さて『DEN』の二回目です。

今回はチベットの話。いろいろな本で、このことは書いていますが、その初出です。

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【血ワ牛肉マウ●第二場】
<チベットで聞いたあたらたらたらり>

チベットは、さまざまな顔で私たちを引きつけます。

仏教の聖地として、あるいはシャングリラのモデル地として、あるいは明峰チョモランマをはじめ数々の名山を有する登山基地として、常に人々の憧れの対象になっています。

そして、私たちに親しい、いかがわしくも魅力的な顔のひとつに、『翁(おきな)』の「とうとうたらり」チベット語説があります。

この説は、昭和3年に朝日新聞紙上で「古今の学者連顔色なし」というスキャンダラスな見出しとともに、河口慧海(えかい)による『翁』チベット語表記とその日本語訳を付して発表されました★。

慧海師によるとこの詞章は太陽賛歌だというのです。

しかし、その後に能勢朝次氏や表章氏など斯界の権威によって完膚なきまでに叩きのめされ、現在ではほとんど再起不能の状態です。

反論の中心は「そんなチベット語はない」というもので、この反論が当を得ているならば慧海師もいいかげんなことを言ったものです。

1980年代、そんな経緯もよく知らないままに、私はチベットを訪れ、しばらく放浪をしました。

標高約4000メートルという空気の希薄さは、にわか仕込みの理性など一挙に吹き飛ばし、不在のダライラマの威厳を呈してそびえるポタラ宮や、五体投地の巡礼を迎える名利ジョカン(大昭)寺に異教徒の私ですら崇拝の念を感じました。

極彩色の曼陀羅に囲まれた堂内には、不思議な倍音を有するチベット声明の深い響きや変拍子の打楽器の音に唱和するパーカッシブな読経の声々が満ち、ヤクの油を使った灯明の炎や香りとあいまって仏国現前の幻影を生み出します。

一歩外に出れば、微笑みながら姨捨の山に向かう老女の一行や、あっけらかんと一妻多夫の性的正当性を語る女子高生★★などに、確かにここは私たちの文化とは異質の常識を日常規範とする生活空間であることを実感しました。

一泊300円にも満たない安宿の居心地は悪く、多くの時間を民家ですごしました。そしてある日、その家で『翁』の「とうとうたらり」によく似た歌を耳にしたのです。

聞けば、それは『ケサル王伝説』と呼ばれる叙事詩の一部とのこと。ケサル王とは伝説の英雄王であり、この歌は幾世紀にもわたって漂泊の吟遊詩人たちによって伝承されてきた大長編叙事詩であることを教えてくれ、さらに自分は専門の語り手ではないがと言いながらも、何冊かの本を示しながら歌ってくれました。

この叙事詩は、散文と韻文との混合文体で、「とうとうたらり」は韻文の部分の冒頭にしばしば唱えられる章句です。

よく聴いてみると、それは「とうとうたらり」ではなく、「あらたらたらり」だったり、「たらたらたらり」だったり、その他いろいろなバリエーションがあって、どうも定まったものはないようです★★★。

この詞章のチベット語での意味を尋ねたところ、「意味などない」とつれない返事。慧海説はここでもあえなく敗れ去ったのですが、なぜそれを歌うのかと、さらに尋ねると、「これは神降しの呪言のようなものだ」として、次のようなことを語ってくれました。

この句を唱することによって、語り手にケサル王の霊が降りて来る。霊をうけた語り手は、一種の神懸かりの状態になり、自身がケサル自身に変身して、その叙事詩を己れの事跡として語るというのです。

それならば、「とうとうたらり」を謡った後に翁面をかけて神になる『翁』の構造ともよく似ています。『翁』の「とうとうたらり」も神降しの呪言として考えることは、そんなに無理なことではないでしょう。

しかし、だからといってこれだけで『翁』がチベットから伝わったなどと決めつけるのはあまりに短絡的すぎるし、ケサル王叙事詩の発生年代が確定していない今、それを云々することはできません。

それよりも、一介の野次馬として、彼我の降神呪言の音韻が似ていることにとても興味が引かれます。

「た」行、「ら」行という歯茎音を繰り返すことによって一種の憑依状態を引き出そうとする彼我の呪言の類似性は、大袈裟ですが両者の精神風土の根っこにある元型的な傾向を暗示しているようで面白いと思うのです。これはチベットと日本だけでなく、ひょっとしたらいろいろな地域に見い出せるかもしれません★★★★。

<1999年9月号>

********注********

▼「シャングリラ」が登場する『失われた地平線』(J.ヒルトン)は現在、絶版中でアマゾンなどでもすごい値段がついています(僕は英語版も含めて数冊持ってます!)。高校時代に読んで、とても影響を受けたました。「読んでみたい!」という方は図書館か、ぜひ復刊リクエストを--->

★朝日新聞昭和3年4月10日(『謡曲大観』では4月13日となっているので注意)

★★チベットの方の家に遊びに行ったら壁には何人かの男性の写真が飾ってあって、お母さんは「これみんな私の夫なの。いい男でしょ」と自慢する。女子高生の娘に一妻多夫について尋ねたら、「だって一夫多妻だと男性がモタないでしょ」と笑いながら答えられた。とてもきれいな女の子だったのでドキドキした。

現在は(多分)一妻一夫制はほとんど存続していないんじゃないかな。

★★★これについてはまた今度。

★★★★「たりらりら〜」とか、巻き舌でする「ららららららら〜」とか「れれれのおじさん」とか、ら行、た行のような歯茎の裏側を連続して刺激するような音は口内の快感を生み出し、そしてそれを際限なく繰り返すことは変成意識を呼び起こすのではないだろうか。

********資料********
『翁』初日。
翁「とう/\たらり/\ら。たらりあがりらゝりとう。
地「ちりやたらりたらりら。たらりあがりらゝりとう。
翁「処千代までおはしませ。
地「我等も千秋さむらふ。
翁「鶴と亀との齢にて。幸ひ心に任せたり。
翁「とう/\たらり/\ら。
地「ちりやたらりたらりら。たらりあがりらゝりとう。
千歳「鳴るは瀧の水。/\。日は照るとも。
地「絶えずとうたりありうとうとうとう。
千歳「絶えずとうたり常にとうたり。
千歳「処千代までおはしませ。
地「我等も千秋さむらふ。
千歳「鶴と亀との齢にて。処は久しく栄え給ふべしや。鶴は千代経る君は如何経る。地「萬代こそ経れ。ありうとうとうとう。
<後略>