ブラジルとはいえ、今は冬。昨日までのサンパウロは寒いくらいでした。

が、ここベロ・オリゾンテはサンパウロから飛行機で一時間弱なのに地域としては熱帯。とても暖か。だからか風邪っぽい症状が流行っています。

特に声が出なくなった人が二人いて、これは大変(でもひとりはコーディネーターの人だからまだよかった)。

ワキはひとりなので声が出なくなったら目も当てられないので、外から帰ったらウガイをしています。東京にいるときよりも健康的な生活です。

南米はカトリック教会がたくさんあります。通りの名前や街の名前も「サン(聖)どうのこうの」というのが多い。これはスペイン人やポルトガル人に占領、改宗されたからなのですが、しかしそれはただ「侵略」という近代的な用語で説明できるものではないでしょう。

むろん、無理やり改宗させられた人もいたのは確かでしょうが、キリスト教と一体だった近代軍隊や政治システムの持っていた「力」に対する畏敬からキリスト教に帰依した人も少なくはなかったのではないかと思うのです。聖なる力です。

そう考えたとき、あんなに迫害していたローマをはじめヨーロッパ諸国がキリスト教を受け入れ、それどころかむしろそれを表面に出した理由、そしてそれによって世界征服ができた理由なんていうのがちょっと見えてきそうな気もしますが、それはともかくやっぱりブラジルのキリスト教はヨーロッパのそれとはちょっと違う。

ブラジルのキリスト教は日本の仏教と同じく本地垂迹があって、キリスト教ともともとあった原始宗教とが合体しています。たとえばマリア像なのに、その台座にキューピットみたいな顔(だけ!)がいっぱい並んでいるというとっても怪しい像があったりします。

南米音楽も表面的にはコードがあって、主音と属音があって・・と西洋音楽理論にのっとって作られていますが、しかしやはりとっても南米。

いま「現れ」としてそこにあるものから西洋的なものを差し引くと(あるいは透明な上澄みを掬ってしまうと)、そこにとっても原始的なものを見ることができるのは思想や宗教も、そして音楽や美術も似ていますね。