和と輪
2009年12月
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2009年12月23日
19:11
カテゴリ
寺子屋
正月の寺子屋、早速訂正です
すみません。先ほど書きましたお正月の寺子屋、二回目の曜日が間違っていました。
20日(水)です。
よろしくお願いいたします。
2009年12月23日
18:05
カテゴリ
寺子屋
正月の寺子屋
昨日は今年最後の寺子屋がありました。
いつもの通り、読経、座禅の後、謡を謡い『論語』に入りました。
昨日のテーマは「己に如かざる者を友とするなかれ」。
「自分より劣った人を友達にしてはいけない」と解釈されるこの文ですが、孔子がそんなことを言うのはちょっと変だ。じゃあ、どういう意味なんだろう?ということを考えました。それについてはまたいつか・・・。
さて、正月の寺子屋です。メルマガに書いた内容を以下に貼り付けます。
大声で邪気を祓い、新たな力を呼び込みましょう。みなさま、どうぞお出ましください。
******************************
こんにちは。能の安田です。
歳末の支度にご奔走の毎日と拝察奉ります。
さて、1月の寺子屋の日程が決まりました。初回は年始のお忙しい時期とは存じますが、新年を『論語』と目出度い能『高砂』でお迎えいただくのも気持ちのいいものです。ご予定にお入れいただければ幸甚です。
●新年の寺子屋
日時:2010年正月8日(金)、
20日(木)
ともに19:00〜
・場所:東江寺(東京都渋谷区広尾)
・なお、初回(8日)は能の笛方の槻宅聡さんをお招きし、能『高砂』を演奏したり、皆様とともに「高砂や〜」と謡ったりと、お正月らしい寺子屋にする所存です。どうぞお誘い合わせの上、お出ましください。
参加をご希望の方はメールをお願いします。info@watowa.net
★お願い
初回は、ちょっと物入りですので少し多めにご祝儀を頂戴いただけますれば幸甚です。むろん、いつもの通りお賽銭箱にお入れいただきまので、どうぞご無理はなさらないでください。
***************
寺子屋の詳細はHPで。
http://www.watowa.net/
(↓携帯ページ)
http://www.watowa.net/i/tera/index.htm
★なお、寺子屋に関して東江寺さんへのお問い合わせ、ご連絡はご遠慮ください。
ツイッター
http://twitter.com/eutonie
2009年12月20日
07:30
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Twitter(ツイッター)
先日、書いた「君子と小人」ですが、ちょっと難しかったというメールをいただきました。今度、もう一度書きますね。
いまはちょっとバタバタしていて、ゆっくりブログを書く時間がありません。明日の午前中と、明後日の3時〜寺子屋が空いているので、その時間に書けたら書きますね。『奥の細道』も終わらせなきゃならないし・・・。
◆◆◆◆◆
橋本麻里さんという方がいます。
内田樹さんが新潮社さんの雑誌『考える人』の「日本人の身体」という対談連載をされていますが、その第1回目のゲストに呼んでいただいて、そのときのライターが橋本さんでした。編集者は足立さん。
内田さんいわく、足立さんと橋本さんは現時点で考え得る限りの最高の女性コンビなんだそうです。
橋本さんは、日本美術が専門。アシュラーなる語も生まれ、大騒ぎをされた『BRUTUS』の仏像特集などの日本美術をほとんどひとりで書かれ、その『BRUTUS』のほかにも、『Casa BRUTUS』『和樂』『考える人』ほかで連載。さらには高校の美術教科書も、という方。
で、その橋本さんが今度の『論語』の本について「面白かった」ということを書いたくれたという話を人から聞いたので、早速チェックを。
そうしたらブログではなくTwitter(ツイッター)でした。
◆◆◆◆◆
Twitterは、うわさには聞いていたのですが、いままで敬して遠ざけていました。
というか全然、わからなかった。で、そういうことに詳しいアスキーの友人に会って、いろいろ話を聞いて、ならばちょっとやってみようと思って僕も始めてみました(実は彼も始めたばかりとのこと。ゲーム業界は忙しくて、それどころじゃないみたい)。
Twitter(ツイッター)は「つぶやき」とか「さえずり」とかいう意味で、ブログと違い、たった140文字しか書けません。でも、140文字しか書けないので、近況をちょろっと書くことができます。
たとえば昨日は午前中に急に時間ができたので・・・
***********
写真美術館でオペラ『魔笛』の映画を観てきました。監督はベルイマンで撮影はサクリファイスのスヴェン・ニイクヴィスト。DVDも出ていますがシアターで観るとまたいいです。写真美術館ではモーツアルト4大オペラを27日までやっています
***********
モーツアルト4大オペラの他の3作品は、「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」 「コシ・ファン・トゥッテ」。フィガロはベームでフィッシャー=ディースカウ、ヘルマン・プライも。すごい。
http://www.syabi.com/details/mo_opera2009.html
***********
・・なんて感じで。
写真美術館の宣伝員みたいでしょ。
人に見せるというよりも、自分の備忘録に近い。ブログに日記を書いても仕方ないと思っていたし、手帳は毎年年末に処分してしまうので、このような備忘録があるといいかも。
でも、はじめたばかりだから、よくわからずやっています。あ、いまも間違い発見!
◆◆◆◆◆
というわけで安田のTwitterです。
http://twitter.com/eutonie
橋本麻里さんのTwitter
http://twitter.com/hashimoto_tokyo
それとアスキーの友人、レゲー秋山さんのTwitter
http://twitter.com/Ackey
Twitterを始めてみたい方はTwitterで検索すると、いろいろ出てきます。
2009年12月18日
07:17
カテゴリ
論語
寺子屋
君子と小人
今回の『論語』の本では書き残したことがいくつかあるのですが、その中で全くと言っていいほど書けなかったのが「君子」と「小人」のこと。
これについて書き始めると、もう一章か二章が必要になってしまうからです。ちょっともうこれ以上は増やせないということで、今回の本ではあきらめたのですが、ここでその概略を簡単に・・・。
概略なので例が少なくわかりにくいかも。すみません。
さあ、まず結論からいうと、僕たちが君子と小人に持っている「君子=いい人」、「小人=悪い人、劣った人」というのは間違いです。
この両者は実は全く違う次元にいる。あ、違う次元といっても<君子=いい、小人=悪い>ではありません。
そこはくれぐれも・・・。
◆◆◆◆◆
で、ここでは主に<小人>について見ていきます。
<小人>を『広辞苑(岩波書店)』で引くと、最初に日本の古典からの引用がいくかあった後、漢文の方の意味としては「徳・器量のない人。小人物⇔君子」と出てきます。
『大漢和辞典(大修館書店)』は最初の意味として出てくるのは小人=「庶民」で、これが文例も一番多い。広辞苑と同じような意味も書いてありますが、それは2番目だし、例もあまり多くない。
・『広辞苑』→徳・器量のない人
・『大漢和辞典』→庶民
・・です。
『広辞苑』と『大漢和辞典』、どちらを取るかといわれれば、漢文を読むのなら、そりゃあ大漢和だろう!・・・なのに日本人は、小人というと「悪い人」とか「劣った人」とか「不徳の人」とかいう広辞苑的イメージが強い。
僕も学校では確かにそんな風に習ったのか、小人とは不徳の人とか劣った人のようなイメージを持っていました。しかも『論語』の中の<小人>も、そうやって読んでもほとんど問題ない。
が、最初に「あれ?」と思ったのは『尚書(書経)』を読んでいるときです。『尚書』は五経のひとつです。『聖書(キリスト教のね)』でいえば『論語』や『孟子』の四書が新約聖書で、五経は旧約聖書って感じかな。
さて、その『尚書』の中に「無逸」という一篇があります。これは周公が周の成王に告げた教えということになっている篇です。周公は、孔子が夢にまで見たという人で、周を建国した武王の弟。
成王は武王の弟ですから、おじさん(周公)が甥(成王)に語ってきかせています。
この「無逸」に関してもいろいろ書きたいこともありますが、「小人」の話からはずれてしまうので今回はパス。
さて、この中で周公が殷の高宗のことを言っています。
高宗というのは、甲骨文などでは武丁と呼ばれている人で、漢字を作ったのは彼ではないか、と言われています。奥さんのひとりに女性将軍の婦好などがいます。
さて、周公は王に次のようにいっています。
「高宗は長い間、外で苦労をし、<小人>と(生活を)ともにしました」
高宗、すなわち武丁は長い間<小人>と生活をともにしていたのです。
また、次にやはり殷の王である祖甲のことに話が及ぶとさらに小人との関係が深くなります。
「祖甲は王となるのを<義>とせず、長い間<小人>となっていました(ひさしく小人と為る)」
だから祖甲は位についても<小人>の「依」を知っていた、と続けます。
この『<小人>の「依」』の「依」は「苦しみ」と訳されます。これは王引之の「依は隠なり」という注から出ていて、さらにその注の注の「隠とは<稼穡の艱難>とか<小人の労>のことを言い、今でいう<苦衷>と同じ意味である」というのによっています。
もちろん、それでいいとは思うのですが、もうひとつ「依」のそのままの意味である「よりどころ」とか「よって立つところ」と考えてみても面白い。
祖甲は長い間、自分が<小人>となっていたので、<小人>がどのようなことで苦しむのか。あるいは<小人>のよって立つところ(よりどころ)を知っていたのです、となります。
よりどころっていってもそんなに難しい意味ではなく、たとえば<小人>はマスコミのいうことを信じやすいとか、<小人>は安いものには飛びつくとか、そんなことです。
◆◆◆◆◆
さて『尚書』によれば、殷の明君であった高宗(武丁)も祖甲も<小人>と深い関係がある。高宗(武丁)は長い間<小人>の間にいたし、祖甲は自分が長い間<小人>であった。
となると、ここでいう<小人>は決して劣った人とか不徳の人とかいう意味ではなく、やはり大漢和の書くように<庶民>が適当だと思うのです。
・・が、<庶民>という訳語は決して間違いではないのですが、しかしそれだけで片付けてしまうと、その真意がうまく伝わらない。<庶民>というよりは<大衆>、あるいは<大衆性>と言った方がいいかも知れないのです。
僕たちは基本的には<大衆>、すなわち<大衆性>を持った存在です。
これは人間というものが、人との関係性においてのみ自己を規定できるという存在である限り逃れることはできないことです。
「いや、俺は他人と違うから」といったりもしますが、しかしそういうとき、すでに「他人と違う」という人との関係性ができているでしょ。大衆性を持っている人が、一生懸命に大衆性から逃れ出ようとしているのが、「俺は他人とは違う」です。
『わが命の唄 艶歌(舛田利雄)』という映画があり、ポップスのディレクターである渡哲也が「俺は艶歌がへどが出るほど(←表現、うろ覚え)嫌いだ」というのに対して、艶歌のディレクターである芦田伸介が「それはへどが出るほど好きだ、っていうのと同じ意味だ」というシーンがありました。
「俺は他人と違うから」というとき、その人はとっても他人と同じです。いや、その人だけではなく、どんなに偉そうなことをいっても、みんな他人と大差はないし、<大衆性>の中にどっぷりと使っているのです。
う〜ん、<大衆>って言葉自体がちょっと上から目線だな。「自分は違うもんね」目線です。むしろ<普通の人>とか<多くの人>とか、そんな風に訳した方がいいかな。これもちょっと上から目線だけどね。
現代の民主主義は多数決によって決まるし、輿論(世論)なんかもそうだし、マーケティングもそうだし、マスコミはすごい力を持っているし、現代社会はまさに<小人>の意見によって動いている社会です。
これまでの歴史の流れは、ひとりの君子が治める社会→少数の優れた人々が治める社会→多くの優れた人々が治める社会→<小人>たちによって運営される社会・・だといえるかも。
これがいいかどうかはともかくね。
◆◆◆◆◆
辞書にはいくつかの意味が書いてあって、そのときどきでどの意味かなあ、と考えます。だから『論語』の中の<小人>も「庶民」というときもあり、「不徳の人」というときもありなのですが、しかしたとえば岩波文庫の『論語』でも小人と君子が並び使われているときなどは、小人を「つまらない人、徳の無いもの」としています。
が、『論語』の中の君子と小人を比べている章の小人のところだけを抜き出してみると、「わかる、わかる」というのがたくさんあって(具体例は後日)、これをつまらない人、徳のない人としてしまうと、世の中のほとんどの人は小人ということになってしまいます。
「そうだよ。だからそんな人にはならずに君子になれ、って孔子はいっているんだよ」という意見もあると思うのですが、しかし、それは半分正しくて、半分違う。
僕たちはみんな<小人>なのです。小人に<なる>なんてことはできない。いや、これは僕たちだけでなく、孔子だって、周公だって、王様だってみんな小人です。
小人というのは、なるものではなく<である>ものです。
祖甲の「長い間<小人>となっていました」だって、「ひさしく小人と為る」なので「長い間、小人だった」としてもいいでしょう。
◆◆◆◆◆
で、小人が<である>ものに対して、君子は<なる>ものなのかというとそうではない。小人が努力しても、はい「君子になりました」とはならない。たぶん「君子」なんて境地はない。
じゃあ、何か・・というと、君子は<であると決めた>もの、だと思うのです。
自分は「君子である」と決めたもの、それが君子です。
これは実は小人、君子だけの話ではなく、どの世界でも多かれ少なかれそうでしょ。
学校の先生は、昨日まで学生だったのに今日は急に先生になる。しかもPTAなどでは自分よりずっと人生経験を積んでいる保護者に対して、先生として偉そうなことをいい、保護者だってそれを神妙な顔で聞いている。
それは「自分は教師である」と決めたからそうなるのであって、徐々にそうなったわけではない。
能でも(そして多分、何でも)玄人と素人の違いはうまい下手ではなく、玄人は玄人として生きていくと決めたから。素人は決めていない人だから、玄人以外はみんなそう。
で、「君子」の場合は、何を決めたかというと、「心」を使っていこうと決めた。
今まで自分が身に着けたきた行動パターンや思考パターンはある。思わずそう行動し、思わずそう考えてしまう。そこから抜け出して、自分の心を使おうと決めた。さらにはそれを人のために使おうと決めた人たちです。
うまく使えるかどうかは、君子であるか、小人であるかということとは関係ない。そう決めた人、それが君子です。
◆◆◆◆◆
う〜ん、やっぱりざっくりと書くのは難しいなあ。
最後にひとつ。
こんな風に書いても、やはり君子=いい、小人=あまりよくない、ってイメージは残るのですが、『論語』や『尚書』では小人に対して、基本的には非常に優しい目線を持っています。
いや、優しい目線というと上から目線だな。
今度くわしく書きますが「天」というのは「小人」の味方なのです。
「天」は、孔子も絶対の信頼をおいた存在なのですが、それは普段は自分の中にあって隠れています。で、本当に大変な状況に陥ったときに発動するのですが、君子でいる限りうまく動かない。「心」は天が発動するのを止めるのです。
だから君子も本当に大変な状態になったら一度「君子」であることを放棄して、もとの小人に戻る。そうすると「天」がチャカチャカ動き出します。
でも現代人は「心」を使わないというのは難しいなあ。
君子と小人については、また書きますね。
2009年12月17日
12:30
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ヨーロッパのカフェ文化
先日の寺子屋でヨーロッパのカフェの本をいただいたということを書きました。その一冊が
『ヨーロッパのカフェ文化』
(大修館書店)。
最初に出てくるのがヴェネチアのカフェ・フローリアン。
ヴェネチアを訪れる多くの観光客が、一度は寄るという老舗カフェです。いわゆる観光名所としてのカフェなので、イマイチだと思ってしまいがちなのですが、カフェ・フローリアンの外の席でサンマルコ広場を眺めながら座っていると、自分が普段抱えている日常の些事がどうでもよくなります。
むろん、中もすばらしい。
そして、この本を読むと、カフェ・フローリアンの歴史や、さまざまなエピソードがわかって、さらにカフェ・フローリアンが好きになる。
結局、去年はヴェネチアには行けなかったから、来年は行きたいなあ。何かうまい具合に仕事が来ないかなあ、などと妄想をしてしまいます。
◆◆◆◆◆
何を隠そう、ヴェネチア好きです。
ヴェネチアは水上都市で、道が縦横に分かれています(って今書いている『奥の細道』みたい)。地図もあまり役には経たない。僕たちのような観光客は、どこかを目指そうなどと思わず、ただブラブラ歩いて、ぶち当たったところで何かを楽しむ、くらいなちょうどいい。
で、そんな道で、さらにはすぐ橋やら階段やらになるので車も自転車も走っていません。だからすごく静かです。
グラス・ハープやリュートのような小さい音の楽器のストリート・パフォーマーがいるなんてところはヴェネチアくらいじゃないかな。
ヴェネチアに行って何をするかというと、基本的には何もしません。ただ、ぼんやりします。ときどき美術館に行ったり、教会に行ったり、音楽を聴きに行ったりはするのですが、基本はぼんやりです。
それこそカフェ・フローリアンの椅子に座って、サンマルコ広場の鳩でも見ているのがいい。次回に行くときは、『ヨーロッパのカフェ文化』のこのページをコピーして持って行こうっと!
内田樹さんは定年になったら大学はやめる!と常々公言をされていますが、そういうのっていいなぁ。でも、僕の場合は60歳で能をやめたらヴェネチアにも行けなくなっちゃう。
う〜ん、ダブルバインド。
『ヨーロッパのカフェ文化』を持ってヨーロッパのカフェを廻りたいなあ。よ〜し、そんな仕事ができるように何かを企もう!
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