2009年07月

昨日は寺子屋特別編

またまたかなり長い間、ご無沙汰をしてしまいました。

昨日は寺子屋特別編を能管の槻宅(つきたく)さんと一緒にさせていただきました。

最初は、会場のお寺、東江寺さんの飯田義道師の先導で、みなさんで般若心経を読経し、そのあと浄土宗形式の念仏をしました。

東江寺さんは臨済宗なのですが、飯田師はあまりそういうことは気になさらず(なんといっても最初には神道の二礼二拍一礼をします)、いろいろとされます。

その念仏を受けて、槻宅さんと能『隅田川』の語りをしました。

それから槻宅さんによる能管のお話がありました。

・能管はかなり変わった構造をしているということ
・そしてその構造はわざと音程を外すための構造であること、
・なぜわざわざそんな構造にしたのかというと、それは普段の意識状態をわざと外すためではないか

・・という槻宅さんの見解が話されました。

実はノイズもそうだなどと僕が相槌を打ったり、武満徹の話などもして、夏目漱石の『夢十夜』をやって休憩。

休憩後は能の構造の話や、槻宅さんによるキリスト教のミサと能の関連などの話があり、今回のキーワードとしての「現存」と『論語』の「如(恕)」で締めくくりました。

最後に飯田師のお話と静座を行い、お開きになりました。

春からはじめた寺子屋も八回させていただきました。

みなさま、本当にありがとうございました。

また秋に再開いたしますので、その節はまたどうぞお出ましください。

 安田 登

1Q84

先日、友人から「『1Q84』の女性主人公がロルファーをモデルにしているような気がするという書評がある」というメールをもらいました。

「1Q84」は、入手しにくいという話があったので放っておいたのですが、とあるところからいただくことができ、舞台の合間も含めて二日間で読んでしまいました。

筋肉の専門家ですから、確かにそんな感じもしますね。ただし昔のイメージのロルファー。

今のロルフィングは全く痛くないのですが、僕がロルフィングを最初に知った1980年代(Around1Q84)は激烈に痛いと言われていました。

「1Q84」についての感想は読んでいない人もいると思うので書きませんが、1984といえばジョージ・オーウェルです。1984年は本当にオーウェルの予言するような社会になってしまうんだろうか、という気持ちが世界の人たちの無意識のどこかにあったからでしょうか。

その前年が面白いのです。

といっても年表をめくってもそんなにすごい年という感じはしません。

そう思ったのは、先日雑誌の整理をしていたときです。現代思想とか夜想とかアールヴィヴァンとかEOSとか、そんな雑誌で面白い記事なり特集なりがある号を「後で読もう」って横に寄せておいたものの出版年を見ると1983年のものが多かったのです。

ノストラダムスの前年よりも、実は1983年の方が面白かったのかも知れません。

社会的資源としての能

怒涛の日々がやっとひと段落しました。

ブログ、お休みしていてすみませんでした。

舞台も含めていろいろ用事があり、その間に寺子屋関係をバシバシ入れてしまったので、全く休みがない状態でした。でも、明日は夕方までヒマ!

内田樹さんのブログで、「ヒマができたから掃除をした」というようなお話が以前にあったということを、いまちょっと思い出したのですが、掃除はまたの機会にして、午前から昼にかけてマジメに原稿に取り組みます。

さて、今日の題名「社会的資源としての能」って前に書きましたっけ?

これは僕のアイディアではなく、能の笛方・森田流の槻宅(つきたく)聡さんの言です。



倫理研究所から依頼されて、槻宅さんといっしょに「デス・スタディーとしての能」というテーマで、浜松、広島、大垣と講演をしてきました。

デス・スタディーについてはじめて考えたのは、エイズの方たちをサポートする団体の立ち上げに関わったり、エイズの本を書いたりしていたときでした。もう20年くらいも前の話です。何人かの方の死にも立ち会い、キューブラ・ロスをはじめさまざまなデス・スタディーの本を読んだり、デーケンさんにお会いしてお話を伺ったりもしました。

キューブラ・ロスの本やデーケンさんもすばらしいのですが、日本人として(あるいはキリスト教徒ではないものとして)は、ちょっと違和感を感じました。でも、いま能とデス・スタディーということで考えてみると、その違和感が払拭されて、何かスッキリするのです。



デス・スタディーだけでなく、ニートの人や不登校の子どもたちとも能のワークショップをすることがあります。精神病院でしたり、児童相談所でしたこともあります。

能のワークショップをするというと、若い人に能を紹介して見てもらおう、という動機のように思われますが、それはそんなに大きな動機ではありません。

動機は自分自身でもよくわからないのですが、ただ、いろいろな人に能のワークショップをします。何をするかは、その場で、集まった人の様子で決めます。事前にはあまり決めない。

で、やっていると、何かが変わるということがよくあるのです。

知人のひとりは自殺をしたいと思っていたときに謡を謡って、なんとか生き延びることができたと話してくれました。

能が芸能として優れたものであることは多くの人が認めるところです。しかし実は能はそれ以上にさまざまなことに寄与できるのではないか、そしてそこにこそ他の芸能とは違う特質があるのではないかと思うのです。

で、僕はこれをあまり意識せずにしていたのですが、槻宅さんはこれをとても意識的にされていて、さらには「社会的資源としての能」という、すばらしいネーミングをされたのです。

さすが!



能のいいところは、まだ作者が匿名の時代に作られているということです。

いま、「この曲は世阿弥作だ」とかいうのも後の研究者がそう言っているだけです。本人には自分の名前を残そうという気はありません。

誰か個人が作ったものではなく、もっと大きな何かが作った作品なのです。だからいい!

「宝石にはさまざまな切子面がある」という台詞はジェイムス・ヒルトンの『失われた地平線(新潮文庫)』だったかな?

能にもさまざまな切子面があり、その切子面ひとつひとつに真理が輝いています。まだまだ見つかっていない切子面もあるでしょう。

たぶん「●●と能」っていえば、ほとんど大丈夫なくらいにマルチな芸能なんじゃないかな・・。
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