ボートの三人男

このごろブログがなかなか更新できず、すみません。

Twitterにはちょこちょこ書いているのですが、こちらに書かないのにはちょっとしたわけがあります。

恒例になっているのですが、二年に一度くらいPCが壊れます。で、この年末にも一度壊れ、新しいもの(といっても中古)に変えました。が、今年は年末年始が激動で、まだほとんど何もセッティングをしていないのです。

そんなわけで気楽なTwitterばかりに書いています。

さて、今朝のTwitterに次のように書きました。

今日、明日と島根のため、昨夜は早く寝ようと目に付いた紀行文学を持ってベッドへ。が、これが大失敗。面白すぎて全然、寝付けなかった。多分30年ぶりくらいの再読。『ボートの三人男』ジェローム・K・ジェローム(丸谷才一訳)。

・・で、その続きを。

この小説は、気鬱に取り付かれた三人の紳士と一匹の犬が、テムズ河をボートで漕ぎ出すという物語。代表的な傑作ユーモア小説(裏表紙の解説より)。

昨夜も、適当なページをめくって読み始めたのですが、どのページも面白い。

昨夜、めくってしまったページには次のようなエピソードが・・・。

食事前は喧嘩腰で、不機嫌で、言葉つきもガミガミしていた仲間が、食事後には互いにほほえみあい、互いに愛し合うようになった・・という状況で・・

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われわれの知性が消化器によって支配されていることは、実に不思議であると言わねばならない。胃袋がそう望まない限り、われわれは働くこともできなければ、考えることもできない。胃袋はわれわれに対し、こういう感情を持て、こういう情熱を持てと、命令するのである(中公文庫P.139)。

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・・などとあり、胃袋の命令が細かに描写される。

●エッグス・アンド・ベイコンを食べたあとの胃袋の命令→「働け!」

●朝食と黒ビール→「眠れ!」

●紅茶(一人前茶さじ二杯分いれて三分以上おいたもの)→「さあ、起きろ。お前の力を示せ。雄弁にして荘重、荘重にして温良なれ。自然と人生を明晰な眼で見つめよ。思考の白い翼をひろげて天たかく翔(か)け、荘厳な魂のごとくに、下方にうずまく世界を見下ろしつつ、星たちの長くつづく道を通りぬけて永遠の門へと至れ」

●温かい軽焼パン(マフィン)→「野の獣のごとく怠惰であれ。魂を失え。いかなる空想、いかなる希望、いかなる恐怖、いかなる愛、いかなる生命の光も持たぬドンヨリとした眼の獣となれ」

●ブランデーをたっぷり→「さあ来れ、阿呆よ。歯をむきだしてゲラゲラ笑いながらドタリと倒れろ。ちょうどお前の仲間が笑うときのように。他愛もないことを喋り、意味のない言葉をペラペラ口にしろ。ほんのちょっぴりのアルコールに小猫のごとくに溺れ、正気を失うところの哀れな人間はいかに仕様のない間抜けであるかを、世界に示せ」

などと、まさに裏表紙の解説に書かれるごとく「ユーモア小説」と呼ぶにふさわしい筆致なのですが、しかし訳者の丸谷才一氏によれば本書はもともとテムズ河についての歴史的および地理的な展望の書、旅行案内の書として書かれたとのことです。

だからこそ面白いのでしょう。

四民の方外『奥の細道』プロジェクト

NPO法人『天籟』の来期事業として、四民の方外『奥の細道』プロジェクトが本格的に始動!

四民の方外とは士農工商の四民の外に生きる!という江戸時代の俳諧師の生き方。不登校とか引きこもりとかニートとかリストラとか<四民>の付けた呼び名に安住せず、四民の方外での生き方を探る旅を。

・・とTwitterに書いた。

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芭蕉は、世に出ることがほとんど不可能!という出自をもつ。彼は「そんなのイヤだ」とさまざまな努力をするがすべて裏目。ついに「士農工商」という四民の外に生きよう、と決意。さまざまな紆余曲折と工夫と、そして「奥の細道」の旅でそれを完成させた。

「社会(四民)」の中で生きるのがキツイ人々を、無理やり「社会(四民)」復帰させようとしているのが今の政策。不登校やニートや引きこもりに対するね。で、これが全然、うまくいってない。

・・・ではなく、むしろ積極的に「社会(四民)」の外で生きると決意することによって、その方法を探り、そしてその力を「社会(四民)」に還元する、そんな方途があってもいいだろう、と思う。

そのために大切なのは「旅」。からだを使うこと!

定住していても心は放浪という「定住漂泊」があるように、自分の殻に閉じこもったままでも、しかし体は放浪するという「引きこもり漂泊」があってもいいんじゃないか。

在原業平の東下りの旅なんてモロそれだし(彼は杜若と出会うことによって外に目が向く)、「歌枕見て参れ」と追放された実方の旅だってそうだし(彼は客死してしまう)、なんといっても能のワキ僧の旅は、もうまさにそれ(彼は亡霊と出会う)!

『奥の細道』だってそうだ!

◆◆◆◆◆

で、平日の一週間、歩けるような立場にいる人(仕事をしてないとか、学校に行ってないとか=「社会(四民)」の外にいる人)と『奥の細道』を歩きつつ、歌枕に出会ったり、俳句などを通じて抒情世界と親しんだり、そして何より自分の身体と出会ったりする旅をする、というのがこの企画。

ロルファーの大貫毅朗さんも一緒に歩きます。事前に行う「歩きたい体を作るワークショップ」と、歩きながらのアドバイス、そして一日歩いた後のメンテナンスを、大貫さんと安田とが行います。

また、臨床心理士も一緒に歩き、歩きながらの「てくてくカウンセリング」も実施の予定(これはまだ調整中。なんといっても一週間なので)。

◆◆◆◆◆

最初は深川〜日光までの、ほぼ旧・日光街道に沿った旅。詳しい日程は、またアップします。

このプロジェクトにCGやCMを手がけている(株)グリオより、記録用のビデオカメラと、それをアップロード・更新するための(未発売ですが)iPadをご提供いただきました!

皆様の有形無形、物品、金銭のサポート、お待ちしております。

そうそう。できれば宿泊の先々で寺子屋を開ければと思っております。お心当たりの方、どうぞよろしくお願いいたします。ご興味のある方、寺子屋を主宰してやろうという方、ご連絡をお願いいたします。担当者より連絡をさせていただきます。

info@watowa.net

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いまは国土地理院の25,000分の1の地図と格闘中!

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古代中国の音楽論(1)

このごろTwitterでは、中国古代の音楽論とお茶がちょっとした話題になっている。

http://www.twitter.com/eutonie/

中国古代の音楽論の言いだしっぺは橋本麻里さんで、彼女と新潮社の足立真穂さんは、内田樹さんをして「現在考えらうる最強の女性エディターコンビである」と言わしめた怪傑コンビのお一人です。

さて、中国古代の音楽論として多分、もっとも整っていたのは「楽経」だったはずなのですが、これが焚書坑儒で(この説、異論あり)散逸してしまい、いまは見ることができません。

で、現存するもので見ることができるのが・・

●『礼記』の楽記(「楽経」の注釈だったという説あり)
●『荀子』の楽論
●『呂氏春秋』の楽に関する諸編

・・などが儒家系統の主なもので、Twitterで話題になったのはこのうちの『礼記』と、そしてここからはちょっと外れた道家系の『荘子』咸池楽論(礼運編)でした。

日本の芸道における「道」が、楽記や咸池楽論からの影響では、という林屋辰三郎氏の説を橋本さんが紹介されたことから始まり、いろいろな人がちょこちょこと書いたのですが140文字のTwitterでは限度があり、欲求不満の気持ち悪さを解消する意味もあって、その話題をこちらに引き継ごうと思って書いています。

●孔子は「楽」を重視していた

さて、これらの音楽論よりも、もっと早い成立の音楽論が『論語』の中の音楽論です。とはいえ、それは音楽論としての集大成はなされていず(『論語』自体に一貫した思想はない)、孔子が音楽について断片的に述べているだけなのですが、これが面白い!

まず、孔子は礼より何より「楽」を重視していたということから。

孔子は、「詩」に興り、「礼」に立ち、「楽」に成る・・と言ってます。

子曰、興於詩、立於禮、成於樂(08-08)

「興」とか「立」とか「成」とかについて書いていくと、もういつまで経っても何も始まらないのですが、少なくとも論語の中では、自分の息子に孔子自身が、まずは「詩」を学べといい、それから後日、次に「礼」を学べといったところからすると、これらは学ぶ順番であることは確かです。

「楽」は最後。<成>ですから完成。最後の仕上げが「楽」なのです。

●武器としての「楽」

孔子は諸国を放浪(遊説)しましたが、その目的のひとつが諸国に散在している「楽」の収集だったのではないかという説もあります。それは小泉文夫氏が世界中を旅してワールドミュージックを収集した!というのとはちょっと違って、もっと政治的意味、あるいは呪術的な意味があった収集でした。

孔子が「韶(しょう)」の楽を、斉の国で聞いたとき、三ヶ月、肉の味がわからなくなり「楽が、この境地に至っていたとは想像もしていなかった(不圖爲樂之至於斯也)!」と驚嘆したというエピソードがあります。

これはただ単に感動して肉の味がわからなくなった・・のではなく、本当に味を感じなくさせてしまう力が韶の楽にあったのではないでしょうか。いまあれば最強のダイエット音楽。

敵の戦う気力を削いでしまう音楽とか、聞くだけで死に至る病に罹らせてしまう音楽とかも、たぶんあった。あ、『左伝』に載っているエピソードでは、聞いてもいないのに楽団と旗を見ただけで死病に罹る楽もあった(桑林の舞)。

知人のチベット人がダライラマの通訳でニューヨークに行ったときに、チベット声明をやったのですが、気持ちが悪くなって退席をした人が多くいて、「悪魔の和音」と呼ばれたと言ってました。チベット人や日本人には心地よい声明も、アメリカ人には悪魔の和音となる。

味方は平気なのに敵にはキツイ。これは最強の武器です!

●楽を求めての諸国放浪

周王朝は、そういった危険な楽を諸国に分散したんじゃないかな。今でいうと、原子爆弾のボタンを分散して置き、全員が同時に押さなければ発射しないようにしたようなもの。

で、孔子はそれらを収集しようとしたのかも。

論語の中には、なぜこんなのが入っているのか?と、よくわからない文章がたまに入っています。次のもそれ。

・大師(音楽の長官)である【摯(し)】は斉の国に行き、
・亞飯(二度目の食の時の学楽師)である【干(かん)】は楚の国に行き、
・三飯の【繚(りょう)】は蔡の国に行き、
・四飯の【缺(けつ)】は秦の国に行き、
・鼓の【方叔(ほうしゅく)】は河に入り、
・トウという鼓を打つ【武】は漢に入り、
・少師(副官)の【陽】と磬を打つ【襄】は海に入った。

(大師摯適齊、亞飯干適楚、三飯繚適蔡、四飯缺適秦、鼓方叔入于河、播●(兆+鼓)武入于漢、少師陽撃磬襄入于海[18-09])

なんかメモみたいでしょ。

これは『史記』「孔子世家」の中の、孔子と楽師・襄子とのエピソードや、「殷本紀」の中の、殷の大師と少師が祭祀の楽器を携えて周に亡命する話などや『尚書』なども併せて考えると面白いのですが、ここではそこまで書いている余裕はないので省略しますが、しかし亡命のときに、祭祀の楽器を携えて行くというのが面白い。

昔、ミグを携えて亡命したソ連将校がいたけど、それを思い出す。そのミグを分解して諸国に置いた。

ここでは「楽」ね。諸国には周王朝の王子たちが封じられている。王の命令ひとつで王子たちは、その部品を持って王朝に集まる。・・と、すごい武器が出来上がる・・はずだった。

むろん、孔子のときにはすでにそれは形骸化していて、何がなんだかわからなくなっていた。でも、孔子はなぜかそれを知っていて、収集しようとした。で、どこにどんな「楽」があるのかをメモした。

「楽」収集の旅のための備忘録、それが、このよくわけわかんない文章。

って、読むと面白いでしょ。学者の方には絶対、許されない読みですが、そんなことをしても許される(というか最初から無視されている)のが在野の魅力です。

だから原『論語』(ってものがあったらですが)は、実は「楽」の秘伝書としての性格もあったんじゃないかなと思うのです。たとえば次の文なんかはかなり怪しい。

師摯の始め、関雎の乱(亂)は、洋洋乎として耳に盈(み)つ。

(子曰、師摯之始、關雎之亂、洋洋乎盈耳哉[08-15])

何が怪しいかは、またいつか・・。

ちなみに、いまはあまり人気がない「郷党」編なんかも、そんな風にして読むとすごく面白いのです。

黛まどかさんの国語の授業

以下、メルマガの再録です(一部、変更してあります)。

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先日、お知らせした黛まどか(俳人)さんの、著者による国語の授業、特別編の詳細が決まってきましたのでお知らせいたします。これから黛さんとのやり取りの中で、お知らせすべきことが出てきましたら、その都度お知らせいたします。

定員は70名ですが、現在約25名からのお申し込みがあります。残り45席ですので、参加をご予定の方はお急ぎください。

kokugo@tenrai.or.jp

●黛まどかさんの国語の授業

日時:2010年2月20日(土)14:00〜16:30

・場所:東江寺(東京都渋谷区広尾)

【参加費:一般3,500円。天籟会員2,500円】
なお、NPO法人『天籟(てんらい)』の賛助会員(個人)の方は二名様まで、賛助会員(法人)の方は五名様まで招待券を発行いたします。

黛まどかさんの公式ホームページ

http://madoka575.co.jp/index.html

<内容>
第一部:黛まどかさんによる授業
    俳句とサンチャゴ巡礼のお話が中心になる予定です。

<休憩>

第二部:対談とパフォーマンス(黛まどかさん+安田登)

「旅」、「彷徨」ということを中心に黛さんは俳人の立場、安田は能楽師の立場から対談をしていきます。芭蕉を例に出すまでもなく、古来、詩人の多くは旅人でした。黛まどかさん自身も、はサンチャゴ・デ・コンポステーラ(星の巡礼路:世界遺産)をはじめ、さまざまな旅をされています。また、能も漂泊の旅人が土地につく霊と出会う物語が多く、旅、漂泊は欠かせません。

なぜ古来、人は旅をしたのか。そして、現代において、それはどのような意味を持ち得るのか。対談を通じて、そんなことも考えていきたいと思っています。

参加を希望される方は、まずメールでご予約をお願いいたします。

kokugo@tenrai.or.jp

●著者による国語の授業、これからのラインナップ

黛まどかさんから始まる「著者による国語の授業」ですが、本当はNPO法人「天籟(てんらい)」の事業年度である4月から開始される講座です(〜8月)。今回の講座は事前の特別講座です。

4月以降の講師の方々は以下の皆様になります(あいうえお順)。

・内田樹さん
・片平秀貴さん
・林望さん
・安田登
・(もうお一方:ただいま交渉中)

★こちらも詳細が決まり次第、お知らせいたします。なお、黛さんの授業の時に事前予約も承る予定です。

●NPO法人『天籟』始動!(以下、再録)

国語の授業の参加費に「天籟会員」とあるけど、それって何?と思われていらっしゃると思います。

「日本中の子どもたちに能の授業を!」ということで2000年に創設されたNPO法人が『天籟』です。その『天籟』が、「日本中に<寺子屋>を!」と、新たに始動しました。

「寺子屋」の中には、能の授業も、著者による国語の授業も、そしてもちろん『論語』も含まれます。

少子化ということもあり、公立の学校には外部から専門家を招くための予算があまりありません。NPO法人『天籟』は、低予算でも、あるいは予算が全くなくても、能の授業や寺子屋を出前しちゃおう、という団体です。もちろん子どもたちだけでなく大人向けの講座やワークショップも行います。

その活動費は、皆さまからの会費や寄付を中心に成り立っています。授業やワークショップなどの参加特典もございます。ぜひ会員になっていただければと存じます。

ホームページ改正中ですが、以下が仮のホームページです。

http://www.tenrai.or.jp/

なお、会員登録の際にエラーが出る場合は以下にメールをいただけばと存じます。
info@tenrai.or.jp

どうぞよろしくお願いいたします。

古代の料理人は調理人ではなかった

ブログの更新が滞っており、申し訳ございません。

年末、新年と東京を離れることが多く、バタバタしています。合間にTwitterはしています。

http://twitter.com/eutonie

さて、先日、黛まどかさんとロルファーの中村直美さんと食事をしたのですが、そのときに黛さんも僕も(いわゆる)おいしい食事にはほとんど興味がない、ということが判明!

むろんおいしいものは嫌いではないのですが、しかしだからといっておいしくなければいけない!というわけでもない。

以前に東京から和歌山まで山の道を歩いたときも、ほとんどインスタントラーメンだけですごしました(ときどきパン)。かなりの日数、人に会わないのですから、なるべく軽く、そして水で増えるものといったらインスタントラーメンが最高です。

黛さんはともかく、僕は貧しい漁村で育ったし、家だってそんなに裕福ではなかったためか、子どものころの夕食はかなりの割合を、そこら辺にあるものですませていました。

まずは海に行って、アサリやベーボ(貝)や海草や、そんなものを取ってくる。周りの家が全部が漁師なので魚はよくもらった。砂浜からは浜ボウフとか蓬とか、そんなものも取ってくる。そして防風林に入ってキノコを取ってきて、さらに火を起こすための松ぼっくりも拾ってくる。父はマサカリで木を叩き切り、子どもたちはナタでそれを割る。海に潜ってカキを取ってくることもあった。あ、ウニもいっぱいあった。

よく、「そんな自然のものを食べることができて、それは贅沢だよ」と言われますが、そんなことはありません。自然のものではなく、「そこら辺にあったもの」なのです。

◆◆◆◆◆

古代の料理人は男性でした。

それは料理人が、「火」と「金(金物)」を司る職業だったからでしょうか。

古代の中国の話ですが、「夏」王朝を倒し「商(殷)」王朝を建てるのにもっとも功績のあったのは「伊尹(いいん)」です。彼は料理人でした。また包丁の名前の由来となった料理人、包丁(ほうてい)も、殷の湯(とう)王の秘伝の舞を伝えたと目される、特別な人です。この舞は雨乞いの舞です。それを舞うことができたのは王だけだったのです。

となると、どうも料理人は、ただ人ではなかったらしい。

が、この料理人という言葉で、いまの調理人と思い浮かべてはいけない。

彼らにとっては味は重要ではない。味に関する語はかなり新しいのです。彼にとって大切なことは、いかに正しく肉を割くかとか、いかに火を使うかとか、そういうことだった。

これは古代の祭祀における王の役割に似ています。・・となると、彼らこそ王の業を「する」人たちだったのでしょうか。

だからこその伊尹(いいん)であり、包丁(ほうてい)だったのですね。

味がどうのこうのなんてチマチマしたことにこだわってなどいないのです。

一白水星とか(2):お正月スペシャル第3弾!

さて、昨日の話はごちゃごちゃしていてわかりにくかった!という方。

まとめです。次の二点がわかっていれば大丈夫。

(1)まずは自分の星の出し方。

自分の生まれ年(西暦)を分解して、で、それらをすべて足していくという作業をし、最終的に一桁にして、さらにそれを「11」から引きます。

例)1962年生まれ
1+9+6+2=18 さらに→1+8=9
で、 11−9=2 →で、「二黒」です。

(2)「今年、自分は八卦でいうとどの性質なのか」ということを知る。

今年は上記の計算をすると「八白」になるので、八白の年用の年盤を使います(これについては昨日の話を見てください)。

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これを見て、たとえば一白の人だったら今年は「兌(だ)」、二黒の人だったら今年は「艮(ごん)」になります。

さて、ではこの「兌(だ)」とか「艮(ごん)」とかには、どんな意味があるんだろう、というのが今日の話です。

◆説卦伝(1)

このことの説明が書いてあるのが『易経』の「説卦(せっか)伝」です。この説卦伝には八卦のさまざまなメタファーが書かれています。説卦伝にはいろいろ書いてあるのですが、基本は以下の表です。

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たとえば、あなたが四緑の人だったら「坎(かん)」なので・・

「水」とか「陥る」とか「潤す」がキーワードになるのです。で、実際に占いが書いてあるような暦で「四緑」の人の今年の運勢を見てみると、たとえば次のように書いてあります。

「・・くぼみに足をとられやすくバランスを崩したり、物事の動きが思う様に行かない運気になりそうです」云々。

・・と、あとはこれを敷衍していろいろ書いてあるのですが、基本はキーワードである「水」とか「陥る」から考えて、あとはさまざま書いているわけです。

確かに「坎(かん)」は、あまりいい卦ではないと解釈されているのですが、実はこれが悪い卦だと思われるようになったのは割合新しく、『易経』の中の「坎」の卦を見ると「孚(まこと)あり。維(こ)れ心、享(とお)る。行いて尚(とおと)ばるることあり(あるいは「たすけあり」とも)」などとあります。

「坎」には誠がある。だから心はむろん通るだろう。障害はあるが果敢に行動すれば人の賞賛を得られるし、助けてくれる人もいるだろう。

・・って悪くないでしょ。さらにこの注釈(特に王弼のね)などを読んでいくともっと面白い。

というわけで暦に書かれていることをそのまま信じるのではなく、それが『易経』の中でどのように書かれているか、それをちゃんと知ることが大事なのです。

◆説卦伝(2)

説卦伝にはさらに詳しいメタファーがありますので、それも書いておきますね。いちいち読むのは大変なので必要なときに眺めて、読み解きに役立ててください。

【乾】
天、円、君、父、玉、金、寒、冰(こおり)、大赤(真っ赤)、良馬、老馬、瘠馬(よく走る馬)、駁馬(虎や豹をも食うという馬)、木の果。

【坤】
地、母、布、釜(事物を成熟させる)、吝嗇(手放さない)、均(平等)、子母牛(子をよく産む牛)、大輿(大きな神輿)、文(あや)、大衆、柄、黒(もっとも純粋な色)。

【震】
雷、龍、玄黃(天地の色)、大塗(大きな道路)、長子、決躁(思い切りがよく、しかしうるさい)、蒼筤竹(青々と茂った竹)、萑葦(荻と葦)。馬にたとえればよく鳴き、馵足(後ろ足が白い馬)、作足(足の速い馬)、的顙(額の白い馬)。栽培する植物にたとえれば反生(豆類)。動きは非常に健であり、草木が茂って色鮮やかである(蕃鮮)。

【巽】
木、風、長女、繩直(定規を正しく当てること)、大工(匠)、白、長、高、進退、果断ではない、におい。人にたとえれば髪が薄くなったり、額が後退した人。白眼が多く、市価の三倍で売ることができるような人。基本的にはさわがしい。

【坎】
水、水を流す溝、隱伏(地下水脈)、弓や車輪のように、ものを矯めたもの。人にたとえれば憂いが多く、心の病や、耳の痛みというイメージ。身体の水ということで血も。色は赤。馬にたとえれば、姿の美しい馬。心せわしい馬。下り首、蹄が薄くなった馬、足を曳きずる馬。災い多い車。どこにでも通ることができる。水の精霊である月。どこにでも入れるから盜人。木にたとえれば堅くて芯が多いもの。

【離】
火、日、電(いなづま)、中女、甲胃、戈兵(武器)。人にたとえれば大きなお腹の人。乾く。すっぽん、蟹、たにし、はまぐり、亀。木にたとえれば幹が空ろになって上の方が枯れかかった木。

【艮】
山、徑路(こみち)、小石、門闕(上に物見がある宮城の門)、売れた果実、門番、宦官、指、狗、鼠、虎や豹。木にたとえれば堅くて節の多い木。

【兌】
沢、少女、巫(巫女、男巫)、口舌(ものをしゃべること)、幹などが折れること、実が落ちること。土地でいえばアルカリ性の強い土質。妾、羊。

◆といわけで

ちょっとぐちゃぐちゃしていましたが、占いの暦に書いてあることの簡単な説明でした。

でも、もっと基本的なことをいえば、八卦を生まれ年に当てはめるとかっていうこと自体が変なのですが、それについて云々していくとまたまた長くなるのでやめておきましょう。

あ、あとこれで自分流の占いも作れちゃうでしょ。「動物占い八卦版」とか「身体占い」とかね。

八卦の表を見て、一白の人だったら「ぶた」とかね。あ、ブタって言われるとイヤだから「いのしし」にするとか。

身体だったら「耳」だね。「あなたを身体でいえば<耳>です」なんて、よくわからないけど面白いかも。

いろいろ考えられます。

では、この話は一応これでお終いです。今度、少人数寺小屋の易のときに、もうちょっとお話しします。

一白水星とか(1):お正月スペシャル第2弾!

昨日は「今年はどんな歳?」というのを干支から考えてみましたが、今日もまたお正月スペシャルです。

今回の話はメモを取りながら読んだ方がわかりやすいです。

うちの師匠の神社では、ご祈祷にみえた方に東京神明館なるところ発行の「家庭本暦」を配っています。これに似たような暦はよく出ていて、書店などでも高島易断とか、いろいろなところがそのような暦を出しているのを見ることができます。

これはただの暦ではなく、一年間の占いも含まれていて、まずはその人の生まれ年で、「あなたは一白水星」とか「あなたは二黒土星」とかが決まり、そして「今年の運勢はこれこれですよ」とか「何月の運勢はこうですよ」とかいうのが○とか●などのアイコン付で示されています。

これで一喜一憂する人も少なくありません。

が、いくつかの本を見比べてみるとわかるのですが、ある本では今年は最悪だと書いてあるのに、他の本では割りといいことが書いてある。これってなぜなのでしょうか。

今日はこれを考えてみたいと思います。

で、最初に結論なのですが、実はあれは八卦のメタファーをどう読み解くかによって、吉になったり、凶になったりするのです。ですから、本家本元の八卦を知って、さらにそのメタファーを自分で読み解くという作業をすれば、吉も凶も本来はない。ただ、メタファーの読み解きだけがあるのです。

ですから書きたいと思っているのは・・・
(1)八卦の知り方
(2)八卦のメタファー

ですが、今回は「(1)八卦の知り方」について書きます。

が、むろんブログで書くことには限りがありますので、今度、易の講座でちゃんとやります。ご興味がある方はそちらにどうぞ(受講料はお賽銭でいくらでも結構ですから、どうぞお気楽に)。

◆まずは魔方陣の話から

2・9・4
7・5・3
6・1・8


これ、知ってますか。たて、横、ななめをどのように足しても「15」になるという魔方陣です。

「憎し(294)と思えば七五三(753)。618は15なりけり」って覚えました。

今回はこれを覚えておくとわかりやすい。はい。では、声に出して「憎し(294)と思えば七五三(753)。618は15なりけり」。覚えましたか。

では、次の図を見てもらいましょう。

kouten01


これは「後天図」と呼ばれるもので、まあ、その説明は今回は省くとして、よく占いなどに用いられるものです。これが例の「一白水星」とかいうものの原盤です。「一白水星」とかそういうのは「九星」と呼ばれています。あ、「水星」とか書いてないですね。以下のようになります。

一白=水星
二黒=土星
三碧=木星
四緑=木星
五黄=土星
六白=金星
七赤=金星
八白=土星
九紫=火星

さらに、「憎し(294)と思えば七五三(753)。618は15なりけり」の魔方陣になってるでしょ(いまは赤の部分は気にしないでください)。

東洋の伝統で文字は右から左に書くので逆になっていますが。それと「南」が上になっています。これは要注意です。

が、慣れないと、やっぱり見づらいと思うので上を北にしますね。さ、いかがですか。下から「憎しと思えば」になりますね(これは左→右)。

kouten02


◆年と九星の計算方法

さ、ではここで自分の年がどれなのか。あるいは友達の年がどれなのか。さらには今年はどれなのか、それを計算する方法を紹介します。超カンタン!

たとえば1972年生まれの人がいるとする。

(1)まずは、これを「1」「9」「7」「2」とバラバラにして、それを足します。

1+9+7+2=19

(2)答えがこのように10以上の場合は「19」も「1」と「9」に分けて、それを足します。

1+9=10

(3)で、最後に「11」からこの答えを引き算します。★なぜ「11」から引くのかについては深く考えないことにしましょう。

11−10=1

で、この人は「1」の人、すなわち「一白」の人だということがわかります。

もうひとつ例題。

これはつい最近生まれた人。2008年生まれ。

(1)2+0+0+8=10
(2)1+0=1
(3)11−0=10

あれ?「10」だと九星に当てはまらない。この場合はまた「1+0」をして「一白」にします。まあ、例外はこれだけかな。

最後に今年ね。2010年。

(1)2+0+1+0=3
(2)答えがひとけた(=3)なので、ここの計算は不要
(3)11−3=8

今年は「八白の歳」だということがわかります。

★東洋の占いになぜ西暦?という疑問は当然沸くと思うのですが、それを云々していくと、ここで話が終わってしまうので気づかなかったフリをして進みましょう。それがオトナ!

◆真ん中に注目

さあ、さっきちょっと無視しておいた「赤い字」は易の八卦です。「はっけ」、正式には「はっか」と読みますが、八卦についてここで書いていくと、またまた話が長くなるのでWikipediaで見てください。

人を生まれ年によって「八卦」に分類して、いろいろ考えようというのが、この方法の基本です。でも「八卦」なのに「九星」。ひとつあまってしまいます。

ここでもう一度、さきほどの「後天図」を見てみましょう。

kouten02


真ん中に「赤い字」が入っていない「五黄」がありますね。これがあるから八卦が九星になるのです。で、しかもこれは「中央」でとても大切。色も「黄色」、すなわち皇帝の色です。

◆年によって盤が変わる

この後天図ですが、実は年によって変化するのです。

たとえば今年は「八白」の年ですから「八白」がこの中央に入ります。そして全体もこれに連れてグルグルっと廻ります。言い方を変えれば、「基本の後天図」というのは「五黄」が中央に入った年の後天図だということができます。

じゃあ、どんな風に変わっていくか。これを知るには「八卦」と「九星」との関係を知っておいた方がいいでしょう。さらにそれらが方位とも関係してきますので、それも書いておきます(ああ、だんだん説明をはしょってきた)。

さて、両者の関係は以下のようになります。

一白水星=「坎(かん)」→北(1)
二黒土星=「坤(こん)」→南西(2)
三碧木星=「震(しん)」→東(3)
四緑木星=「巽(そん)」→南東(4)
五黄土星=「なし」→中央(5)
六白金星=「乾(けん)」→北西(6)
七赤金星=「兌(だ)」→西(7)
八白土星=「艮(ごん)」→北東(8)
九紫火星=「離(り)」→南(9)

これって覚えにくそうなのですが八卦のメタファーを知れば、案外覚えやすいです(次回ね)。

◆変化しま〜す

じゃあ、どうやって変化するのか。それにはまず次の表を見てください(表はクリックで大きくなります)。

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基本の盤は、「五黄」が真ん中(5)のところに入ります。「坎(1)」のところには「一白」が入り、「坤(2)」のところには「二黒」が入るという具合に、外側の円の数字と内側の円の数字が一致しています。この表の赤い枠のところです。

が、今年は「八白」の年なので八白が真ん中(5)のところに入ります。そういうときにはこの表の「八」(赤い↓)のところを見ます。すると。「坎(1)」のところには「4(四緑)」が入り、「坤(2)」のところには「5(五黄)」が入ります。これを盤にしたのが下図です。左側には基本の盤も載せておきました(図はクリックで大きくなります)。

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これは「八白」の年(すなわち今年ね)には、たとえば「四緑」の人は「坎」の性質に支配され、「二黒」の人は「艮」に支配されているということなのです。

じゃあ、「坎」とか「艮」の性質って何なんだ!ってことなのですが、それは明日以降にお話ししますね。

しかし、今回の話、目の前ですると簡単なのに文字にすると面倒くさくて、わかりにくくなりますね。「わかんないや」という方は、ぜひ易の講座にお出ましください。

★ここに挙げたのは風水の年盤です。気学の年盤と風水の年盤は角度が違うのですが、そこら辺も今回は扱いません。

今年はどんな歳?

今年はどんな歳?

さて、今年、平成22年(2010年)を干支(えと)からみると、どんな歳か。

干支でいえば今年は庚寅(かのえ・とら)の歳です。「庚」も「寅」も変化のシンボル、激しい変革の年になるかも?

▼干支による年

・・という話を始める前に、干支によって歳を考えるって?という話をしましょう。

まずは、干支の組み合わせってどいうことか、ということ。これはご存知の方も多いと思いますが、念のために・・。

十干は「10」、十二支は「12」ありますね。これをずらしながら組み合わせていくのです。

十 干:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
十二支:子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

最初の10日間は上の十干と下の十二支をそのまま組み合わせればいいので簡単。

1.甲子
2.乙丑
3.丙寅

・・となります。で、こうしていくと十干は10で終わってしまうのに十二支はまだ2つ残っている(以下は上下で「甲子」のように見てください)。

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸・○・○
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

そこで残ったところにもう一度、甲乙・・と入れていくのですから、こうなります。

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸・甲・乙
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

・・で、こんな風にどんどんずれていく。

丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸・甲・乙・丙・丁
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

このようにしていくと、もう一度最初の「甲子」が出てくるのは60回目。で、今でも60歳を「還暦(暦が一度、戻ってくる)」といいます。

さて、このような干支、すなわち十干と十二支の組み合わせは「殷(いん)」の時代から使われていました。いま発掘されている考古資料だけから考えても、少なくとも3,300年以上も前から使われていた方法なのです。

ただ殷の時代には、それは「日」に対して使われていて「年」に対しては使われていませんでした。干支が年に使われるのが一般的になったのは、かなり新しく、今から2、000年くらい前です(正確な所はちゃんと調べていません。すみません)。

・・というわけで、本当のことをいうと「干支から考える今年はどんな歳?」っていうのは殷や周の人が聞いたら「???」となるのですが、それはまあ気にせず話を進めます。

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【十二支】=寅

まずは十二支の方から見ていきます。今年は「寅歳」です。虎の年です。

●千里を走る虎

虎は洋の東西を問わず「速く走る」動物の象徴です。

英語で虎を「タイガー」といいますが、これは「チグリス」という語から来ています。社会の授業で「チグリス、ユーフラテス」と習った、あれです。

チグリスというのは古代ペルシャ語で「矢」の意味。矢の飛ぶごとく疾駆する動物だから、虎は「チグリス」であり「タイガー」なのです。

東洋でも虎は千里を走るといわれ、虎退治で有名な加藤清正などは「千里一跳(ひとはね)虎之助」などとも呼ばれています。千里を一跳ですから速く走るどころではない。

さらにその疾駆するときは風を呼び、万物をなぎ倒す。そんなわけでまずひとつ。

千里を疾走する虎のように、今年は大きな、そして速い飛躍のある年でしょう!

●子を愛する虎:虎の子

大切なものを「虎の子」といいますが、これは虎がわが子をとても愛して育てることから来ています。また、チグリス(俊足)なる虎のもっとも速く走るのが、子を奪われたときだともいいます。

子を守るのは動物の本能だといいます。が、子を虐待する親も増えています。こういう現象を見て「人の本能が崩壊してきている」と歎く人もいます。

そんなことはないと思います。

人は人間になった瞬間に、あらゆる本能が弱くなった。それは「学習」の成果を高めるためです。孔子が「人は教育による違いはあるが、生まれつきによる違いはない」と言ったように、人間は学習によってどんな人間にもなり得るのです(とペスタロッチも言いましたが、むろんそれは言い過ぎです)。

となると、いわゆる本能的なことが弱い人というのは「学習能力」が高い人だということになります。

子どもを虐待してしまう人。群れが苦手な人。自分の生活のために外に出て行くのがイヤな人・・・。という人は非常に進化した人たちなのかも知れません。

で、そういう人こそ、正しい学習、特に子どもの頃の学習がとても大きな成果を発揮するのです。

たとえば子どもの頃にDVを受けたり、日常的に目撃したりすれば、学習能力が高いのだから自分もDVをするようになるし、受けやすくなる。「いい大学に行けば、将来が【楽】になるよ」と教育されれば【楽】であることが一番いいと学習するから、いい大学を出た後は家で引きこもる。

ある意味、当たり前の話。

が、学習能力が高いわけですから、本当にちゃんとした学習が再びなされれば、うまい具合に社会適応(どころか、もっとすごくなること)が可能なんじゃないかと思います。それには孔子のいう「礼」を研究することがいいヒントになるんじゃないかな、と思い、今年はマジメにそれを考えてみようと思っています。

あれ、いつの間にか自分の抱負になっている。

●強気をくじき、弱きを助ける

虎はとても強いので、アニメなどでは邪悪なものとして扱われたりもします。

東映のアニメに「わんわん忠臣蔵」というのがありました。虎は仇役です。役名は「キラー」、殺し屋。むろん「吉良上野介」の「吉良〜」です。ちなみに主人公の犬の名前は「ロック」。ロック=大石。大石蔵之助です。

が、昔の人は虎に正義を見ました。

虎は小児を襲わないといわれています(本当かどうかはともかく)。虎が襲うのは自分より強いもの。柔弱な小児に対しては優しい愛情を注ぎます。また、虎は自分に敵意を持たない者も襲いません。まさに「強気をくじき、弱きを助ける」、そんな正義の味方のような動物が虎なのです。

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【十干】=庚(かのえ)

十干の庚を「かのえ」と読むのは、十干を2つずつのペアで「木・火・土・金・水」の五行に当てはめて、各々「兄(え)」、「弟(と)」に配します。

甲=木(き)の兄(え)
乙=木(き)の弟(と)

丙=火(ひ)の兄(え)
丁=火(ひ)の弟(と)

戊=土(つち)の兄(え)
己=土(つち)の弟(と)

庚=金(か)の兄(え)←これ!
辛=金(か)の弟(と)

壬=水(みず)の兄(え)
癸=水(みず)の弟(と)

●収穫の年

「庚(かのえ)」という漢字の意味について古代の辞書である『説文(せつもん)』には「秋時、万物庚庚として、実(みの)るあるに象(かたど)るなり」とあります。秋に万物が実るのが「庚」の年、そしてそれを収穫・脱穀するのも「庚」の年です。

実りと収穫です。

去年までこつこつと努力をしてきた方、成果が出なくても地道に培ってきた方は、それらのことが実り、収穫することができる年になるかも。

●激しい改革の年

「庚(かのえ)」は「金(か)の兄(え)」で、季節でいえば秋です。しかも、激しく変化する秋、それが「庚」の年です。

「庚(コウ)」は「更(コウ)」でもあります。「更」とは「更改」、改めること、改まることです。

改まるといっても、「更改」とは全く新しいものに変わることではありません。現状の上に何かが重なって「改新」することであり、あるいはそれ以前のものと、また「交代」することです。

去年までの自分に何かが重なって、新たな自分が生まれる、そんな可能性がみえるのが「庚」の年です。

●大人は虎変する

虎は四神でいえば白虎。白は「白秋」という語があるように、やはり「秋」です。虎は秋の動物なのです。「庚」も秋でした。

秋とは変化の象徴です。

今年は十干も秋、十二支も秋、まさに大きな変化がありそうな予感がします。

『易経』の変革の卦である「革」には「大人は虎変す」という言葉が見えます(そのすぐ近くには有名な「君子は豹変す」があります)。

虎は秋には、その毛皮が美しく変化する。虎は最も威のある動物。人であれば「大人」です。あたかも虎の文様が、変化の秋の到来とともに色を変じて輝くように、大人はおのれ自身を一新して、輝かします。

それが「大人は虎変す」です。

なんか激動の年になりそうな予感が・・・。

DEN05:復讐の隠喩

今年最後の「DEN」シリーズはリトアニアの話です。

バルト三国のひとつであるリトアニアは、風光明媚で、そして女性が強く、美しいことで有名です。しかし、そのようなことはともかく、リトアニアの人々との出会いは、それまでの人生観を一挙に変えるほどの衝撃がありました。

「明日も今日と同じ日が訪れる」という前提で暮らす毎日。そんな前提が一挙に崩される日が訪れたら私たちはどうなってしまうのか。ノストラダムスの大予言から始まり、いま話題の「2012」まで、人々はそのような日の来ることを恐れながらも、しかしどこかで心待ちにしています。

が、現実はそんなに甘くはない。そのような破局の日の後にも、日常は再び訪れる。再び訪れた、その日常の中で、私たちはどうやって生き直すことができるのか、それを考えさせられました。奇跡は起きないのです。

ここに書いてあるリトアニア公演以降、何度か彼の地を訪れました。そのときの写真を次回のブログでは載せておきますね。

【血ワ牛肉マウ●第五場】

<復讐の隠喩>

昨年(1999年)末、喜多流の松井彬(まつい・あきら)氏を団長とするポーランド、リトアニア公演に参加した。リトアニアでは、グレタという20歳の女姓が通訳をしてくれたが、彼女に山会うまで、この国についてはほとんど知らなかった。

今ではとても長閑なこの国で、たった9年前に「血の日曜日」と呼ばれる事件が起き、多くの市民の血が流されたということも彼女からはじめて聞いた。

1991年正月、リトアニアでは旧ソ連からの独立の気運が高まる中、突然ソ連軍の武装部隊が首都ヴィリニュスの議事堂を包囲した。抗議のために死を賭して議事堂にたてこもる議員たち。最高責任者である最高会議議長は、その一触即発の緊張を和らげるために、何とピアノに向かってチュルリョーニスの「海」を弾く。むろん彼も死を覚悟していた。

議会を守ろうと、数万人の市民が集まる。市民は武器を持たずに非武装の抵抗を示したが、ソ連軍の戦車や装甲車はそんな彼らを轢き殺し、女性1人を含む13人の命が消えた。

「5歳だった弟は、二階の窓から戦車に向かって泣きながら小枝を投げていました」

当時、12歳の少女だったグレタは、そんな弟を抱きしめながら、両親不在の家の中で恐怖と怒りに震えていた。それから9年、独立を勝ち取ったリトアニアで、グレタは国際経済学を大学で学びながら、自ら会社を経営する魅力的な20歳の女性になった。

社会主義から資本主義へ、まさに180度の価値観の変化についていけずに、無気力や非行、そして自殺に走る者も多いという。突然変わってしまった祉会に対する不満、旧ソ連に対する恨みもあるだろうし、そんな世の中に復讐をしたいと思うだろう。

しかし彼女は、いつまでも恨んだり、不満を言ってみても仕方がないという。この環境の中で「すごく幸せになることが一番の復讐」だと信じている。

近年、何度も大国の侵略を受けながらも、ついに心だけはまつろわなかった民の娘は、強固な、しかしとても優雅な意志を持つ。それは「優雅な生活」を「復讐」の隠喩に置き換えようとしたフィッツジェラルドのまさに実践版だ。

肉体的には服従を強いられても精神は決してまつろわぬ人々は、優雅に復讐するための知恵を隠喩という形で得るのだろうか。

そして、われらが能の中にもそのような精神の一部を見ることができるのだ。

たとえば能『土蜘蛛』がある。

この能は、隼人舞発生の神話を思いださせる。

自分の釣り針に固執した兄、海幸(うみさち)は、弟の山幸(やまさち)の得た塩盈玉(しおみつたま)でなぶられたあげくに結局は降参する。それ以降、海幸の一族は、山幸一族への服従を示すために塩盈玉で溺れた様を演じ続けることを強いられ、それが隼人舞という芸能になったという。

海幸の子孫たちは、おそらくは征服者たちの嘲笑と蔑視の中で、一族の敗北のさまを演じ続けたのだろう。その永遠に続く屈辱の記憶の繰り返しは、彼らから復讐への意志を奪い、その深部に底なしの空洞を空けてしまう。

征服者による恐ろしいほど残酷な心理作戦だ。

そして、『古事記』や『風土記』にも登場する勇猛な民、土蜘蛛族も朝廷軍に服従を替ったときから、同じ目的のために屈辱の芸能を強いられることになったのではなかろうか。

しかし、現在の『土蜘蛛』にその悲壮感はない。

能一番を見終わった観客の脳裏に鮮明に残るのは、土蜘蛛を退治した独(ひとり)武者ではなく、首を切られたシテ、土蜘妹であろうし、その拍手は見事に首討ち落とされた土蜘蛛に向けられる。能では『土蜘蛛』はすでに屈辱の芸能ではなくなっている。

『土蜘蛛』からは、屈辱の芸能を誇りの芸能へと変換させた土蜘妹一族による隠喩化への意志を読むことができる。武力では征服者に勝てないと悟った彼らは、屈辱のまねびを続けていくうちに、芸能を通じて復讐するという隠喩を考えたのだろう。

そして、その隠喩は単なる修辞法ではなかった。自分たちの理解者には伝わらなければ意味をなさず、しかし為政者にその意志を見破られれば一族の絶滅に直結するという、生死を賭けたギリギリの修辞術だった。

<2000年3月号>

★チュルリョーニス:1875年〜1911年。リトアニアを代表する作曲家、画家。35歳の若さで亡くなったが、彼の絵画や音楽はリトアニア国民の精神的な支柱となっている。音楽では「海」、「森林で」のように自然をテーマにした作品が有名。→Wikipedia

★ちなみにリトアニアはヨーロッパ最後の異教国家。異教って言葉がよけいなお世話だけど。→リトアニア大公国

DEN04:西暦二千年の大掃除

さてさて、「DEN」シリーズの4回目です。

年末年始の話です。ただし、これはちょうど10年前、1999年の年末に書いたので千年紀の最後の年末でした。世紀末よりもすごい千年紀末。

号としては2000年の正月号です。

1600字という字数制限の中で、たくさんの書きたいことを一挙に書いたのでジェットコースターのように速い文体です。何がなんだかわからないままに終わってしまうかも知れません。ぜひ、ゆっくりと解凍しながら読んでみてください。今回に限って「◆◇◆◇◆」を入れて節で分けてみました。

今度、これを倍くらいの量にして書いてみようかな、などと思っています。

◆◆◆◆◆

【血ワ牛肉マウ●第四場】

<西暦二千年の大掃除>

年末の憂うつは、大掃除に尽きる。忙しさを言い訳に散らかしっぱなしにしている自分が悪いのだが、憂うつなものは憂うつだ。放っておけば、これ見よがしに箒(ほうき)を部屋の入り口に立てかけておく山の神がいる。

さて、やっと大掃除の憂うつから解放されたと思って正月、またまた新年定番の能『高砂』で、お婆さんの箒に出会う。

ところで、どうもこのお婆さんの箒がクサイ。簡素な能の小道具群の中で、この箒はよくできすぎている。作りではお爺さんの熊手にも劣らない割に、お爺さんの熊手に比べるとその存在意義が薄すぎる。

これには何かわけがあるはずだ。

ということで、大掃除の恩人、箒の不審を晴らすために、まずは箒のイメージを見てみよう。

      ◆◇◆◇◆

箒といえば、まず掃除。特に、払暁の神社を掃き清める巫女さんの緋の袴はすがすがしい。西洋に行けば魔女の箒。高砂のお婆さんも魔女なのかなあ、などと思ってみる。そうそう、客に早く帰ってほしいときには、箒を逆さに立てる呪(なじな)いなんていうのもあった。

ここで、「神社」・「魔女」・「呪い」と、ちょっと怪しい三拍子がそろう。

そういえば『古事記』では、天若日子(あめのわかひこ)の葬儀の日、河雁・鷺・翡翠(かわせみ)・雀・雉などの鳥が喪屋に集まる中、鷺が箒を持つ役割をするが、箒に喪屋とはいよいよ怪しい。

さらに喪屋の近くの産屋では、箒は妊婦の枕元に立てて(しかも逆さまに立てて)使われる。ここでは箒は女性を助けるお産の神様だ。女性といえば、山の神を祭るときに、その依代・呪物としても箒を使う。

産屋ということで、能『鵜羽(うのは)』の鵜の羽なども箒と同系統とみることができるだろうし、神の依代ということでは狂女の笹も同じだろう。箒が魔女の乗り物ならば、西洋でも箒には呪物としての役割があったのだろうか。

といううちに今度は、「箒」・「女性」・「呪物」という三役がそろった。

      ◆◇◆◇◆

「女」篇に「帚」をつけると「婦」になるが、甲骨文では、「箒(★)」だけで「婦」という意味に使っている。

★箒の甲骨文字
houki

しかし、この字を「フ」と読む根拠が以前から納得いかない。

そこで呪文のイメージを借りて、「婦」は「巫(フ)」だと勝手に決めてしまう。「巫」は「舞(ブ)」にも通じるので、それならば「箒」は「舞」とも関係があるのだろうか。

字形で見れば、「箒(★↑参照)」は、茅(ちがや)を立てた形のようである。鳥の羽にも見える。

『周礼(しゅらい)』や『詩経』には茅を持って鳥の如くに舞いながら、風を呼び雨を招く風師や雨師と呼ばれる巫たちの姿が現れ、『説文解字』には「巫」とは舞で神を降すものとの釈文がある。また、巫が天帝と交信し、雨を呼ぶ能力を持つことが要求されたことは『左伝』にも記されるし、天若日子の葬儀の日には、箒持ちの鷺たちは「遊び(歌舞)」をしたと『古事記』にある。

お、箒と舞がつながった。

      ◆◇◆◇◆

となると、能『高砂』のお婆さんも、神社の巫女さんも箒を持って祭りの庭を清めているように見えてはいるが、実は箒舞を舞いながらこっそりと神霊と交信しているのかもしれない。

やはりこれはただ者ではない。

さらに、我らの卑小な身体を大宇宙と同一と考える神道の伝統を併せ考えれば、彼女たちが清めているのは実は自分自身なのかもしれない。神社を清めることは、体内の宇宙を清めることで、日常生活の汚れの中に隠れてしまっている自分の中の神を探し出すことにほかならないのだ。

ならば、箒を持って登場する『高砂』のお婆さんは、観客の心身を清めて、その神様を探し出す手助けをしているのかもしれない。

さてさて、西暦二千年は世紀末最後の年。一年通してこの百年間、いや千年間の師走と考えることができるかもしれない。汚れきった心の中や、ついでに家の中までも、一年間かけて掃除でもして、自分の中の神様でも探すとするか。

<2000年1月号>

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