DEN01:心のあばら屋が見えてくる

『DEN』という雑誌がありました。

1999年7月に創刊の古典芸能の雑誌で、10年間続き、2009年7-9月号で休刊になりました。最初は隔月刊だったのですが、途中から季刊になり、それでも50号が出ました。

国際的な免疫学者の多田富雄先生らが中心に、渡辺さんや竹下さんなどが実務を行って頑張って出されていました。写真は、森田拾史郎さんです。

ここら辺に関しては今度ゆっくり書きます。

さて、私(安田)も第1号からずっとエッセイを書いてきました。執筆陣の中では唯一、一号も落とさなかった!ということだけが自慢の気楽なエッセイですが、実はここに書いたことが『ワキから見る能世界(NHK出版)』や『身体感覚で「論語」を読み直す(春秋社)』に活きています。

『DEN』連載のときには、いつもギリギリまで何のアイディアも浮かばず、でもギリギリになると、舞台で座っているときに「あ、そうか」といろいろなことが浮かんできました。締め切りと舞台がなかったら、できなかった連載です。

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さて、その連載ですが、読者の方もあまり多くなかったので、せっかくなのでブログで再録したいのですが、と元DENの竹下さんに相談したら、「どうぞ、どうぞ」というご返事をいただきました。

元のデジタル原稿はすでになくなってしまっているので(僕自身も書いてしまったものには興味がないので、だいたい捨てるか消去してしまいます)、雑誌をスキャニングしながら掲載していきたいと思っています。

スキャニングとOCRを使って手作業でコツコツやっていきますので、変な文字のミスとか、変換間違いとかがあるかも知れません。どうぞご容赦を(しかしご指摘いただけると助かります)。

また、いま読むと書き直したいところもあるのですが、明らかな誤り以外はそのままで行きます。

『奥の細道』もまだ終わらないのに!とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、そちらもちゃんとやっていきますので、どうぞご寛恕のほどを。

さて、連載のタイトルは「血ワ牛肉マウ」です。

これは竹下さんがつけてくれたタイトルで、「血沸き肉踊る」を僕がワキであることと、やはり能だから踊るではなくてマウだろうということでのタイトルです。

では、今回は第1回目です。

はじまり、はじまり〜!

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【血ワ牛肉マウ●第一場】
<心のあばら屋が見えてくる>

酒席でカラオケに盛り上がっている最中に、白けたもう一人の自分がふと顔を出す。あるいは、わかっちゃいるけどやめられない悪癖に自己嫌悪の日々。自分ではどうしようもできない、自己の裏側にうごめくこの心の働きは、意識の背景として、時には意識以上に私たちに影響を与えることがあります。

無意識や下意識よりはもう少し広い範囲で、それを「背景意識」と呼んでみます。

古来の表現者たちも、意識と背景意識の双方を同時に表現したいという欲求をもったに違いありません。絵画ならば、背景の中にヒントをこっそり隠しておくこともできますが、音楽や言語芸術のような時間とともに流れていくものでは、なかなか大変なことです。

昔からいろいろな方法が試みられていますが、まず西洋に目を向けて、ワグナーの大作『ニーベルングの指輪』の仕掛けをみてみます。

この作品では、背景意識を表現するのにライトモチーフ (示導動機)という仕掛けを使っています。ライトモチーフは、音楽によって人物や事物を象徴します。これはプロレスラーが登場する時に鳴るテーマに近いのですが、ライトモチーフは人物や事物だけでなく、そのものの感情や思考、さらには下意識や背景意識までも象徴するのです。

『指輪』全曲中、ライトモチーフを使って背景意識を表現しているところで最も有名なのは、『ワルキューレ』におけるヴォータンの怒りのシーンです。

神々の世界の支配者であるヴォータンは、自分の命令を無視した愛娘の女騎士(ワルキューレ)ブリュンヒルデを烈火のごとき怒りをもって叱ります。その時に演奏される音楽や歌は、当然激しい怒りに満ちたものです。

しかし、よく耳を澄ますと、その怒りの響きの奥に、バスクラリネットとファゴットの、音としては極めて控えめな、しかし深い響きをもった楽器によって演奏される「ヴォータンの挫折」と呼ばれるライトモチーフを聴くことができます。

その仕掛けによって、私たちは当のヴォータンですら気づいていない、彼の背景意識を、そこに読み解くことができるのです。

日本の文学・芸能では、掛け詞、縁語、枕詞、序詞といった和歌の修飾技法を使います。和歌が生んだこの技法は、能という対話形式の長詩を得て、主題とは直接関係のないもう一つの世界、あるいは存在しないはずの風景すらもソフトフィルターのかかった半透明の映像として観客の脳裏に描き出します。

例えば、能『藤戸(ふじと)』★の前半で老女の思いを地謡が述べる部分。

『藤戸』では、能が始まってすぐに緊張した場面が現れます。わが子を殺した佐々木三郎盛綱に「恨み申しに参りたり」と詰め寄る老女。それを「音高し何と何と」と知らぬふりをする盛綱。そして、それに続く老女のクドキ★★。

地謡は、その緊張感を受けて老女の思いを静かに謡います★★★(下歌(さげうた)、上歌(あげうた))。地謡の詞を一語一語、心の中に反射しながら、いつの間にかシテの心中に引き込まれていく観客は、上歌に入るやそこに突如現れる異質な風景に驚きます。

それまで瀬戸内海の島廻りや児島の海岸の情景など、海辺の風景が占めていた観客の脳裏に幻のあばら屋が突如出現するのです。

これは、ここまで一貫して使われてきた「海」系の用語に対して、「山」系の用語が修辞の詞として使われ出したがために現出した幻です。この荒野に見捨てられた一軒のあばら屋、それは老女の心の風景、背景意識が実体化したものです。そして、上歌(あげうた)後半にはその景色は消え去り、再び海辺の景色が現れますが、しかし荒野のあばら屋の残像は老女の心の内を象徴する通奏低音として、いつまでも鳴り続けるのです。

能にしろワグナーにしろ、このような読み解きの楽しさを得るためには、かなりの予習が要求されます。しかし、私たちがその苦行も厭わず舞台に通い続けるのは、思いも掛けない新しい発見をし、かつその読み解きに成功した時に生じる脳の感情半球と知的半球の結合のもたらす歓喜の瞬間を忘れることができないためではないでしょうか。

<1999年7月号>

********注********

★能『藤戸』
<前シテ>漁夫の母 <後シテ>漁夫の霊
<ワキ>佐々木三郎盛綱 <ワキツレ二人>従者
源氏方の武将である佐々木三郎盛綱は、藤戸の先陣をしたその恩賞に、備前の国の児島をもらった。日もよい今日、その島に領主として入ったが、そこにひとりの老女が現れる。

彼女は「罪もない我が子を海に沈めた恨みを申しに来た」と盛綱に詰め寄る。盛綱は最初、「そんなことは知らない」と突っぱねるが、よく聞けばその子とは確かに、盛綱が刀で刺し殺し、海に沈めた漁師。

この海は月の出によって浅瀬が変わる。そこを知れば敵には知られずに海を渡ることができる。漁師を盛綱にそのことを教えた。その知識によって盛綱は先陣を切ることができたのだが、同じことを敵に知られないように漁師を殺したのであった。

盛綱は、母にその時のありさまを語り、彼の妻子を世に立つようにしよう、もう恨みを晴らせというが、母は「自分もわが子と同じように殺せ」と盛綱に詰め寄り、その刀に手をかけようとする。盛綱に払われた母は「我が子を返せ」と人目もはばからず臥し転び泣き続ける。

母をなだめ家に帰した盛綱らが、彼の男の霊を慰めるために法事を行っていると、水の中から水死した男が現れ、水底にすむ悪竜の水神となって、盛綱に恨みをなそうとする。

が、法(のり)の力で弘誓の船に乗り、生死の海を渡って彼岸に至り、成仏をしたのであった。

★★
なう猶(なほ)も人は知らじとなう。中々にその有様を現して。跡をも弔らひ又は世に。生き残りたる母が身をも。訪ひ慰めてたび給はゞ。少しは恨も晴るべきに

★★★
下歌「いつまでとてか信夫(忍ぶ)山。忍ぶかひなき世の人の。あつかひ草も茂きものを何と隠し給ふらん。
上歌「住み果てぬ。此の世は仮の宿なるを。此の世は仮の宿なるを。親子とて何やらん。幻に生まれ来て。別るれば悲しみの。思ひは世々を引く。絆となって苦しみの。海に沈め給ひしをせめては弔はせ給へや。跡弔はせ給へや。

正月の寺子屋、早速訂正です

すみません。先ほど書きましたお正月の寺子屋、二回目の曜日が間違っていました。

20日(水)です。

よろしくお願いいたします。

正月の寺子屋

昨日は今年最後の寺子屋がありました。

いつもの通り、読経、座禅の後、謡を謡い『論語』に入りました。

昨日のテーマは「己に如かざる者を友とするなかれ」。

「自分より劣った人を友達にしてはいけない」と解釈されるこの文ですが、孔子がそんなことを言うのはちょっと変だ。じゃあ、どういう意味なんだろう?ということを考えました。それについてはまたいつか・・・。

さて、正月の寺子屋です。メルマガに書いた内容を以下に貼り付けます。

大声で邪気を祓い、新たな力を呼び込みましょう。みなさま、どうぞお出ましください。

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こんにちは。能の安田です。

歳末の支度にご奔走の毎日と拝察奉ります。

さて、1月の寺子屋の日程が決まりました。初回は年始のお忙しい時期とは存じますが、新年を『論語』と目出度い能『高砂』でお迎えいただくのも気持ちのいいものです。ご予定にお入れいただければ幸甚です。

●新年の寺子屋

日時:2010年正月8日(金)、
        20日(木)
   ともに19:00〜
・場所:東江寺(東京都渋谷区広尾)

・なお、初回(8日)は能の笛方の槻宅聡さんをお招きし、能『高砂』を演奏したり、皆様とともに「高砂や〜」と謡ったりと、お正月らしい寺子屋にする所存です。どうぞお誘い合わせの上、お出ましください。

参加をご希望の方はメールをお願いします。info@watowa.net

★お願い
初回は、ちょっと物入りですので少し多めにご祝儀を頂戴いただけますれば幸甚です。むろん、いつもの通りお賽銭箱にお入れいただきまので、どうぞご無理はなさらないでください。

***************
寺子屋の詳細はHPで。http://www.watowa.net/
(↓携帯ページ)
http://www.watowa.net/i/tera/index.htm

★なお、寺子屋に関して東江寺さんへのお問い合わせ、ご連絡はご遠慮ください。

ツイッター
http://twitter.com/eutonie

Twitter(ツイッター)

先日、書いた「君子と小人」ですが、ちょっと難しかったというメールをいただきました。今度、もう一度書きますね。

いまはちょっとバタバタしていて、ゆっくりブログを書く時間がありません。明日の午前中と、明後日の3時〜寺子屋が空いているので、その時間に書けたら書きますね。『奥の細道』も終わらせなきゃならないし・・・。

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橋本麻里さんという方がいます。

内田樹さんが新潮社さんの雑誌『考える人』の「日本人の身体」という対談連載をされていますが、その第1回目のゲストに呼んでいただいて、そのときのライターが橋本さんでした。編集者は足立さん。

内田さんいわく、足立さんと橋本さんは現時点で考え得る限りの最高の女性コンビなんだそうです。

橋本さんは、日本美術が専門。アシュラーなる語も生まれ、大騒ぎをされた『BRUTUS』の仏像特集などの日本美術をほとんどひとりで書かれ、その『BRUTUS』のほかにも、『Casa BRUTUS』『和樂』『考える人』ほかで連載。さらには高校の美術教科書も、という方。

で、その橋本さんが今度の『論語』の本について「面白かった」ということを書いたくれたという話を人から聞いたので、早速チェックを。

そうしたらブログではなくTwitter(ツイッター)でした。

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Twitterは、うわさには聞いていたのですが、いままで敬して遠ざけていました。

というか全然、わからなかった。で、そういうことに詳しいアスキーの友人に会って、いろいろ話を聞いて、ならばちょっとやってみようと思って僕も始めてみました(実は彼も始めたばかりとのこと。ゲーム業界は忙しくて、それどころじゃないみたい)。

Twitter(ツイッター)は「つぶやき」とか「さえずり」とかいう意味で、ブログと違い、たった140文字しか書けません。でも、140文字しか書けないので、近況をちょろっと書くことができます。

たとえば昨日は午前中に急に時間ができたので・・・

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写真美術館でオペラ『魔笛』の映画を観てきました。監督はベルイマンで撮影はサクリファイスのスヴェン・ニイクヴィスト。DVDも出ていますがシアターで観るとまたいいです。写真美術館ではモーツアルト4大オペラを27日までやっています
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モーツアルト4大オペラの他の3作品は、「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」 「コシ・ファン・トゥッテ」。フィガロはベームでフィッシャー=ディースカウ、ヘルマン・プライも。すごい。 http://www.syabi.com/details/mo_opera2009.html***********

・・なんて感じで。

写真美術館の宣伝員みたいでしょ。

人に見せるというよりも、自分の備忘録に近い。ブログに日記を書いても仕方ないと思っていたし、手帳は毎年年末に処分してしまうので、このような備忘録があるといいかも。

でも、はじめたばかりだから、よくわからずやっています。あ、いまも間違い発見!

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というわけで安田のTwitterです。

http://twitter.com/eutonie


橋本麻里さんのTwitter
http://twitter.com/hashimoto_tokyo

それとアスキーの友人、レゲー秋山さんのTwitter
http://twitter.com/Ackey

Twitterを始めてみたい方はTwitterで検索すると、いろいろ出てきます。

君子と小人

今回の『論語』の本では書き残したことがいくつかあるのですが、その中で全くと言っていいほど書けなかったのが「君子」と「小人」のこと。

これについて書き始めると、もう一章か二章が必要になってしまうからです。ちょっともうこれ以上は増やせないということで、今回の本ではあきらめたのですが、ここでその概略を簡単に・・・。

概略なので例が少なくわかりにくいかも。すみません。

さあ、まず結論からいうと、僕たちが君子と小人に持っている「君子=いい人」、「小人=悪い人、劣った人」というのは間違いです。

この両者は実は全く違う次元にいる。あ、違う次元といっても<君子=いい、小人=悪い>ではありません。

そこはくれぐれも・・・。

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で、ここでは主に<小人>について見ていきます。

<小人>を『広辞苑(岩波書店)』で引くと、最初に日本の古典からの引用がいくかあった後、漢文の方の意味としては「徳・器量のない人。小人物⇔君子」と出てきます。

『大漢和辞典(大修館書店)』は最初の意味として出てくるのは小人=「庶民」で、これが文例も一番多い。広辞苑と同じような意味も書いてありますが、それは2番目だし、例もあまり多くない。

・『広辞苑』→徳・器量のない人
・『大漢和辞典』→庶民

・・です。

『広辞苑』と『大漢和辞典』、どちらを取るかといわれれば、漢文を読むのなら、そりゃあ大漢和だろう!・・・なのに日本人は、小人というと「悪い人」とか「劣った人」とか「不徳の人」とかいう広辞苑的イメージが強い。

僕も学校では確かにそんな風に習ったのか、小人とは不徳の人とか劣った人のようなイメージを持っていました。しかも『論語』の中の<小人>も、そうやって読んでもほとんど問題ない。

が、最初に「あれ?」と思ったのは『尚書(書経)』を読んでいるときです。『尚書』は五経のひとつです。『聖書(キリスト教のね)』でいえば『論語』や『孟子』の四書が新約聖書で、五経は旧約聖書って感じかな。

さて、その『尚書』の中に「無逸」という一篇があります。これは周公が周の成王に告げた教えということになっている篇です。周公は、孔子が夢にまで見たという人で、周を建国した武王の弟。

成王は武王の弟ですから、おじさん(周公)が甥(成王)に語ってきかせています。

この「無逸」に関してもいろいろ書きたいこともありますが、「小人」の話からはずれてしまうので今回はパス。

さて、この中で周公が殷の高宗のことを言っています。

高宗というのは、甲骨文などでは武丁と呼ばれている人で、漢字を作ったのは彼ではないか、と言われています。奥さんのひとりに女性将軍の婦好などがいます。

さて、周公は王に次のようにいっています。

「高宗は長い間、外で苦労をし、<小人>と(生活を)ともにしました」

高宗、すなわち武丁は長い間<小人>と生活をともにしていたのです。

また、次にやはり殷の王である祖甲のことに話が及ぶとさらに小人との関係が深くなります。

「祖甲は王となるのを<義>とせず、長い間<小人>となっていました(ひさしく小人と為る)」

だから祖甲は位についても<小人>の「依」を知っていた、と続けます。

この『<小人>の「依」』の「依」は「苦しみ」と訳されます。これは王引之の「依は隠なり」という注から出ていて、さらにその注の注の「隠とは<稼穡の艱難>とか<小人の労>のことを言い、今でいう<苦衷>と同じ意味である」というのによっています。

もちろん、それでいいとは思うのですが、もうひとつ「依」のそのままの意味である「よりどころ」とか「よって立つところ」と考えてみても面白い。

祖甲は長い間、自分が<小人>となっていたので、<小人>がどのようなことで苦しむのか。あるいは<小人>のよって立つところ(よりどころ)を知っていたのです、となります。

よりどころっていってもそんなに難しい意味ではなく、たとえば<小人>はマスコミのいうことを信じやすいとか、<小人>は安いものには飛びつくとか、そんなことです。

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さて『尚書』によれば、殷の明君であった高宗(武丁)も祖甲も<小人>と深い関係がある。高宗(武丁)は長い間<小人>の間にいたし、祖甲は自分が長い間<小人>であった。

となると、ここでいう<小人>は決して劣った人とか不徳の人とかいう意味ではなく、やはり大漢和の書くように<庶民>が適当だと思うのです。

・・が、<庶民>という訳語は決して間違いではないのですが、しかしそれだけで片付けてしまうと、その真意がうまく伝わらない。<庶民>というよりは<大衆>、あるいは<大衆性>と言った方がいいかも知れないのです。

僕たちは基本的には<大衆>、すなわち<大衆性>を持った存在です。

これは人間というものが、人との関係性においてのみ自己を規定できるという存在である限り逃れることはできないことです。

「いや、俺は他人と違うから」といったりもしますが、しかしそういうとき、すでに「他人と違う」という人との関係性ができているでしょ。大衆性を持っている人が、一生懸命に大衆性から逃れ出ようとしているのが、「俺は他人とは違う」です。

『わが命の唄 艶歌(舛田利雄)』という映画があり、ポップスのディレクターである渡哲也が「俺は艶歌がへどが出るほど(←表現、うろ覚え)嫌いだ」というのに対して、艶歌のディレクターである芦田伸介が「それはへどが出るほど好きだ、っていうのと同じ意味だ」というシーンがありました。

「俺は他人と違うから」というとき、その人はとっても他人と同じです。いや、その人だけではなく、どんなに偉そうなことをいっても、みんな他人と大差はないし、<大衆性>の中にどっぷりと使っているのです。

う〜ん、<大衆>って言葉自体がちょっと上から目線だな。「自分は違うもんね」目線です。むしろ<普通の人>とか<多くの人>とか、そんな風に訳した方がいいかな。これもちょっと上から目線だけどね。

現代の民主主義は多数決によって決まるし、輿論(世論)なんかもそうだし、マーケティングもそうだし、マスコミはすごい力を持っているし、現代社会はまさに<小人>の意見によって動いている社会です。

これまでの歴史の流れは、ひとりの君子が治める社会→少数の優れた人々が治める社会→多くの優れた人々が治める社会→<小人>たちによって運営される社会・・だといえるかも。

これがいいかどうかはともかくね。

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辞書にはいくつかの意味が書いてあって、そのときどきでどの意味かなあ、と考えます。だから『論語』の中の<小人>も「庶民」というときもあり、「不徳の人」というときもありなのですが、しかしたとえば岩波文庫の『論語』でも小人と君子が並び使われているときなどは、小人を「つまらない人、徳の無いもの」としています。

が、『論語』の中の君子と小人を比べている章の小人のところだけを抜き出してみると、「わかる、わかる」というのがたくさんあって(具体例は後日)、これをつまらない人、徳のない人としてしまうと、世の中のほとんどの人は小人ということになってしまいます。

「そうだよ。だからそんな人にはならずに君子になれ、って孔子はいっているんだよ」という意見もあると思うのですが、しかし、それは半分正しくて、半分違う。

僕たちはみんな<小人>なのです。小人に<なる>なんてことはできない。いや、これは僕たちだけでなく、孔子だって、周公だって、王様だってみんな小人です。

小人というのは、なるものではなく<である>ものです。

祖甲の「長い間<小人>となっていました」だって、「ひさしく小人と為る」なので「長い間、小人だった」としてもいいでしょう。

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で、小人が<である>ものに対して、君子は<なる>ものなのかというとそうではない。小人が努力しても、はい「君子になりました」とはならない。たぶん「君子」なんて境地はない。

じゃあ、何か・・というと、君子は<であると決めた>もの、だと思うのです。

自分は「君子である」と決めたもの、それが君子です。

これは実は小人、君子だけの話ではなく、どの世界でも多かれ少なかれそうでしょ。

学校の先生は、昨日まで学生だったのに今日は急に先生になる。しかもPTAなどでは自分よりずっと人生経験を積んでいる保護者に対して、先生として偉そうなことをいい、保護者だってそれを神妙な顔で聞いている。

それは「自分は教師である」と決めたからそうなるのであって、徐々にそうなったわけではない。

能でも(そして多分、何でも)玄人と素人の違いはうまい下手ではなく、玄人は玄人として生きていくと決めたから。素人は決めていない人だから、玄人以外はみんなそう。

で、「君子」の場合は、何を決めたかというと、「心」を使っていこうと決めた。

今まで自分が身に着けたきた行動パターンや思考パターンはある。思わずそう行動し、思わずそう考えてしまう。そこから抜け出して、自分の心を使おうと決めた。さらにはそれを人のために使おうと決めた人たちです。

うまく使えるかどうかは、君子であるか、小人であるかということとは関係ない。そう決めた人、それが君子です。

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う〜ん、やっぱりざっくりと書くのは難しいなあ。

最後にひとつ。

こんな風に書いても、やはり君子=いい、小人=あまりよくない、ってイメージは残るのですが、『論語』や『尚書』では小人に対して、基本的には非常に優しい目線を持っています。

いや、優しい目線というと上から目線だな。

今度くわしく書きますが「天」というのは「小人」の味方なのです。

「天」は、孔子も絶対の信頼をおいた存在なのですが、それは普段は自分の中にあって隠れています。で、本当に大変な状況に陥ったときに発動するのですが、君子でいる限りうまく動かない。「心」は天が発動するのを止めるのです。

だから君子も本当に大変な状態になったら一度「君子」であることを放棄して、もとの小人に戻る。そうすると「天」がチャカチャカ動き出します。

でも現代人は「心」を使わないというのは難しいなあ。

君子と小人については、また書きますね。

ヨーロッパのカフェ文化

先日の寺子屋でヨーロッパのカフェの本をいただいたということを書きました。その一冊が『ヨーロッパのカフェ文化』(大修館書店)。

最初に出てくるのがヴェネチアのカフェ・フローリアン。

ヴェネチアを訪れる多くの観光客が、一度は寄るという老舗カフェです。いわゆる観光名所としてのカフェなので、イマイチだと思ってしまいがちなのですが、カフェ・フローリアンの外の席でサンマルコ広場を眺めながら座っていると、自分が普段抱えている日常の些事がどうでもよくなります。

むろん、中もすばらしい。

そして、この本を読むと、カフェ・フローリアンの歴史や、さまざまなエピソードがわかって、さらにカフェ・フローリアンが好きになる。

結局、去年はヴェネチアには行けなかったから、来年は行きたいなあ。何かうまい具合に仕事が来ないかなあ、などと妄想をしてしまいます。

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何を隠そう、ヴェネチア好きです。

ヴェネチアは水上都市で、道が縦横に分かれています(って今書いている『奥の細道』みたい)。地図もあまり役には経たない。僕たちのような観光客は、どこかを目指そうなどと思わず、ただブラブラ歩いて、ぶち当たったところで何かを楽しむ、くらいなちょうどいい。

で、そんな道で、さらにはすぐ橋やら階段やらになるので車も自転車も走っていません。だからすごく静かです。

グラス・ハープやリュートのような小さい音の楽器のストリート・パフォーマーがいるなんてところはヴェネチアくらいじゃないかな。

ヴェネチアに行って何をするかというと、基本的には何もしません。ただ、ぼんやりします。ときどき美術館に行ったり、教会に行ったり、音楽を聴きに行ったりはするのですが、基本はぼんやりです。

それこそカフェ・フローリアンの椅子に座って、サンマルコ広場の鳩でも見ているのがいい。次回に行くときは、『ヨーロッパのカフェ文化』のこのページをコピーして持って行こうっと!

内田樹さんは定年になったら大学はやめる!と常々公言をされていますが、そういうのっていいなぁ。でも、僕の場合は60歳で能をやめたらヴェネチアにも行けなくなっちゃう。

う〜ん、ダブルバインド。

『ヨーロッパのカフェ文化』を持ってヨーロッパのカフェを廻りたいなあ。よ〜し、そんな仕事ができるように何かを企もう!

昨日の寺子屋

昨日、12月15日は寺子屋がありました。

昨日のテーマは「鬼」と「義を見てせざるは勇なきなり」。そして、忠臣蔵で討ち入りの前に義士たちが謡ったという『羅生門』を謡いました。

それと最後に和尚さんから身体と五行のお話をうかがいました。これがすごく面白かった!

実は和尚さんは鍼灸師でもあるのです。和尚さんからされる鍼灸って何かご利益ありそうでしょ。

そして、それを受けて来年度に向けての話があったのですが、昨日のことは文字にするのは難しいことばかりでとっても大変なので、今回は省略。

次回は22日。今年最後の寺子屋になります。

昨日も、次回も「忘年会で・・」というメールを何人かの方からいただいています。お時間のある方は、ぜひご参加を!

白川静を読む:昨日の甲骨文

昨日は、特別寺子屋で「甲骨文」がありました。

唐突ですが、ロルフィングの話を・・・。

ロルフィングは、マッサージとか整体とかに似ているといえば、似ているのですが、一番大きな違いは「10回」という回数が決まっていて、それでお仕舞になるということです。

そのため最後の3回のセッションでは「責任をクライアントに戻す」ということが大切な仕事になります。いつまでも施術者に依存するのではなく、自分の身体の責任を取るということを、もう一度自覚していいただくためのセッションなのです。

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で、甲骨文の話です。

いま、甲骨文や金文を読むための会を月に1〜2回、開いていますが、しかしみなさんでいっしょにやっていくので、一度に読めるものはほんの数片です。が、甲骨文字が書かれた骨や甲羅はすごくいっぱいある。青銅器だってたくさんある。

最終的には自分で読めなければ一生かかっても読みきれない。

が、その前に少なくとも、白川静さんの本や、そのほかいろいろな学者の方の本や論文、そして文物や考古などの中国語の雑誌や中国人学者の論文などが読めるようになるといいと思うのです。

でも、白川さんの書かれた甲骨・金文の入門書である『甲骨文の世界』や『金文の世界』だって、決して読みやすい本ではない、と参加者の方から言われました。

・・で、そんな風に読み直してみると、確かにほとんどルビがない。「藩屏」なんて、このごろはほとんど見ない言葉も、当たり前のように入っている。読みやすくはない。

が、実はとっても厳密なパラグラフ・ライティングをしていて、ちょっと読み方を覚えると非常に読みやすいのが白川本の特徴です(というか、ほとんど論文はそうです)。

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で、昨日は「白川静を読む」ということで、『甲骨文の世界』から「婦人将軍」の章を、みなさんで読みました。

いつもの通り、甲骨文に関してはトレースをしたり、臨書のように写したりしながら、読みました。この作業は絶対に必要です。目で追いながら読んでしまうと気づかないことが、手を使って写すことによって気づくことがたくさんあります。

いつも参加している小学校5年生の女の子も、「<殷>という漢字も読めなかった」とか言いながらも、最後の方は『甲骨文の世界』をじっと眺めながら、一生懸命に何かを考えていました。

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あんな顔をして考えている子どもには、何を考えているかは大人は聞いてはいけないと思っています。

大人が聞くと、子どもは<大人>なので、大人にわかるように説明しようとする。すると、どうしてもそこに<大人の論理>のようなものが入ってきてしまい、さらには一度口に出すと、それこそが自分の考えだったと思い込んでしまい、さっき考えていたことが消えてしまう。

彼女の中で芽生えたことが、数十年の時を経て醸成されて、何かとなって生まれてくるのを待つ(というか放っておく)のが大人の仕事だと思います。

彼女に限らず、このごろ子どもは本当に<大人>だなあ、と実感することがたくさんあります。孔子ではありませんが、「後世畏るべし」です。

奥の細道について(9)野夫のセリフ

さて、今日は野夫のセリフです。

野飼の馬を見つけて、草刈男に歎き寄った芭蕉。前回に述べたように、これは能の一場面の再現です。

この時点で物語は現実世界ではなく、王朝絵巻か、あるいは能の世界の物語へと変容します。ですから当然、歎き寄る芭蕉に対する野夫=草刈男のセリフも、能の中のセリフです。

●「いかゞすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍ぬ。

このセリフもなかなかのものですが、まずは例のよって現代語訳を(講談社学術文庫本のもの)。

◎「どうしたらよいかなあ。案内してあげるわけにもいきませんが、とは言っても、この那須野は道がむやみやたらに分かれていて、この土地に慣れない旅人はきっと道を踏みまちがえるでしょう。それが心配ですから、この馬に乗って行って、馬が止まったところで、馬を帰してくさだい」と言って、馬を貸してくれた。

◆◆◆◆◆

古文を現代語にするときの一番の問題は、現代語はどうしても論理的になってしまうということです。

この野夫の言葉の「いかゞすべきや。されども・・」も現代語では、

◎「どうしたらよいかなあ。案内してあげるわけにもいきませんが、とは言っても」

・・・と「どうしたらよいかなあ」と「とは言っても」の間に[案内してあげるわけにもいきませんが]というつなぎの言葉が入ってしまう。

が、原文中にはそんなものは入っていない。

野夫はただ「いかゞすべきや」と言い、そして「されども此野は縦横にわかれて」とくる。でも、これを入れなければ現代語としては、非常に座りが悪い。そこで、つなぎを入れてしまうのです。

でも、古文を古文のまま読もうとするときには、この論理的つなぎは極力無視するのがよい。

◆◆◆◆◆

で、最初の「いかゞすべきや」ですが、現代語では「どうしようかなあ」というつぶやきではあるのですが、能の中のセリフと考えると、いろいろ面白い。

まずは能『項羽』の紹介から。四面楚歌や鴻門の会で有名な(って、どのくらい有名かな)は、項羽と劉邦の物語です。

この能にも草刈男が登場します。ただ、この能では『錦木』や『敦盛』と違って、ワキが草刈男。シテは渡し守。

ワキの草刈は、草刈なのですが、持っているのはさまざまな草花です。どちらかというとお花やさん。渡し守であるシテに頼んで川を渡してもらい、その渡し賃に、渡し守から花を所望されます。

で、その花が「四面楚歌」で有名になった虞美人草(ヒナゲシ)。項羽の愛妾で、自刃した虞美人の血から生まれたという花です。

虞美人草の受け渡しのあと、能では項羽と劉邦、そして虞美人の話になるのですが、その話の中で四面楚歌の故事が語られ「いかゞすべきや(能では「いかゞはせん」)」という句が出てきます。

●虞氏は思ひに堪へかねて、<いかゞはせん>と伏し給ふ。

・・です。

そんなわけで草刈が「いかゞすべきや」ということによって、謡や能に通じている人(たぶん当時の俳諧の道に遊ぶ人たち)の脳裏には、能『項羽』のひと場面がふっと出てきてしまったと思うのです。

ちなみに、奥の細道のこの場面で能『項羽』の影が現れて、その草刈がさまざまな花を持つ、ということはまた後で重要になってきますが、それはまたにして次のセリフ。

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●されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、

◎この那須野は道がむやみやたらに分かれていて、この土地に慣れない旅人はきっと道を踏みまちがえるでしょう。

「あれ?」と思うでしょ?

昨日の時点では「直道」があった。まっすぐな道なのか、近道なのかは諸説ありますが、少なくとも黒羽に続く道があった。

それが急に「此野は縦横にわかれて」となる。

直道だったはずなのに、突然ラビリンスに迷い込んでしまうのです。最初に、この段を読んだときに一番引っかかったのがここ。

能で、シテの語りが終わり、シテがその姿を消したとき、気がつけば辺りが暗くなっていて異界に迷いこんでしまったことを知るように、この草刈のセリフで、昨日までは「直道」だと思っていた道が、突然、縦横に分かれた迷路に迷い込んでしまったとことを芭蕉たちは知るのです。

こわ〜い。

[続く]

俳句と能:謡は俳諧の源氏

いま『奥の細道』の那須の段について書いていますが、やけに能の話が出てきます。

能楽師だからっていい気になって、「ちょっと出しすぎなんじゃないの」と思っていらっしゃる方もいるかも知れないので・・・。

芭蕉の発句や連句は、能がベースになっているものがたくさんあります。能を知らないとよくわからなかったり、全く違う解釈をしてしまう可能性のあるものもたくさんあります。

宝井其角は「謡は俳諧の源氏」と言っています。能の謡は、俳諧にとっては『源氏物語』なのです。

むろん、作品は一度作者の手を離れた瞬間から作品そのものとして一人歩きをするので、それが能がベースになっているかどうかなんてのはどうでもいいようにも思えるのですが、しかしそれを知っていると作品がより面白くなります。

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先日、あるアニメを見ていたら、主人公が印籠を出して「この印籠が目に入らぬか」と叫んでいました。

これは視聴者が『水戸黄門』を知っているという前提です。

数百年後に『水戸黄門』を知る人が少なくなり、そしてこのアニメだけが古典として残ったときに、『水戸黄門』抜きにこの印籠のメタファーとか、なんとかを論じていたらちょっとおかしいでしょ(それはそれで深くなりそうですが)。

で、同じように芭蕉を読むときには能が必要だと思うのです。

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が、同時に当時の謡というのは、たとえば落語や、たとえば漱石の『猫』などで扱われるように、そんなにたいしたものではなかった。むろん土地にもよりますが、みんながワイワイと気楽に謡っていたものだった。

なんといっても「お肴」といわれることもあったくらいです。

酒の肴にちょっと謡です。

そのくらい日常の中に入っていた。『水戸黄門』くらい(かどうかはともかく)にね。

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でも、それは江戸時代までで、「俳句」は明治になってから正岡子規が再興したものだから、「俳句」には謡や能は必要ないんじゃないの、という人もいるでしょう。

が、正岡子規も、謡も能も非常に親しんでいました。なんといっても若い頃には能を作っています。桜餅屋の娘がシテ(主人公)というナンとも不思議な能で、全然関心しないのですが、しかし漱石は非常なる賛辞を書いています。

高浜虚子などは謡だけでなく鼓(大鼓)もやっていて、元日に漱石とその仲間たちとした楽しいやり取りが『永日小品』の「元日」に書かれています。青空文庫にありますから、ぜひお読みください。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html

この「元日」は、語りの会でしようと思うのですが、いつも読みながら笑ってしまってうまくいきません。

そんなわけで俳句をされる人は、ぜひ謡を謡っていただきたいな、と思うのです。
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