またまた「DEN」からです。こんなに立て続けに投稿しているのは、今年度中に「5」まで行きたいと思っているからです。

今回は『ワキから見る能世界』(NHK出版)を書く元になったエッセイです。

1999年11-12月号です。もう10年も前の話なんだ。

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【血ワ牛肉マウ●第二場】
<うたてやな>

カウンセラーの友人がいます。芸術療法を専門とする彼は、公立の相談所で思春期の女の子たちを主なクライアントとしながら、大学でも講義を持ちます。もの静かな、思索的な、そして優しいといったカウンセラーのイメージとは程遠く、クライアントの女の子たちに彼の評判を聞くと、皆めちゃくちゃなことを言います。いわく、「品がない」、「なんにも知らない」、「うるさい」云々。要するにバカにされています。

しかし、彼の同僚によると、そのカウンセリングはかなりの成果を上げており、それは彼のずっこけな性格がクライアントに安心感を与えるからではないかとのことですが、もちろんそれだけではないでしょう。

さて、能を、特に複式夢幻能を、「思い」発露の場という意味で、カウンセリングの場面に似ていると指摘する人は少なくありません。

そして、その複式能の前半には、「名所教え」や「宿借り」といった定型が使われるケースが多いのですが、それら定型の一つに「愚か」だとか、「うたてやな」とか言いつつ、シテがワキをやり込めるというものがあります。

例えば、能『隅田川』では舟に乗せる、乗せないの問答や都鳥の一件、また能『杜若』では業平の東下りにワキが驚く場面などで、「心なき」船頭や僧が「優しき(優雅な)」シテにやり込められます。★

この定型対話は、「場」の統治者をワキからシテへと徐々に変化させるのに、重要な役割を果たします。

「げにげに」とワキが自分の非を認めだすあたりからは囃子のアシライも入り、そしてやがて地謡に引きつがれるときには、舞台はシテの「思い」を発現する場へと、完全な移行をはたします。自分の「場」に変化した舞台上で、シテは思う存分その思いを述べ、成仏への、あるいは正気への道を突き進むのです。

また観客にとっても、なんとなくよそよそしかった舞台が、いつの間にか一人ひとりの心の中に侵入し始めるのもこのあたりです。★★

しかし、ワキがそのような故事を全く知らない者でないことは、「げにげに」という言葉にも暗示されています。では、彼はシテに優越感を持たせるために、わざと知らないふりをしていたのでしょうか。いや、そのような偽善的な思いやりは、残恨のシテも、カウンセリングでのクライアントも望んではいないでしょうし、見破られてしまうに遠いありません。

ワキの心なき返答は、日常を生きる私たちの何気ない答えの象徴です★★★。しかし、非日常的存在のシテはそのような返答を許しません。

ただ知識としてのみ知っているワキと、己れの思いに根差した知を有するシテ、両者の間にある知の質的な相違がこのような問答を生み出し、ワキはシテの存在に庄倒されます。日常生活代表者のワキの視点からいえば、白き鳥が都鳥であることも、業平が東下りしたことも知ってはいました。

ただ知識としてのみ、そのことを知っていた(だからこそ容易に忘れ得た)ワキが、シテというその思いを体現している非日常的存在に出会い、瞬間的「信解」に至る過程こそが、この定型なのではないでしょうか。

そして、ワキがこの劇的な変化を経て、ただの「知る」から「思い知る」への移行が成就した時、その「場」は初めて共有されて、身に残る思いが実体化したシテは、その本来の姿を現し得るのです。

ワキという言葉は、「わく(解く)」の連用形名詞化としてみることができるでしょう。それには三つの用きがあります。すなわち、観客にとっては見えざる幻を見せて分からせてくれるという意味の「分く」であり、シテにとっては錯綜した記憶を名料理人、包丁(ほうてい)の如くに解いてくれる「解く」でしょう。そして、ワキ自身にとってはこの「信解」による瞬間的な自己成長の過程こそが、「わく」ではないかと思うのです。

カウンセラーの友人も、ずっこけであるお陰で、常にこの過程を受け入れる余裕を持ち続けているのでしょう。

<1999年11-12月号>

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『隅田川』より
シテ「なうなう我をも舟に乗せて賜はり候へ。
ワキ「汝は狂女ごさめれ。いづくよりもいづ方へ下る人ぞ。
シテ「これは都より人を尋ねて下る者にて候。
ワキ「たとひ都の人なりとも。面白う狂へ狂はずは。此の舟には乗せまじいにて候。
シテ「うたてやな隅田川の渡守ならば。日も暮れぬ舟に乗れとこそ承るべけれ。かたの如く都の者を。舟に乗るなと承るは。隅田川の渡守とも。覚えぬ事な宣ひそよ。
ワキ「狂女なれども都の人とて。名にし負ひたる優しさよ
シテ「なうその詞はこなたも耳に留るものを。彼の業平もこの渡にて。名にしおはゞ。いざ言問はん都鳥。我が思ふ人は有りやなしやと。なう舟人。あれに白き鳥の見えたるは。都にては見馴れぬ鳥なり。あれをば何と申し候ふぞ。
ワキ「あれこそ沖の鴎候ふよ。
シテ「うたてやな浦にては千鳥とも云へ鴎とも云へ。など此隅田川にて白き鳥をば。都鳥とは答へ給はぬ。
ワキ「げにげに誤り申したり。名所には住めども心なくて。都鳥とは答へ申さで。
シテ「沖の鴎と夕波の。
ワキ「昔にかへる業平も。
シテ「有りや無しやと言問ひしも。
ワキ「都の人を思妻。
シテ「わらはも東に思子の。ゆくへを問ふは同じ心の。
ワキ「妻をしのび。
シテ「子を尋ぬるも。
ワキ「思ひは同じ。
シテ「恋路なれば。
地「我もまた。いざ言問はん都鳥。いざ言問はん都鳥。我が思ひ子は東路に。有りやなしやと。問へども問へども答へぬはうたて都鳥。鄙の鳥とやいひてまし。実にや舟ぎほふ。堀江の川のみなぎはに。来居つゝ鳴くは都鳥。それは難波江これは又隅田川の東まで。思へば限なく。遠くも来ぬるものかな。さりとては渡守。舟こぞりて狭くとも。乗せさせ給へ渡守さりとては乗せてたび給へ。

★★

最初に謡われる地謡は「初同(しょどう)」といって、ちょっと特別な扱いがされる。情景を謡うことが多いのだが、その中にはすでに心象が歌いこまれている。

以下は能『殺生石』の初同

地歌「那須野の原に立つ石の。那須野の原に立つ石の。苔に朽ちにし跡までも。執心を残し来て。又立ち帰る草の原。もの凄しき秋風の。梟、松桂の。枝に鳴きつれ狐、蘭菊の花に隠れ住む。この原の時しも、ものすごき秋の夕べかな、もの凄き秋の夕べかな。

★★★
How are you? I'm fine, thank you.の類。

全くの余談だが若くして亡くなった才能ある友人は、高校一年の時に英語の関西弁訳をしていて、How are you?を「もうかりまっか?」、I'm fine, thank youを「ぼちぼちでんな」と訳していた。

天才は若くして亡くなる。僕は凡才だからまだ元気!