一昨日は札幌の隣の江別市にある「北翔大学」での授業、そして昨日は北海道の士別市にある、上士別(かみ・しべつ)小学校というところで授業をしてきました。
北翔大学では最初のコマ(1年生対象)では能の話を中心にしたのですが、次のコマ(3年生)では甲骨文と『論語』の話をしてしまいました。かなり渋い話だったし、ことさら盛り上げようとも思わず授業をしたのですが、ひとりも寝ずに最後まで食いついてきてくれました。
偉い!
◆◆◆◆◆
さて、上士別です。上士別は士別市にあります。で、士別市は旭川から車で1時間半くらい・・だったのですが高速ができて1時間を切るようになりました。
上士別にはマサヒコという同年齢のいとこがいます。子どもの頃から、兄弟のように育ったいとこで、彼の娘さんである「ももちゃん」が小学校六年生なので、その学校に授業に行ったのでした。
◆◆◆◆◆
一昨日の夜遅くに旭川に入り、朝にホテルまでマサヒコが迎えに来てくれました。
旭川では雪がチラついている程度だったのですが、士別に向かって行くと、だんだん雪が深くなります。
<以下、写真はクリックすると大きくなります>
途中でヤマザキパンの看板を見たら、急に菓子パンが食べたくなり(朝食はちゃんと食べたのに・・)、「どこかでパン買える?」と聞くと、「ムリ」という即座の返事。
ワッサム(和寒)というところでの会話。
が、ややあって「あ、峠を越えればあるかも」という。塩狩峠です。
雪も降っているし、塩狩峠だし、すごく北海道に来た感じがして、思わずホワイト・クリスマスを思い出すという恥ずかしいほどに短絡的な連想をしながらもニコニコしながら車に乗っていました。
で、峠を越えたところにあったコンビニでアンドーナツを買って、ムシャムシャ食べながらマサヒコの家に行き、着替えて学校です。
◆◆◆◆◆
上士別小学校は全校で50人ほどの学校。
4時間目は1年から3年までの子どもたちに授業。声を出したり、すり足をしたり、ワーワー騒ぎながら、あっという間に45分が終わってしまいました。質問もすごく多くて、給食の時間だというのに15分以上も過ぎても離してくれません。
5時間目は4年生から6年生までの授業(間に昼食)。
こちらはちょっと落ち着いて、いろいろな話やら実演やらをしたり、子どもたちにも体を動かしてもらったりと、いろいろできました。でも、相変わらずテンションは高く、やはりあっという間の45分でした。
両方とも、やはり2時間ずつは欲しいのですが、近頃の学校はカリキュラムを消化したり、行事を消化したりと大変で、能の授業なんかをゆったりやっているヒマはないのです。
さて、夜には校長先生とPTAのお父さんたちが、いとこのマサヒコの家に集まり、みんなでワイワイと23時過ぎまで話(というか宴会)をしました。校長先生もいいし、お父さんがたも楽しい方だし、いいなあ。
そうそう。ちなみにそこで「農作業をするときの身体」についての話になり、このことについてはまた書きますね。
みなさんが帰った後も、マサヒコや奥さんのケイコさんとは1時30分くらいまで話して、楽しかった!
実は彼らは青春時代に中央線沿線でワイワイやっていた仲間なのです(マサヒコは1991年に奥さんとともに北海道に移住したのです)。いまはなくなってしまった吉祥寺のぐゎらん堂とか、高田渡さんの話とか、そんな話も久しぶりにしました。
ちなみに彼の持っているマーチンD-15は、僕が知っているマーチンの中でも最もいい音のするギターの一台です。特に低音弦の音がすごくて、最初に聞いたときには「ギターって本当はこんな音だったんだ」って目から鱗(あ、耳から鱗)が落ちました。
まるで二台のギターで弾いているように聞こえるのです。
そうそう。そのときにいっしょに遊んでいた友人(高校時代の友人)が、いま失踪中なのです。サトウ君といいます。
サトウ!どこかでこれを見ていたら連絡ください。
◆◆◆◆◆
さて、マサヒコはこのごろ家を作っています。
もともとあった家を買って、それを自分なりに作り直しているのです。というとリフォームみたいだけれども、それどころではない。ほとんど全面の作り直しです。
解体される家から梁をもらってきたり、廃材をもらって来たりして作っているのですが、ひとりでそれをしているというのです(たまには人に手伝ってもらいながら)。
「ひとりでやるのは大変じゃないか」と聞くと、「その方が気楽だから」といいます。さらに「図面とかないし、作りながらアイデアが出てきて、それでやるからね」とのこと。
なるほど!
事前に図面を引き、未来図を作って何かをするというのもアリだけど、こんな風に「今」を起点に、どんどん作り上げていくというのもアリです。
実は僕の書く本もそれに近くて、手から出てくるに任せて書いていくうちに、いつの間にか全体の構成が見えてきて、そこで目次案のようなものを作ることが多い。むろん、企画を通す段階で、ある程度の目次案のようなものは作るんですが、それはむしろ方便。その通りにいくことなど絶対にない。
ワークショップや講演となると、さらにそれが徹底している。事前にすべてを決めるなんてことはほとんどない。・・というか、事前にはほとんど何も決めずに会場に入る。
で、まずは会場の雰囲気である程度のことが決まる。あとは参加者の顔やうなづきや、そんなものを感じながらやっていく。
悪くいえば、行き当たりばったり、計画性がない。よくいえば臨機応変(あ、悪い方が多い)。
だから今回のように学校でするときも、「何をするのか事前に教えてください」などといわれると困ってしまう。一度も会ったことがない生徒に、事前に何をするかなんて決められるはずがない。
今回は間に入ってくれたのがマサヒコだから、そんなことは一度も聞いてこない。
やはり、いとこだなあ。
北翔大学では最初のコマ(1年生対象)では能の話を中心にしたのですが、次のコマ(3年生)では甲骨文と『論語』の話をしてしまいました。かなり渋い話だったし、ことさら盛り上げようとも思わず授業をしたのですが、ひとりも寝ずに最後まで食いついてきてくれました。
偉い!
◆◆◆◆◆
さて、上士別です。上士別は士別市にあります。で、士別市は旭川から車で1時間半くらい・・だったのですが高速ができて1時間を切るようになりました。
上士別にはマサヒコという同年齢のいとこがいます。子どもの頃から、兄弟のように育ったいとこで、彼の娘さんである「ももちゃん」が小学校六年生なので、その学校に授業に行ったのでした。
◆◆◆◆◆
一昨日の夜遅くに旭川に入り、朝にホテルまでマサヒコが迎えに来てくれました。
旭川では雪がチラついている程度だったのですが、士別に向かって行くと、だんだん雪が深くなります。
<以下、写真はクリックすると大きくなります>
途中でヤマザキパンの看板を見たら、急に菓子パンが食べたくなり(朝食はちゃんと食べたのに・・)、「どこかでパン買える?」と聞くと、「ムリ」という即座の返事。
ワッサム(和寒)というところでの会話。
が、ややあって「あ、峠を越えればあるかも」という。塩狩峠です。
雪も降っているし、塩狩峠だし、すごく北海道に来た感じがして、思わずホワイト・クリスマスを思い出すという恥ずかしいほどに短絡的な連想をしながらもニコニコしながら車に乗っていました。
で、峠を越えたところにあったコンビニでアンドーナツを買って、ムシャムシャ食べながらマサヒコの家に行き、着替えて学校です。
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上士別小学校は全校で50人ほどの学校。
4時間目は1年から3年までの子どもたちに授業。声を出したり、すり足をしたり、ワーワー騒ぎながら、あっという間に45分が終わってしまいました。質問もすごく多くて、給食の時間だというのに15分以上も過ぎても離してくれません。
5時間目は4年生から6年生までの授業(間に昼食)。
こちらはちょっと落ち着いて、いろいろな話やら実演やらをしたり、子どもたちにも体を動かしてもらったりと、いろいろできました。でも、相変わらずテンションは高く、やはりあっという間の45分でした。
両方とも、やはり2時間ずつは欲しいのですが、近頃の学校はカリキュラムを消化したり、行事を消化したりと大変で、能の授業なんかをゆったりやっているヒマはないのです。
さて、夜には校長先生とPTAのお父さんたちが、いとこのマサヒコの家に集まり、みんなでワイワイと23時過ぎまで話(というか宴会)をしました。校長先生もいいし、お父さんがたも楽しい方だし、いいなあ。
そうそう。ちなみにそこで「農作業をするときの身体」についての話になり、このことについてはまた書きますね。
みなさんが帰った後も、マサヒコや奥さんのケイコさんとは1時30分くらいまで話して、楽しかった!
実は彼らは青春時代に中央線沿線でワイワイやっていた仲間なのです(マサヒコは1991年に奥さんとともに北海道に移住したのです)。いまはなくなってしまった吉祥寺のぐゎらん堂とか、高田渡さんの話とか、そんな話も久しぶりにしました。
ちなみに彼の持っているマーチンD-15は、僕が知っているマーチンの中でも最もいい音のするギターの一台です。特に低音弦の音がすごくて、最初に聞いたときには「ギターって本当はこんな音だったんだ」って目から鱗(あ、耳から鱗)が落ちました。
まるで二台のギターで弾いているように聞こえるのです。
そうそう。そのときにいっしょに遊んでいた友人(高校時代の友人)が、いま失踪中なのです。サトウ君といいます。
サトウ!どこかでこれを見ていたら連絡ください。
◆◆◆◆◆
さて、マサヒコはこのごろ家を作っています。
もともとあった家を買って、それを自分なりに作り直しているのです。というとリフォームみたいだけれども、それどころではない。ほとんど全面の作り直しです。
解体される家から梁をもらってきたり、廃材をもらって来たりして作っているのですが、ひとりでそれをしているというのです(たまには人に手伝ってもらいながら)。
「ひとりでやるのは大変じゃないか」と聞くと、「その方が気楽だから」といいます。さらに「図面とかないし、作りながらアイデアが出てきて、それでやるからね」とのこと。
なるほど!
事前に図面を引き、未来図を作って何かをするというのもアリだけど、こんな風に「今」を起点に、どんどん作り上げていくというのもアリです。
実は僕の書く本もそれに近くて、手から出てくるに任せて書いていくうちに、いつの間にか全体の構成が見えてきて、そこで目次案のようなものを作ることが多い。むろん、企画を通す段階で、ある程度の目次案のようなものは作るんですが、それはむしろ方便。その通りにいくことなど絶対にない。
ワークショップや講演となると、さらにそれが徹底している。事前にすべてを決めるなんてことはほとんどない。・・というか、事前にはほとんど何も決めずに会場に入る。
で、まずは会場の雰囲気である程度のことが決まる。あとは参加者の顔やうなづきや、そんなものを感じながらやっていく。
悪くいえば、行き当たりばったり、計画性がない。よくいえば臨機応変(あ、悪い方が多い)。
だから今回のように学校でするときも、「何をするのか事前に教えてください」などといわれると困ってしまう。一度も会ったことがない生徒に、事前に何をするかなんて決められるはずがない。
今回は間に入ってくれたのがマサヒコだから、そんなことは一度も聞いてこない。
やはり、いとこだなあ。