では、昨日の続きを・・・。

あ、そうそう。昨日から書いている未詳倶楽部レポートですが、レポートとは言いながら未詳倶楽部で話した内容ではありません。終わった後で、未詳倶楽部での体験から思いついたことです。悪しからず。

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さて、超強力な、現代でいうならばさしずめ核兵器と細菌兵器と心理兵器を相乗したような強力パワー秘める「楽」を求めて、孔子は諸国を放浪した。

斉の国に行ったとき「韶(しょう)」という楽を聞いた孔子は、三ヶ月肉の味を知らずと『論語』にある。そして「図らざりき。楽をなすことの斯(ここ)に至らんとは」と感嘆する。

『論語』の中で「斯(ここ)」には、ただの代名詞ではない特別な意味がある。斯文といえば、儒教や儒者そのものを指す。それほどの意味だ。フロイトは本能的欲動を「エス(英語のit)」としたが、曰く言い難いときに非人称代名詞を使う。その「斯」だ。

そうそう。大正時代くらいの小説に「IT」というのがあって、ずいぶん前に復刊されて読んだが面白かった。当時の女性は「it」と聞くと顔を赤くしたとか。フロイトはとっても性的だからね。ITガールなんていうのもあった。モガみたいなもん。

それはともかく、「斯(ここ)に至らんとは」は「I got it !」 の非常に強いヤツだ。

でも、この「韶」ですら、殷の楽師たちが伝えた「楽」に比べれば未だしのものだったのではないか。いや、桑林の舞にすら及ばないものではなかったか。人を死に至らしめる桑林の舞ほどの力を「韶」が持っていたら、孔子は多分それを書いていた。

で、ここから先は今のところ単なる想像(というかお遊び)だが・・・

殷を滅ぼしたあと「楽」のもつ、その驚異的な力を恐れた<誰か>が「楽」を分散したのではなかったか。それはあたかも核兵器のような超強力兵器の部品や設計図を分散するようなものである。

それは永遠に組み合わされることはないはずなのだが、しかしかりに何かの機会があって組み合わされたとき、最後のキーとなるのが「微子(びし)」の末裔である宋の公族が伝えた桑林の舞だったのではないだろうか。これがない限り、それは発動しない。

ちなみに、「楽」を分散した人を、私は「周公旦」だと思っている。

ちなみに孔子が「韶(しょう)」を聞いた斉の国は太公望が封じられた国であり、桑林の舞の宋は微子、そして孔子の生まれた魯の国は周公旦が祖だ。魯については書いていくと非常に長くなるので、これは書籍か何かで・・。

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さて、桑林の舞を伝えた微子は、昨日も書いた通り、殷の最後の王である紂王の庶兄だ。楽師らの勧めに従って殷を見捨てて逃走した彼は、殷が敗北したときに降伏のさまを表現するのだが、それが不思議だ。

左手に羊を挽き、右手に茅を持つ。そんな姿で降伏する。

これはとても重要な象徴なのだが、それに関しては後日書く(書いたら、ここにリンクを張ります)。

また、宋の人々というのは「矛盾」の説話にも現れるように「笑われる民」だ。笑われることによって聖なる力を持つ、聖なる愚者たちである。わが国でも秘儀を伝える人々を賤民としていたのに似る。

そんな楽を求めて孔子は放浪した。どこかでそれらの部品や設計図を集め、強力な何かを作ろうとしていたのではないか、そんな空想をしてみる。

今回の未詳倶楽部では、久能山の東照宮に行ったが、それに向かうバスの中で松岡正剛さんが、家康のすごいところとして、当時の最新兵器である「鉄砲」を捨てたことにあるというお話をされていた。

古代中国では秦の始皇帝がこれを行なった。彼は、核兵器にも匹敵する「楽」を完全抹殺した。凡庸な王ならば、それを王の軍隊にのみ保存するとか、親衛隊にのみにこれを許すという政策を取っただろう。しかし、始皇帝はその危険性を知っていた。臣下の誰かが裏切って、「楽」を外に持ち出せば、それは却って自分を滅ぼす。

始皇帝は非常に攻撃的な人だと思われているが、万里の長城の建設を見ても分かるとおり、基本的には防御の人だ。家康に似る。ただ、あまりに死が早かったために、その秦帝国は次には終わってしまうのだが・・・。

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「楽」という漢字は甲骨文や金文では図のように書く。

楽甲骨楽金文『説文』では振り太鼓を楽器台の上に置くとし、白川静氏は、振り太鼓ではなく「手鈴」とする。白川氏は「柄のある手鈴の形で【白】が鈴の部分」(『字通』)だとし、「古代のシャーマンは鈴を鳴らせて神をよび、神を楽しませ、また病を療した」という。

さて、ここから未詳倶楽部に戻る。

昨日、会場に松岡流甲骨文字で「字身」が書かれ、そしてその周囲に「玄月(松岡さんの号)」と「安田登」という字が散らされていたということを書いた。

玄「玄月」の「玄」は金文では図のように書く。これは糸を捻った形で、黒く染めた糸。

老子が「同じきこれを玄と謂い、玄のまた玄は衆妙の門なり」というように非常に幽遠な幽玄の「玄」だ。だからこれは「幻」となる。人を幻惑するものだ。

さ、この「玄」の金文ですが、「楽」についているぴろぴろに似ていませんか。「楽」の周りのこのぴろぴろは、松岡さん「玄月」の「玄」であり、人を幻惑する「何か」なんじゃないだろうか。

じゃあ、真ん中の「白」は何か。白川氏はこれを「鈴」だとしている。

白ちなみに「白」の甲骨・金文を見てみると「楽」の真ん中の「白」とほとんど同じだ。これが「ガク(ハクから)」という音を現すという説がいいかなあ、とは思うだが、せっかくブログですので遊ばせてもらうと、白を鈴だという当の白川さんは「白」の説明を・・・

「頭顱(とうろ)の形で、その白骨化したもの、されこうべ」だとする。

雨露にさらされて白くなるので、「白」という色を表すようになるとし、偉大な指導者や強敵の首は、髑髏(どくろ)として保管された、というのだ(ちなみに白は親指の爪という説もあり有力。だから親指を立ててボスになる。これはともかく・・)。

あれ?となると「楽」の真ん中の「白」も髑髏なんじゃないの、と思ったりする。

台の上に髑髏を立てて、その周囲に人を幻惑する「何か」=松岡さんの【玄】をぴらぴらする、それが「楽」じゃないんだろうか。

・・というところで、これがまだまだ続くので、また今度・・・。