さてさて、「DEN」シリーズの4回目です。

年末年始の話です。ただし、これはちょうど10年前、1999年の年末に書いたので千年紀の最後の年末でした。世紀末よりもすごい千年紀末。

号としては2000年の正月号です。

1600字という字数制限の中で、たくさんの書きたいことを一挙に書いたのでジェットコースターのように速い文体です。何がなんだかわからないままに終わってしまうかも知れません。ぜひ、ゆっくりと解凍しながら読んでみてください。今回に限って「◆◇◆◇◆」を入れて節で分けてみました。

今度、これを倍くらいの量にして書いてみようかな、などと思っています。

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【血ワ牛肉マウ●第四場】

<西暦二千年の大掃除>

年末の憂うつは、大掃除に尽きる。忙しさを言い訳に散らかしっぱなしにしている自分が悪いのだが、憂うつなものは憂うつだ。放っておけば、これ見よがしに箒(ほうき)を部屋の入り口に立てかけておく山の神がいる。

さて、やっと大掃除の憂うつから解放されたと思って正月、またまた新年定番の能『高砂』で、お婆さんの箒に出会う。

ところで、どうもこのお婆さんの箒がクサイ。簡素な能の小道具群の中で、この箒はよくできすぎている。作りではお爺さんの熊手にも劣らない割に、お爺さんの熊手に比べるとその存在意義が薄すぎる。

これには何かわけがあるはずだ。

ということで、大掃除の恩人、箒の不審を晴らすために、まずは箒のイメージを見てみよう。

      ◆◇◆◇◆

箒といえば、まず掃除。特に、払暁の神社を掃き清める巫女さんの緋の袴はすがすがしい。西洋に行けば魔女の箒。高砂のお婆さんも魔女なのかなあ、などと思ってみる。そうそう、客に早く帰ってほしいときには、箒を逆さに立てる呪(なじな)いなんていうのもあった。

ここで、「神社」・「魔女」・「呪い」と、ちょっと怪しい三拍子がそろう。

そういえば『古事記』では、天若日子(あめのわかひこ)の葬儀の日、河雁・鷺・翡翠(かわせみ)・雀・雉などの鳥が喪屋に集まる中、鷺が箒を持つ役割をするが、箒に喪屋とはいよいよ怪しい。

さらに喪屋の近くの産屋では、箒は妊婦の枕元に立てて(しかも逆さまに立てて)使われる。ここでは箒は女性を助けるお産の神様だ。女性といえば、山の神を祭るときに、その依代・呪物としても箒を使う。

産屋ということで、能『鵜羽(うのは)』の鵜の羽なども箒と同系統とみることができるだろうし、神の依代ということでは狂女の笹も同じだろう。箒が魔女の乗り物ならば、西洋でも箒には呪物としての役割があったのだろうか。

といううちに今度は、「箒」・「女性」・「呪物」という三役がそろった。

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「女」篇に「帚」をつけると「婦」になるが、甲骨文では、「箒(★)」だけで「婦」という意味に使っている。

★箒の甲骨文字
houki

しかし、この字を「フ」と読む根拠が以前から納得いかない。

そこで呪文のイメージを借りて、「婦」は「巫(フ)」だと勝手に決めてしまう。「巫」は「舞(ブ)」にも通じるので、それならば「箒」は「舞」とも関係があるのだろうか。

字形で見れば、「箒(★↑参照)」は、茅(ちがや)を立てた形のようである。鳥の羽にも見える。

『周礼(しゅらい)』や『詩経』には茅を持って鳥の如くに舞いながら、風を呼び雨を招く風師や雨師と呼ばれる巫たちの姿が現れ、『説文解字』には「巫」とは舞で神を降すものとの釈文がある。また、巫が天帝と交信し、雨を呼ぶ能力を持つことが要求されたことは『左伝』にも記されるし、天若日子の葬儀の日には、箒持ちの鷺たちは「遊び(歌舞)」をしたと『古事記』にある。

お、箒と舞がつながった。

      ◆◇◆◇◆

となると、能『高砂』のお婆さんも、神社の巫女さんも箒を持って祭りの庭を清めているように見えてはいるが、実は箒舞を舞いながらこっそりと神霊と交信しているのかもしれない。

やはりこれはただ者ではない。

さらに、我らの卑小な身体を大宇宙と同一と考える神道の伝統を併せ考えれば、彼女たちが清めているのは実は自分自身なのかもしれない。神社を清めることは、体内の宇宙を清めることで、日常生活の汚れの中に隠れてしまっている自分の中の神を探し出すことにほかならないのだ。

ならば、箒を持って登場する『高砂』のお婆さんは、観客の心身を清めて、その神様を探し出す手助けをしているのかもしれない。

さてさて、西暦二千年は世紀末最後の年。一年通してこの百年間、いや千年間の師走と考えることができるかもしれない。汚れきった心の中や、ついでに家の中までも、一年間かけて掃除でもして、自分の中の神様でも探すとするか。

<2000年1月号>

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