さて、『奥の細道』に戻りましょう。

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と、その話をする前に、古典を読むときには「遅読」が大切だということを・・・。

本には、その本に応じて読むべきスピードがあると思うのです。で、古典はできるだけゆっくり読むことが大切。どれだけゆっくり読めるかということが、古典を読む能力に関係するんじゃないかな。

数十分もかけて、能舞台をじっくりと一周廻る、能『道成寺』の乱拍子のように、充実した空隙を腹に力を込めながらゆっくりと読む。

ちょっと尾篭な話を。

<トイレ本>の習慣があります。「えー、きたない」と言われたりもするのですが、トイレの中に、本を一冊置いてあるのです。

ものを考えるには「馬上、枕上、厠上」と言われているように、トイレはものを考えるにはなかなかいい場所です。で、本を読むにも、なかなかいい場所なのです。

いま置いてあるのは文庫本の「死霊(「しれい」と読む:埴谷雄高)」。最初に読んだのはとっても若い時で、ほとんど衒学趣味で読みました。「どうだ『死霊』を読んでるんだ。すごいだろう」って具合に。友人は「死霊」の影響で不眠症にわざわざなりました。

で、数年前に文庫になったので再読をしたら、どうも若い頃に読んだ感じとだいぶ違う。でも、そのときは難しいところは飛ばしてドンドン筋だけを追って読んでしまいました(文庫ってそういうところありますね)。

が、漱石が「小説は筋なんか読むもんじゃない」と言ったように、この「死霊」も筋を読んでしまうと物語の面白さにばかり目がいって、大事なところを飛ばしてしまいます。

でも筋は面白いので、なかなかそこで止まれない。そこにおいしいエサがあるのに、紙袋で遊んでいるので、エサは気になりつつも遊びがやめられないネコのように・・。

が、トイレで読むとページを捲るのが面倒なので、見開きで終わらせようとするからじっくり読める。物語に引っ張られて次にいきたくなっても我慢して、ページの最初に戻って同じところを何度も読む。

どうも「死霊」は、そんな読み方に向いているんじゃないかなと思って、いまは「死霊」をトイレに置いているのです(ちょっと前までは『論語講義』渋沢栄一の学術文庫版)。

古典も同じく、何度も何度も同じところを経巡りながら、できるだけゆっくり読むことが大事。『奥の細道』ならば、芭蕉が奥の細道を踏破するのにかけた時間と同じくらいはかけたい。

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ではそんなつもりで、『奥の細道』の那須の段に戻って、最初の文をもう一度、見てみます。

●那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。

この文の中で気になるところは3箇所。「知る人あれば」と「野越」、そして「直道」です。

一応、現代語訳も。

◎那須の黒羽というところに、知人がいるので、ここから那須野越えを始めて、野中の真っ直ぐな近道をして行こうとした。

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では、3つの気になるところをひとつひとつ見ていきましょう。

最初の、黒羽というところに、「知人がいるので」という理由。

これは見方によっては別に問題でもなんでもないのですが・・。

これからの旅の意味づけなのですが、言っちゃえばどうでもいい意味づけ。それが問題なのです。これは能ではよくあるパターンで、すなわち意味のない意味づけ。どうでもいい意味づけをする。

水戸黄門の第一部で一行が旅をするのは、黄門様の息子、松平頼常が藩主を勤める讃岐高松藩の内紛を収めるため、という理由になっていますが、誰が見てもあれは旅をしたいからしているだけ。四十周年を迎えた今年の水戸黄門にも旅の目的は一応あるが、年々その目的は希薄化してきている。

そして、事件はその目的とは何の関係もないところで起こる。

能でも、何事かが起こる。しかし能の旅人(ワキ)はそれを期待して行くのではない。諸国行脚とか、なんとか詣でとか、そんな何気ない旅の途中に「何か」が起こる。それが大切なのです。

でも一応、もっともらしい理由はつける。それも大切です。が、どうでもいい。で、そのどうでもいいことが、さらに大切です。

だから「自分探しの旅」なんかを理由に旅をすると、何かは起こりにくい。それよりもバケーション!って思って旅をした方が起こりやすいのです。心の中で何かを期待していても、「何も期待してないもんね。まあ、知ってる人がいるからちょっと寄ろうかな、って、そんな感じ?」ってフリ。

それが大事!那須の旅はそんな風に始まります。

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さて、次に「是より野越にかゝりて」とあります。

ゆっくりと読んでいると、ここで立ち止まる。「野越え」ですよ、「野越え」!

「野越え」と聞いて、「ひょえ〜」とか「ワクワク」とか思える人は、そういう旅をしたことのある人でしょう。

現代日本に、この「野越え」のような土地はあるのかなあ。30年ほど前には、まだまだあった。あと、「野越え」で思い出すのは、ヨーロッパの森。一歩踏み込むと、どこに連れていかれるかわからない、そういう怖さを持った場所です。

前にも書きましたが、若い頃には、高尾山から富士山まで、山中の路を通って、よく往復をしました。富士の裾野に入り、砂利道舗装をされて歩きやすい東海自然歩道をちょっと外れて樹海に分け入ると、ヨーロッパの森に迷い込んだときのような感じがします。平坦な道なんだけども、怖い。

で、ある日、ちょっと足を伸ばしてみようと思い、やはり山の道を通って高尾山から、そのまま和歌山県まで歩いたことがあります。

一人旅で、一人用のテントと寝袋を持って、キャンプ場も避けながら歩きました。一応、地図とコンパスは持っているし、数時間でいざとなったら人里に降りることのできる道を取ったのですが、しかしそこは山の道。

「どうも、これから何日間は、人里やキャンプ場も近くにない道を歩くことになる」というときの、あのいいようのない不安はなかなかのものでした。

「是より野越にかゝりて」というときには、そんな感じがあったんじゃないかな。「野越え、山越え」という言葉があるように、山越えのような不安というか、ある大変さもあったのかも知れません。これは「歩き」の専門家に聞いてみたいところです。

山のように起伏はない。しかし、何が出るかわからないし、ちゃんと目的地にたどり着くかもわからない。多分、背丈以上もあった草原を通過する。途中で死んだって誰も気づいてくれない。

草原の中に小野小町のしゃれこうべがあって、その眼窩からススキが生えていた、なんて能にはあります。

そんな(って、何がそんな、かはともかく)「是より野越にかゝりて」です。

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さて、この文で一番の問題は3つ目の「直道をゆかんとす」です。

「直道(すぐみち)」は「近道」とか「広い道」とかいう意味です。

前のブログで、ここの旅程は能『遊行柳』をイメージしていたはずだということを書きました。

で、『遊行柳』でも、旅の僧は、目の前に広がる道々を見て、「広き道」に行こうとするのです。すると、そこに老人が現れ、その老人に「修行の身のくせに広い道を行くのは何事か!」とさとされ、歩きにくい古道を道しるべされ、西行ゆかりの柳に出会い、さらには西行の霊とも柳の精霊とも思えるシテの物語に接するのです。

となると芭蕉もここで「直道」を行こうと言っているのは、ここで誰かが現れて、古道を示してくれるのを待つためのコトバではないのだろうか、そう思うのです。

むろん誰かというのは西行ゆかりの亡霊か何か、ね。

さて、ここで原文と現代語訳の語尾の違いを見ておきましょう。

(原)那須の黒ばねと・・直道をゆかんとす。

(現)那須の黒羽と・・真っ直ぐな近道をして行こうとした。

現代文では過去形になっていますが、原文では現在形です。演劇である能のセリフのようです。

芭蕉たちの旅のお手本のような『竹斎』は過去形で書かれています。これは『伊勢物語』と能のパロディのような作品なので、『伊勢』の文体を真似しているのでしょうが、『奥の細道』は基本的には『土佐日記』とか、そういう日記の文体である現在形で書かれています。

でも、たまに「着きにけり」のような過去形(完了形)が使われていたりするのですが、これはもう完全に能のマネです。

そんなこんなで(何度も書きますが)『奥の細道』を読むときには、能を謡うように読むといいと思うのです。

というわけで能『遊行柳』の僧のように「直道」を行こうと思う、という芭蕉。さてさて、何が起きるのか。

[続きます]