前回に続いて野良息子の話です。なんともひどい息子もあったもので、自分を勘当するための親族会議に乗り込んで金をせしめようとしています。が、不思議にこの野良息子が悪心を翻して大孝行の人になるという、これからが成仏の段でございります。

●母親、勘当をやめてくれと父親にいう

「人の親の心は闇にあらねども子を思う道に迷いぬるかな」

野良息子の親たちの前に、勘当の願書が回って来ると、母親は大声をあげて泣き出す。老父は歯もなき歯茎を食いしばって下を向いて身動きもしない。

が、やがてくぐもった声で、「おばば、印鑑を取ってござれ」と老妻にいう。母親は返事をすることもできず、泣く泣く箪笥の引き出しから、革の財布に入った印鑑を取り出し、それを爺親の前に置く。

野良息子は、雨戸の外から息をつめて成り行きをうかがっている。

そのうちに老父は覚悟を決めた。が、本当は印鑑などは押したくない。ぐずぐずと財布の紐を解き、ようやく印鑑を取り出して、朱肉をつけて判を押そうとする。

そのとき、母親が父親の手にすがって、「先ず待って下され」という。

「この期におよんで何をいう。親類中も見ていらるる。未練な事を言わっしゃるな」と父親はいうが母は聞かず、「まず私が言うことを聞いて下され」と懇願する。

「確かにあの不孝者にこの家を譲ったら、三年もたたぬうちに草を生やして荒れ果てるでござろう。それが悲しいといっても、天にも地にもたった一人の子。その子を勘当したら、跡とりのために代わりに子をもらわねばなりませぬ。

もらった養子が実直で、わしら夫婦に孝行をし、家もしっかりと相続してくれればよけれども、しかし養子だから孝行だと決まったこともござるまい。その養子も不心得で、家を野原にするかも知れませぬ。どうもわしら夫婦は運の悪い夫婦なれば、そうなることもあるではござらぬか。

どうせ子のためにつぶす身代なら、せがれのために家を失い、馴染んだ村を立ち退いて、夫婦ともに乞食になっても、我が子の尻について歩けたなら、わしは本望に思います。五十年このかた、一生に一度の願い。どうぞ聞き入れて勘当をやめて下され。子ゆえに乞食をすると思えば、恨みにも思いませぬ」

・・と、声をあげて泣く泣く言わるる。

親類もこれを聞き、一同に顔を見合せ、親父が何と言わるるぞと、見守っている。

●親父様の言いよう

と、親父は何を思ったか、印鑑を財布に入れ、手早に財布のひもを締めて、勘当の願書を親類の前に差し戻して言う。

「さてさて親類の皆様方へは、まことに面目ない事でござれども、いま婆(ばば)が言うところ、わしももっともと思いますゆえ、今後せがれの勘当はいたしますまい。このように申さば、その甘い心で育てたがゆえに、あのような不孝者が出来たと、定めてお前様方は笑わっしゃろうが、笑われても苦しゅうはござらぬ」という。

親類たちは呆れて聞いている。

「もちろん、あのせがれを勘当しなければ、この家がつぶれる事は、ものの三年も待つことはございますまい。わが子ゆえに先祖代々の家を野原にするのは、ご先祖様に対してすまぬという事も、よう合点しておりまする。勘当せねば、お前様方と不付合いになり、親類一同からの義絶も合点でござる。

定めて、わしらが村を立ち退くとき、金を無心したり、物をねだったりせぬかと、その用心のための義絶であろうが、そのようなことはご案じ下さいますな。世間の義理も、先祖への不孝も、親類の義絶も省みず、こんな決心をするのは、ただただわが子が可愛いばかり。その子の尻を追って乞食をしながら、ついて歩くならば、それはわしら夫婦が本望というもの。決してお前様方に無心やねだりはいたしませぬ。

そもそもどのように死ぬのも一生は一生じや。可愛い子のために、道にのたれ死に、並木のこやしになるのも、自ら好んでするのであれば恨みとは存ぜぬ。さあ、どうぞお前様方もお引き取りください。明日からはお互い他人でござる。我が子のためなら、何と言われてもかまいはござらぬ」

と、同じく大声をあげて男泣きに泣かるる。勘当せぬと聞いて、母親もうれし泣きに泣く。

親類縁者は、あまりの事にあきれ果て返答もせず、ただ夫婦の顔をうちながめているばかりなり。

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あれあれ。すごいことになりました。今回はここまで、続きは次回に。