2009年11月

夜の女王

昨日(11月29日)は、甲骨文を読む会。いつもは「虎の穴」と称して朝から晩までするのですが、昨日は用事と用事の間を縫って無理やり行った講座だったので2時間強の短い講座でした。

昨日、読んだのは「婦好(ふこう)」に関する甲骨文。

「婦好」は人の名前で、女性将軍だったのでは?といわれている人です。

すごい人数を率いて戦いをしているので、どうもかつては女性軍団がいたのでは、と思われるのですが、そうだとしたら婦好を最後に女性軍団は忽然と姿を消します。

そこに何があったのか。これまた面白いところです。

ヒトラーが、突撃隊を一夜にして滅したことなどを思い出します。

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昨日、読んだのは婦好が司った「冥(娩)」という祭礼の話。

「冥(娩)」は、分娩に関する祭礼のようなのですが、「冥(暗闇)」という名前を持っています。

こいつぁ、すごい。分娩は暗闇なのか・・・。

と思ったら、どうも、子どもが胎内にいるときの状態に行われる祭礼と、体外に出たあとに行われる祭礼があったようで、それらは陰陽の祭礼として行われていたのではないか、と言われているのです。

むろん、まだ「陰陽」という概念は出ていないのですが、日月とか、そういう対比するものとしての陰陽「的」な概念はあったんじゃないか、で、「冥(暗闇)」は、その陰の方の祭礼だった。

陰だから「冥」ね、というのです。

胎内は陰で、体外が陽です。

いま、その漢字をスキャニングできる状態ではないので、これ以上はまた、ということで・・・。

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それはともかく、戦場と暗闇の胎内を司る女性将軍とは、まさに「夜の女王」。

モーツアルトの魔笛の夜の女王と、ワグナーのワルキューレを合わせたようなすごい女性ですね。

walkure
「ワルキューレ」アーサー・ラッカム
ブリュンヒルデですね
※著作権は切れているそうです
著作権、まだ切れていなかったら教えて下さい

奥の細道について(5)何かが起こる予感

さて、前回書いた第一文ですが、実はあそこにはもうひとつ気になるところ(「是より」)があるのですが、それはここで書くと面倒なので後で見ることにして、次の文にいきましょう。

●遥(はるか)に一村を見かけて行くに、雨降り日暮るる。

この文で気になるのは「遥に一村を見かけて行くに」と「雨降り日暮るる」。あ、全部だ。

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これまた現代語訳してしまうと何ら問題が感じられなくなる。一応、現代語訳を。

◎はるか遠くに一村があるのをみとめ、それを目ざして行ったところ、途中で雨が降り出し、日も暮れてしまった。

こんな風に訳されます。

ね。「この何が問題?」って感じでしょ。

そんなわけで原文を見ていくことにします。

まずは「遥に一村を見かけて」。

これはもう完全に、能『雲林院(うんりいん)』で謡われる「遥に人家を見て」云々の謡を意識していると思われます。

能『雲林院』は、幼い頃から伊勢物語に慣れ親しんでいた芦屋・公光(きんみつ)という者が、ある夜、不思議な夢を見て、都に上るというところから始まる物語です。その旅の途路、雲林院に着き、「遥に人家を見て、花あれば則ち入るなれば、木蔭に立ち寄り花を折れば」と花を手折ろうとする。すると、老人(実は在原業平の霊)が現れて「誰だ花を折るのは」と呼びかけます。

この<呼び掛け>は能の常套パターンですが、能『雲林院』でも能『遊行柳』と同じく老人が現れて<呼び掛け>をします。

同じ、老人による<呼び掛け>。

芭蕉は『雲林院』の謡をここで謡う(たぶん謡っていたんじゃないかなぁ)ことによって、能と同じように何事かが起こる、当然、遊行柳の西行、雲林院の在原業平のような詩魂と出会い、そんな状況のための呼び水にしたのでしょう。

できれば老人が現れて「のう」とか呼びかけてほしかった。

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さて、この「遥に一村を見かけて」が能『雲林院』の「遥に人家を見て」の影響だとすると、この「遥(はるか)に」の距離が問題になります。

『雲林院』では、遥かに人家を見て、花が美しく咲き乱れていたので、木陰に立ち寄って花を手折ろうとする。立ち寄れちゃうくらいですから、この「遥か」には、かなり近い。

芭蕉は野越えですから、これほど近くはないとしても、しかしそんなに遠いわけではない。なんといっても「遥に一村を見かけて」行こうとしているわけですから目視はできたはず。

「野」というのは、ただの平原ではない。たとえばこんな和歌があります。

♪春日野は 今日はな焼きそ 若草の つまもこもれり 我もこもれり♪

妻も我も篭れちゃうくらいだから草は高かったに違いない。

現代の那須と、当時の那須野がどれくらい違うかは調べていませんが(これを何かに書く時には調べます)、少なくとも現代の那須を考えると、大平原というわけではなかったんじゃないかな。木だって生えている。どんなに遠くても目視できる距離というのは、そんなに遠くない。

・・ということを前提に次を見てみます。

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「雨降り日暮るる」

なんとも唐突です。

これ、現代語訳の「途中で雨が降り出し、日も暮れてしまった」で読むと、あまり唐突ではないのですが、原文のまま読むと「雨が降り、日が暮れる」と唐突です。

雨が降るのは唐突でもいい。が、急に日が暮れるのは変です。

少なくとも目視できる一村を目指して行こうとしている。あそこに着くまでは日は暮れないはずだった。日が暮れるのがわかっているくらいならば、その前の村で宿を取ったはずです。が、日も急に暮れてしまった。

またまた能を思い出します。

前に、楽な道を行こうとしたら呼び止められるという曲に能『遊行柳』と能『山姥』がある、ということを書きましたが、この能『山姥』では、暮れるはずのない日が、突然、暮れてしまうのです。

まだまだ暮れないと思っていたからこそ、この道を来たのに急に暮れちゃった。えー!っ感じです。

で、これは「えー!」だけじゃなく、不思議でもあります。

が、これによってやはり何事かが起こる気配がより強まる。怪談なんかでも、まだ夜になるはずがないのに急に夜になったりする、そんな感じです。

となると、やっぱり「雨」も変ですね。

能でも急に雨が降ったり、雪が降ったりして何かが始まります。

さあ、二番目の文で「これから何かが始まるぞ」という舞台設定が完成しました。

さてさて、次はどうなるか・・って、『奥の細道』がミステリーだか、怪談のようになってきました。

[続く]

高尾山で能

昨日(11月28日)は高尾山で能がありました。

「書院能と茶の湯」日本の心にふれる、というテーマで観世流シテ方の加藤眞悟さんと、お茶の中澤宗寿さんによる企画でした。

曲は『羽衣』。衣を取られて悲しんでしまう天女はむろん加藤眞悟さん。衣を取ってしまうヒドイ男は僕で、漁師、伯龍(はくりょう)。畳の部屋での能でしたが、お客さんからは、近かったので息遣いも聞こえてよかったという声を聞きました。

さて、さすが紅葉の季節なので(こんな具合に。写真はクリックすると大きくなります)、高尾山は大賑わいでした。

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人がいっぱいの写真を載せても仕方ないので、またまた紅葉。

momiji02

お仕事でこんないい思いができるなんて嬉しいです。

ちなみに写真はお客さんとしておいでいただいた後藤さんからいただきました。

奥の細道について(4)最初の文と遊行柳

さて、『奥の細道』に戻りましょう。

◆◆◆◆◆

と、その話をする前に、古典を読むときには「遅読」が大切だということを・・・。

本には、その本に応じて読むべきスピードがあると思うのです。で、古典はできるだけゆっくり読むことが大切。どれだけゆっくり読めるかということが、古典を読む能力に関係するんじゃないかな。

数十分もかけて、能舞台をじっくりと一周廻る、能『道成寺』の乱拍子のように、充実した空隙を腹に力を込めながらゆっくりと読む。

ちょっと尾篭な話を。

<トイレ本>の習慣があります。「えー、きたない」と言われたりもするのですが、トイレの中に、本を一冊置いてあるのです。

ものを考えるには「馬上、枕上、厠上」と言われているように、トイレはものを考えるにはなかなかいい場所です。で、本を読むにも、なかなかいい場所なのです。

いま置いてあるのは文庫本の「死霊(「しれい」と読む:埴谷雄高)」。最初に読んだのはとっても若い時で、ほとんど衒学趣味で読みました。「どうだ『死霊』を読んでるんだ。すごいだろう」って具合に。友人は「死霊」の影響で不眠症にわざわざなりました。

で、数年前に文庫になったので再読をしたら、どうも若い頃に読んだ感じとだいぶ違う。でも、そのときは難しいところは飛ばしてドンドン筋だけを追って読んでしまいました(文庫ってそういうところありますね)。

が、漱石が「小説は筋なんか読むもんじゃない」と言ったように、この「死霊」も筋を読んでしまうと物語の面白さにばかり目がいって、大事なところを飛ばしてしまいます。

でも筋は面白いので、なかなかそこで止まれない。そこにおいしいエサがあるのに、紙袋で遊んでいるので、エサは気になりつつも遊びがやめられないネコのように・・。

が、トイレで読むとページを捲るのが面倒なので、見開きで終わらせようとするからじっくり読める。物語に引っ張られて次にいきたくなっても我慢して、ページの最初に戻って同じところを何度も読む。

どうも「死霊」は、そんな読み方に向いているんじゃないかなと思って、いまは「死霊」をトイレに置いているのです(ちょっと前までは『論語講義』渋沢栄一の学術文庫版)。

古典も同じく、何度も何度も同じところを経巡りながら、できるだけゆっくり読むことが大事。『奥の細道』ならば、芭蕉が奥の細道を踏破するのにかけた時間と同じくらいはかけたい。

◆◆◆◆◆

ではそんなつもりで、『奥の細道』の那須の段に戻って、最初の文をもう一度、見てみます。

●那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。

この文の中で気になるところは3箇所。「知る人あれば」と「野越」、そして「直道」です。

一応、現代語訳も。

◎那須の黒羽というところに、知人がいるので、ここから那須野越えを始めて、野中の真っ直ぐな近道をして行こうとした。

◆◆◆◆◆

では、3つの気になるところをひとつひとつ見ていきましょう。

最初の、黒羽というところに、「知人がいるので」という理由。

これは見方によっては別に問題でもなんでもないのですが・・。

これからの旅の意味づけなのですが、言っちゃえばどうでもいい意味づけ。それが問題なのです。これは能ではよくあるパターンで、すなわち意味のない意味づけ。どうでもいい意味づけをする。

水戸黄門の第一部で一行が旅をするのは、黄門様の息子、松平頼常が藩主を勤める讃岐高松藩の内紛を収めるため、という理由になっていますが、誰が見てもあれは旅をしたいからしているだけ。四十周年を迎えた今年の水戸黄門にも旅の目的は一応あるが、年々その目的は希薄化してきている。

そして、事件はその目的とは何の関係もないところで起こる。

能でも、何事かが起こる。しかし能の旅人(ワキ)はそれを期待して行くのではない。諸国行脚とか、なんとか詣でとか、そんな何気ない旅の途中に「何か」が起こる。それが大切なのです。

でも一応、もっともらしい理由はつける。それも大切です。が、どうでもいい。で、そのどうでもいいことが、さらに大切です。

だから「自分探しの旅」なんかを理由に旅をすると、何かは起こりにくい。それよりもバケーション!って思って旅をした方が起こりやすいのです。心の中で何かを期待していても、「何も期待してないもんね。まあ、知ってる人がいるからちょっと寄ろうかな、って、そんな感じ?」ってフリ。

それが大事!那須の旅はそんな風に始まります。

◆◆◆◆◆

さて、次に「是より野越にかゝりて」とあります。

ゆっくりと読んでいると、ここで立ち止まる。「野越え」ですよ、「野越え」!

「野越え」と聞いて、「ひょえ〜」とか「ワクワク」とか思える人は、そういう旅をしたことのある人でしょう。

現代日本に、この「野越え」のような土地はあるのかなあ。30年ほど前には、まだまだあった。あと、「野越え」で思い出すのは、ヨーロッパの森。一歩踏み込むと、どこに連れていかれるかわからない、そういう怖さを持った場所です。

前にも書きましたが、若い頃には、高尾山から富士山まで、山中の路を通って、よく往復をしました。富士の裾野に入り、砂利道舗装をされて歩きやすい東海自然歩道をちょっと外れて樹海に分け入ると、ヨーロッパの森に迷い込んだときのような感じがします。平坦な道なんだけども、怖い。

で、ある日、ちょっと足を伸ばしてみようと思い、やはり山の道を通って高尾山から、そのまま和歌山県まで歩いたことがあります。

一人旅で、一人用のテントと寝袋を持って、キャンプ場も避けながら歩きました。一応、地図とコンパスは持っているし、数時間でいざとなったら人里に降りることのできる道を取ったのですが、しかしそこは山の道。

「どうも、これから何日間は、人里やキャンプ場も近くにない道を歩くことになる」というときの、あのいいようのない不安はなかなかのものでした。

「是より野越にかゝりて」というときには、そんな感じがあったんじゃないかな。「野越え、山越え」という言葉があるように、山越えのような不安というか、ある大変さもあったのかも知れません。これは「歩き」の専門家に聞いてみたいところです。

山のように起伏はない。しかし、何が出るかわからないし、ちゃんと目的地にたどり着くかもわからない。多分、背丈以上もあった草原を通過する。途中で死んだって誰も気づいてくれない。

草原の中に小野小町のしゃれこうべがあって、その眼窩からススキが生えていた、なんて能にはあります。

そんな(って、何がそんな、かはともかく)「是より野越にかゝりて」です。

◆◆◆◆◆

さて、この文で一番の問題は3つ目の「直道をゆかんとす」です。

「直道(すぐみち)」は「近道」とか「広い道」とかいう意味です。

前のブログで、ここの旅程は能『遊行柳』をイメージしていたはずだということを書きました。

で、『遊行柳』でも、旅の僧は、目の前に広がる道々を見て、「広き道」に行こうとするのです。すると、そこに老人が現れ、その老人に「修行の身のくせに広い道を行くのは何事か!」とさとされ、歩きにくい古道を道しるべされ、西行ゆかりの柳に出会い、さらには西行の霊とも柳の精霊とも思えるシテの物語に接するのです。

となると芭蕉もここで「直道」を行こうと言っているのは、ここで誰かが現れて、古道を示してくれるのを待つためのコトバではないのだろうか、そう思うのです。

むろん誰かというのは西行ゆかりの亡霊か何か、ね。

さて、ここで原文と現代語訳の語尾の違いを見ておきましょう。

(原)那須の黒ばねと・・直道をゆかんとす。

(現)那須の黒羽と・・真っ直ぐな近道をして行こうとした。

現代文では過去形になっていますが、原文では現在形です。演劇である能のセリフのようです。

芭蕉たちの旅のお手本のような『竹斎』は過去形で書かれています。これは『伊勢物語』と能のパロディのような作品なので、『伊勢』の文体を真似しているのでしょうが、『奥の細道』は基本的には『土佐日記』とか、そういう日記の文体である現在形で書かれています。

でも、たまに「着きにけり」のような過去形(完了形)が使われていたりするのですが、これはもう完全に能のマネです。

そんなこんなで(何度も書きますが)『奥の細道』を読むときには、能を謡うように読むといいと思うのです。

というわけで能『遊行柳』の僧のように「直道」を行こうと思う、という芭蕉。さてさて、何が起きるのか。

[続きます]

黛まどかさんとの対談

昨日は、俳人の黛まどかさんとの対談がありました。

月刊「俳句界」(文學の森)の新春号のための対談です。

黛さんは新春対談ということもあり、紋も付いているきれいなお召し物でいらっしゃいました。しまった!僕も紋付にすればよかった。

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写真のテーブルの上にちらっと見えるパンフレットはオペラ『万葉集』。黛さんが台本を書いて、千住明さんが曲をつけたものです。

12月11日(金)、12日(土)に公演があります。12日は自分の舞台があるので11日に伺います。

対談では、本当にさまざまなことを話したのですが、それに関しては12月25日発売の「俳句界」新春号をご覧いただくことにして・・・。

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さて、黛さんのお名前は当然、ずいぶん前から存じ上げてはいたのですが、俄然注目をしたのは黛さんが「歩く旅人」であると知ったからです。

旅の基本は歩くことにある!・・と思っています。自動車やバイク、自転車の旅も悪くはないのですが、しかし乗り物では見過ごしてしまうものを歩く旅はさまざま見せてくれます。

なんといっても自分自身を見せてくれます。

芭蕉の旅の基本も歩行です。

特に巡礼は歩かなければ、その意味は半減します。黛さんは日本の巡礼路だけでなく、サンチャゴ・デ・コンポステーラも歩いています。世界遺産の巡礼路としても有名なサンチャゴ・デ・コンポステーラは『星の巡礼』(角川文庫)で多くの人の知るところになりました。

『中世の旅 (叢書・ウニベルシタス)』には、中世の旅の手引書なんかも載っていて、いつか歩いてみたいなと思っていたのですが、最初にお会いしたときに、そのお話を聞いて、「いいな、いいな」と羨ましがっていました。

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頭で思考する人と、身体で思考する人がいます。

いや、正確にいうと頭で思考することが多い人と、身体で思考することが多い人がいます。

メルロポンティに言わせると、頭の思考も身体の思考だということになるのですが、そういう小難しい議論ではなく、ここでいう「身体での思考」というのは、たとえば何かをいったり、考えたりするときに「自分の身体でそれが可能か、どうか」とか「自分の身体で、それをどう感じるか」ということに引き付けて考えるということです。

『奥の細道』を読むときに、それを身体的に読むか、頭で読むかで読み方が違ってきます(むろん、どちらにしろ両方あるのですが、どっちが多いかということです)。

で、黛さんは身体の方だと思うのです。そういう方と話をすると、全く気取らなくていい。気楽です。話も、論争に発展することはない。お互いの体で感じたことを話しているのですから、「なるほど」はあっても、「それは違うんじゃないの」はないのです。

いいなあ。こういうのって。

そうそう。ロルファーの中村直美さんも黛さんとは親しくて、黛さんは「ナオミちゃんは、よくモノを見ていますよね」とおっしゃっていたのですが、中村さんは人の評価がなかなか厳しい。しかし、黛さんに関してだけは「あの人は本当にいい人」と、いつも誉めています。

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対談の最後に、やはり新春号だということで「抱負を」といわれたのですが、これが黛さんと僕が同じです。

「抱負って、ありません」

・・でした。
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