さて、前回書いた第一文ですが、実はあそこにはもうひとつ気になるところ(「是より」)があるのですが、それはここで書くと面倒なので後で見ることにして、次の文にいきましょう。

●遥(はるか)に一村を見かけて行くに、雨降り日暮るる。

この文で気になるのは「遥に一村を見かけて行くに」と「雨降り日暮るる」。あ、全部だ。

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これまた現代語訳してしまうと何ら問題が感じられなくなる。一応、現代語訳を。

◎はるか遠くに一村があるのをみとめ、それを目ざして行ったところ、途中で雨が降り出し、日も暮れてしまった。

こんな風に訳されます。

ね。「この何が問題?」って感じでしょ。

そんなわけで原文を見ていくことにします。

まずは「遥に一村を見かけて」。

これはもう完全に、能『雲林院(うんりいん)』で謡われる「遥に人家を見て」云々の謡を意識していると思われます。

能『雲林院』は、幼い頃から伊勢物語に慣れ親しんでいた芦屋・公光(きんみつ)という者が、ある夜、不思議な夢を見て、都に上るというところから始まる物語です。その旅の途路、雲林院に着き、「遥に人家を見て、花あれば則ち入るなれば、木蔭に立ち寄り花を折れば」と花を手折ろうとする。すると、老人(実は在原業平の霊)が現れて「誰だ花を折るのは」と呼びかけます。

この<呼び掛け>は能の常套パターンですが、能『雲林院』でも能『遊行柳』と同じく老人が現れて<呼び掛け>をします。

同じ、老人による<呼び掛け>。

芭蕉は『雲林院』の謡をここで謡う(たぶん謡っていたんじゃないかなぁ)ことによって、能と同じように何事かが起こる、当然、遊行柳の西行、雲林院の在原業平のような詩魂と出会い、そんな状況のための呼び水にしたのでしょう。

できれば老人が現れて「のう」とか呼びかけてほしかった。

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さて、この「遥に一村を見かけて」が能『雲林院』の「遥に人家を見て」の影響だとすると、この「遥(はるか)に」の距離が問題になります。

『雲林院』では、遥かに人家を見て、花が美しく咲き乱れていたので、木陰に立ち寄って花を手折ろうとする。立ち寄れちゃうくらいですから、この「遥か」には、かなり近い。

芭蕉は野越えですから、これほど近くはないとしても、しかしそんなに遠いわけではない。なんといっても「遥に一村を見かけて」行こうとしているわけですから目視はできたはず。

「野」というのは、ただの平原ではない。たとえばこんな和歌があります。

♪春日野は 今日はな焼きそ 若草の つまもこもれり 我もこもれり♪

妻も我も篭れちゃうくらいだから草は高かったに違いない。

現代の那須と、当時の那須野がどれくらい違うかは調べていませんが(これを何かに書く時には調べます)、少なくとも現代の那須を考えると、大平原というわけではなかったんじゃないかな。木だって生えている。どんなに遠くても目視できる距離というのは、そんなに遠くない。

・・ということを前提に次を見てみます。

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「雨降り日暮るる」

なんとも唐突です。

これ、現代語訳の「途中で雨が降り出し、日も暮れてしまった」で読むと、あまり唐突ではないのですが、原文のまま読むと「雨が降り、日が暮れる」と唐突です。

雨が降るのは唐突でもいい。が、急に日が暮れるのは変です。

少なくとも目視できる一村を目指して行こうとしている。あそこに着くまでは日は暮れないはずだった。日が暮れるのがわかっているくらいならば、その前の村で宿を取ったはずです。が、日も急に暮れてしまった。

またまた能を思い出します。

前に、楽な道を行こうとしたら呼び止められるという曲に能『遊行柳』と能『山姥』がある、ということを書きましたが、この能『山姥』では、暮れるはずのない日が、突然、暮れてしまうのです。

まだまだ暮れないと思っていたからこそ、この道を来たのに急に暮れちゃった。えー!っ感じです。

で、これは「えー!」だけじゃなく、不思議でもあります。

が、これによってやはり何事かが起こる気配がより強まる。怪談なんかでも、まだ夜になるはずがないのに急に夜になったりする、そんな感じです。

となると、やっぱり「雨」も変ですね。

能でも急に雨が降ったり、雪が降ったりして何かが始まります。

さあ、二番目の文で「これから何かが始まるぞ」という舞台設定が完成しました。

さてさて、次はどうなるか・・って、『奥の細道』がミステリーだか、怪談のようになってきました。

[続く]