心の生まれた日(2)『論語』の中には身体文字が多い

▼身体文字とは

さて、前回は不惑の「惑」の字が孔子が生きていた時代にはなかった、ということを書きました。このほかにも『論語』の中には孔子時代にはなかった文字はたくさんあるのですが、この「惑」もそうであるように「心」がついている漢字が孔子時代には少ないのです。

ちなみに孔子の生きていた時代は紀元前の500年前後(生年前551年、没年前479年)、今から2,500年ほど前です。

いまの漢和辞典を見ると「心」系の漢字はもっとも多いもののひとつです。が、孔子時代には驚くほど少ないのです。

じゃあ、どんな漢字が多いかというと「身体文字」が多い。あ、身体文字というのは私が勝手に作った語で(誰か他にも使っている人がいるかも知れませんが)、漢字が身体の一部そのものか、あるいは漢字の中に身体の一部が入っている漢字です。

たとえば「目」や「口」などは身体の一部そのものですし、「直」や「問」などは漢字の中に身体の一部が含まれている漢字です。★「口」に関しては白川静氏に異説あり。

さて、『論語』の巻頭の文は有名な「学んで時にこれを習う」です。これを白文で書くと「學而時習之」ですが、この五文字はすべて身体文字です。

▼巻頭の文と身体文字

では、巻頭の文と身体文字との関係を見てみましょう。巻頭の文の一文字一文字を古代文字(金文)で見てみます。すると、そこにはすべて身体の一部が含まれていることに気づきます。

【學】学
両手この字の上にある臼は両手を表します。



【而】而
白川静氏は、この字を「頭髪を切って、結髪をしない人」の姿だといいます。バサバサの髪です。バサバサの髪とは、雨乞いをするときの巫女の姿だというのです。加藤常賢氏はこの字を頬髭を長く伸ばした人の顔だとします。頬髭ですから男性ということになるでしょうが、やはり巫祝です。

若ちなみに【而】を反対にして手もブルブル震えているような姿、すなわち巫女が座してエクスタシー状態になった漢字は「若」です。神の言葉を聞くという意味の「諾」の中に残っています。



【時】時寺
時の右側の「寺」ですが、いまは「土」になっている上が元は「止」で「足」を現し(下の「之」と元は同形)、下が「手」を現しています。



【習】習
上は羽根です。これは人間の身体ではありませんが、鳥の身体で、やはり身体文字といってもいいでしょう。



【之】之
これは足です。人の足跡が元になっていると言われてますが、ちょっと異論があります。が、それはまた別の機会に。



▼参考にする本

『論語』を読むときに、この身体文字に注目して、さらには身体的に読むと面白い読みができるのですが、それはここで扱うと話が散漫になりますので、いつか番外で書きます。

さて、こういったことをチェックするのに使っているのは『殷周金文集成』とその索引です。

『殷周金文集成(修訂増補本)』は題名の通り殷と周の時代の金文の集大成で、その器の時代も考証されています。ただ、その考証がどのくらい正確かは、たまに「本当かな」と思うのもあるのでちょっと「?」です。最初18巻本で出ていたのですが、いまは修訂増補されて8巻本になって入手しやすくなっています。知り合いが上海に行ったときに買って来てもらいました(むろん郵送)。

甲骨文の方は『甲骨文合集』や『小屯南地甲骨』などと、それらの索引です。

これらの本の一番の問題は版が大きいので重いし、場所を取る。個人の部屋で何冊も開くのは大変ですし、腱鞘炎になりそうです。

こういうとき「大学の先生はいいなあ」と思います。