●足跡の古い字体を見てみると

以前、「心」の金文を子どもたちに見せると「チンチンだ〜!」という、と書きました。→心の生まれた日(10)

「あれは心臓の象形である」とする漢字の専門家に「あれはチンチンじゃないですか」と言ったらぶっとばされそうです。

しかし漢字の語源でほとんど定説になっているものにも疑わしいものはたくさんあります。

今日はそのうちのひとつ、足を見てみましょう。

今の漢字に直すと「之」とか「止」です(「止」は「足」に止まるという意味の「棒」がひとつついていますが)。

ashiato_kou甲骨文字ではこうなります。足跡ですね。右の出っ張っているところは親指ですから、これは左の足跡ということになります。いかがでしょうか、足跡に見えますか。

ashiato_kin金文にはもう少しわかりやすい字体もあります。こうなるともうモロ、足跡です。漢字らしさからは程遠いですが。

●足とは神の来訪か

この字は人間の足跡だというのが定説になっています。

この足跡がふたつ重なると「歩」という漢字になります。

aruku_kinまずは金文の字体から。ペタペタと二つの足跡が付いていて、どこかに向かっているさまを表します。

aruku_kou次に甲骨文。こちらは金文の字体に比べると、かなり漢字に近いということがわかりますか?

「え〜、全然わからない。漢字に見えない!」という人のために、これが今の漢字に変化していくさまを・・。

aruku_nagare

ほら、ちゃんと今の漢字「歩」になったでしょ。

kakukyakuさて、この足跡を逆にした形が、ある場所(口)に来るという形は「各」であり、これに先祖を祭る廟堂を表す「ウカンムリ」をつけると「客」になります。

白川静氏はこの「口」を祝詞を収める器だとしますが、これは聖なる場所だという説もあり、どちらにしろ、そこに来訪するのはただの客ではありません。

「まれびと」すなわち「来訪神」です。

oriruさらに下向きの足跡をふたつ重ね、それに神梯をつけると「降」、すなわち降臨の意となるように、下向きの「足」は神の来訪を表す漢字だったようです。

●足とは異界に赴く身体

上向きの足跡は甲骨などでも「行く」という意味で使われますが、ただぶらぶら散歩をするのではありません。

戦争とか巡察とか猟とか、自分たちとは異なる地域、異邦に行くとうい意味で使われることがほとんどです。

異邦では何が起こるかわからない。自分たちより強い敵と遭遇して、殺されてしまうかも知れないし、恐ろしい猛獣との戦いが待っているかも知れない。そんな異界への移動、それが「之」なのです。

神様にすれば私たちの住む下界は異邦です。神様にとって降臨とは、やはり異界への移動なのです。

そうなると足跡は、上向きでも下向きでも異界に行くことを示したといえるかも知れません。

換言すれば「足」とは異界に赴く身体だということができるでしょう。

●足跡は古代人にとっては大切なしるし

さて、そんな足ですが、まあ足跡というのはいいにしても、これが「人間」の足跡だというのはちょっと考え直してみたいところです。

ネガティブハンドの話を、パーカッショニストの土取利行氏がしてくれましたた。

古代の洞窟などに手のひらが押し付けられ跡が残っている。これがネガティブハンドです。洞窟壁画が描かれている同じ場所にある。

アボリジニやブッシュマンはネガティブハンドを見ると、これが誰のものだかわかるらしいのです。指紋なんか、取る必要はない。

狩猟民は足跡だけで動物がわかります。

それも「これは熊、これは狐」とわかるだけでなく、「この足跡は熊の誰それだ」ということがわかる。体重はどのくらいか、雄か雌か、妊娠しているかどうか、そういうことがすべてわかるといいます。

洞窟壁画を残した古代人たちが手のひらの形だけで、その人を特定できたのと同じで、狩猟民たちは足跡だけで動物を(そして多分、人も)特定できるのです。

そして、むろん古代人たちもそんなことは簡単にできた。だから、古代人にとって、足跡は特別な存在だったはずです。

それは壁画の図像を見てもわかります。

石器時代の壁画に描かれる図像では、動物の体は横向きに描かれていながら蹄だけは平面図で描かれています。足跡は大切だからです。

●人間の足跡じゃねえだろう!

ashiato_kinさて、そう考えるとこの文字が「人間」の足跡だというはちょっと変だということに気づくでしょう。

気づかない人は自分の足を見てみてください。

人間の足跡はこんな形をしていない。人間の足の親指は他の指とくっついています。

以下にさまざまな霊長類の足跡を並べてみましょう。左から「人」・「マウンテンゴリラ」・「ローランドゴリラ」・「チンパンジー」です。

ashiato_samazama02

親指が他の指から離れているこの形は、チンパンジーなどの類人猿の足跡です。決して人間の足跡ではありません。

足跡を重視した古代人がこんな間違いをするはずがない。漢字の「之」、すなわち足跡は、類人猿の足跡に近いのです。

●音楽神の足跡かも!

さて、そんな風に思って漢字を探してみます。

するとこんな漢字があります。

ki_kanji「き」と読みます。これは音楽神の祖です。『山海経』には牛のような形とありますが、本来は猿形の神でした。甲骨文にも非常によく出てくる神様です。

猿をトーテムとする一族が殷王朝の奏楽に携わっていたかも知れません。これは日本の猿田彦やアメノウヅメ命などとの関係からも興味深いのですが、それはまた・・。

さて、この漢字の甲骨文はこうです。

ki_kou

石器時代の壁画の図像では、「動物の体は横向き、蹄だけは平面図」と言いましたが、これもモロそれだということがわかるでしょう。

現在、「人間の足跡」というのが定説になっているこの形は、猿の足跡、あるじは猿形の神である「キ」の足跡なのではないでしょうか。

で、それがだんだん人間の足跡にも使われるようになった。

しかし、人間に使われるようになっても、少なくとも殷の時代や周の初期の頃までは、「之」はただの足跡ではなく、聖なる足跡、聖跡なのです。