2009年10月

銚子の猫である

銚子の町を散歩中に猫に遭った。

というか漁港は猫がいっぱいいる。魚がそこらじゅうに落ちているからだ。

一匹の超どん臭い猫がいて、なんとも動きが緩慢でかわいかったので思わず観察をした(今回も写真をクリックすると大きくなります。猫の表情・・・というか体情を知るためにはぜひクリックを!)。

この猫。写真だけではわからないが、このままの姿勢をキープしたまま、ぐりぐりぐりぐりと体を回して向きを変えようとしている。なんとも横着である。

neko01b

銚子の猫がみんな、こんなに緩慢猫というわけではなく、かく猫族らしきシャープな動きをする猫もむろんいる。

neko02

さて、くだんの猫。ぐりぐり、ぐりぐりの体の向きの移動は車の方に向きたかったらしく、さらに何をしたかったのかというと、どうもこの車の下に入りたかったらしい。

それを眺める猫もいる。

neko03a

ところが事件発生。一匹の猫が、のっしのっしと車の下にやってきた。ちょうど、くだんの猫が、やっとこさ体を車の方に向け得たときである。なんとも恨めしげな後姿である。

neko03b

のしのし猫はちゃっかりと車の下に収まって、知らん顔である。くだんの猫は「え〜、そんなぁ」って顔だ。

neko04b

しかし、やはり黙ってはいられない。やや、一瞬のにらみ合いがあるも・・・。

neko05

相手にすごまれると「すんません」と腰が引ける。他の猫は「あーあ、またいつものことだ」と相手にしない。

neko06

ちなみに、この車の周辺には十匹近くの猫がいた。さすが漁港である。

銚子の細道

昨日は、生まれ故郷である銚子で市民の方のためのワークショップがありました。前にも書いた保育所時代の友人である吉田孝至さんのご尽力で実現。銚子市主催。

槻宅さん(森田流笛方)にもお手伝いいただき、とても楽しくできました。銚子の方はみんなノリがいい!夜は、これまた吉田さんが集めて下さった方たちとのプライベートな会です。千葉で教員をしていた時代の教え子なども来てくれて久しぶりの再会!

で、今日は親子対象のワークショップがあったのですが、インフルエンザ騒動で急遽自粛ということになり、ぽっかり一日空きました。槻宅さんは舞台があり、お帰りになられ、ひとりになったので亡父のお墓参りに行きました。

以下、写真はクリックすると大きくなります。

●出発!

chouden

銚子には銚子電鉄というローカル電車が走っています。これは小学校時代の通学電車でした。当時は国鉄(いまのJR)はSL→ディーゼルだったので「電車」というのは電気で走るわけなので、すごいハイテク電車だったのです。

が、電車に遅れそうになると短距離ならば走れば勝つ!というくらいにたらたら走る電車でした(今もおなじ)。

中吊り広告も手書き。単線で、1時間に2本しか走らないくらいに台数が少ないので、数枚しか使用せず、印刷よりも安上がりだということです(吉田さん談)。

むかしはさらに風情のあった手書きだったのですが、さすがにこのごろはちょっとおしゃれになりました。それでも手書きは手書き。いいなあ。

chouden02

亡父の墓がある「西海鹿島(にし・あしかじま)」に到着。電車を遥かに見送る。この先にあるのが、子どものころに利用していた駅、「海鹿島」。よく線路を歩いて帰りました。で、その日も線路を歩いている人がいました(大人だったので失礼と思い撮影は遠慮)。

chouden03

帰りの電車をチェックしておこうと思って駅舎を探すも、どこにも時刻表がない。なんとも、のんきな駅。むろん、無人。しかし、コーラの自販機は燦然と赤く輝く!さすが世界のコカコーラである。

chouden04

●文学散歩:その1

墓参も無事に済み、どうせ電車の時間もわからないことだし、ここから実家のあったところまで歩くことにしました。・・といっても普通に歩くと10分もかからないので、文学散歩をしながらゆるゆる歩くことにする。通学の途中に何と文学碑が4つもあるのです。

最初は「ドッポヒマエ」というバス停の近くにある文学碑。子どものころは「ドッポヒマエ」というのは何がなんだか全然わからなかったけれども、国木田独歩の「独歩碑前」。

高さが2mくらいの岩なのですが、ここに攀じ登ったり、飛び降りたり、戦争ごっこをしたりして遊んでいました。この裏はちょっとした崖になっていて、楽しい冒険の場所です。

岩の左側のちょっと黒く見えるところが独歩の「山林に自由存す」の詩碑になっています。

doppohi

で、その文字はなんと日夏耿之介(ひなつ・こうのすけ)の揮毫によるもの。すごくいい字です。この字は中学時代にマネをして、とても影響を受けました(これこそクリックしてご覧ください)。

doppohi02

「なつかしき/わが故郷は/何処ぞや/彼処にわれは/山林の児なりき」

●銚子の細道

独歩の碑を後にして、通学した路を歩こうと間道に入ったのですが、これが想像していただよりもすごい道だった。写真ではきれいに見えるけれども、ここに入ると急に暗くなり、くもの巣が顔にかかったりしてちょっとびっくり!すごく細い道です。

michi

子どものころザリガニ釣りをしていた池も健在。

ike

ただし、さまざまな草の間にまぎれている。こんなところを夜に歩いたら、落ちて池にはまりそう。「お池にはまって、さあ大変」なんて気楽に歌っていられない。当時の小学生は真っ暗なこの道を、お化けが出てくるかも知れない恐怖と戦いながら歩いた・・というか、走った。

それとよく木の上から蛇が落ちて来て、顔とか首とかにかかって、青大将なんかだと、それこそ本当にびっくりしたものですが、今回は運良く蛇には遭遇せず。ただ、この道を外れたところに車に轢かれた蛇の遺体を発見。抜け殻かな。

hebi

●文学散歩:その2

このすぐ下には竹久夢二の碑と、それからちょっと外れて尾崎咢堂の碑があるのですが、それは省略。

さらに下っていくと海に出ます。これがともに育った海鹿島(あしかじま)の海です。

umi

手前の岩の下は岩場になっているのですが、それを知らずにこの岩から飛び込んで顔を打って死んでしまう人が何人かいました。顔がぐちゃぐちゃになります。奥の岩からなら大丈夫なのですが、それを知らないと危険です。ただし、奥の岩まではかなり遠いので、そこまで泳ぐのがちょっと大変。知らない海で泳ぐときには注意が必要。

さて、これはすごく大きな岩で、実家はこの下にありました。

usen01

今は実家は取り壊してしまっているので見ることはできません。手前に廃墟と化した元・海の家。うちより海に近いのは、この海の家だけでした。

右側に見えるのはもと隣の家。「もと」というのは、今はうちがないからです。実家はこのお宅の手前にありました。このお宅と海の家の間です。

注目は、岩の左側。

垂直にスパッと切られているでしょう。実はこれが文学碑になっているのです。人が立っていないのでわからないけれども、超・巨大な文学碑です。小川芋銭(うせん)の句碑です。こどものころは、これもうちのものだと思っていた。

usen05

「大海を飛びいづる如と初日乃出」

この句碑を眺めながら左手に初日の出を拝むことができます。至福の瞬間です。いま考えると、こんな自然の庭の中で過ごせた子ども時代は幸せだったなと思います。・・が、むろん子どものときはそんなことは思っていませんでしたが。

●おまけ

東映の映画の最初に岩に砕ける波が現れます。あれは銚子です。犬吠崎にあります。

「東映岩」と呼んでいて、高校時代に映画なんかを撮ると最初に東映岩のシーンを入れて東映パロディをしていました。・・が、今は侵食されて東映岩を正面から見ることはできません・・・って、やっちゃえばできますが、いい大人なのでそんなことはせずに、今回は東映岩を犬吠崎の上から撮影。

touei
  • ライブドアブログ