先日、祥伝社さんから呼吸法の本を出しましたが、いまは『論語』の本を書いています。

『論語』の本は本当にたくさん出ていて何を今さらって感じですが、いま書いているのは『論語』を身体性から読み直してみようというものです。頭を使う訓古学な読みは学者の方がたにお願いするとして、こちらは体を使って、頭とは違う面から『論語』を読んでみようという試みです。

孔子はとっても行動的な人で、『論語』は身体的に読んでみると全然違う読み方ができるのです。

●最初の出会いは悲惨だった

『論語』に始めて出会ったのは中学生のとき。

・・・なんて話は本になるときには多分書かないので、こういうのをブログに書いておきます。

さて、私の出身は千葉県の銚子市。それも海鹿島(あしかじま)という、当時は駄菓子屋さんすらなかった海辺の町です。

海鹿島といっても島ではなく町名で、うちは門を出ると三歩で砂浜という超海辺です。中学時代の先生に「海鹿島町波打ち際番地」などといわれていました。

もちろん本屋さんなんてありません。ですから小学校高学年になるまで(教科書以外の)本を読んだことがありませんでした。高学年になって最初に読んだ教科書以外の本は『古事記物語(鈴木三重吉)』と『雲の墓標(阿川弘之)』。教科書に比べれば断然面白く、何度も読み返しました。

で、中学ですが、ここも同級生のほとんどは船乗りになるという学校で、勉強なんかしなくてもいい!という雰囲気の学校だったので、やっぱり読書はほとんどしなかったなかで『論語』との出会いです。むろん、国語の授業で。

最初に読まされた『論語』は本当につまらなかった。

が、これはとっても有名な本だ、と先生はノタマウ。あ、ちなみに中学時代の国語の先生は、体育の先生です。国語の先生はいたのかなあ。うちのクラスは、体育の先生が国語の先生も兼ねていて、とっても体育会系の国語で、かなりめちゃくちゃなことを教えられたな、って後になってたくさん気づきました。

さて、そんな中、偶然、市街地に出ることがあって、本屋で『論語』の注釈書を購入して読み出したら面白い。

そして、高校になって麻雀をしながら、麻雀と甲骨文との深遠な関係に気づいたときに『論語』のさらなる面白さにも気づいていきました。

麻雀と甲骨文に関しては内田樹氏がブログで書いて下さっているので、そちらをごらんいただくことにして、麻雀と『論語』の間に甲骨文が入ってくれたおかげで、『論語』がさらに面白くなったのです。

あ、これから連載の原稿を書きますので、続きはまた後で・・・。