さて前回は甘やかされて育てられた息子が悪さをする野良息子になり、とうとう親類縁者の願いによって勘当となる一歩手前というお話でした。今回はその続きから。
●せっかくの救いも無駄に
近世、徳本上人の歌に、
これほどに縒(よ)れつ縺(もつ)れつする弥陀を
あえて頼まぬ人ぞはかなき
というのがござります。
これは仏の大慈大悲を言うのじゃ。
仏様は、人間の本心がよいことをご存知なので、「それは悪い、これがよくない」と、明けても暮れてもお世話をくださるのだが、人間の身贔屓、身勝手の私心私欲が本心のままにはまいるまいと、とかく本心に背きおる。
親が子を思うのも、また不孝者が親を思わぬのも、これとよう似たものじゃ。
「あえて頼まぬ人ぞはかなき」
みなさま方、おひとりおひとりが本心に立ち返って、阿弥陀様にお救いいただき、お助かりなされませ。
●息子の悪巧み
話を戻しましょう。
さて、かの野良息子は、この日、近村で博打を打っておりました。と、そのとき村の友達が来て野良息子にいう。
「貴様を勘当するために、今夜、親類が集会するげな。なんぼ貴様のようなものでも、勘当されたら、定めて難儀をするであらう」と。
野良息子は、友達の話を半分も聞かぬ間に大声をあげる。
「何じゃ、今夜おれがうちで勘当の親族会議か。こいつぁ面白い。もともと親父や母者のしみったれた面を、もう見たくもねぇし、気色も悪いとこのごろは思っていた。我慢も限界に来ていたところだ。これで勘当してくれたら俺も晴れて一本立ち。唐(中国)へ飛ぼうが、天竺(インド)に引越しをしようが、文句を言われる筋合いもない。こんなありがたいことはねぇぞ」
などという。さらにいうには・・
「今夜は、親族会議の席に乗こんで、『なんでおれを勘当するんだ』と、一番団十郎を踏みこんでゆすりをかけてやろう。そうすりゃあ、五十両や七十両の餞別、立ち退き料はもうもらったが同じだ。その金を持って京か大坂へ出て、女郎小屋でもはじめたら、そりゃあおもしれえ事であろう。今夜、首尾よくいくように、まずは前祝いに一盃やろうぜ」
・・と、同じ悪仲間たちと、茶碗酒の大酒盛り。日が暮れる前に、泥のように酔ったところで、「よし、じゃあこの勢いで家に乗り込み、ひと勝負を張ろうじゃねえか」と大脇差を帯に突っ込み、家のある村に帰った時分は、ちょうど夜の八時ごろ。
「おおかた、いま時分は、親類どもが寄り集り、ない知恵の底をふるって親族会議をしているであろう。ちょうどそのその所に躍り込んで我がまま言って大暴れをしたら、百両ぐらいは掴めるだろう」と、そのまま我が家に帰ろうとした。
が、そのときはっと思案した。
「いやいや。親類どもがちょうど寄り合っている中に俺が顔を見せたなら、皆うつむいて何も話せなくなってしまうだろう。その中で大声あげるも、何となく調子が出ない。俺のことを悪し様にいっている、その調子に乗って躍りこまないと座つきが悪い。こいつは一本思案を変えて、裏の薮(やぶ)から座敷の縁さきに回り、親類のやつらが話すのを聞いてやろう。定めて俺がことをぼろくそにいうであろう。その拍子に障子を蹴破って、大声で怒鳴って親類連中の中に躍り込んだら面白い」
●薮から家をのぞく
・・とひとり思案し、雪踏を脱いで腰にはさみ、尻っぱしょりをして、裏の薮から切戸を越え、縁さきに廻って見れば、果して内では、ひそひそと親族会議の真っ最中。
雨戸のすき間から覗いて見れば、親類縁者が車座に直り、めんめんに願書に判を押している。その願書が両親の前にくると、かの息子がこれを見て、「さあここが勝負じゃ。親父が判を押しやがるのを合図に、この戸を蹴破って飛び込もう」と、かた膝立てて、息をつめて覗いている。
何と人も恐ろしい心に、なればなるものではござりませぬか。
孟子は「人の性は善なり」と仰られた。その真理には微塵も相違はござりませぬ。
が、その習いが性となるときは、このような恐ろしい悪党者ができるものでございます。このとき孔子・孟子が野良息子の前にお出ましになり、百日、千日と道をお説きなされたとて、とてもわが身に立ち返りそうな勢いじやない。こんな風に固まってしまった悪人は、無間地獄の釜こげになるといういうものじゃ。
たとえお釈迦さまが元服して、土佐おどりをめされるような大努力をされても、中々正気に戻るということではございませぬ。
*************
さあ、この野良息子、どうなることやら。続きはまた次回に。
しかし、「お釈迦さまが元服して、土佐おどりをめされる」って、すごい比ゆですね。
では、続きをお楽しみに。
●せっかくの救いも無駄に
近世、徳本上人の歌に、
これほどに縒(よ)れつ縺(もつ)れつする弥陀を
あえて頼まぬ人ぞはかなき
というのがござります。
これは仏の大慈大悲を言うのじゃ。
仏様は、人間の本心がよいことをご存知なので、「それは悪い、これがよくない」と、明けても暮れてもお世話をくださるのだが、人間の身贔屓、身勝手の私心私欲が本心のままにはまいるまいと、とかく本心に背きおる。
親が子を思うのも、また不孝者が親を思わぬのも、これとよう似たものじゃ。
「あえて頼まぬ人ぞはかなき」
みなさま方、おひとりおひとりが本心に立ち返って、阿弥陀様にお救いいただき、お助かりなされませ。
●息子の悪巧み
話を戻しましょう。
さて、かの野良息子は、この日、近村で博打を打っておりました。と、そのとき村の友達が来て野良息子にいう。
「貴様を勘当するために、今夜、親類が集会するげな。なんぼ貴様のようなものでも、勘当されたら、定めて難儀をするであらう」と。
野良息子は、友達の話を半分も聞かぬ間に大声をあげる。
「何じゃ、今夜おれがうちで勘当の親族会議か。こいつぁ面白い。もともと親父や母者のしみったれた面を、もう見たくもねぇし、気色も悪いとこのごろは思っていた。我慢も限界に来ていたところだ。これで勘当してくれたら俺も晴れて一本立ち。唐(中国)へ飛ぼうが、天竺(インド)に引越しをしようが、文句を言われる筋合いもない。こんなありがたいことはねぇぞ」
などという。さらにいうには・・
「今夜は、親族会議の席に乗こんで、『なんでおれを勘当するんだ』と、一番団十郎を踏みこんでゆすりをかけてやろう。そうすりゃあ、五十両や七十両の餞別、立ち退き料はもうもらったが同じだ。その金を持って京か大坂へ出て、女郎小屋でもはじめたら、そりゃあおもしれえ事であろう。今夜、首尾よくいくように、まずは前祝いに一盃やろうぜ」
・・と、同じ悪仲間たちと、茶碗酒の大酒盛り。日が暮れる前に、泥のように酔ったところで、「よし、じゃあこの勢いで家に乗り込み、ひと勝負を張ろうじゃねえか」と大脇差を帯に突っ込み、家のある村に帰った時分は、ちょうど夜の八時ごろ。
「おおかた、いま時分は、親類どもが寄り集り、ない知恵の底をふるって親族会議をしているであろう。ちょうどそのその所に躍り込んで我がまま言って大暴れをしたら、百両ぐらいは掴めるだろう」と、そのまま我が家に帰ろうとした。
が、そのときはっと思案した。
「いやいや。親類どもがちょうど寄り合っている中に俺が顔を見せたなら、皆うつむいて何も話せなくなってしまうだろう。その中で大声あげるも、何となく調子が出ない。俺のことを悪し様にいっている、その調子に乗って躍りこまないと座つきが悪い。こいつは一本思案を変えて、裏の薮(やぶ)から座敷の縁さきに回り、親類のやつらが話すのを聞いてやろう。定めて俺がことをぼろくそにいうであろう。その拍子に障子を蹴破って、大声で怒鳴って親類連中の中に躍り込んだら面白い」
●薮から家をのぞく
・・とひとり思案し、雪踏を脱いで腰にはさみ、尻っぱしょりをして、裏の薮から切戸を越え、縁さきに廻って見れば、果して内では、ひそひそと親族会議の真っ最中。
雨戸のすき間から覗いて見れば、親類縁者が車座に直り、めんめんに願書に判を押している。その願書が両親の前にくると、かの息子がこれを見て、「さあここが勝負じゃ。親父が判を押しやがるのを合図に、この戸を蹴破って飛び込もう」と、かた膝立てて、息をつめて覗いている。
何と人も恐ろしい心に、なればなるものではござりませぬか。
孟子は「人の性は善なり」と仰られた。その真理には微塵も相違はござりませぬ。
が、その習いが性となるときは、このような恐ろしい悪党者ができるものでございます。このとき孔子・孟子が野良息子の前にお出ましになり、百日、千日と道をお説きなされたとて、とてもわが身に立ち返りそうな勢いじやない。こんな風に固まってしまった悪人は、無間地獄の釜こげになるといういうものじゃ。
たとえお釈迦さまが元服して、土佐おどりをめされるような大努力をされても、中々正気に戻るということではございませぬ。
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さあ、この野良息子、どうなることやら。続きはまた次回に。
しかし、「お釈迦さまが元服して、土佐おどりをめされる」って、すごい比ゆですね。
では、続きをお楽しみに。