きください。



この録音の中にも「おお」という声が(かすかに)入っていますが、これが終わったあと会場からは「おお!」「おお!」というどよめきが。

そう。こんなに早くても、基本はさっきの唱歌(しょうが)なのです。

さて、では、これにどんな動き(舞)がついていくのか。それは第3回目にシテ方観世流の加藤眞悟さんが教えてくださいましたが、それはまた今度。

▼天籟能、チケットまだまだあります


天籟能は来月の7日(8月7日)なのに、なんとチラシができたのが数日前。

…というわけで、お席も売り出したばかりなので、まだまだいいお席がございます。

どうぞお出ましください。
 
詳しくは「天籟(てんらい)能」 を!