DEN03:うたてやな

またまた「DEN」からです。こんなに立て続けに投稿しているのは、今年度中に「5」まで行きたいと思っているからです。

今回は『ワキから見る能世界』(NHK出版)を書く元になったエッセイです。

1999年11-12月号です。もう10年も前の話なんだ。

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【血ワ牛肉マウ●第二場】
<うたてやな>

カウンセラーの友人がいます。芸術療法を専門とする彼は、公立の相談所で思春期の女の子たちを主なクライアントとしながら、大学でも講義を持ちます。もの静かな、思索的な、そして優しいといったカウンセラーのイメージとは程遠く、クライアントの女の子たちに彼の評判を聞くと、皆めちゃくちゃなことを言います。いわく、「品がない」、「なんにも知らない」、「うるさい」云々。要するにバカにされています。

しかし、彼の同僚によると、そのカウンセリングはかなりの成果を上げており、それは彼のずっこけな性格がクライアントに安心感を与えるからではないかとのことですが、もちろんそれだけではないでしょう。

さて、能を、特に複式夢幻能を、「思い」発露の場という意味で、カウンセリングの場面に似ていると指摘する人は少なくありません。

そして、その複式能の前半には、「名所教え」や「宿借り」といった定型が使われるケースが多いのですが、それら定型の一つに「愚か」だとか、「うたてやな」とか言いつつ、シテがワキをやり込めるというものがあります。

例えば、能『隅田川』では舟に乗せる、乗せないの問答や都鳥の一件、また能『杜若』では業平の東下りにワキが驚く場面などで、「心なき」船頭や僧が「優しき(優雅な)」シテにやり込められます。★

この定型対話は、「場」の統治者をワキからシテへと徐々に変化させるのに、重要な役割を果たします。

「げにげに」とワキが自分の非を認めだすあたりからは囃子のアシライも入り、そしてやがて地謡に引きつがれるときには、舞台はシテの「思い」を発現する場へと、完全な移行をはたします。自分の「場」に変化した舞台上で、シテは思う存分その思いを述べ、成仏への、あるいは正気への道を突き進むのです。

また観客にとっても、なんとなくよそよそしかった舞台が、いつの間にか一人ひとりの心の中に侵入し始めるのもこのあたりです。★★

しかし、ワキがそのような故事を全く知らない者でないことは、「げにげに」という言葉にも暗示されています。では、彼はシテに優越感を持たせるために、わざと知らないふりをしていたのでしょうか。いや、そのような偽善的な思いやりは、残恨のシテも、カウンセリングでのクライアントも望んではいないでしょうし、見破られてしまうに遠いありません。

ワキの心なき返答は、日常を生きる私たちの何気ない答えの象徴です★★★。しかし、非日常的存在のシテはそのような返答を許しません。

ただ知識としてのみ知っているワキと、己れの思いに根差した知を有するシテ、両者の間にある知の質的な相違がこのような問答を生み出し、ワキはシテの存在に庄倒されます。日常生活代表者のワキの視点からいえば、白き鳥が都鳥であることも、業平が東下りしたことも知ってはいました。

ただ知識としてのみ、そのことを知っていた(だからこそ容易に忘れ得た)ワキが、シテというその思いを体現している非日常的存在に出会い、瞬間的「信解」に至る過程こそが、この定型なのではないでしょうか。

そして、ワキがこの劇的な変化を経て、ただの「知る」から「思い知る」への移行が成就した時、その「場」は初めて共有されて、身に残る思いが実体化したシテは、その本来の姿を現し得るのです。

ワキという言葉は、「わく(解く)」の連用形名詞化としてみることができるでしょう。それには三つの用きがあります。すなわち、観客にとっては見えざる幻を見せて分からせてくれるという意味の「分く」であり、シテにとっては錯綜した記憶を名料理人、包丁(ほうてい)の如くに解いてくれる「解く」でしょう。そして、ワキ自身にとってはこの「信解」による瞬間的な自己成長の過程こそが、「わく」ではないかと思うのです。

カウンセラーの友人も、ずっこけであるお陰で、常にこの過程を受け入れる余裕を持ち続けているのでしょう。

<1999年11-12月号>

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『隅田川』より
シテ「なうなう我をも舟に乗せて賜はり候へ。
ワキ「汝は狂女ごさめれ。いづくよりもいづ方へ下る人ぞ。
シテ「これは都より人を尋ねて下る者にて候。
ワキ「たとひ都の人なりとも。面白う狂へ狂はずは。此の舟には乗せまじいにて候。
シテ「うたてやな隅田川の渡守ならば。日も暮れぬ舟に乗れとこそ承るべけれ。かたの如く都の者を。舟に乗るなと承るは。隅田川の渡守とも。覚えぬ事な宣ひそよ。
ワキ「狂女なれども都の人とて。名にし負ひたる優しさよ
シテ「なうその詞はこなたも耳に留るものを。彼の業平もこの渡にて。名にしおはゞ。いざ言問はん都鳥。我が思ふ人は有りやなしやと。なう舟人。あれに白き鳥の見えたるは。都にては見馴れぬ鳥なり。あれをば何と申し候ふぞ。
ワキ「あれこそ沖の鴎候ふよ。
シテ「うたてやな浦にては千鳥とも云へ鴎とも云へ。など此隅田川にて白き鳥をば。都鳥とは答へ給はぬ。
ワキ「げにげに誤り申したり。名所には住めども心なくて。都鳥とは答へ申さで。
シテ「沖の鴎と夕波の。
ワキ「昔にかへる業平も。
シテ「有りや無しやと言問ひしも。
ワキ「都の人を思妻。
シテ「わらはも東に思子の。ゆくへを問ふは同じ心の。
ワキ「妻をしのび。
シテ「子を尋ぬるも。
ワキ「思ひは同じ。
シテ「恋路なれば。
地「我もまた。いざ言問はん都鳥。いざ言問はん都鳥。我が思ひ子は東路に。有りやなしやと。問へども問へども答へぬはうたて都鳥。鄙の鳥とやいひてまし。実にや舟ぎほふ。堀江の川のみなぎはに。来居つゝ鳴くは都鳥。それは難波江これは又隅田川の東まで。思へば限なく。遠くも来ぬるものかな。さりとては渡守。舟こぞりて狭くとも。乗せさせ給へ渡守さりとては乗せてたび給へ。

★★

最初に謡われる地謡は「初同(しょどう)」といって、ちょっと特別な扱いがされる。情景を謡うことが多いのだが、その中にはすでに心象が歌いこまれている。

以下は能『殺生石』の初同

地歌「那須野の原に立つ石の。那須野の原に立つ石の。苔に朽ちにし跡までも。執心を残し来て。又立ち帰る草の原。もの凄しき秋風の。梟、松桂の。枝に鳴きつれ狐、蘭菊の花に隠れ住む。この原の時しも、ものすごき秋の夕べかな、もの凄き秋の夕べかな。

★★★
How are you? I'm fine, thank you.の類。

全くの余談だが若くして亡くなった才能ある友人は、高校一年の時に英語の関西弁訳をしていて、How are you?を「もうかりまっか?」、I'm fine, thank youを「ぼちぼちでんな」と訳していた。

天才は若くして亡くなる。僕は凡才だからまだ元気!

DEN02:チベットで聞いたあたらたらたらり

さて『DEN』の二回目です。

今回はチベットの話。いろいろな本で、このことは書いていますが、その初出です。

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【血ワ牛肉マウ●第二場】
<チベットで聞いたあたらたらたらり>

チベットは、さまざまな顔で私たちを引きつけます。

仏教の聖地として、あるいはシャングリラのモデル地として、あるいは明峰チョモランマをはじめ数々の名山を有する登山基地として、常に人々の憧れの対象になっています。

そして、私たちに親しい、いかがわしくも魅力的な顔のひとつに、『翁(おきな)』の「とうとうたらり」チベット語説があります。

この説は、昭和3年に朝日新聞紙上で「古今の学者連顔色なし」というスキャンダラスな見出しとともに、河口慧海(えかい)による『翁』チベット語表記とその日本語訳を付して発表されました★。

慧海師によるとこの詞章は太陽賛歌だというのです。

しかし、その後に能勢朝次氏や表章氏など斯界の権威によって完膚なきまでに叩きのめされ、現在ではほとんど再起不能の状態です。

反論の中心は「そんなチベット語はない」というもので、この反論が当を得ているならば慧海師もいいかげんなことを言ったものです。

1980年代、そんな経緯もよく知らないままに、私はチベットを訪れ、しばらく放浪をしました。

標高約4000メートルという空気の希薄さは、にわか仕込みの理性など一挙に吹き飛ばし、不在のダライラマの威厳を呈してそびえるポタラ宮や、五体投地の巡礼を迎える名利ジョカン(大昭)寺に異教徒の私ですら崇拝の念を感じました。

極彩色の曼陀羅に囲まれた堂内には、不思議な倍音を有するチベット声明の深い響きや変拍子の打楽器の音に唱和するパーカッシブな読経の声々が満ち、ヤクの油を使った灯明の炎や香りとあいまって仏国現前の幻影を生み出します。

一歩外に出れば、微笑みながら姨捨の山に向かう老女の一行や、あっけらかんと一妻多夫の性的正当性を語る女子高生★★などに、確かにここは私たちの文化とは異質の常識を日常規範とする生活空間であることを実感しました。

一泊300円にも満たない安宿の居心地は悪く、多くの時間を民家ですごしました。そしてある日、その家で『翁』の「とうとうたらり」によく似た歌を耳にしたのです。

聞けば、それは『ケサル王伝説』と呼ばれる叙事詩の一部とのこと。ケサル王とは伝説の英雄王であり、この歌は幾世紀にもわたって漂泊の吟遊詩人たちによって伝承されてきた大長編叙事詩であることを教えてくれ、さらに自分は専門の語り手ではないがと言いながらも、何冊かの本を示しながら歌ってくれました。

この叙事詩は、散文と韻文との混合文体で、「とうとうたらり」は韻文の部分の冒頭にしばしば唱えられる章句です。

よく聴いてみると、それは「とうとうたらり」ではなく、「あらたらたらり」だったり、「たらたらたらり」だったり、その他いろいろなバリエーションがあって、どうも定まったものはないようです★★★。

この詞章のチベット語での意味を尋ねたところ、「意味などない」とつれない返事。慧海説はここでもあえなく敗れ去ったのですが、なぜそれを歌うのかと、さらに尋ねると、「これは神降しの呪言のようなものだ」として、次のようなことを語ってくれました。

この句を唱することによって、語り手にケサル王の霊が降りて来る。霊をうけた語り手は、一種の神懸かりの状態になり、自身がケサル自身に変身して、その叙事詩を己れの事跡として語るというのです。

それならば、「とうとうたらり」を謡った後に翁面をかけて神になる『翁』の構造ともよく似ています。『翁』の「とうとうたらり」も神降しの呪言として考えることは、そんなに無理なことではないでしょう。

しかし、だからといってこれだけで『翁』がチベットから伝わったなどと決めつけるのはあまりに短絡的すぎるし、ケサル王叙事詩の発生年代が確定していない今、それを云々することはできません。

それよりも、一介の野次馬として、彼我の降神呪言の音韻が似ていることにとても興味が引かれます。

「た」行、「ら」行という歯茎音を繰り返すことによって一種の憑依状態を引き出そうとする彼我の呪言の類似性は、大袈裟ですが両者の精神風土の根っこにある元型的な傾向を暗示しているようで面白いと思うのです。これはチベットと日本だけでなく、ひょっとしたらいろいろな地域に見い出せるかもしれません★★★★。

<1999年9月号>

********注********

▼「シャングリラ」が登場する『失われた地平線』(J.ヒルトン)は現在、絶版中でアマゾンなどでもすごい値段がついています(僕は英語版も含めて数冊持ってます!)。高校時代に読んで、とても影響を受けたました。「読んでみたい!」という方は図書館か、ぜひ復刊リクエストを--->

★朝日新聞昭和3年4月10日(『謡曲大観』では4月13日となっているので注意)

★★チベットの方の家に遊びに行ったら壁には何人かの男性の写真が飾ってあって、お母さんは「これみんな私の夫なの。いい男でしょ」と自慢する。女子高生の娘に一妻多夫について尋ねたら、「だって一夫多妻だと男性がモタないでしょ」と笑いながら答えられた。とてもきれいな女の子だったのでドキドキした。

現在は(多分)一妻一夫制はほとんど存続していないんじゃないかな。

★★★これについてはまた今度。

★★★★「たりらりら〜」とか、巻き舌でする「ららららららら〜」とか「れれれのおじさん」とか、ら行、た行のような歯茎の裏側を連続して刺激するような音は口内の快感を生み出し、そしてそれを際限なく繰り返すことは変成意識を呼び起こすのではないだろうか。

********資料********
『翁』初日。
翁「とう/\たらり/\ら。たらりあがりらゝりとう。
地「ちりやたらりたらりら。たらりあがりらゝりとう。
翁「処千代までおはしませ。
地「我等も千秋さむらふ。
翁「鶴と亀との齢にて。幸ひ心に任せたり。
翁「とう/\たらり/\ら。
地「ちりやたらりたらりら。たらりあがりらゝりとう。
千歳「鳴るは瀧の水。/\。日は照るとも。
地「絶えずとうたりありうとうとうとう。
千歳「絶えずとうたり常にとうたり。
千歳「処千代までおはしませ。
地「我等も千秋さむらふ。
千歳「鶴と亀との齢にて。処は久しく栄え給ふべしや。鶴は千代経る君は如何経る。地「萬代こそ経れ。ありうとうとうとう。
<後略>

DEN01:心のあばら屋が見えてくる

『DEN』という雑誌がありました。

1999年7月に創刊の古典芸能の雑誌で、10年間続き、2009年7-9月号で休刊になりました。最初は隔月刊だったのですが、途中から季刊になり、それでも50号が出ました。

国際的な免疫学者の多田富雄先生らが中心に、渡辺さんや竹下さんなどが実務を行って頑張って出されていました。写真は、森田拾史郎さんです。

ここら辺に関しては今度ゆっくり書きます。

さて、私(安田)も第1号からずっとエッセイを書いてきました。執筆陣の中では唯一、一号も落とさなかった!ということだけが自慢の気楽なエッセイですが、実はここに書いたことが『ワキから見る能世界(NHK出版)』や『身体感覚で「論語」を読み直す(春秋社)』に活きています。

『DEN』連載のときには、いつもギリギリまで何のアイディアも浮かばず、でもギリギリになると、舞台で座っているときに「あ、そうか」といろいろなことが浮かんできました。締め切りと舞台がなかったら、できなかった連載です。

◆◆◆◆◆

さて、その連載ですが、読者の方もあまり多くなかったので、せっかくなのでブログで再録したいのですが、と元DENの竹下さんに相談したら、「どうぞ、どうぞ」というご返事をいただきました。

元のデジタル原稿はすでになくなってしまっているので(僕自身も書いてしまったものには興味がないので、だいたい捨てるか消去してしまいます)、雑誌をスキャニングしながら掲載していきたいと思っています。

スキャニングとOCRを使って手作業でコツコツやっていきますので、変な文字のミスとか、変換間違いとかがあるかも知れません。どうぞご容赦を(しかしご指摘いただけると助かります)。

また、いま読むと書き直したいところもあるのですが、明らかな誤り以外はそのままで行きます。

『奥の細道』もまだ終わらないのに!とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、そちらもちゃんとやっていきますので、どうぞご寛恕のほどを。

さて、連載のタイトルは「血ワ牛肉マウ」です。

これは竹下さんがつけてくれたタイトルで、「血沸き肉踊る」を僕がワキであることと、やはり能だから踊るではなくてマウだろうということでのタイトルです。

では、今回は第1回目です。

はじまり、はじまり〜!

◆◆◆◆◆

【血ワ牛肉マウ●第一場】
<心のあばら屋が見えてくる>

酒席でカラオケに盛り上がっている最中に、白けたもう一人の自分がふと顔を出す。あるいは、わかっちゃいるけどやめられない悪癖に自己嫌悪の日々。自分ではどうしようもできない、自己の裏側にうごめくこの心の働きは、意識の背景として、時には意識以上に私たちに影響を与えることがあります。

無意識や下意識よりはもう少し広い範囲で、それを「背景意識」と呼んでみます。

古来の表現者たちも、意識と背景意識の双方を同時に表現したいという欲求をもったに違いありません。絵画ならば、背景の中にヒントをこっそり隠しておくこともできますが、音楽や言語芸術のような時間とともに流れていくものでは、なかなか大変なことです。

昔からいろいろな方法が試みられていますが、まず西洋に目を向けて、ワグナーの大作『ニーベルングの指輪』の仕掛けをみてみます。

この作品では、背景意識を表現するのにライトモチーフ (示導動機)という仕掛けを使っています。ライトモチーフは、音楽によって人物や事物を象徴します。これはプロレスラーが登場する時に鳴るテーマに近いのですが、ライトモチーフは人物や事物だけでなく、そのものの感情や思考、さらには下意識や背景意識までも象徴するのです。

『指輪』全曲中、ライトモチーフを使って背景意識を表現しているところで最も有名なのは、『ワルキューレ』におけるヴォータンの怒りのシーンです。

神々の世界の支配者であるヴォータンは、自分の命令を無視した愛娘の女騎士(ワルキューレ)ブリュンヒルデを烈火のごとき怒りをもって叱ります。その時に演奏される音楽や歌は、当然激しい怒りに満ちたものです。

しかし、よく耳を澄ますと、その怒りの響きの奥に、バスクラリネットとファゴットの、音としては極めて控えめな、しかし深い響きをもった楽器によって演奏される「ヴォータンの挫折」と呼ばれるライトモチーフを聴くことができます。

その仕掛けによって、私たちは当のヴォータンですら気づいていない、彼の背景意識を、そこに読み解くことができるのです。

日本の文学・芸能では、掛け詞、縁語、枕詞、序詞といった和歌の修飾技法を使います。和歌が生んだこの技法は、能という対話形式の長詩を得て、主題とは直接関係のないもう一つの世界、あるいは存在しないはずの風景すらもソフトフィルターのかかった半透明の映像として観客の脳裏に描き出します。

例えば、能『藤戸(ふじと)』★の前半で老女の思いを地謡が述べる部分。

『藤戸』では、能が始まってすぐに緊張した場面が現れます。わが子を殺した佐々木三郎盛綱に「恨み申しに参りたり」と詰め寄る老女。それを「音高し何と何と」と知らぬふりをする盛綱。そして、それに続く老女のクドキ★★。

地謡は、その緊張感を受けて老女の思いを静かに謡います★★★(下歌(さげうた)、上歌(あげうた))。地謡の詞を一語一語、心の中に反射しながら、いつの間にかシテの心中に引き込まれていく観客は、上歌に入るやそこに突如現れる異質な風景に驚きます。

それまで瀬戸内海の島廻りや児島の海岸の情景など、海辺の風景が占めていた観客の脳裏に幻のあばら屋が突如出現するのです。

これは、ここまで一貫して使われてきた「海」系の用語に対して、「山」系の用語が修辞の詞として使われ出したがために現出した幻です。この荒野に見捨てられた一軒のあばら屋、それは老女の心の風景、背景意識が実体化したものです。そして、上歌(あげうた)後半にはその景色は消え去り、再び海辺の景色が現れますが、しかし荒野のあばら屋の残像は老女の心の内を象徴する通奏低音として、いつまでも鳴り続けるのです。

能にしろワグナーにしろ、このような読み解きの楽しさを得るためには、かなりの予習が要求されます。しかし、私たちがその苦行も厭わず舞台に通い続けるのは、思いも掛けない新しい発見をし、かつその読み解きに成功した時に生じる脳の感情半球と知的半球の結合のもたらす歓喜の瞬間を忘れることができないためではないでしょうか。

<1999年7月号>

********注********

★能『藤戸』
<前シテ>漁夫の母 <後シテ>漁夫の霊
<ワキ>佐々木三郎盛綱 <ワキツレ二人>従者
源氏方の武将である佐々木三郎盛綱は、藤戸の先陣をしたその恩賞に、備前の国の児島をもらった。日もよい今日、その島に領主として入ったが、そこにひとりの老女が現れる。

彼女は「罪もない我が子を海に沈めた恨みを申しに来た」と盛綱に詰め寄る。盛綱は最初、「そんなことは知らない」と突っぱねるが、よく聞けばその子とは確かに、盛綱が刀で刺し殺し、海に沈めた漁師。

この海は月の出によって浅瀬が変わる。そこを知れば敵には知られずに海を渡ることができる。漁師を盛綱にそのことを教えた。その知識によって盛綱は先陣を切ることができたのだが、同じことを敵に知られないように漁師を殺したのであった。

盛綱は、母にその時のありさまを語り、彼の妻子を世に立つようにしよう、もう恨みを晴らせというが、母は「自分もわが子と同じように殺せ」と盛綱に詰め寄り、その刀に手をかけようとする。盛綱に払われた母は「我が子を返せ」と人目もはばからず臥し転び泣き続ける。

母をなだめ家に帰した盛綱らが、彼の男の霊を慰めるために法事を行っていると、水の中から水死した男が現れ、水底にすむ悪竜の水神となって、盛綱に恨みをなそうとする。

が、法(のり)の力で弘誓の船に乗り、生死の海を渡って彼岸に至り、成仏をしたのであった。

★★
なう猶(なほ)も人は知らじとなう。中々にその有様を現して。跡をも弔らひ又は世に。生き残りたる母が身をも。訪ひ慰めてたび給はゞ。少しは恨も晴るべきに

★★★
下歌「いつまでとてか信夫(忍ぶ)山。忍ぶかひなき世の人の。あつかひ草も茂きものを何と隠し給ふらん。
上歌「住み果てぬ。此の世は仮の宿なるを。此の世は仮の宿なるを。親子とて何やらん。幻に生まれ来て。別るれば悲しみの。思ひは世々を引く。絆となって苦しみの。海に沈め給ひしをせめては弔はせ給へや。跡弔はせ給へや。

正月の寺子屋、早速訂正です

すみません。先ほど書きましたお正月の寺子屋、二回目の曜日が間違っていました。

20日(水)です。

よろしくお願いいたします。

正月の寺子屋

昨日は今年最後の寺子屋がありました。

いつもの通り、読経、座禅の後、謡を謡い『論語』に入りました。

昨日のテーマは「己に如かざる者を友とするなかれ」。

「自分より劣った人を友達にしてはいけない」と解釈されるこの文ですが、孔子がそんなことを言うのはちょっと変だ。じゃあ、どういう意味なんだろう?ということを考えました。それについてはまたいつか・・・。

さて、正月の寺子屋です。メルマガに書いた内容を以下に貼り付けます。

大声で邪気を祓い、新たな力を呼び込みましょう。みなさま、どうぞお出ましください。

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こんにちは。能の安田です。

歳末の支度にご奔走の毎日と拝察奉ります。

さて、1月の寺子屋の日程が決まりました。初回は年始のお忙しい時期とは存じますが、新年を『論語』と目出度い能『高砂』でお迎えいただくのも気持ちのいいものです。ご予定にお入れいただければ幸甚です。

●新年の寺子屋

日時:2010年正月8日(金)、
        20日(木)
   ともに19:00〜
・場所:東江寺(東京都渋谷区広尾)

・なお、初回(8日)は能の笛方の槻宅聡さんをお招きし、能『高砂』を演奏したり、皆様とともに「高砂や〜」と謡ったりと、お正月らしい寺子屋にする所存です。どうぞお誘い合わせの上、お出ましください。

参加をご希望の方はメールをお願いします。info@watowa.net

★お願い
初回は、ちょっと物入りですので少し多めにご祝儀を頂戴いただけますれば幸甚です。むろん、いつもの通りお賽銭箱にお入れいただきまので、どうぞご無理はなさらないでください。

***************
寺子屋の詳細はHPで。http://www.watowa.net/
(↓携帯ページ)
http://www.watowa.net/i/tera/index.htm

★なお、寺子屋に関して東江寺さんへのお問い合わせ、ご連絡はご遠慮ください。

ツイッター
http://twitter.com/eutonie

Twitter(ツイッター)

先日、書いた「君子と小人」ですが、ちょっと難しかったというメールをいただきました。今度、もう一度書きますね。

いまはちょっとバタバタしていて、ゆっくりブログを書く時間がありません。明日の午前中と、明後日の3時〜寺子屋が空いているので、その時間に書けたら書きますね。『奥の細道』も終わらせなきゃならないし・・・。

◆◆◆◆◆

橋本麻里さんという方がいます。

内田樹さんが新潮社さんの雑誌『考える人』の「日本人の身体」という対談連載をされていますが、その第1回目のゲストに呼んでいただいて、そのときのライターが橋本さんでした。編集者は足立さん。

内田さんいわく、足立さんと橋本さんは現時点で考え得る限りの最高の女性コンビなんだそうです。

橋本さんは、日本美術が専門。アシュラーなる語も生まれ、大騒ぎをされた『BRUTUS』の仏像特集などの日本美術をほとんどひとりで書かれ、その『BRUTUS』のほかにも、『Casa BRUTUS』『和樂』『考える人』ほかで連載。さらには高校の美術教科書も、という方。

で、その橋本さんが今度の『論語』の本について「面白かった」ということを書いたくれたという話を人から聞いたので、早速チェックを。

そうしたらブログではなくTwitter(ツイッター)でした。

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Twitterは、うわさには聞いていたのですが、いままで敬して遠ざけていました。

というか全然、わからなかった。で、そういうことに詳しいアスキーの友人に会って、いろいろ話を聞いて、ならばちょっとやってみようと思って僕も始めてみました(実は彼も始めたばかりとのこと。ゲーム業界は忙しくて、それどころじゃないみたい)。

Twitter(ツイッター)は「つぶやき」とか「さえずり」とかいう意味で、ブログと違い、たった140文字しか書けません。でも、140文字しか書けないので、近況をちょろっと書くことができます。

たとえば昨日は午前中に急に時間ができたので・・・

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写真美術館でオペラ『魔笛』の映画を観てきました。監督はベルイマンで撮影はサクリファイスのスヴェン・ニイクヴィスト。DVDも出ていますがシアターで観るとまたいいです。写真美術館ではモーツアルト4大オペラを27日までやっています
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モーツアルト4大オペラの他の3作品は、「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」 「コシ・ファン・トゥッテ」。フィガロはベームでフィッシャー=ディースカウ、ヘルマン・プライも。すごい。 http://www.syabi.com/details/mo_opera2009.html***********

・・なんて感じで。

写真美術館の宣伝員みたいでしょ。

人に見せるというよりも、自分の備忘録に近い。ブログに日記を書いても仕方ないと思っていたし、手帳は毎年年末に処分してしまうので、このような備忘録があるといいかも。

でも、はじめたばかりだから、よくわからずやっています。あ、いまも間違い発見!

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というわけで安田のTwitterです。

http://twitter.com/eutonie


橋本麻里さんのTwitter
http://twitter.com/hashimoto_tokyo

それとアスキーの友人、レゲー秋山さんのTwitter
http://twitter.com/Ackey

Twitterを始めてみたい方はTwitterで検索すると、いろいろ出てきます。

君子と小人

今回の『論語』の本では書き残したことがいくつかあるのですが、その中で全くと言っていいほど書けなかったのが「君子」と「小人」のこと。

これについて書き始めると、もう一章か二章が必要になってしまうからです。ちょっともうこれ以上は増やせないということで、今回の本ではあきらめたのですが、ここでその概略を簡単に・・・。

概略なので例が少なくわかりにくいかも。すみません。

さあ、まず結論からいうと、僕たちが君子と小人に持っている「君子=いい人」、「小人=悪い人、劣った人」というのは間違いです。

この両者は実は全く違う次元にいる。あ、違う次元といっても<君子=いい、小人=悪い>ではありません。

そこはくれぐれも・・・。

◆◆◆◆◆

で、ここでは主に<小人>について見ていきます。

<小人>を『広辞苑(岩波書店)』で引くと、最初に日本の古典からの引用がいくかあった後、漢文の方の意味としては「徳・器量のない人。小人物⇔君子」と出てきます。

『大漢和辞典(大修館書店)』は最初の意味として出てくるのは小人=「庶民」で、これが文例も一番多い。広辞苑と同じような意味も書いてありますが、それは2番目だし、例もあまり多くない。

・『広辞苑』→徳・器量のない人
・『大漢和辞典』→庶民

・・です。

『広辞苑』と『大漢和辞典』、どちらを取るかといわれれば、漢文を読むのなら、そりゃあ大漢和だろう!・・・なのに日本人は、小人というと「悪い人」とか「劣った人」とか「不徳の人」とかいう広辞苑的イメージが強い。

僕も学校では確かにそんな風に習ったのか、小人とは不徳の人とか劣った人のようなイメージを持っていました。しかも『論語』の中の<小人>も、そうやって読んでもほとんど問題ない。

が、最初に「あれ?」と思ったのは『尚書(書経)』を読んでいるときです。『尚書』は五経のひとつです。『聖書(キリスト教のね)』でいえば『論語』や『孟子』の四書が新約聖書で、五経は旧約聖書って感じかな。

さて、その『尚書』の中に「無逸」という一篇があります。これは周公が周の成王に告げた教えということになっている篇です。周公は、孔子が夢にまで見たという人で、周を建国した武王の弟。

成王は武王の弟ですから、おじさん(周公)が甥(成王)に語ってきかせています。

この「無逸」に関してもいろいろ書きたいこともありますが、「小人」の話からはずれてしまうので今回はパス。

さて、この中で周公が殷の高宗のことを言っています。

高宗というのは、甲骨文などでは武丁と呼ばれている人で、漢字を作ったのは彼ではないか、と言われています。奥さんのひとりに女性将軍の婦好などがいます。

さて、周公は王に次のようにいっています。

「高宗は長い間、外で苦労をし、<小人>と(生活を)ともにしました」

高宗、すなわち武丁は長い間<小人>と生活をともにしていたのです。

また、次にやはり殷の王である祖甲のことに話が及ぶとさらに小人との関係が深くなります。

「祖甲は王となるのを<義>とせず、長い間<小人>となっていました(ひさしく小人と為る)」

だから祖甲は位についても<小人>の「依」を知っていた、と続けます。

この『<小人>の「依」』の「依」は「苦しみ」と訳されます。これは王引之の「依は隠なり」という注から出ていて、さらにその注の注の「隠とは<稼穡の艱難>とか<小人の労>のことを言い、今でいう<苦衷>と同じ意味である」というのによっています。

もちろん、それでいいとは思うのですが、もうひとつ「依」のそのままの意味である「よりどころ」とか「よって立つところ」と考えてみても面白い。

祖甲は長い間、自分が<小人>となっていたので、<小人>がどのようなことで苦しむのか。あるいは<小人>のよって立つところ(よりどころ)を知っていたのです、となります。

よりどころっていってもそんなに難しい意味ではなく、たとえば<小人>はマスコミのいうことを信じやすいとか、<小人>は安いものには飛びつくとか、そんなことです。

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さて『尚書』によれば、殷の明君であった高宗(武丁)も祖甲も<小人>と深い関係がある。高宗(武丁)は長い間<小人>の間にいたし、祖甲は自分が長い間<小人>であった。

となると、ここでいう<小人>は決して劣った人とか不徳の人とかいう意味ではなく、やはり大漢和の書くように<庶民>が適当だと思うのです。

・・が、<庶民>という訳語は決して間違いではないのですが、しかしそれだけで片付けてしまうと、その真意がうまく伝わらない。<庶民>というよりは<大衆>、あるいは<大衆性>と言った方がいいかも知れないのです。

僕たちは基本的には<大衆>、すなわち<大衆性>を持った存在です。

これは人間というものが、人との関係性においてのみ自己を規定できるという存在である限り逃れることはできないことです。

「いや、俺は他人と違うから」といったりもしますが、しかしそういうとき、すでに「他人と違う」という人との関係性ができているでしょ。大衆性を持っている人が、一生懸命に大衆性から逃れ出ようとしているのが、「俺は他人とは違う」です。

『わが命の唄 艶歌(舛田利雄)』という映画があり、ポップスのディレクターである渡哲也が「俺は艶歌がへどが出るほど(←表現、うろ覚え)嫌いだ」というのに対して、艶歌のディレクターである芦田伸介が「それはへどが出るほど好きだ、っていうのと同じ意味だ」というシーンがありました。

「俺は他人と違うから」というとき、その人はとっても他人と同じです。いや、その人だけではなく、どんなに偉そうなことをいっても、みんな他人と大差はないし、<大衆性>の中にどっぷりと使っているのです。

う〜ん、<大衆>って言葉自体がちょっと上から目線だな。「自分は違うもんね」目線です。むしろ<普通の人>とか<多くの人>とか、そんな風に訳した方がいいかな。これもちょっと上から目線だけどね。

現代の民主主義は多数決によって決まるし、輿論(世論)なんかもそうだし、マーケティングもそうだし、マスコミはすごい力を持っているし、現代社会はまさに<小人>の意見によって動いている社会です。

これまでの歴史の流れは、ひとりの君子が治める社会→少数の優れた人々が治める社会→多くの優れた人々が治める社会→<小人>たちによって運営される社会・・だといえるかも。

これがいいかどうかはともかくね。

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辞書にはいくつかの意味が書いてあって、そのときどきでどの意味かなあ、と考えます。だから『論語』の中の<小人>も「庶民」というときもあり、「不徳の人」というときもありなのですが、しかしたとえば岩波文庫の『論語』でも小人と君子が並び使われているときなどは、小人を「つまらない人、徳の無いもの」としています。

が、『論語』の中の君子と小人を比べている章の小人のところだけを抜き出してみると、「わかる、わかる」というのがたくさんあって(具体例は後日)、これをつまらない人、徳のない人としてしまうと、世の中のほとんどの人は小人ということになってしまいます。

「そうだよ。だからそんな人にはならずに君子になれ、って孔子はいっているんだよ」という意見もあると思うのですが、しかし、それは半分正しくて、半分違う。

僕たちはみんな<小人>なのです。小人に<なる>なんてことはできない。いや、これは僕たちだけでなく、孔子だって、周公だって、王様だってみんな小人です。

小人というのは、なるものではなく<である>ものです。

祖甲の「長い間<小人>となっていました」だって、「ひさしく小人と為る」なので「長い間、小人だった」としてもいいでしょう。

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で、小人が<である>ものに対して、君子は<なる>ものなのかというとそうではない。小人が努力しても、はい「君子になりました」とはならない。たぶん「君子」なんて境地はない。

じゃあ、何か・・というと、君子は<であると決めた>もの、だと思うのです。

自分は「君子である」と決めたもの、それが君子です。

これは実は小人、君子だけの話ではなく、どの世界でも多かれ少なかれそうでしょ。

学校の先生は、昨日まで学生だったのに今日は急に先生になる。しかもPTAなどでは自分よりずっと人生経験を積んでいる保護者に対して、先生として偉そうなことをいい、保護者だってそれを神妙な顔で聞いている。

それは「自分は教師である」と決めたからそうなるのであって、徐々にそうなったわけではない。

能でも(そして多分、何でも)玄人と素人の違いはうまい下手ではなく、玄人は玄人として生きていくと決めたから。素人は決めていない人だから、玄人以外はみんなそう。

で、「君子」の場合は、何を決めたかというと、「心」を使っていこうと決めた。

今まで自分が身に着けたきた行動パターンや思考パターンはある。思わずそう行動し、思わずそう考えてしまう。そこから抜け出して、自分の心を使おうと決めた。さらにはそれを人のために使おうと決めた人たちです。

うまく使えるかどうかは、君子であるか、小人であるかということとは関係ない。そう決めた人、それが君子です。

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う〜ん、やっぱりざっくりと書くのは難しいなあ。

最後にひとつ。

こんな風に書いても、やはり君子=いい、小人=あまりよくない、ってイメージは残るのですが、『論語』や『尚書』では小人に対して、基本的には非常に優しい目線を持っています。

いや、優しい目線というと上から目線だな。

今度くわしく書きますが「天」というのは「小人」の味方なのです。

「天」は、孔子も絶対の信頼をおいた存在なのですが、それは普段は自分の中にあって隠れています。で、本当に大変な状況に陥ったときに発動するのですが、君子でいる限りうまく動かない。「心」は天が発動するのを止めるのです。

だから君子も本当に大変な状態になったら一度「君子」であることを放棄して、もとの小人に戻る。そうすると「天」がチャカチャカ動き出します。

でも現代人は「心」を使わないというのは難しいなあ。

君子と小人については、また書きますね。

ヨーロッパのカフェ文化

先日の寺子屋でヨーロッパのカフェの本をいただいたということを書きました。その一冊が『ヨーロッパのカフェ文化』(大修館書店)。

最初に出てくるのがヴェネチアのカフェ・フローリアン。

ヴェネチアを訪れる多くの観光客が、一度は寄るという老舗カフェです。いわゆる観光名所としてのカフェなので、イマイチだと思ってしまいがちなのですが、カフェ・フローリアンの外の席でサンマルコ広場を眺めながら座っていると、自分が普段抱えている日常の些事がどうでもよくなります。

むろん、中もすばらしい。

そして、この本を読むと、カフェ・フローリアンの歴史や、さまざまなエピソードがわかって、さらにカフェ・フローリアンが好きになる。

結局、去年はヴェネチアには行けなかったから、来年は行きたいなあ。何かうまい具合に仕事が来ないかなあ、などと妄想をしてしまいます。

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何を隠そう、ヴェネチア好きです。

ヴェネチアは水上都市で、道が縦横に分かれています(って今書いている『奥の細道』みたい)。地図もあまり役には経たない。僕たちのような観光客は、どこかを目指そうなどと思わず、ただブラブラ歩いて、ぶち当たったところで何かを楽しむ、くらいなちょうどいい。

で、そんな道で、さらにはすぐ橋やら階段やらになるので車も自転車も走っていません。だからすごく静かです。

グラス・ハープやリュートのような小さい音の楽器のストリート・パフォーマーがいるなんてところはヴェネチアくらいじゃないかな。

ヴェネチアに行って何をするかというと、基本的には何もしません。ただ、ぼんやりします。ときどき美術館に行ったり、教会に行ったり、音楽を聴きに行ったりはするのですが、基本はぼんやりです。

それこそカフェ・フローリアンの椅子に座って、サンマルコ広場の鳩でも見ているのがいい。次回に行くときは、『ヨーロッパのカフェ文化』のこのページをコピーして持って行こうっと!

内田樹さんは定年になったら大学はやめる!と常々公言をされていますが、そういうのっていいなぁ。でも、僕の場合は60歳で能をやめたらヴェネチアにも行けなくなっちゃう。

う〜ん、ダブルバインド。

『ヨーロッパのカフェ文化』を持ってヨーロッパのカフェを廻りたいなあ。よ〜し、そんな仕事ができるように何かを企もう!

昨日の寺子屋

昨日、12月15日は寺子屋がありました。

昨日のテーマは「鬼」と「義を見てせざるは勇なきなり」。そして、忠臣蔵で討ち入りの前に義士たちが謡ったという『羅生門』を謡いました。

それと最後に和尚さんから身体と五行のお話をうかがいました。これがすごく面白かった!

実は和尚さんは鍼灸師でもあるのです。和尚さんからされる鍼灸って何かご利益ありそうでしょ。

そして、それを受けて来年度に向けての話があったのですが、昨日のことは文字にするのは難しいことばかりでとっても大変なので、今回は省略。

次回は22日。今年最後の寺子屋になります。

昨日も、次回も「忘年会で・・」というメールを何人かの方からいただいています。お時間のある方は、ぜひご参加を!

白川静を読む:昨日の甲骨文

昨日は、特別寺子屋で「甲骨文」がありました。

唐突ですが、ロルフィングの話を・・・。

ロルフィングは、マッサージとか整体とかに似ているといえば、似ているのですが、一番大きな違いは「10回」という回数が決まっていて、それでお仕舞になるということです。

そのため最後の3回のセッションでは「責任をクライアントに戻す」ということが大切な仕事になります。いつまでも施術者に依存するのではなく、自分の身体の責任を取るということを、もう一度自覚していいただくためのセッションなのです。

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で、甲骨文の話です。

いま、甲骨文や金文を読むための会を月に1〜2回、開いていますが、しかしみなさんでいっしょにやっていくので、一度に読めるものはほんの数片です。が、甲骨文字が書かれた骨や甲羅はすごくいっぱいある。青銅器だってたくさんある。

最終的には自分で読めなければ一生かかっても読みきれない。

が、その前に少なくとも、白川静さんの本や、そのほかいろいろな学者の方の本や論文、そして文物や考古などの中国語の雑誌や中国人学者の論文などが読めるようになるといいと思うのです。

でも、白川さんの書かれた甲骨・金文の入門書である『甲骨文の世界』や『金文の世界』だって、決して読みやすい本ではない、と参加者の方から言われました。

・・で、そんな風に読み直してみると、確かにほとんどルビがない。「藩屏」なんて、このごろはほとんど見ない言葉も、当たり前のように入っている。読みやすくはない。

が、実はとっても厳密なパラグラフ・ライティングをしていて、ちょっと読み方を覚えると非常に読みやすいのが白川本の特徴です(というか、ほとんど論文はそうです)。

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で、昨日は「白川静を読む」ということで、『甲骨文の世界』から「婦人将軍」の章を、みなさんで読みました。

いつもの通り、甲骨文に関してはトレースをしたり、臨書のように写したりしながら、読みました。この作業は絶対に必要です。目で追いながら読んでしまうと気づかないことが、手を使って写すことによって気づくことがたくさんあります。

いつも参加している小学校5年生の女の子も、「<殷>という漢字も読めなかった」とか言いながらも、最後の方は『甲骨文の世界』をじっと眺めながら、一生懸命に何かを考えていました。

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あんな顔をして考えている子どもには、何を考えているかは大人は聞いてはいけないと思っています。

大人が聞くと、子どもは<大人>なので、大人にわかるように説明しようとする。すると、どうしてもそこに<大人の論理>のようなものが入ってきてしまい、さらには一度口に出すと、それこそが自分の考えだったと思い込んでしまい、さっき考えていたことが消えてしまう。

彼女の中で芽生えたことが、数十年の時を経て醸成されて、何かとなって生まれてくるのを待つ(というか放っておく)のが大人の仕事だと思います。

彼女に限らず、このごろ子どもは本当に<大人>だなあ、と実感することがたくさんあります。孔子ではありませんが、「後世畏るべし」です。
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