2010年01月

古代中国の音楽論(1)

このごろTwitterでは、中国古代の音楽論とお茶がちょっとした話題になっている。

http://www.twitter.com/eutonie/

中国古代の音楽論の言いだしっぺは橋本麻里さんで、彼女と新潮社の足立真穂さんは、内田樹さんをして「現在考えらうる最強の女性エディターコンビである」と言わしめた怪傑コンビのお一人です。

さて、中国古代の音楽論として多分、もっとも整っていたのは「楽経」だったはずなのですが、これが焚書坑儒で(この説、異論あり)散逸してしまい、いまは見ることができません。

で、現存するもので見ることができるのが・・

●『礼記』の楽記(「楽経」の注釈だったという説あり)
●『荀子』の楽論
●『呂氏春秋』の楽に関する諸編

・・などが儒家系統の主なもので、Twitterで話題になったのはこのうちの『礼記』と、そしてここからはちょっと外れた道家系の『荘子』咸池楽論(礼運編)でした。

日本の芸道における「道」が、楽記や咸池楽論からの影響では、という林屋辰三郎氏の説を橋本さんが紹介されたことから始まり、いろいろな人がちょこちょこと書いたのですが140文字のTwitterでは限度があり、欲求不満の気持ち悪さを解消する意味もあって、その話題をこちらに引き継ごうと思って書いています。

●孔子は「楽」を重視していた

さて、これらの音楽論よりも、もっと早い成立の音楽論が『論語』の中の音楽論です。とはいえ、それは音楽論としての集大成はなされていず(『論語』自体に一貫した思想はない)、孔子が音楽について断片的に述べているだけなのですが、これが面白い!

まず、孔子は礼より何より「楽」を重視していたということから。

孔子は、「詩」に興り、「礼」に立ち、「楽」に成る・・と言ってます。

子曰、興於詩、立於禮、成於樂(08-08)

「興」とか「立」とか「成」とかについて書いていくと、もういつまで経っても何も始まらないのですが、少なくとも論語の中では、自分の息子に孔子自身が、まずは「詩」を学べといい、それから後日、次に「礼」を学べといったところからすると、これらは学ぶ順番であることは確かです。

「楽」は最後。<成>ですから完成。最後の仕上げが「楽」なのです。

●武器としての「楽」

孔子は諸国を放浪(遊説)しましたが、その目的のひとつが諸国に散在している「楽」の収集だったのではないかという説もあります。それは小泉文夫氏が世界中を旅してワールドミュージックを収集した!というのとはちょっと違って、もっと政治的意味、あるいは呪術的な意味があった収集でした。

孔子が「韶(しょう)」の楽を、斉の国で聞いたとき、三ヶ月、肉の味がわからなくなり「楽が、この境地に至っていたとは想像もしていなかった(不圖爲樂之至於斯也)!」と驚嘆したというエピソードがあります。

これはただ単に感動して肉の味がわからなくなった・・のではなく、本当に味を感じなくさせてしまう力が韶の楽にあったのではないでしょうか。いまあれば最強のダイエット音楽。

敵の戦う気力を削いでしまう音楽とか、聞くだけで死に至る病に罹らせてしまう音楽とかも、たぶんあった。あ、『左伝』に載っているエピソードでは、聞いてもいないのに楽団と旗を見ただけで死病に罹る楽もあった(桑林の舞)。

知人のチベット人がダライラマの通訳でニューヨークに行ったときに、チベット声明をやったのですが、気持ちが悪くなって退席をした人が多くいて、「悪魔の和音」と呼ばれたと言ってました。チベット人や日本人には心地よい声明も、アメリカ人には悪魔の和音となる。

味方は平気なのに敵にはキツイ。これは最強の武器です!

●楽を求めての諸国放浪

周王朝は、そういった危険な楽を諸国に分散したんじゃないかな。今でいうと、原子爆弾のボタンを分散して置き、全員が同時に押さなければ発射しないようにしたようなもの。

で、孔子はそれらを収集しようとしたのかも。

論語の中には、なぜこんなのが入っているのか?と、よくわからない文章がたまに入っています。次のもそれ。

・大師(音楽の長官)である【摯(し)】は斉の国に行き、
・亞飯(二度目の食の時の学楽師)である【干(かん)】は楚の国に行き、
・三飯の【繚(りょう)】は蔡の国に行き、
・四飯の【缺(けつ)】は秦の国に行き、
・鼓の【方叔(ほうしゅく)】は河に入り、
・トウという鼓を打つ【武】は漢に入り、
・少師(副官)の【陽】と磬を打つ【襄】は海に入った。

(大師摯適齊、亞飯干適楚、三飯繚適蔡、四飯缺適秦、鼓方叔入于河、播●(兆+鼓)武入于漢、少師陽撃磬襄入于海[18-09])

なんかメモみたいでしょ。

これは『史記』「孔子世家」の中の、孔子と楽師・襄子とのエピソードや、「殷本紀」の中の、殷の大師と少師が祭祀の楽器を携えて周に亡命する話などや『尚書』なども併せて考えると面白いのですが、ここではそこまで書いている余裕はないので省略しますが、しかし亡命のときに、祭祀の楽器を携えて行くというのが面白い。

昔、ミグを携えて亡命したソ連将校がいたけど、それを思い出す。そのミグを分解して諸国に置いた。

ここでは「楽」ね。諸国には周王朝の王子たちが封じられている。王の命令ひとつで王子たちは、その部品を持って王朝に集まる。・・と、すごい武器が出来上がる・・はずだった。

むろん、孔子のときにはすでにそれは形骸化していて、何がなんだかわからなくなっていた。でも、孔子はなぜかそれを知っていて、収集しようとした。で、どこにどんな「楽」があるのかをメモした。

「楽」収集の旅のための備忘録、それが、このよくわけわかんない文章。

って、読むと面白いでしょ。学者の方には絶対、許されない読みですが、そんなことをしても許される(というか最初から無視されている)のが在野の魅力です。

だから原『論語』(ってものがあったらですが)は、実は「楽」の秘伝書としての性格もあったんじゃないかなと思うのです。たとえば次の文なんかはかなり怪しい。

師摯の始め、関雎の乱(亂)は、洋洋乎として耳に盈(み)つ。

(子曰、師摯之始、關雎之亂、洋洋乎盈耳哉[08-15])

何が怪しいかは、またいつか・・。

ちなみに、いまはあまり人気がない「郷党」編なんかも、そんな風にして読むとすごく面白いのです。

黛まどかさんの国語の授業

以下、メルマガの再録です(一部、変更してあります)。

**************

先日、お知らせした黛まどか(俳人)さんの、著者による国語の授業、特別編の詳細が決まってきましたのでお知らせいたします。これから黛さんとのやり取りの中で、お知らせすべきことが出てきましたら、その都度お知らせいたします。

定員は70名ですが、現在約25名からのお申し込みがあります。残り45席ですので、参加をご予定の方はお急ぎください。

kokugo@tenrai.or.jp

●黛まどかさんの国語の授業

日時:2010年2月20日(土)14:00〜16:30

・場所:東江寺(東京都渋谷区広尾)

【参加費:一般3,500円。天籟会員2,500円】
なお、NPO法人『天籟(てんらい)』の賛助会員(個人)の方は二名様まで、賛助会員(法人)の方は五名様まで招待券を発行いたします。

黛まどかさんの公式ホームページ

http://madoka575.co.jp/index.html

<内容>
第一部:黛まどかさんによる授業
    俳句とサンチャゴ巡礼のお話が中心になる予定です。

<休憩>

第二部:対談とパフォーマンス(黛まどかさん+安田登)

「旅」、「彷徨」ということを中心に黛さんは俳人の立場、安田は能楽師の立場から対談をしていきます。芭蕉を例に出すまでもなく、古来、詩人の多くは旅人でした。黛まどかさん自身も、はサンチャゴ・デ・コンポステーラ(星の巡礼路:世界遺産)をはじめ、さまざまな旅をされています。また、能も漂泊の旅人が土地につく霊と出会う物語が多く、旅、漂泊は欠かせません。

なぜ古来、人は旅をしたのか。そして、現代において、それはどのような意味を持ち得るのか。対談を通じて、そんなことも考えていきたいと思っています。

参加を希望される方は、まずメールでご予約をお願いいたします。

kokugo@tenrai.or.jp

●著者による国語の授業、これからのラインナップ

黛まどかさんから始まる「著者による国語の授業」ですが、本当はNPO法人「天籟(てんらい)」の事業年度である4月から開始される講座です(〜8月)。今回の講座は事前の特別講座です。

4月以降の講師の方々は以下の皆様になります(あいうえお順)。

・内田樹さん
・片平秀貴さん
・林望さん
・安田登
・(もうお一方:ただいま交渉中)

★こちらも詳細が決まり次第、お知らせいたします。なお、黛さんの授業の時に事前予約も承る予定です。

●NPO法人『天籟』始動!(以下、再録)

国語の授業の参加費に「天籟会員」とあるけど、それって何?と思われていらっしゃると思います。

「日本中の子どもたちに能の授業を!」ということで2000年に創設されたNPO法人が『天籟』です。その『天籟』が、「日本中に<寺子屋>を!」と、新たに始動しました。

「寺子屋」の中には、能の授業も、著者による国語の授業も、そしてもちろん『論語』も含まれます。

少子化ということもあり、公立の学校には外部から専門家を招くための予算があまりありません。NPO法人『天籟』は、低予算でも、あるいは予算が全くなくても、能の授業や寺子屋を出前しちゃおう、という団体です。もちろん子どもたちだけでなく大人向けの講座やワークショップも行います。

その活動費は、皆さまからの会費や寄付を中心に成り立っています。授業やワークショップなどの参加特典もございます。ぜひ会員になっていただければと存じます。

ホームページ改正中ですが、以下が仮のホームページです。

http://www.tenrai.or.jp/

なお、会員登録の際にエラーが出る場合は以下にメールをいただけばと存じます。
info@tenrai.or.jp

どうぞよろしくお願いいたします。

古代の料理人は調理人ではなかった

ブログの更新が滞っており、申し訳ございません。

年末、新年と東京を離れることが多く、バタバタしています。合間にTwitterはしています。

http://twitter.com/eutonie

さて、先日、黛まどかさんとロルファーの中村直美さんと食事をしたのですが、そのときに黛さんも僕も(いわゆる)おいしい食事にはほとんど興味がない、ということが判明!

むろんおいしいものは嫌いではないのですが、しかしだからといっておいしくなければいけない!というわけでもない。

以前に東京から和歌山まで山の道を歩いたときも、ほとんどインスタントラーメンだけですごしました(ときどきパン)。かなりの日数、人に会わないのですから、なるべく軽く、そして水で増えるものといったらインスタントラーメンが最高です。

黛さんはともかく、僕は貧しい漁村で育ったし、家だってそんなに裕福ではなかったためか、子どものころの夕食はかなりの割合を、そこら辺にあるものですませていました。

まずは海に行って、アサリやベーボ(貝)や海草や、そんなものを取ってくる。周りの家が全部が漁師なので魚はよくもらった。砂浜からは浜ボウフとか蓬とか、そんなものも取ってくる。そして防風林に入ってキノコを取ってきて、さらに火を起こすための松ぼっくりも拾ってくる。父はマサカリで木を叩き切り、子どもたちはナタでそれを割る。海に潜ってカキを取ってくることもあった。あ、ウニもいっぱいあった。

よく、「そんな自然のものを食べることができて、それは贅沢だよ」と言われますが、そんなことはありません。自然のものではなく、「そこら辺にあったもの」なのです。

◆◆◆◆◆

古代の料理人は男性でした。

それは料理人が、「火」と「金(金物)」を司る職業だったからでしょうか。

古代の中国の話ですが、「夏」王朝を倒し「商(殷)」王朝を建てるのにもっとも功績のあったのは「伊尹(いいん)」です。彼は料理人でした。また包丁の名前の由来となった料理人、包丁(ほうてい)も、殷の湯(とう)王の秘伝の舞を伝えたと目される、特別な人です。この舞は雨乞いの舞です。それを舞うことができたのは王だけだったのです。

となると、どうも料理人は、ただ人ではなかったらしい。

が、この料理人という言葉で、いまの調理人と思い浮かべてはいけない。

彼らにとっては味は重要ではない。味に関する語はかなり新しいのです。彼にとって大切なことは、いかに正しく肉を割くかとか、いかに火を使うかとか、そういうことだった。

これは古代の祭祀における王の役割に似ています。・・となると、彼らこそ王の業を「する」人たちだったのでしょうか。

だからこその伊尹(いいん)であり、包丁(ほうてい)だったのですね。

味がどうのこうのなんてチマチマしたことにこだわってなどいないのです。

一白水星とか(2):お正月スペシャル第3弾!

さて、昨日の話はごちゃごちゃしていてわかりにくかった!という方。

まとめです。次の二点がわかっていれば大丈夫。

(1)まずは自分の星の出し方。

自分の生まれ年(西暦)を分解して、で、それらをすべて足していくという作業をし、最終的に一桁にして、さらにそれを「11」から引きます。

例)1962年生まれ
1+9+6+2=18 さらに→1+8=9
で、 11−9=2 →で、「二黒」です。

(2)「今年、自分は八卦でいうとどの性質なのか」ということを知る。

今年は上記の計算をすると「八白」になるので、八白の年用の年盤を使います(これについては昨日の話を見てください)。

8haku_nomi

これを見て、たとえば一白の人だったら今年は「兌(だ)」、二黒の人だったら今年は「艮(ごん)」になります。

さて、ではこの「兌(だ)」とか「艮(ごん)」とかには、どんな意味があるんだろう、というのが今日の話です。

◆説卦伝(1)

このことの説明が書いてあるのが『易経』の「説卦(せっか)伝」です。この説卦伝には八卦のさまざまなメタファーが書かれています。説卦伝にはいろいろ書いてあるのですが、基本は以下の表です。

8ke_symbl

たとえば、あなたが四緑の人だったら「坎(かん)」なので・・

「水」とか「陥る」とか「潤す」がキーワードになるのです。で、実際に占いが書いてあるような暦で「四緑」の人の今年の運勢を見てみると、たとえば次のように書いてあります。

「・・くぼみに足をとられやすくバランスを崩したり、物事の動きが思う様に行かない運気になりそうです」云々。

・・と、あとはこれを敷衍していろいろ書いてあるのですが、基本はキーワードである「水」とか「陥る」から考えて、あとはさまざま書いているわけです。

確かに「坎(かん)」は、あまりいい卦ではないと解釈されているのですが、実はこれが悪い卦だと思われるようになったのは割合新しく、『易経』の中の「坎」の卦を見ると「孚(まこと)あり。維(こ)れ心、享(とお)る。行いて尚(とおと)ばるることあり(あるいは「たすけあり」とも)」などとあります。

「坎」には誠がある。だから心はむろん通るだろう。障害はあるが果敢に行動すれば人の賞賛を得られるし、助けてくれる人もいるだろう。

・・って悪くないでしょ。さらにこの注釈(特に王弼のね)などを読んでいくともっと面白い。

というわけで暦に書かれていることをそのまま信じるのではなく、それが『易経』の中でどのように書かれているか、それをちゃんと知ることが大事なのです。

◆説卦伝(2)

説卦伝にはさらに詳しいメタファーがありますので、それも書いておきますね。いちいち読むのは大変なので必要なときに眺めて、読み解きに役立ててください。

【乾】
天、円、君、父、玉、金、寒、冰(こおり)、大赤(真っ赤)、良馬、老馬、瘠馬(よく走る馬)、駁馬(虎や豹をも食うという馬)、木の果。

【坤】
地、母、布、釜(事物を成熟させる)、吝嗇(手放さない)、均(平等)、子母牛(子をよく産む牛)、大輿(大きな神輿)、文(あや)、大衆、柄、黒(もっとも純粋な色)。

【震】
雷、龍、玄黃(天地の色)、大塗(大きな道路)、長子、決躁(思い切りがよく、しかしうるさい)、蒼筤竹(青々と茂った竹)、萑葦(荻と葦)。馬にたとえればよく鳴き、馵足(後ろ足が白い馬)、作足(足の速い馬)、的顙(額の白い馬)。栽培する植物にたとえれば反生(豆類)。動きは非常に健であり、草木が茂って色鮮やかである(蕃鮮)。

【巽】
木、風、長女、繩直(定規を正しく当てること)、大工(匠)、白、長、高、進退、果断ではない、におい。人にたとえれば髪が薄くなったり、額が後退した人。白眼が多く、市価の三倍で売ることができるような人。基本的にはさわがしい。

【坎】
水、水を流す溝、隱伏(地下水脈)、弓や車輪のように、ものを矯めたもの。人にたとえれば憂いが多く、心の病や、耳の痛みというイメージ。身体の水ということで血も。色は赤。馬にたとえれば、姿の美しい馬。心せわしい馬。下り首、蹄が薄くなった馬、足を曳きずる馬。災い多い車。どこにでも通ることができる。水の精霊である月。どこにでも入れるから盜人。木にたとえれば堅くて芯が多いもの。

【離】
火、日、電(いなづま)、中女、甲胃、戈兵(武器)。人にたとえれば大きなお腹の人。乾く。すっぽん、蟹、たにし、はまぐり、亀。木にたとえれば幹が空ろになって上の方が枯れかかった木。

【艮】
山、徑路(こみち)、小石、門闕(上に物見がある宮城の門)、売れた果実、門番、宦官、指、狗、鼠、虎や豹。木にたとえれば堅くて節の多い木。

【兌】
沢、少女、巫(巫女、男巫)、口舌(ものをしゃべること)、幹などが折れること、実が落ちること。土地でいえばアルカリ性の強い土質。妾、羊。

◆といわけで

ちょっとぐちゃぐちゃしていましたが、占いの暦に書いてあることの簡単な説明でした。

でも、もっと基本的なことをいえば、八卦を生まれ年に当てはめるとかっていうこと自体が変なのですが、それについて云々していくとまたまた長くなるのでやめておきましょう。

あ、あとこれで自分流の占いも作れちゃうでしょ。「動物占い八卦版」とか「身体占い」とかね。

八卦の表を見て、一白の人だったら「ぶた」とかね。あ、ブタって言われるとイヤだから「いのしし」にするとか。

身体だったら「耳」だね。「あなたを身体でいえば<耳>です」なんて、よくわからないけど面白いかも。

いろいろ考えられます。

では、この話は一応これでお終いです。今度、少人数寺小屋の易のときに、もうちょっとお話しします。

一白水星とか(1):お正月スペシャル第2弾!

昨日は「今年はどんな歳?」というのを干支から考えてみましたが、今日もまたお正月スペシャルです。

今回の話はメモを取りながら読んだ方がわかりやすいです。

うちの師匠の神社では、ご祈祷にみえた方に東京神明館なるところ発行の「家庭本暦」を配っています。これに似たような暦はよく出ていて、書店などでも高島易断とか、いろいろなところがそのような暦を出しているのを見ることができます。

これはただの暦ではなく、一年間の占いも含まれていて、まずはその人の生まれ年で、「あなたは一白水星」とか「あなたは二黒土星」とかが決まり、そして「今年の運勢はこれこれですよ」とか「何月の運勢はこうですよ」とかいうのが○とか●などのアイコン付で示されています。

これで一喜一憂する人も少なくありません。

が、いくつかの本を見比べてみるとわかるのですが、ある本では今年は最悪だと書いてあるのに、他の本では割りといいことが書いてある。これってなぜなのでしょうか。

今日はこれを考えてみたいと思います。

で、最初に結論なのですが、実はあれは八卦のメタファーをどう読み解くかによって、吉になったり、凶になったりするのです。ですから、本家本元の八卦を知って、さらにそのメタファーを自分で読み解くという作業をすれば、吉も凶も本来はない。ただ、メタファーの読み解きだけがあるのです。

ですから書きたいと思っているのは・・・
(1)八卦の知り方
(2)八卦のメタファー

ですが、今回は「(1)八卦の知り方」について書きます。

が、むろんブログで書くことには限りがありますので、今度、易の講座でちゃんとやります。ご興味がある方はそちらにどうぞ(受講料はお賽銭でいくらでも結構ですから、どうぞお気楽に)。

◆まずは魔方陣の話から

2・9・4
7・5・3
6・1・8


これ、知ってますか。たて、横、ななめをどのように足しても「15」になるという魔方陣です。

「憎し(294)と思えば七五三(753)。618は15なりけり」って覚えました。

今回はこれを覚えておくとわかりやすい。はい。では、声に出して「憎し(294)と思えば七五三(753)。618は15なりけり」。覚えましたか。

では、次の図を見てもらいましょう。

kouten01


これは「後天図」と呼ばれるもので、まあ、その説明は今回は省くとして、よく占いなどに用いられるものです。これが例の「一白水星」とかいうものの原盤です。「一白水星」とかそういうのは「九星」と呼ばれています。あ、「水星」とか書いてないですね。以下のようになります。

一白=水星
二黒=土星
三碧=木星
四緑=木星
五黄=土星
六白=金星
七赤=金星
八白=土星
九紫=火星

さらに、「憎し(294)と思えば七五三(753)。618は15なりけり」の魔方陣になってるでしょ(いまは赤の部分は気にしないでください)。

東洋の伝統で文字は右から左に書くので逆になっていますが。それと「南」が上になっています。これは要注意です。

が、慣れないと、やっぱり見づらいと思うので上を北にしますね。さ、いかがですか。下から「憎しと思えば」になりますね(これは左→右)。

kouten02


◆年と九星の計算方法

さ、ではここで自分の年がどれなのか。あるいは友達の年がどれなのか。さらには今年はどれなのか、それを計算する方法を紹介します。超カンタン!

たとえば1972年生まれの人がいるとする。

(1)まずは、これを「1」「9」「7」「2」とバラバラにして、それを足します。

1+9+7+2=19

(2)答えがこのように10以上の場合は「19」も「1」と「9」に分けて、それを足します。

1+9=10

(3)で、最後に「11」からこの答えを引き算します。★なぜ「11」から引くのかについては深く考えないことにしましょう。

11−10=1

で、この人は「1」の人、すなわち「一白」の人だということがわかります。

もうひとつ例題。

これはつい最近生まれた人。2008年生まれ。

(1)2+0+0+8=10
(2)1+0=1
(3)11−0=10

あれ?「10」だと九星に当てはまらない。この場合はまた「1+0」をして「一白」にします。まあ、例外はこれだけかな。

最後に今年ね。2010年。

(1)2+0+1+0=3
(2)答えがひとけた(=3)なので、ここの計算は不要
(3)11−3=8

今年は「八白の歳」だということがわかります。

★東洋の占いになぜ西暦?という疑問は当然沸くと思うのですが、それを云々していくと、ここで話が終わってしまうので気づかなかったフリをして進みましょう。それがオトナ!

◆真ん中に注目

さあ、さっきちょっと無視しておいた「赤い字」は易の八卦です。「はっけ」、正式には「はっか」と読みますが、八卦についてここで書いていくと、またまた話が長くなるのでWikipediaで見てください。

人を生まれ年によって「八卦」に分類して、いろいろ考えようというのが、この方法の基本です。でも「八卦」なのに「九星」。ひとつあまってしまいます。

ここでもう一度、さきほどの「後天図」を見てみましょう。

kouten02


真ん中に「赤い字」が入っていない「五黄」がありますね。これがあるから八卦が九星になるのです。で、しかもこれは「中央」でとても大切。色も「黄色」、すなわち皇帝の色です。

◆年によって盤が変わる

この後天図ですが、実は年によって変化するのです。

たとえば今年は「八白」の年ですから「八白」がこの中央に入ります。そして全体もこれに連れてグルグルっと廻ります。言い方を変えれば、「基本の後天図」というのは「五黄」が中央に入った年の後天図だということができます。

じゃあ、どんな風に変わっていくか。これを知るには「八卦」と「九星」との関係を知っておいた方がいいでしょう。さらにそれらが方位とも関係してきますので、それも書いておきます(ああ、だんだん説明をはしょってきた)。

さて、両者の関係は以下のようになります。

一白水星=「坎(かん)」→北(1)
二黒土星=「坤(こん)」→南西(2)
三碧木星=「震(しん)」→東(3)
四緑木星=「巽(そん)」→南東(4)
五黄土星=「なし」→中央(5)
六白金星=「乾(けん)」→北西(6)
七赤金星=「兌(だ)」→西(7)
八白土星=「艮(ごん)」→北東(8)
九紫火星=「離(り)」→南(9)

これって覚えにくそうなのですが八卦のメタファーを知れば、案外覚えやすいです(次回ね)。

◆変化しま〜す

じゃあ、どうやって変化するのか。それにはまず次の表を見てください(表はクリックで大きくなります)。

9star_henka

基本の盤は、「五黄」が真ん中(5)のところに入ります。「坎(1)」のところには「一白」が入り、「坤(2)」のところには「二黒」が入るという具合に、外側の円の数字と内側の円の数字が一致しています。この表の赤い枠のところです。

が、今年は「八白」の年なので八白が真ん中(5)のところに入ります。そういうときにはこの表の「八」(赤い↓)のところを見ます。すると。「坎(1)」のところには「4(四緑)」が入り、「坤(2)」のところには「5(五黄)」が入ります。これを盤にしたのが下図です。左側には基本の盤も載せておきました(図はクリックで大きくなります)。

8haku

これは「八白」の年(すなわち今年ね)には、たとえば「四緑」の人は「坎」の性質に支配され、「二黒」の人は「艮」に支配されているということなのです。

じゃあ、「坎」とか「艮」の性質って何なんだ!ってことなのですが、それは明日以降にお話ししますね。

しかし、今回の話、目の前ですると簡単なのに文字にすると面倒くさくて、わかりにくくなりますね。「わかんないや」という方は、ぜひ易の講座にお出ましください。

★ここに挙げたのは風水の年盤です。気学の年盤と風水の年盤は角度が違うのですが、そこら辺も今回は扱いません。
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