奥の細道について(4)最初の文と遊行柳

さて、『奥の細道』に戻りましょう。

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と、その話をする前に、古典を読むときには「遅読」が大切だということを・・・。

本には、その本に応じて読むべきスピードがあると思うのです。で、古典はできるだけゆっくり読むことが大切。どれだけゆっくり読めるかということが、古典を読む能力に関係するんじゃないかな。

数十分もかけて、能舞台をじっくりと一周廻る、能『道成寺』の乱拍子のように、充実した空隙を腹に力を込めながらゆっくりと読む。

ちょっと尾篭な話を。

<トイレ本>の習慣があります。「えー、きたない」と言われたりもするのですが、トイレの中に、本を一冊置いてあるのです。

ものを考えるには「馬上、枕上、厠上」と言われているように、トイレはものを考えるにはなかなかいい場所です。で、本を読むにも、なかなかいい場所なのです。

いま置いてあるのは文庫本の「死霊(「しれい」と読む:埴谷雄高)」。最初に読んだのはとっても若い時で、ほとんど衒学趣味で読みました。「どうだ『死霊』を読んでるんだ。すごいだろう」って具合に。友人は「死霊」の影響で不眠症にわざわざなりました。

で、数年前に文庫になったので再読をしたら、どうも若い頃に読んだ感じとだいぶ違う。でも、そのときは難しいところは飛ばしてドンドン筋だけを追って読んでしまいました(文庫ってそういうところありますね)。

が、漱石が「小説は筋なんか読むもんじゃない」と言ったように、この「死霊」も筋を読んでしまうと物語の面白さにばかり目がいって、大事なところを飛ばしてしまいます。

でも筋は面白いので、なかなかそこで止まれない。そこにおいしいエサがあるのに、紙袋で遊んでいるので、エサは気になりつつも遊びがやめられないネコのように・・。

が、トイレで読むとページを捲るのが面倒なので、見開きで終わらせようとするからじっくり読める。物語に引っ張られて次にいきたくなっても我慢して、ページの最初に戻って同じところを何度も読む。

どうも「死霊」は、そんな読み方に向いているんじゃないかなと思って、いまは「死霊」をトイレに置いているのです(ちょっと前までは『論語講義』渋沢栄一の学術文庫版)。

古典も同じく、何度も何度も同じところを経巡りながら、できるだけゆっくり読むことが大事。『奥の細道』ならば、芭蕉が奥の細道を踏破するのにかけた時間と同じくらいはかけたい。

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ではそんなつもりで、『奥の細道』の那須の段に戻って、最初の文をもう一度、見てみます。

●那須の黒ばねと云ふ所に知る人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。

この文の中で気になるところは3箇所。「知る人あれば」と「野越」、そして「直道」です。

一応、現代語訳も。

◎那須の黒羽というところに、知人がいるので、ここから那須野越えを始めて、野中の真っ直ぐな近道をして行こうとした。

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では、3つの気になるところをひとつひとつ見ていきましょう。

最初の、黒羽というところに、「知人がいるので」という理由。

これは見方によっては別に問題でもなんでもないのですが・・。

これからの旅の意味づけなのですが、言っちゃえばどうでもいい意味づけ。それが問題なのです。これは能ではよくあるパターンで、すなわち意味のない意味づけ。どうでもいい意味づけをする。

水戸黄門の第一部で一行が旅をするのは、黄門様の息子、松平頼常が藩主を勤める讃岐高松藩の内紛を収めるため、という理由になっていますが、誰が見てもあれは旅をしたいからしているだけ。四十周年を迎えた今年の水戸黄門にも旅の目的は一応あるが、年々その目的は希薄化してきている。

そして、事件はその目的とは何の関係もないところで起こる。

能でも、何事かが起こる。しかし能の旅人(ワキ)はそれを期待して行くのではない。諸国行脚とか、なんとか詣でとか、そんな何気ない旅の途中に「何か」が起こる。それが大切なのです。

でも一応、もっともらしい理由はつける。それも大切です。が、どうでもいい。で、そのどうでもいいことが、さらに大切です。

だから「自分探しの旅」なんかを理由に旅をすると、何かは起こりにくい。それよりもバケーション!って思って旅をした方が起こりやすいのです。心の中で何かを期待していても、「何も期待してないもんね。まあ、知ってる人がいるからちょっと寄ろうかな、って、そんな感じ?」ってフリ。

それが大事!那須の旅はそんな風に始まります。

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さて、次に「是より野越にかゝりて」とあります。

ゆっくりと読んでいると、ここで立ち止まる。「野越え」ですよ、「野越え」!

「野越え」と聞いて、「ひょえ〜」とか「ワクワク」とか思える人は、そういう旅をしたことのある人でしょう。

現代日本に、この「野越え」のような土地はあるのかなあ。30年ほど前には、まだまだあった。あと、「野越え」で思い出すのは、ヨーロッパの森。一歩踏み込むと、どこに連れていかれるかわからない、そういう怖さを持った場所です。

前にも書きましたが、若い頃には、高尾山から富士山まで、山中の路を通って、よく往復をしました。富士の裾野に入り、砂利道舗装をされて歩きやすい東海自然歩道をちょっと外れて樹海に分け入ると、ヨーロッパの森に迷い込んだときのような感じがします。平坦な道なんだけども、怖い。

で、ある日、ちょっと足を伸ばしてみようと思い、やはり山の道を通って高尾山から、そのまま和歌山県まで歩いたことがあります。

一人旅で、一人用のテントと寝袋を持って、キャンプ場も避けながら歩きました。一応、地図とコンパスは持っているし、数時間でいざとなったら人里に降りることのできる道を取ったのですが、しかしそこは山の道。

「どうも、これから何日間は、人里やキャンプ場も近くにない道を歩くことになる」というときの、あのいいようのない不安はなかなかのものでした。

「是より野越にかゝりて」というときには、そんな感じがあったんじゃないかな。「野越え、山越え」という言葉があるように、山越えのような不安というか、ある大変さもあったのかも知れません。これは「歩き」の専門家に聞いてみたいところです。

山のように起伏はない。しかし、何が出るかわからないし、ちゃんと目的地にたどり着くかもわからない。多分、背丈以上もあった草原を通過する。途中で死んだって誰も気づいてくれない。

草原の中に小野小町のしゃれこうべがあって、その眼窩からススキが生えていた、なんて能にはあります。

そんな(って、何がそんな、かはともかく)「是より野越にかゝりて」です。

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さて、この文で一番の問題は3つ目の「直道をゆかんとす」です。

「直道(すぐみち)」は「近道」とか「広い道」とかいう意味です。

前のブログで、ここの旅程は能『遊行柳』をイメージしていたはずだということを書きました。

で、『遊行柳』でも、旅の僧は、目の前に広がる道々を見て、「広き道」に行こうとするのです。すると、そこに老人が現れ、その老人に「修行の身のくせに広い道を行くのは何事か!」とさとされ、歩きにくい古道を道しるべされ、西行ゆかりの柳に出会い、さらには西行の霊とも柳の精霊とも思えるシテの物語に接するのです。

となると芭蕉もここで「直道」を行こうと言っているのは、ここで誰かが現れて、古道を示してくれるのを待つためのコトバではないのだろうか、そう思うのです。

むろん誰かというのは西行ゆかりの亡霊か何か、ね。

さて、ここで原文と現代語訳の語尾の違いを見ておきましょう。

(原)那須の黒ばねと・・直道をゆかんとす。

(現)那須の黒羽と・・真っ直ぐな近道をして行こうとした。

現代文では過去形になっていますが、原文では現在形です。演劇である能のセリフのようです。

芭蕉たちの旅のお手本のような『竹斎』は過去形で書かれています。これは『伊勢物語』と能のパロディのような作品なので、『伊勢』の文体を真似しているのでしょうが、『奥の細道』は基本的には『土佐日記』とか、そういう日記の文体である現在形で書かれています。

でも、たまに「着きにけり」のような過去形(完了形)が使われていたりするのですが、これはもう完全に能のマネです。

そんなこんなで(何度も書きますが)『奥の細道』を読むときには、能を謡うように読むといいと思うのです。

というわけで能『遊行柳』の僧のように「直道」を行こうと思う、という芭蕉。さてさて、何が起きるのか。

[続きます]

黛まどかさんとの対談

昨日は、俳人の黛まどかさんとの対談がありました。

月刊「俳句界」(文學の森)の新春号のための対談です。

黛さんは新春対談ということもあり、紋も付いているきれいなお召し物でいらっしゃいました。しまった!僕も紋付にすればよかった。

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写真のテーブルの上にちらっと見えるパンフレットはオペラ『万葉集』。黛さんが台本を書いて、千住明さんが曲をつけたものです。

12月11日(金)、12日(土)に公演があります。12日は自分の舞台があるので11日に伺います。

対談では、本当にさまざまなことを話したのですが、それに関しては12月25日発売の「俳句界」新春号をご覧いただくことにして・・・。

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さて、黛さんのお名前は当然、ずいぶん前から存じ上げてはいたのですが、俄然注目をしたのは黛さんが「歩く旅人」であると知ったからです。

旅の基本は歩くことにある!・・と思っています。自動車やバイク、自転車の旅も悪くはないのですが、しかし乗り物では見過ごしてしまうものを歩く旅はさまざま見せてくれます。

なんといっても自分自身を見せてくれます。

芭蕉の旅の基本も歩行です。

特に巡礼は歩かなければ、その意味は半減します。黛さんは日本の巡礼路だけでなく、サンチャゴ・デ・コンポステーラも歩いています。世界遺産の巡礼路としても有名なサンチャゴ・デ・コンポステーラは『星の巡礼』(角川文庫)で多くの人の知るところになりました。

『中世の旅 (叢書・ウニベルシタス)』には、中世の旅の手引書なんかも載っていて、いつか歩いてみたいなと思っていたのですが、最初にお会いしたときに、そのお話を聞いて、「いいな、いいな」と羨ましがっていました。

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頭で思考する人と、身体で思考する人がいます。

いや、正確にいうと頭で思考することが多い人と、身体で思考することが多い人がいます。

メルロポンティに言わせると、頭の思考も身体の思考だということになるのですが、そういう小難しい議論ではなく、ここでいう「身体での思考」というのは、たとえば何かをいったり、考えたりするときに「自分の身体でそれが可能か、どうか」とか「自分の身体で、それをどう感じるか」ということに引き付けて考えるということです。

『奥の細道』を読むときに、それを身体的に読むか、頭で読むかで読み方が違ってきます(むろん、どちらにしろ両方あるのですが、どっちが多いかということです)。

で、黛さんは身体の方だと思うのです。そういう方と話をすると、全く気取らなくていい。気楽です。話も、論争に発展することはない。お互いの体で感じたことを話しているのですから、「なるほど」はあっても、「それは違うんじゃないの」はないのです。

いいなあ。こういうのって。

そうそう。ロルファーの中村直美さんも黛さんとは親しくて、黛さんは「ナオミちゃんは、よくモノを見ていますよね」とおっしゃっていたのですが、中村さんは人の評価がなかなか厳しい。しかし、黛さんに関してだけは「あの人は本当にいい人」と、いつも誉めています。

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対談の最後に、やはり新春号だということで「抱負を」といわれたのですが、これが黛さんと僕が同じです。

「抱負って、ありません」

・・でした。

奥の細道について(3)那須への期待

『奥の細道』より那須の黒羽の段です。

さて、この段の文章を読み始める前に、まずは自分が芭蕉になって那須にかかったと想像してみます。

芭蕉の旅は歌枕を巡る旅です。そして能にゆかりの土地をめぐるたびです。そして能にゆかりの土地を訪ねたときには、特に能に関連した句を読んでいます。

能の典型的な物語は、「旅人」が<歌枕>に行き会い、そこで「古人の霊」と出会うというものです。

芭蕉は実は能役者だったのではないかという説もあります。まあ、芭蕉は忍者だという説もあるくらいですから、それがどのくらい信憑性があるかはわかりませんが、それくらい能については詳しい。

ちなみに忍術の兵法書である『万川集海』には、忍者は能を学ぶべきこと!と書いてあります。

さて、それはともかく・・・。

僕も旅に出て、「ここから先に能に関する歌枕があるぞ」と思うと、「ひょっとしたら古人の霊に出会えるんじゃないか」とドキドキします。僕たちよりも、ずっと歌枕や能に親しかった芭蕉ですから、これはもう超ドキドキだったと思うのです。

いやいや、霊というのがナンだとしたらい、古人の歌の魂を感じられるのではないか、そう思っていたに違いありません。

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さて、那須にかかった芭蕉。ここは『殺生石』と『遊行柳』という二曲の能に関連するところです。

殺生石(せっしょうせき)という石は天竺、唐、日本と時空を越えて王朝の転覆を企てた女(実は九尾の狐)の精魂が凝り固まって石となったもの。旅する玄翁和尚をワキとし、前半では女が、後半では狐がシテとなって、王朝での有様、そして退治されて石となった経緯を能『殺生石』では語ります。

また『遊行柳(ゆぎょう・やなぎ)』は老柳の精がシテ。遊行の僧の前に老人が現れ、「朽木の柳」という名木に道しるべするのですが、実はその老人こそ朽木の柳の精霊で、再び現れ舞を舞うという曲です。

で、実はその柳は「西行法師」ゆかりの柳です。能の中のワキである遊行の僧は、そんなことは全く意識しなかったにも関わらず、柳の精でもあり、そして西行の霊(あるいは西行の詩魂)でもあるシテと出会ったのです。

『奥の細道』自体が西行を追慕する旅だと言われています。

西行の歩いた奥州を、そして西行の詠んだ歌枕をなぞる旅です。しかも奥の細道の旅は、西行の五百年忌に行われています。

となると、この『遊行柳』は、芭蕉にとっては特に重要な曲だったし、そして、その遊行柳がある那須は、旅の前半においてもっとも重要な場所のひとつだったはずです。

となると、ここからの旅は能『遊行柳』のような何者か(特に西行の詩魂)との出会いを期待するものであったであろうし、そして能『遊行柳』をなぞる旅であったでしょう。芭蕉は能の中のワキである遊行僧のように旅をして行った、そう思うのです。

<まだまだ続きます>

今日はこれから俳人の黛まどかさんとの対談です。

奥の細道について(2)原文と現代語訳と謡のことなど

さて、前回から書き始めた『奥の細道』ですが、まずは原文と、それに対照して現代語訳(久富哲雄氏:講談社学術文庫)を紹介しておきましょう。

●=原文 ◎=現代語訳

●那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。

◎那須の黒羽というところに、知人がいるので、ここから那須野越えを始めて、野中の真っ直ぐな近道をして行こうとした。

●遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。

◎はるか遠くに一村があるのをみとめ、それを見ざして行ったところ、途中で雨が降り出し、日も暮れてしまった。

●農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。そこに野飼の馬あり。

◎そこで、農夫の家に一夜の宿を借りて泊まり、夜が明けてると、ふたたび野原の中を歩き続けた。その途中に、野飼の馬がいた。

●草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。

◎そばで草を刈っている男に近寄って嘆願したところ、田舎者ではあるけれども、やはり人情を知らないわけではなく・・

●「いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。

◎「どうしたらよいかなあ。案内してあげるわけにもいきませんが、とは言っても、この那須野は道がむやみやたらに分かれていて、この土地に慣れない旅人はきっと道を踏みまちがえるでしょう。それが心配ですから、この馬に乗って行って、馬が止まったところで、馬を帰してくさだい」と言って、馬を貸してくれた。

●ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名をかさねと云。

◎小さい子供が二人、馬の跡について走って来る。一人は小娘で、聞いてみると、名前を「かさね」という。

●聞なれぬ名のやさしかりければ、

◎聞きなれない名前が、いかにも優雅に感じられたので、

●かさねとは八重撫子の名成べし 曽良

◎かわいらしい子供はよくなでしこにたとえられるが、この小娘は「かさね」という名だそうだから、なでしこならば花びらの重り合った八重なでしこの名であろう。

●頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て、馬を返しぬ。

◎まもなく人家のある村里に着いたので、馬の借り賃を鞍壷に結びつけて、馬を帰した。

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この段を書写しながら読んだときに、まずはいくつもの謡(能のせりふ)が口をついて出ました。

たとえば「是より野越にかゝりて、直道(すぐみち)をゆかんとす」。これは能『遊行柳』や能『山姥』に似ています(「またこれに数多の道の見えて候。広き方へゆかばやと思ひ候」とか)。詳細は後でね。

それから「遥かに一村を見かけて」。これは能『雲林院』の「遥かに人家を見て」云々の謡。そして続く「雨降り日暮る」。これは能の常套パターン。この後に何者かが訪れる。

次の文の「一夜を借り」、これも能ではよくあるパターン。この一夜が不思議な一夜になります。そして同文中の「明くれば」。これは能『松風』の謡。この「明くれば」の一句は非常に大切で、この一句で不思議世界が現出する雰囲気を作ります。

それから「さすがに情しらぬには非ず」は、後の「やさしかりければ」と呼応して、やはり能の謡を思い出させます。たとえば能『雲林院』の「惜むも乞ふも情あり」とか「あらやさしの旅人」とか「かかるやさしき狂女こそ」とか、さまざま。

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そして写し終わり、読み終わったときに、ずっと長い間忘れていた感覚が甦りました。

それはうまく伝えられないのですが、世界が逆転する感覚というか、ちょっと位相がずれる感覚というか、そんなものです。

chouden04b子供のころ、特に雨が降っている朝、小学校に向かう電車の駅にいると、本当は右から来るべき電車が左から来たりしたことがありました。お腹の調子が何となく悪く、吐き気を催してくる。で、周りの友達を見ると、みんな平然としている。それを見て、よけいに気持ち悪くなる。これは電車の間違いではなく、自分の内部の感覚が逆転していたのです。

で、そんな日は学校に行っても、すべてがちょっとずつチグハグで、いつもの教室にいるのにいつもの教室ではない、友達も先生もちょっとずつ別人のように感じられる、そんな感覚です。

ありますか。そういうのって?

で、そんなときは決まってお腹の辺りがちょっと変なのです。お腹の中も逆転している。

奥の細道について(1)

今週は黛まどかさんとの対談があります。

そこで芭蕉の『奥の細道』を読み直しています。

『奥の細道』は、前に『ワキから見る能世界(NHK出版)』を書いたときに芭蕉の自筆本(伝)を臨書(というか、本当は<なぞり書き>)しながら読んだのが、通読した最初で、そのときにその不思議世界の毒気にすっかりやられてしまいました。

ほんの最初の、那須の黒羽にかかったところの段がすごいのです。

が、それ以降、いろいろすることがあって、ゆっくり読んでいる暇はなかったのですが、今回読み直して、前回と同じ那須辺りで、またまた引っかかってしまいました。

那須には、いつもお世話になる二期倶楽部があるし、殺生石、遊行柳という能にちなんだ歌枕もあるし、なかなか不思議な土地なのです。

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そうそう、芭蕉の弟子である土芳の書いた『三冊子』は、能勢朝次氏の注釈があり、これが本当に面白い。不易流行とか風雅の誠の論が書かれている『三冊子』自体も当然、面白いけど、能勢朝次氏の注釈がすごい。氏には世阿弥の十六部集の注釈もあるし、幽玄論なる名著もあるし、能好きにはたまらない人なのです。

芭蕉や蕉門の俳句のベースには、能をある程度知っていることが大前提としてあります。紀行文である『奥の細道』も、もちろんそう。

芭蕉自身が、能の中のワキとして奥の細道を旅しているわけですから、『奥の細道』の一段一段を能の一曲一曲として読んでみると、これまた興がある。

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『杜若(かきつばた)』という能があります。

諸国遍歴の僧が三河の国(愛知県)の八橋に行きかかると、そこにどこからともなく若い女性が現れて、いろいろ話をするうちに、その女性が実は杜若の精霊で、『伊勢物語』の主人公である在原業平や高子の后の装束を着て、『伊勢物語』の世界を舞いつつ、それをそこに現前させるという能です。

そこで再現されるのは「東下り」の段です。

能『杜若』は、室町時代の人からすれば、平安時代の王朝絵巻である『伊勢物語』の東下りの段が、数百年の時を経て、現代(室町時代のね)にバーン!と立体的に再出現したという感じがしたと思うのです。

『伊勢物語』と能『杜若』を比べると、能の方が『伊勢物語』よりもずっと長い。伊勢を読むと10分もかからないけど、能は1時間15分くらいかかる。となると、ぐっと圧縮されていた『伊勢物語』を解凍して、舞台芸能として立体化したのが能だと考えることもできるのではないでしょうか。

舞台芸術の特徴は、それが常に「現在形」で語られるということです。作り物語のように、未来から振り返って、その時を語っているわけではない。その先に何が起こるかわからない。<現在>は、未来を孕みつつ、しかし何が起こるかわからないという不安と不確実性が常につきまといます。しかし、同時に未来へのシカケ(伏線)もしてある。

で、『奥の細道』もそんな風に読んでみます。圧縮してあるものを解凍しながら、謡にして謡いながら、ついでに動きながら読んでみて、あとでそのシカケに気づくと、とても面白いのです。

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時間があるときに那須の黒羽のところだけでも書いていこうと思っています。本当は謡いながら動きながら読みたいのですが、ブログではそういうわけにはいかないのでどこまで伝わるか・・。

説明責任?

またまた事業仕分けの話から。

今回の事業仕分けを受けて、テレビなどでもいろいろ議論がされていますが、その中で、「この事業が何のために必要か、ちゃんと説明をする責任がある」というのがあります。

それはある意味正しいのですが、しかし、その「説明」というものが、本来は方便以外の何ものでもないということは、しっかりと理解しておかないと「説明」信仰に陥りやすい。

何かをしようと思うときは、それが「したい」と思うからです。で、その動機を言語で説明するというのは本来は無理だと思うのです。

いや、やろうと思えばできます。が、その理由は本来は膨大にあって、それをすべて語るには膨大な時間がかかります。そのために、膨大な理由の中から、いま目の前にいる人が納得できる理由を探し出す。

が、それを言ったとたんに、そのほかの理由はその「地」になってしまうわけで、それはそれでウソになるのです。

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「<たとえ>は、それを出したとたんにウソになる」といいます。同じく、説明はそれを言ったとたんにウソになります。

「まあ、方便というのはわかっているんだけれども、一応安心したいから説明して」という意味での説明ならいいのですが・・・。

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古典芸能の稽古というのは全く説明がありません。質問はなし。

内田樹さんの「日本辺境論」にも、師が弟子に教えるのは「コンテンツ」ではなくて「マナー」だ、とあります。以下、ちょっと「日本辺境論」より引用。

・・弟子が師に向かって「先生、毎日便所掃除とか廊下の拭き掃除とかばかりで飽きちゃいましたよ。いつになったらぼくに極意を教えてくれるんですか。ねえ、先生ってば」というような督促をすることは許されません(ふつう、そんなこと言ったら即破門)。というのは、師弟関係を起動させるためには、師はできる限り弟子から見て無意味と思える仕事をさせるに決まっているからです。・・・

で、このあと・・

それが一番効率的だから。

・・と続きます(144ページです。続きはぜひ、本書をお読みください)。

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そうなんです。この「説明がない」ということが、実は「一番効率的」なのです。

説明をたくさんしちゃうと弟子は自分の頭で考えることを放棄します。いつも教えてもらうことを期待します。そうなると、その人はオペレーション人(命令をされて作業をするだけの人)になってしまいます。

むろん、すべての人にこれを期待する必要はないでしょう。多くの人はこれ(質問なし、自分で考える)に耐えられません。

それは悪いことではなく、「俺は考えるのは苦手で、人が考えたことをするのが好きだ」という人がいいとは思うのです。将校だけで兵士のいない軍隊というのは戦いができません。

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とはいえ、現代人である私たちは兵士になるのもイヤだし、「命令」に従うのもイヤです。「命令」には、なかなか従えなくなっています。

しかし、テレビCMとかワイドショーとかに影響されて、何かの行動を起こすというのも、ひとつの「命令」に従っている行為だといえるでしょう。私たちは、テレビCMの「命令」とか、ワイドショーの「命令」とか、そんな<命令にはみえない「命令」>には嬉々として従います。

「説明」というのも、ひとつの「命令」なのです。

命令というのが言いすぎだとしたら、「説得」、あるいは「洗脳」といってもいいかも知れません。

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だから、ある事業を思いついて、それを「ねえねえ、こんなのするんだ!」と話したときに「それを何のためにするのか」と聞く人と、「もう少し詳しく話して」と聞く人は全く違います。

さらに、「面白そう!」といって細かいことを聞かずに、すぐに参加をしてくれたり、援助をしてくれたりする人は、これまた全く違います。その人の関わっている分野で活躍している人に、そういう人が多いようです。

このごろそういう方とのお付き合いが多くなったので、ストレスが非常に減りました。ありがたい限りです。

著者による国語の授業

来年は国民読書年なので、NPO法人「天籟(てんらい)」と「和と輪」の合同企画で、いくつかの事業を計画中です。

・・が、今回の事業仕分けで予定のものが、すべて廃止になってしまったので縮小せざるを得ないのですが・・。

そのひとつが「著者による国語の授業」です。

本の著者が自著を授業します。

いわゆる出前授業と違うのは、あくまでも「国語」の授業ということ。国語の授業ですから指名とかがあって、指された人は立って読むとか、最後に小テストとか漢字テストとかがあったりとか、宿題を忘れた人は立っているとか(は、ないかも知れないけど)、いろいろあります。

能の五番立てにのっとって五人の先生が「神(脇能)、男(修羅)、女(鬘物)、狂、鬼」で行います。本当はこの順番で行いたかったのですが、さまざまな事情で順番は変わります。

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現時点での先生としてご快諾いただいている方々は以下の通りです(最初は安田がさせていただきます)。

1.脇能:安田
2.修羅物:林望先生
3.鬘物:黛まどか先生
4.狂:内田樹先生
5.鬼:片平秀貴先生

また朗読・音楽担当として槻宅聡さん(能管)、奥津健太郎さん(狂言師)、安田が特別参加します。

日程は未定ですが黛さんは3月初旬までの間に、内田さんは夏休み(8月)を考えています。そのほかの先生方はまだ決まっていません。

校長先生とPTA会長も考えています。それはサプライズということで・・。

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募集する生徒は50名。その他にPTA参観席を50席作る予定です。募集は今年中に日程を決めて、来年早々から開始します(・・ので、今言われても対応できませ〜ん)。

募集人数が少ないので、募集は「和と輪」と「天籟」のホームページ、及び和と輪のメルマガだけを考えています。基本的には早い人順です。メルマガ→(翌日)ホームページの順番で募集します。

PTA参観席の方は指されない代わりに質問もできません。生徒は指されるし、テストを受けさせられたりもします。変な質問ばかりする人や冷やかしの人は退学させられます。

生徒に関しては全5回分のチケットを購入していただける方を優先します。ちなみに出席を取りますが、出席及び成績優秀者にはちょっとした(「ちょっとした」を強調!)サプライズが用意されています。

・・・が、実は僕は学生時代の語学はほとんど後輩が取ってくれたので、代返とかOKです(チケットを誰かに譲るとか・・)。

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修学旅行とか文化祭もいいなあ、と思っています。

現在、NPO法人「天籟(てんらい)」を中心に企画中です。

お楽しみに!

上士別のいとこ

一昨日は札幌の隣の江別市にある「北翔大学」での授業、そして昨日は北海道の士別市にある、上士別(かみ・しべつ)小学校というところで授業をしてきました。

北翔大学では最初のコマ(1年生対象)では能の話を中心にしたのですが、次のコマ(3年生)では甲骨文と『論語』の話をしてしまいました。かなり渋い話だったし、ことさら盛り上げようとも思わず授業をしたのですが、ひとりも寝ずに最後まで食いついてきてくれました。

偉い!

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さて、上士別です。上士別は士別市にあります。で、士別市は旭川から車で1時間半くらい・・だったのですが高速ができて1時間を切るようになりました。

上士別にはマサヒコという同年齢のいとこがいます。子どもの頃から、兄弟のように育ったいとこで、彼の娘さんである「ももちゃん」が小学校六年生なので、その学校に授業に行ったのでした。

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一昨日の夜遅くに旭川に入り、朝にホテルまでマサヒコが迎えに来てくれました。

旭川では雪がチラついている程度だったのですが、士別に向かって行くと、だんだん雪が深くなります。

<以下、写真はクリックすると大きくなります>

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途中でヤマザキパンの看板を見たら、急に菓子パンが食べたくなり(朝食はちゃんと食べたのに・・)、「どこかでパン買える?」と聞くと、「ムリ」という即座の返事。

ワッサム(和寒)というところでの会話。

が、ややあって「あ、峠を越えればあるかも」という。塩狩峠です。

雪も降っているし、塩狩峠だし、すごく北海道に来た感じがして、思わずホワイト・クリスマスを思い出すという恥ずかしいほどに短絡的な連想をしながらもニコニコしながら車に乗っていました。

で、峠を越えたところにあったコンビニでアンドーナツを買って、ムシャムシャ食べながらマサヒコの家に行き、着替えて学校です。

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上士別小学校は全校で50人ほどの学校。

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4時間目は1年から3年までの子どもたちに授業。声を出したり、すり足をしたり、ワーワー騒ぎながら、あっという間に45分が終わってしまいました。質問もすごく多くて、給食の時間だというのに15分以上も過ぎても離してくれません。

5時間目は4年生から6年生までの授業(間に昼食)。

こちらはちょっと落ち着いて、いろいろな話やら実演やらをしたり、子どもたちにも体を動かしてもらったりと、いろいろできました。でも、相変わらずテンションは高く、やはりあっという間の45分でした。

両方とも、やはり2時間ずつは欲しいのですが、近頃の学校はカリキュラムを消化したり、行事を消化したりと大変で、能の授業なんかをゆったりやっているヒマはないのです。

さて、夜には校長先生とPTAのお父さんたちが、いとこのマサヒコの家に集まり、みんなでワイワイと23時過ぎまで話(というか宴会)をしました。校長先生もいいし、お父さんがたも楽しい方だし、いいなあ。

そうそう。ちなみにそこで「農作業をするときの身体」についての話になり、このことについてはまた書きますね。

みなさんが帰った後も、マサヒコや奥さんのケイコさんとは1時30分くらいまで話して、楽しかった!

実は彼らは青春時代に中央線沿線でワイワイやっていた仲間なのです(マサヒコは1991年に奥さんとともに北海道に移住したのです)。いまはなくなってしまった吉祥寺のぐゎらん堂とか、高田渡さんの話とか、そんな話も久しぶりにしました。

ちなみに彼の持っているマーチンD-15は、僕が知っているマーチンの中でも最もいい音のするギターの一台です。特に低音弦の音がすごくて、最初に聞いたときには「ギターって本当はこんな音だったんだ」って目から鱗(あ、耳から鱗)が落ちました。

まるで二台のギターで弾いているように聞こえるのです。

そうそう。そのときにいっしょに遊んでいた友人(高校時代の友人)が、いま失踪中なのです。サトウ君といいます。

サトウ!どこかでこれを見ていたら連絡ください。

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さて、マサヒコはこのごろ家を作っています。

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もともとあった家を買って、それを自分なりに作り直しているのです。というとリフォームみたいだけれども、それどころではない。ほとんど全面の作り直しです。

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解体される家から梁をもらってきたり、廃材をもらって来たりして作っているのですが、ひとりでそれをしているというのです(たまには人に手伝ってもらいながら)。

「ひとりでやるのは大変じゃないか」と聞くと、「その方が気楽だから」といいます。さらに「図面とかないし、作りながらアイデアが出てきて、それでやるからね」とのこと。

なるほど!

事前に図面を引き、未来図を作って何かをするというのもアリだけど、こんな風に「今」を起点に、どんどん作り上げていくというのもアリです。

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実は僕の書く本もそれに近くて、手から出てくるに任せて書いていくうちに、いつの間にか全体の構成が見えてきて、そこで目次案のようなものを作ることが多い。むろん、企画を通す段階で、ある程度の目次案のようなものは作るんですが、それはむしろ方便。その通りにいくことなど絶対にない。

ワークショップや講演となると、さらにそれが徹底している。事前にすべてを決めるなんてことはほとんどない。・・というか、事前にはほとんど何も決めずに会場に入る。

で、まずは会場の雰囲気である程度のことが決まる。あとは参加者の顔やうなづきや、そんなものを感じながらやっていく。

悪くいえば、行き当たりばったり、計画性がない。よくいえば臨機応変(あ、悪い方が多い)。

だから今回のように学校でするときも、「何をするのか事前に教えてください」などといわれると困ってしまう。一度も会ったことがない生徒に、事前に何をするかなんて決められるはずがない。

今回は間に入ってくれたのがマサヒコだから、そんなことは一度も聞いてこない。

やはり、いとこだなあ。

論争嫌い

今日は札幌にいます。大学で授業をして、夜に旭川に移動。明日は士別の小学校です。



内田樹さんのブログを読んでいたら「論争嫌い」とあった。

僕も論争は大嫌いで、だいたい論争なるもので勝ったためしがない。論争をするくらいなら、その組織を抜けた方がいいと思う方なので、よくいろいろな組織を辞めたり、抜けたりします。

いや、正直にいえば論争どころか、議論そのものが苦手なのです。

「そんなんじゃ、民主主義をやってられないよ」とか、「それはズルイ」とか、よく批判をされるのですが、「口がうまい人が一番偉い」というのも変だとは思うのです。

先日、小学生たちの稽古で二人の子が喧嘩をしていて、お互いに相手が悪いと言い合っていたので、「じゃあ、どっちが悪いかジャンケンで決めれば」と提案したら、「そんなの変だよ」と今度は二人して僕を責めだして、一件落着になりました。

たまには、ひとつの議題をジャンケンで決めるとか、ボクシングで決めるとかがあってもいいとは思うのですが・・。



内田氏曰く・・

「論争」というものが生産的になることはない、というのが「文科系」の学問の宿命だからであるからである。

もっとも!です。

さらに引用・・

論争を「愚者を教化する機会」だと思っている人間は、スターリン主義のソ連や金正日の北朝鮮に生まれていれば、強制収容所や政治犯の粛清に喜んで同意するタイプの人間である。

私は「そういう人間」を直感的に見分けることが出来る。

強制収容所の「囚人になる人間」と「看守になる人間」は、そのような制度が存在しない社会においてもはっきりと識別できる。

論争を好むのは「看守」たちである。

だから、私は彼らとはかかわりあいを持たないことにしているのである。
 


そうだ!そうだ!

論争や議論が苦手なので、今までそれをうまく言うことができずに「さっさと辞めちゃう」という手で逃げてきたのですが、なんかとってもスッキリした〜!

僕が幼少期を過ごした漁村では、議論なんかしている人は誰もいなかった(ドスもって喧嘩している人はいたけど)。

学校でもそうです。議論をするくらいなら、ひとりひとりが好き勝手に行動をした方がいい。高校になっても、「クラスで文化祭で何をするか」なんてことにマジメに取り組んでいたのは、ごく一部の生徒で、後は勝手にやっていた。

およそ人の行動を阻むものには、二種類あるような気がします。

ひとつは壁。これは乗り越えるのが気持ちがいい。

で、もうひとつがブレーキ、あるいは枷(かせ)。これがすごく気分が悪い。

「何かをしたい」と思ったときに、「それはこんな問題があるから、やめた方がいい」とか、「こっちの方がいいよ」と言い出す人がいる。その人を説得しているだけでかなりの時間のロスになるし、僕の場合はだいたい失敗する。

そんなブレーキや足かせを引きずりながら、前に進むのは、とっても大変。

そんなときはお互いに「したい」と思ったことをした方が(いいか、どうかはともかく)話が早い。失敗しても、まあ仕方ないかと納得ができる。次への立ち直りも早い。

論語の「道同じからざれば、相い為に謀らず」というのは、こんなときのことをいうのではないかと思っています。



以前に、エイズの本を二冊ほど書いたことがあります。

エイズのボランティア・グループのための資金稼ぎのためでした。もう20年ほど前にもなるのですが、当時はエイズに対する偏見はすごく、特に性的接触(という、これまたすごい名称、要はセックス)による感染者に対する差別は、厚生省ですらしていた。そんな時代です。

知人に、その性的接触!で感染をした人がいて、厚生省も、当時あったさまざまなボランティア・グループも全く相手にしてくれなかった(どころか、すごい差別をした)ので、じゃあ、その人をサポートするためのグループを作るか、っていうことで作りました。

で、そのグループを作るときに「手つなぎ鬼方式」というものを考案しました。

・・・この話は前に書いたかな。でも、いいや。もう一度、書きます。

「手つなぎ鬼」というのは鬼ごっこの一種で、鬼が誰かを捕まえると手をつなぐ。すなわち二人一組の鬼ができあがります。

 鬼:ひとり捕まえると

●−● 鬼が二人になる

そして、もうひとり捕まえると、また手をつなぐ。三人一組の鬼になります。

●−●−●

で、もうひとり捕まえる。そうする今度は、その鬼が二人、二人の二組に分裂するのです。すなわち二組の鬼ができあがる。

●−● ●−● 二組の鬼

逃げる方は二組の鬼に追いかけられる形になる。

●−● ●−●−● 二組の鬼:もうひとり捕まえると

●−● ●−● ●−● 三組の鬼

こんな風にして、すごい勢いで鬼が増殖していって、逃げる方は大変になります。

で、グループにおける手つなぎ鬼方式というのは、「ある程度の人数になったら分裂しよう」、あるいは「意見が分かれたら、新たなグループと作って分裂しよう」というものです。分裂しやすくするための仕組みも考えました。

論争をするより、互いにやりたいことをやろう!です。

むろん、この方式ではグループは大きくなることはありません。最初から、そのための爆弾が仕掛けてあるわけですから当然です。

でも、「グループを大きくしよう」と思ったとたんに、最初の「やりたい!」という動機からは外れてしまいます。最初の動機から外れると、やる気が大きく殺がれます。大きく殺がれたやる気で、それでもやっていくためには金銭的なこととか、名誉的なこととか、新たな動機が必要になります。

となると、少なくとも僕はワクワクしなくなる。

そんなわけで、この「和と輪」も、寺子屋も、そしてNPO法人「天籟(てんらい)」も手つなぎ鬼方式が基本になっているのです。

「册」でのワークショップ

昨日、千鳥が淵の『册(さつ)』でワークショップがありました。

「論語」のワークショップで、前回にも書いた【からだをつかって本を読むー『ロンゴ』を読み解くワークショップ】です。

今回は子どもが中心だと思っていたのですが、子どもは残念ながら約1割。

いつもながら事前に何をするかはほとんど決めず、参加者の方とお話をしながら決めていきますので、自分の備忘録も兼ねて昨日の流れを書いておきます。

●身体文字のクイズ

甲骨文字や金文をホワイトボードに書きながら、さまざまな身体文字が現代のどの文字になっているかを考えてもらいました。

手→「左」、「右」、「有」、「受」、「獲」など
足→「各(客)」、「降」、「止」、「歩」など

●身体文字を体で表現する

グループで、さまざまな身体文字(特に「人」に関する文字)を体で表現しながら、その文字が今のどの漢字になっているかを考えます。

●呼吸の練習

身体文字のひとつ「欠(あくびの形)」から、あくび呼吸とストロー呼吸の練習をしました。ストロー呼吸は、シャボン玉を使いながら行います。

「息」には「心」という文字が入っていることに注目。「心」は孔子が生まれる、ほんの500年前にできたばかりの新興概念。『論語』はその「心」の使い方を指南した世界最初の書物!

呼吸筋は、意識(心)的にコントロールもできるし、無意識のときでも動いているという不思議な筋肉。さらには呼吸をコントロールすることによって、自分の無意識や自律神経すらもコントロールできるという不思議な機能をもつ動作。

呼吸を意識的にコントロールしようなんてするのは人間だけ。

そして、もうひとつ人間を人間たらしめているものとして「マネ」があるという話をしたあと・・

●學(学)の意味の話

金文を書きながら「学」とは、身体によるマネの学習だということを話しました。

●「学」を実際にやってみる

狂言の動きをみんなで行いながら「マネ」とはどのようなものであるかを知る。声も出しながら、筋肉の動きの説明もしながら・・。

・臼を引く、弓を引き放つ、櫂で漕ぐ
・怒る、泣く、笑う

みなさん、かなりノッて上手にできていました。

大事なことは、たとえば「弓を引く」でも、弓を引くつもりでするのではなく、ただ型をマネすること。そして、それをマネしているうちに、いつの間にか自分でも弓を引いている気分になることです。

それが「学」です。

それによって、自分が体験したことがないこともできるし、そこに起こる感情すらも感じることができるのです。

ちなみに人間の表情筋は英語ではミミック・マッスル、マネをする筋肉です。飼い犬が人に似てくるのは、実は間違いで、人が犬に似てくるのです。

●「学而時習之」の話

古代文字による各漢字の説明と、そして体を動かしながらこの章句が持つ身体的な意味を説明。そして、だからこそ学習が「悦楽」になるということを感じてもらう。

●甲骨文をひとつ読む

寺子屋の甲骨文虎の穴でも扱っている<双頭の龍、現る!>の甲骨文の一部を読みました。

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●甲骨文字のアニメを見てもらう

シネ・グリーオ(僕が役員をしている会社)が試作中の甲骨文のディジタル教材のための動画企画書から、甲骨文字のアニメを見てもらいました。甲骨文「虹」に関連するアニメです。

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以上です。

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『册(さつ)』は千鳥が淵にあるので桜の頃はとても美しい!

そのころにまた何かをしたいなあ、と思っています。
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