奥の細道について(9)野夫のセリフ

さて、今日は野夫のセリフです。

野飼の馬を見つけて、草刈男に歎き寄った芭蕉。前回に述べたように、これは能の一場面の再現です。

この時点で物語は現実世界ではなく、王朝絵巻か、あるいは能の世界の物語へと変容します。ですから当然、歎き寄る芭蕉に対する野夫=草刈男のセリフも、能の中のセリフです。

●「いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。

このセリフもなかなかのものですが、まずは例のよって現代語訳を(講談社学術文庫本のもの)。

◎「どうしたらよいかなあ。案内してあげるわけにもいきませんが、とは言っても、この那須野は道がむやみやたらに分かれていて、この土地に慣れない旅人はきっと道を踏みまちがえるでしょう。それが心配ですから、この馬に乗って行って、馬が止まったところで、馬を帰してくさだい」と言って、馬を貸してくれた。

◆◆◆◆◆

古文を現代語にするときの一番の問題は、現代語はどうしても論理的になってしまうということです。

この野夫の言葉の「いかゞすべきや。されども・・」も現代語では、

◎「どうしたらよいかなあ。案内してあげるわけにもいきませんが、とは言っても」

・・・と「どうしたらよいかなあ」と「とは言っても」の間に[案内してあげるわけにもいきませんが]というつなぎの言葉が入ってしまう。

が、原文中にはそんなものは入っていない。

野夫はただ「いかゞすべきや」と言い、そして「されども此野は縦横にわかれて」とくる。でも、これを入れなければ現代語としては、非常に座りが悪い。そこで、つなぎを入れてしまうのです。

でも、古文を古文のまま読もうとするときには、この論理的つなぎは極力無視するのがよい。

◆◆◆◆◆

で、最初の「いかゞすべきや」ですが、現代語では「どうしようかなあ」というつぶやきではあるのですが、能の中のセリフと考えると、いろいろ面白い。

まずは能『項羽』の紹介から。四面楚歌や鴻門の会で有名な(って、どのくらい有名かな)は、項羽と劉邦の物語です。

この能にも草刈男が登場します。ただ、この能では『錦木』や『敦盛』と違って、ワキが草刈男。シテは渡し守。

ワキの草刈は、草刈なのですが、持っているのはさまざまな草花です。どちらかというとお花やさん。渡し守であるシテに頼んで川を渡してもらい、その渡し賃に、渡し守から花を所望されます。

で、その花が「四面楚歌」で有名になった虞美人草(ヒナゲシ)。項羽の愛妾で、自刃した虞美人の血から生まれたという花です。

虞美人草の受け渡しのあと、能では項羽と劉邦、そして虞美人の話になるのですが、その話の中で四面楚歌の故事が語られ「いかゞすべきや(能では「いかゞはせん」)」という句が出てきます。

●虞氏は思ひに堪へかねて、<いかゞはせん>と伏し給ふ。

・・です。

そんなわけで草刈が「いかゞすべきや」ということによって、謡や能に通じている人(たぶん当時の俳諧の道に遊ぶ人たち)の脳裏には、能『項羽』のひと場面がふっと出てきてしまったと思うのです。

ちなみに、奥の細道のこの場面で能『項羽』の影が現れて、その草刈がさまざまな花を持つ、ということはまた後で重要になってきますが、それはまたにして次のセリフ。

◆◆◆◆◆

●されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、

◎この那須野は道がむやみやたらに分かれていて、この土地に慣れない旅人はきっと道を踏みまちがえるでしょう。

「あれ?」と思うでしょ?

昨日の時点では「直道」があった。まっすぐな道なのか、近道なのかは諸説ありますが、少なくとも黒羽に続く道があった。

それが急に「此野は縦横にわかれて」となる。

直道だったはずなのに、突然ラビリンスに迷い込んでしまうのです。最初に、この段を読んだときに一番引っかかったのがここ。

能で、シテの語りが終わり、シテがその姿を消したとき、気がつけば辺りが暗くなっていて異界に迷いこんでしまったことを知るように、この草刈のセリフで、昨日までは「直道」だと思っていた道が、突然、縦横に分かれた迷路に迷い込んでしまったとことを芭蕉たちは知るのです。

こわ〜い。

[続く]

俳句と能:謡は俳諧の源氏

いま『奥の細道』の那須の段について書いていますが、やけに能の話が出てきます。

能楽師だからっていい気になって、「ちょっと出しすぎなんじゃないの」と思っていらっしゃる方もいるかも知れないので・・・。

芭蕉の発句や連句は、能がベースになっているものがたくさんあります。能を知らないとよくわからなかったり、全く違う解釈をしてしまう可能性のあるものもたくさんあります。

宝井其角は「謡は俳諧の源氏」と言っています。能の謡は、俳諧にとっては『源氏物語』なのです。

むろん、作品は一度作者の手を離れた瞬間から作品そのものとして一人歩きをするので、それが能がベースになっているかどうかなんてのはどうでもいいようにも思えるのですが、しかしそれを知っていると作品がより面白くなります。

◆◆◆◆◆

先日、あるアニメを見ていたら、主人公が印籠を出して「この印籠が目に入らぬか」と叫んでいました。

これは視聴者が『水戸黄門』を知っているという前提です。

数百年後に『水戸黄門』を知る人が少なくなり、そしてこのアニメだけが古典として残ったときに、『水戸黄門』抜きにこの印籠のメタファーとか、なんとかを論じていたらちょっとおかしいでしょ(それはそれで深くなりそうですが)。

で、同じように芭蕉を読むときには能が必要だと思うのです。

◆◆◆◆◆

が、同時に当時の謡というのは、たとえば落語や、たとえば漱石の『猫』などで扱われるように、そんなにたいしたものではなかった。むろん土地にもよりますが、みんながワイワイと気楽に謡っていたものだった。

なんといっても「お肴」といわれることもあったくらいです。

酒の肴にちょっと謡です。

そのくらい日常の中に入っていた。『水戸黄門』くらい(かどうかはともかく)にね。

◆◆◆◆◆

でも、それは江戸時代までで、「俳句」は明治になってから正岡子規が再興したものだから、「俳句」には謡や能は必要ないんじゃないの、という人もいるでしょう。

が、正岡子規も、謡も能も非常に親しんでいました。なんといっても若い頃には能を作っています。桜餅屋の娘がシテ(主人公)というナンとも不思議な能で、全然関心しないのですが、しかし漱石は非常なる賛辞を書いています。

高浜虚子などは謡だけでなく鼓(大鼓)もやっていて、元日に漱石とその仲間たちとした楽しいやり取りが『永日小品』の「元日」に書かれています。青空文庫にありますから、ぜひお読みください。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html

この「元日」は、語りの会でしようと思うのですが、いつも読みながら笑ってしまってうまくいきません。

そんなわけで俳句をされる人は、ぜひ謡を謡っていただきたいな、と思うのです。

奥の細道について(8)草刈おのこ

さて、那須野の野越えをしようとした芭蕉。急の雨に遭い、しかも日も急に暮れて農夫の家に一夜の宿を借りる。開けて再び野中の道を歩き出すと、そこに野飼の馬がいた。この馬には物語が隠されている、というのが前回までのお話でした。

では、今日のところ。

●草刈おのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。

この文です。また例によって現代語訳を・・。

(現代語訳)そばで草を刈っている男に近寄って嘆願したところ、田舎者ではあるけれども、やはり人情を知らないわけではなく・・

◆◆◆◆◆

歩き始めた芭蕉翁、野飼の馬を見た途端、[草刈おのこ]に歎き寄ってしまう。

ちなみに芭蕉はこの旅ではかなり健康であったと言われています。昨日は歩いて野越えをしようと思っていた芭蕉。急に歎き寄るのは、どうもただ疲れていたから「馬に乗せて」とお願いしているわけではないようなのです。

それは[草刈おのこ]を見つけたら歎き寄る、これが約束だからです。

この[草刈おのこ]に能『錦木(にしきぎ)』の影が見えることは多くの人の指摘するところです。

能『錦木』には、「彼の岡に草刈る男、心して人の通路、明らかに教へよや」という句が見えます。草刈る男たちに「人の通路」を教えよ、と尋ねるという句です。

『奥の細道』のここの[草刈おのこ]は、能『錦木』を踏まえているということは多くの人の指摘するところですが、しかし[草刈おのこ]に尋ねるというのは『錦木』だけではありません。

能『敦盛』でも、ワキである僧(実は敦盛を討った熊谷直実)は、現れた草刈たちに「いかにこれなる草刈達に尋ね申すべき事の候」と声をかけます。

<草刈がいたら声をかけて何かを尋ねる>

これが約束事なのです。

◆◆◆◆◆

では、その約束事を無視して、声をかけなかったり、尋ねなかったりしたらどうなるか。

能『隅田川』で、都より我が子の行方を尋ねて旅をしてきて隅田川までやってきた狂女は、その渡し守に「私も舟に乗せてください」といいます。それに対して船頭は「お前は狂女だろう。狂女ならば面白く狂え。狂わなければ舟には乗せないぞ」というのですが、狂女はその答えに対して・・・。

「うたてやな。隅田川の渡し守ならば『日も暮れぬ舟に乗れ』とこそ承るべけれ。かたの如くも都の者を舟に乗るなと承るは、隅田川の渡し守とも覚えぬことな宣いそよ」

・・というのです。

隅田川の渡し守ならば「日も暮れぬ舟に乗れ」というのが約束事ではないか、そう彼女はいいます。

そういう狂女の言い分は『伊勢物語』に由来しています。

『伊勢物語』で、在原業平が隅田川に来たときに船頭が「日も暮れぬ舟に乗れ」というのです。この船頭のひとことが『伊勢物語』という古典に載せられた瞬間から、隅田川の渡し守は<「日も暮れぬ舟に乗れ」という!>ということが約束事として義務付けられてしまったのです。

そして、それを破った人は「うたてやな」、ああ、なんとも不風流な人だ、などと言われてしまうのです。

これは風流の旅をする芭蕉には恥ずかしい。

それに対して、隅田川の狂女はどうかというと、船頭は彼女に「狂女なれども都の人とて、名にし負ひたる優しさよ」という賛辞を述べます。「優しさ」とは優雅さ、すなわち王朝風の教養を身につけている人ということです。

都からの狂い舞をしながらの旅です。たぶんかなり汚い。それになんといっても狂女です。

狂女ではある。

が、しかし『伊勢物語』の故事によって、このように言うのは何とも王朝風に優雅だ!

・・と船頭は感服しているのです。

能『巴』でも、木曾の山奥から出てきた僧は、江州(滋賀県)の粟津原で出会った女性に対して、「優しやな。女性(にょしょう)なれどもこの里の、都に近き住まいとて、名に優しさよ」と言います。

◆◆◆◆◆

ともに「〜なれども」という語が重要です。

「A」ではあるが(〜なれども)なんとも王朝風に優雅である。

能において、この「〜なれども」は、「一見そうは見えなくても、『王朝風に優雅』である」を引き出すための「〜なれども」なのです。

・・ということを踏まえると、ここの「野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず」の「〜といへども、さすがに」が「〜なれども」に構造としては似ているでしょ。

となると、ここは、現代語訳にあるように「田舎者ではあるけれども、やはり人情を知らないわけではなく」ではないんじゃないかと思うのです。

「情け」には、もちろん「人情」という意味もありますが、「風情」とか「風流の心」、「風雅」のような意味もあります。「情しらぬには非ず」は、まさに「優し」です。

そんなわけでここは、「田舎者ではあるが、さすがにこの那須野に住んでいるだけあって能や王朝の故事を知る人だ」という意味になるんではないかなと思うのです。

そして、この情けある[草刈おのこ]は能『錦木』のように、道を教えるはずです。さらに能『遊行柳』がそこに加われば、その道しるべは馬がするはずなのですが、それについてはまた後でお話することにして・・・。

さて、こんな風に、この[草刈おのこ]に出会った瞬間から、そして芭蕉が彼の男に歎き寄った瞬間から、この場面は王朝の歌物語か、はたまた能の中の物語へと変容するのです。

[まだまだ続く]

業務連絡:甲骨文の時間と場所、ほか

以下、メルマガでお送りした内容と同じです。

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●甲骨文の時間と場所

さて、甲骨文を読む会の時間と場所が決まりました。

今回は、女性将軍である婦好に関する甲骨文を中心に読みたいと思っています。どうぞお出ましください。

日時:12年月13日(日)
   16:00〜19:00
内容:女性将軍である婦好に関する甲骨文を中心に行います。
参加をご希望の方はメールをお願いします。info@watowa.net

・場所:広尾一丁目集会室(渋谷区広尾1-11-5朝日広尾マンション一階)
 http://www.mapion.co.jp/m/35.64505555_139.7189611_10/
 携帯サイト↓
 http://www.watowa.net/i/tera/index.htm
 明治通り、恵比寿橋沿いのマンション。
 一階に薬局があります。
 マンションの入り口は2階です。
 エレベーターか階段で一階まで下りてください。
 エレベーターを降りて右を見るとコインランドリーやゴミ捨て場があり、そこを右に曲がり、突き当りに「集会室」と書いてあります。

●今月の寺子屋の謡

今月の謡(うたい)は、11月の寺子屋でも一度謡いましたが『羅生門』を謡います。羅生門に出没するという鬼と渡辺綱との戦いの能です。謡うのは、源頼光や渡辺綱らの酒宴の場面。

これは赤穂浪士が討ち入りの前夜に謡ったといわれる謡で、討ち入りが12月14日(旧暦:新暦では1月30日)なのでに、それにちなんで謡います。

なお、15日は能『羅生門』に因んで「鬼」と「をに」についても考えてみたいと思っています。

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寺子屋の詳細はHPで。http://www.watowa.net/
(↓携帯ページ)
http://www.watowa.net/i/tera/index.htm

★なお、寺子屋に関して東江寺さんへのお問い合わせ、ご連絡はご遠慮ください。

長生きの秘訣:中国の古典より

今回の『論語』の本は、かなり噛み砕いて書いたつもりだったのですが、先日、僕の身体系の本はほとんど読んでくださっているという方にすすめたら、「論語って何?」と言われました。

なるほど!

『論語』が本だということには、さすがに触れなかった。さらに『論語』=孔子も、基本的には自明のこととして書いてしまった。

反省!

このような方にこそ、むしろ読んでいただきたいのに、どうしたらいいだろう。

あと、「ここが難しかった」というところがあったら、ぜひ寺子屋などのおりに教えて下さい。できればそのときにお応えしますし、次回から注意するようにします。

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さて、『呂子(りょし)春秋』という本があります。

これは『論語』を知っている人でも、あまり知らないかなあ。秦の始皇帝の宰相であった呂不韋(りょふい)とその食客たちの言行録です。

その『呂子春秋』の中に長生きの秘訣が書いてあります。で、それを紹介しようと思うのですが、その前に「じゃあ、長生きって何なんだ」ってところから。

呂不韋は「全生」を最高の生であるとする子華子の説を紹介しています。ただ長く生きるのが長生きではない。子華子によれば生の順序は次のようになります。

【1】全生(六欲※がすべて調和を得ている状態)

【2】虧生(きせい:六欲が半ば調和のまずまずの生)

【3】死(知がなく未生の状態の戻ること)

【4】迫生(六欲が調和せず、すべて悪いところが出てくる生き方。屈服、屈辱)

※六欲:生死耳目鼻口の欲

「長生き」というのは「全生」の状態で長く生きるということをいいます。屈服、屈辱の中で長く生きるのは、呂不韋のいう「長生き(寿長)」ではありません。

・・・といって死ねというわけでは、むろんありません。「全生」で生きよう!という提案です。

「生(せい)以って寿(じゅ)長に、<声色滋味>よく久しくこれを楽しむ」とあります。ただ生命を永らえるだけでなく「声」、「色」、「滋味」、すなわち耳も、目も(ひょっとしたらセックスも)、そして口も楽しむ。

いい音楽を聴き、人からの心地よい言葉を聞き、美しいものを見、さらには人と心身ともに親しみ、そしておいしいものを食べる。それが長生きなのです。

◆◆◆◆◆

で、昔からそういう人は確かにいた。で、そういう人はなぜそうであるのか、ということを考えるのですが、実はそこにはとても簡単なひとつの法則性があった。

「論、早く定まればなり」

すなわち・・

「ものごとの決定が素早いからである」

というのです。

◆◆◆◆◆

その理由はというと・・

ものごとの決定が早ければ、思慮することが少なくてすむ。思慮することが少なければ精神を費消しつくすことはない。

・・というのです。

確かに天寿を全うできない原因の多くは精神的なものです。身体的な病気も精神の費消が原因ということも少なくない。

心理療法家のフリッツ・パールズは「不安」について、あるワークショップで次のように(確か)話していました。

「今」というときと、「これからやってくる」というときとの間に横たわるクレヴァス、それが「不安」だ。

※今、手元にはないのですが(確か)「Gestalt Therapy Verbatim」より。

このクレヴァスが広ければ広いほど不安は増大し、狭ければ狭いほど不安は少なくなります。

だから「今」を大事にするとパールズはいうのですが、これは孔子の「敏」にも近いですね。

行いは「敏」に!です。

◆◆◆◆◆

さあ、こんなことを書いているうちに、しなければならないことがたまっているということを思い出したぞ!

死なないうちにやらなきゃね。

奥の細道について(7)野飼いの馬

さて、久しぶりの奥の細道です。

ほとんどお忘れの方、あるいははじめての方のために今までのリンクを貼っておきますね。

(1)http://watowa.livedoor.biz/archives/50782871.html
(2)http://watowa.livedoor.biz/archives/50785187.html
(3)http://watowa.livedoor.biz/archives/50786107.html
(4)http://watowa.livedoor.biz/archives/50791546.html
(5)http://watowa.livedoor.biz/archives/50798330.html
(6)http://watowa.livedoor.biz/archives/50801410.html

この「奥の細道」ですが、「自分は好き勝手に書いているけれども、読んでいる方は全然面白くないんじゃないかな」と思いながら書いていたので、なかなか書き進まなかったのですが、ある方から「楽しみにしています」というメールをいただき、俄然書く気になりました。

もともと書くよりも人前で話をする方が好きなので、ブログのように見えない読者の方の前で書いているとなかなか筆が進まないのです。人前で話をしていると、すぐに反応がわかるでしょ。書籍だと編集の方からの反応があるし・・。

まあ、それはともかく再開です。

◆◆◆◆◆

・・と言いながら、今日はかなり短い。

●そこに野飼の馬あり。

これだけです。この「野飼の馬」が放牧の馬なのか、家畜の馬を野原に連れてきて草を食べさせているのか等々、議論のあるところなのですが、それはまあどっちでもいいでしょう。

それよりもまず大前提として、この話がかなりフィクションに傾いているということが大事です。

奥の細道には曽良(そら)という弟子が随行していて、克明に日誌(随行日記)をつけています。で、その日誌の記述とここら辺が合わない。『奥の細道』には日誌と合うところと、合わないところとがあるのですが、合わないところもかなり多いのです。

そんなわけで『奥の細道』は紀行文というよりは、物語だと思って読んだ方がいいという人もいます。この「那須」の段などは特にそう。

・・となったとき、この「野飼の馬」は現実の馬ではなく、物語中の馬です。

しかし、まだ「野飼の馬あり」と、登場だけしておいて、何をするわけでもない。物語の点景として現れただけの馬なのですが、この馬はさまざまな物語を引っさげて登場しています。

で、こいつが動きだすとそれに連れてさまざまな物語が姿を現し始めるのですが、そのためにはこの馬を動かすためのもうひとつの風景が必要になります。

次回はその話からはじめましょう。

12月の寺子屋ほか

12月の寺子屋が決まりました。

ブログしかご覧にならない方のために、昨日、メルマガで送った内容をブログにも載せておきます。

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●今年最後の寺子屋

さて、またまたギリギリになってしまいましたが12月の寺子屋を2回、以下のように開催いたします。みなさまのお運び、お待ちしております。

日時:12年月15日(火)19時〜21時
      22日(火)19時〜21時
場所:東江寺(東京都広尾)
会費:お賽銭

参加をご希望の方はメールをお願いします。info@watowa.net

●甲骨文、虎の穴(時間未定)

甲骨文、虎の穴は日程だけが決まりました。場所の都合で時間が未定です。決まり次第、またご連絡いたします。

日時:12年月13日(日)
   時間、場所未定。
内容:女性将軍である婦好に関する甲骨文を中心に行います。

参加をご希望の方はメールをお願いします。info@watowa.net

●来年度のことなど

来年度は、寺子屋を開催させていただいている東江寺さんや、NPO法人「天籟」とともに、さまざまなことを予定しています。

・著者による国語の授業
能や古典に関する著作のある著者の方に、国語の授業をしていたこうという企画です。先生も、黛まどかさん(俳人)、林望さん(作家)、内田樹さん(思想家)、片平秀貴さん(丸の内ブランドフォーラム)が決まっていて、なかなか豪華でしょ。あ、安田も1コマ持ちます。

詳細は「天籟」のHPで。

http://www.tenrai.or.jp/

・座禅会・素読の会が始まります

長い間お休みしていた東江寺さんの座禅会が再開されます。また、それに連動する形で素読の会を開催いたします。素読の会は『論語』などの四書・五経を、ただただ大きな声で読んで行こうという会です。基本的に解説はしません。

座禅会を月に2度、素読の会も月に2度行います(が、急のお休みはあります)。

開始時期は、またお知らせします。ご興味のある方はお知らせください。

・「寺子屋師範講座(仮称)」が始まります

本気で「學」を極めたいという方を対象に、寺子屋師範講座(仮称)をはじめます。詳細はまた後日に。

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寺子屋の詳細はHPで。http://www.watowa.net/
(↓携帯ページ)
http://www.watowa.net/i/tera/index.htm

李白というカフェ

先日、大修館書店の編集の方たちと打ち合わせがありました。

去年一年間、雑誌『言語』に連載した「神話する身体」の書籍化の話と、対談の話です(この二つについては、今度書きますね)。

で、その場所として指定されたのが「李白」というカフェ。

かつては神保町にあり、学生時代にたまに行きました。ひとりぼんやりするには最適のカフェでした。

が、ある日、神保町の古本屋めぐりをし、大量の本を買い込んで「さあて」と読もうとしたら、「ここは読書禁止」などと言われ、それ以来、李白は漢詩を作る場所(学生時代の授業の課題)として、ときおり訪れただけで、本を読むためによく行くカフェはミロンガになり、李白からは足が遠のきました。

・・が、どうもこれは僕の「大量の本」がいけなかったようで、決して本を読んではいけない!というわけではなかったようでした。

で、その李白が経堂にあった。・・というか移った。・・ということを大修館の『言語』の編集長さんに教えていただき、みなで李白へ!

さきほどネットで検索したら・・

「たま〜にやってて、よくやってないという、
いったい営業しているの?といいたくなるような、
不定期休みのお店。」


・・という記述がありました。

みなさん、いらっしゃるときには「空いてなかったら、どこか近くに入ればいいや」くらいのつもりでおでかけください。電話をかけてやっているかどうかを確認するような無粋なマネはしないように。

一応、書籍の打ち合わせだったのですが、むろん、あまり大きな声で話ができる雰囲気ではないので(といってもお客さんは僕たちだけ)、静かに打ち合わせをしました。

◆◆◆◆◆

それからカフェのはしご。

これまた編集長さんのお勧めのウィーン・カフェ、「ラントマン(表参道)」

こちらは気にせずに話ができるお店だったので、ワイワイとお話をしました。ウィーン・カフェについてのお話も伺いました。面白い!今度、ウィーン・カフェの本を読んでみよう。

今回行ったのは表参道でしたが、三越本店のものが「もっともウィーン・カフェ」だそうです。

今年は、ウィーン公演の話があったのですが、先約があったために行けず他の人に行ってもらいました。残念。ウィーンでウィーン・カフェに入ってみたかった。

◆◆◆◆◆

うちでは原稿を書くことができません。ほとんどはカフェで行い、あとは移動中の電車や飛行機の中。

そんなわけでカフェはとっても大事です。一日に3、4軒ハシゴすることもよくあります。

ウィーンカフェという新しいジャンルを教えていただいたのは、とても嬉しい!

内田樹さんと水戸黄門

内田樹さんの新刊書、『日本辺境論』を送っていただいたのですが、中に水戸黄門の話がありました。

これは僕にとってちょっとタイムリーで、実はいま『水戸黄門』を1968年の第一部からDVDで見ていて、もうちょっとで三部が終わります。

で、内田さんの『日本辺境論』を読み出したら、DVDを見っぱなしで頭の中に放り込んでおいた水戸黄門の熟成、発酵が急に始まり、脳内ワクワク状態になったのです。

◆◆◆◆◆

内田さんの水戸黄門論については、ぜひ『日本辺境論』をお読みいただくことにして、ここでは初期(って3部までです)の水戸黄門が、いま僕たちがイメージする水戸黄門とはだいぶ違うぞ、ということを書きますね。

ちなみに今年放映されているのは第40部。一部が一年ですから、今年は四十周年記念の水戸黄門なのです。

さて、最初の頃の水戸黄門には、印籠がほとんど出て来ません。

「えー!」でしょ。印籠がなくて水戸黄門なんて、そんなの水戸黄門じゃないよ、ってくらい、水戸黄門といえば印籠です。

でも、その印籠が出てこない。

印籠がなくて、じゃあどうやって水戸黄門であることがわかるのかというと、スケさんかカクさんが、「このお方をどなたと心得る」っていうだけ。印籠による証明は不要。

が、そのためもあって水戸黄門というネームバリューも、ほとんどない。

「この田舎爺い」と逆に斬り付けられることがほとんどで、「ここで殺してしまえば、わからない!」という暴れん坊将軍パターンが繰り広げられます。

で、「水戸黄門」という名や、時折出される印籠が効力を発揮するのは、その領地の殿様なり城代家老なりが駆けつけ、その信憑性が現実の権力者によって証明されたときのみで、ここら辺は内田さんの『日本辺境論』に書かれていることとの関係で面白いところです。

◆◆◆◆◆

さて、そんなわけで、水戸黄門の名前には威力がないので、スケさん、カクさんは、いきおい対手をバシバシと斬らればならず、しかもその斬り方や血のりの勢いは、いまの水戸黄門の比ではありません。

非常に近代的な、リアリズムの水戸黄門なのです。

1968年といえば、その4年前に終わった東京オリンピックの余波がまだ続くメキシコ・オリンピックの年。その2年後には大阪万博があり、さらにその2年後には札幌オリンピックがあったり、という高度成長まっしぐらの時。

西洋的なリアリズムが非常に幅をきかせていた時期です。みなさん鉄漿(おはぐろ)してるしね。

時代劇だって、様式的なものよりもリアリズムが重視されたのかも知れません。

で、それが2部の終わりごろになり、やっと印籠が<たまに>効果を発揮するようになる。

と、斬ってもミネ打ちが多くなり、型的な殺陣に変化します。リアリズムからの脱却が見えてきます。

しかし、印籠の効力は第3部に至っても、まだまだで、DVDは第3部までしか出ていないので、どこでそこが変化するのかを知ることができず残念。

ちなみにいま再放送されているのは第6部で、ここではちゃんと印籠を出すという今のパターンができています。

そうそう、ちなみに6部ではまだ由美かおるはレギュラーではないのですが、一度だけ普通に出演。それなのに入浴シーンはありました。

◆◆◆◆◆

また、水戸黄門の音楽には、さまざまなライトモチーフ(示導動機)が使われています。

ああ、これはテキストなので音楽を聞かせられないのが残念。勝手に使うと著作権もあるから・・・。

で、そのライトモチーフも最初は状況に付属していたのですが、だんだん人に付属するものが多くなり、現代のそれに近くなります(2部から登場するスリの八兵衛がスケさんのダメ男の役割を引き受ける頃に、そのライトモチーフが変化をします)。

最初のリアリズムから数年(少なくとも6年以内)の試行錯誤の末に、内田さんの書かれる「虎の尾を借るパターン」が確立していく様は、なかなかダイナミックで面白いです。

◆◆◆◆◆

リアリズムという西洋式の理念が、僕たち日本人の無意識のもつ、すごいパワーによって静かに、しかし確実に作り変えられていくさまを、水戸黄門というドラマを通して見ることができます。

そうそう。水戸黄門って40周年でしょ。なのに交代でやっていた「大岡越前」は第15部で終わるんです。

これは大岡越前は加藤剛がいなければ成り立たないのに対して、水戸黄門は誰でもいい。登場人物全員がとっても記号的な登場人物なのです。いっちゃえば、水戸黄門もスケさんもカクさんもハチベエもヤシチも、そして悪人も、みんな僕たちの一部なのです。だから誰でもいい。

で、そのキャラクターの変遷も面白い!

ぜひ内田さんの『日本辺境論』を片手に、そして(年末年始の徒然に、だまされたと思って)水戸黄門DVDを第一部から見てみてください。

あ、でもこれは本当に「だまされた」ということになるかも知れないので、DVDをご覧になるかどうかは自己責任で・・・。

今日は銚子!

今日は銚子(千葉県)で小学校のワークショップでした。

椎柴(しいしば)小学校という小学校です。僕の住んでいた海鹿島(あしかじま)からは非常に遠いところにある小学校なので、銚子にいたときには、一度も足を運んだことのなかった小学校でしたが、なんと明治9年に創立という由緒ある小学校でした。

5年生と6年生の合同で、二時間続きの授業を行いました。

「うちの子供たちは静かで」と聞いていたのですが、なんのなんの、反応もたくさんあって、なかなか活発な子たちでした。

デジカメを忘れてしまったので、学校や周囲の雰囲気をお伝えできないのが残念!田園地帯で、川も流れていて、なかなかの風景。

◆◆◆◆◆

授業が終わったあと、またまた吉田孝至さん(保育所時代の同級生)のご案内で、高校1年生の時の担任の先生のところにお邪魔をしました。すでに退職はされているのですが、先生はもともと神社の宮司さんなので、神社にお邪魔しました。

猿田神社という神社でWikipediaにも載っています。このほかにもWebでサイトを見つけることができるので検索エンジンで探してみてください。

猿田彦や天鈿女命を祭った神社なので芸能のご利益も、すごそうです。

猿田彦を祀った猿田彦神社というのは全国にたくさんあるのですが、「猿田神社」というのはここだけだそうで、今回は次の用事があって、あまりゆっくりできなかったので、次回はじっくりとお邪魔させていただこうと思っています。

ちなみに、先生のお名前はそのまま猿田先生です。そして、駅も猿田駅。

さらに紋も面白いのですが、これは今度写真を撮ったときに書きますね。

そうそう。猿田先生は74歳というお話だったのですが、高校時代とほとんど変わっていない。お若い!

宮司さんという仕事は、ふけないのかも知れませんね。

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で、そのあと吉田さんが中学校のPTAの方を対象にフラワーアレンジメントの講座をするというので見学。

ずいぶん前のブログにも書いたのですが、吉田さんは花清(はなせい)さん、という花屋さんなのです。

今日の講座はクリスマス・ツリーを作るというもの。

すごく面白かった。

チョキチョキはさみで切りながら、チョコチョコ葉を抜きながら、そしてシコシコ台に刺しながら、あれよ、あれよ、という間に生花のクリスマス・ツリーができていくのです。

すごい!

お母さんたちも、吉田さんの軽妙なトークとともに、ケラカラ笑いながら、そしてワイワイ騒ぎながら作っていきます。そして、おひとりおひとりの前に、これまた個性的なクリスマス・ツリーがだんだん形をなしていくのです。

吉田さんのフラワー・アレンジメントは、かなり自由。いい意味で「適当」!

まるで舞を舞うように、優雅に、そして気楽にしています。

いいなあ。

今度、いわゆる活花ではない、「和」のフラワーアレンジメントで何かを作っていただき、コラボレーションをしたいなあと思いました。

本当にカメラがなくて残念!
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