『奥の細道』より那須の黒羽の段です。

さて、この段の文章を読み始める前に、まずは自分が芭蕉になって那須にかかったと想像してみます。

芭蕉の旅は歌枕を巡る旅です。そして能にゆかりの土地をめぐるたびです。そして能にゆかりの土地を訪ねたときには、特に能に関連した句を読んでいます。

能の典型的な物語は、「旅人」が<歌枕>に行き会い、そこで「古人の霊」と出会うというものです。

芭蕉は実は能役者だったのではないかという説もあります。まあ、芭蕉は忍者だという説もあるくらいですから、それがどのくらい信憑性があるかはわかりませんが、それくらい能については詳しい。

ちなみに忍術の兵法書である『万川集海』には、忍者は能を学ぶべきこと!と書いてあります。

さて、それはともかく・・・。

僕も旅に出て、「ここから先に能に関する歌枕があるぞ」と思うと、「ひょっとしたら古人の霊に出会えるんじゃないか」とドキドキします。僕たちよりも、ずっと歌枕や能に親しかった芭蕉ですから、これはもう超ドキドキだったと思うのです。

いやいや、霊というのがナンだとしたらい、古人の歌の魂を感じられるのではないか、そう思っていたに違いありません。

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さて、那須にかかった芭蕉。ここは『殺生石』と『遊行柳』という二曲の能に関連するところです。

殺生石(せっしょうせき)という石は天竺、唐、日本と時空を越えて王朝の転覆を企てた女(実は九尾の狐)の精魂が凝り固まって石となったもの。旅する玄翁和尚をワキとし、前半では女が、後半では狐がシテとなって、王朝での有様、そして退治されて石となった経緯を能『殺生石』では語ります。

また『遊行柳(ゆぎょう・やなぎ)』は老柳の精がシテ。遊行の僧の前に老人が現れ、「朽木の柳」という名木に道しるべするのですが、実はその老人こそ朽木の柳の精霊で、再び現れ舞を舞うという曲です。

で、実はその柳は「西行法師」ゆかりの柳です。能の中のワキである遊行の僧は、そんなことは全く意識しなかったにも関わらず、柳の精でもあり、そして西行の霊(あるいは西行の詩魂)でもあるシテと出会ったのです。

『奥の細道』自体が西行を追慕する旅だと言われています。

西行の歩いた奥州を、そして西行の詠んだ歌枕をなぞる旅です。しかも奥の細道の旅は、西行の五百年忌に行われています。

となると、この『遊行柳』は、芭蕉にとっては特に重要な曲だったし、そして、その遊行柳がある那須は、旅の前半においてもっとも重要な場所のひとつだったはずです。

となると、ここからの旅は能『遊行柳』のような何者か(特に西行の詩魂)との出会いを期待するものであったであろうし、そして能『遊行柳』をなぞる旅であったでしょう。芭蕉は能の中のワキである遊行僧のように旅をして行った、そう思うのです。

<まだまだ続きます>

今日はこれから俳人の黛まどかさんとの対談です。