さて、今回からは本文だけを載せていきます。

●甘やかされて野良息子に

ある田舎に、身分相応に暮らしていた百姓がござりました。

夫婦の中に男の子が一人いましたが、可愛いさのあまりに、老牛が子牛を舐めて育てるように、盲目的に溺愛して育てあげられました。

そんなわけでその子は、次第に乱暴者になり、馬の尻尾を抜たり、牛の鼻先を火で炙ったり、あるいは近所の子どもたちを、軽々しく叩いて泣かせたりと、そんな悪戯をしているうちに成人して、とうとう手にあまる不孝者とあいなりました。

小力はある。大酒は飲む。博変は打ち覚える。そのうちいつしか神事相撲を取り覚え、それを頼んですぐに喧嘩口論を始めるわ、女郎買いや妾狂いもするわ。

ときたま親達が意見をすると、大声を張り上げて居丈高に親に向かって怒鳴る。

「お前たちは、俺が放蕩者じゃの不孝者じゃのと言うがな。その不孝ものは誰が頼んで生んだのじゃ。俺の方も生んでもらっても迷惑している。それほど放蕩者が嫌いなら、もとの所へおさめてもらおう。そうすりゃあ、俺も助かる」などと、無茶苦茶な口答えをする。

親たちもなすすべなく、その身は細り、年は寄る。息子は次第に勢いを増す。可愛いのと、仕方ないので、勘当することもできず、我がまま気ままをさせておくと、いよいよ図にのって、あちらでは誰それを投げ飛ばしたの、こちらでは誰それの腕をねじ折ったのと、あらあらしい大喧嘩をするようになった。

そのたびごとに、親達はいうに及ばず、親類縁者の者どもも胸板に釘を打たれるように胸を痛める次第。そんな恐ろしい悪党ものがござりました。

この者とて、腹のうちからこのようなわんぱく者ではないのじゃが、「おれがおれが」が増長して、心を取り失ったばかりに、このような不出来者ができあがった。なんと「放心」は恐ろしい事じゃござりませぬか。

●勘当への道

もちろん親類縁者から親達へも、「あんな奴など勘当せい」とたびたび催促はするけれども、なにぶん一人っ子のことじゃ。今日は勘当、あすは義絶と、口では言うが、なかなか勘当もできないうちに年月のみ徒に経ち、かの乱暴者がとうとう二十六才になりました。

悪行は次第につのる。このまま続けば、後々は親類縁者へどのような難儀をかけようやらと、親戚一同恐ろしくなって親族会議を開いてとうとう親たちに言った。

「すぐにでもあの野良息子を勘当をしなければ、親類中がお前さま方の家と義絶をいたさねはなりませぬぞ。あの息子をあのままにしておかれると、親類中はいうに及ばず、村中へもどんな難儀がかかろうやら知れぬ。お前さま方ご夫婦には、もとより恨みはなけれども、われら面々、家が大事でござる。さあ、親類としての関係を一切絶つか。あるいは息子を勘当をさっしゃるか。どちらにするかの返事がいま聞きたい」

そう言って寄こした。

親達ももうこれ以上は仕様がない。

「子どのもために親類の義絶になっては、ご先祖様へもすまぬ事。さらば今夜、みなさま寄合をして下され。相談の上、息子を勘当するむねを村方のお役人にお願いする願所をしたためましょう。ご親類のみなさま、いづれご連印下されねはならぬ。ご苦労ながらご印鑑をご持参にて、暮、早々よりお寄り下されい」と、返答をされた。

古語に「老牛は子牛を舐めて育て、牝虎は子を口に入れて育てる」とあります。

畜類でも鳥類でも、身に変えて子を可愛がる。ましてや人のうえで、その子を勘当せにゃならぬようになったら、さぞ悲しい事でござりましょう。これみなその子の「放心」から起る事じゃ。

身に立ち返りさえすれば、波風ものう収まるのに、さりとては身に立ち返る人がない。親にしてみれば勘当したくはないのだけれども、子の方から勘当してくれと突き付けてくる。これには困ったものじゃ。

<次回に続く>