古代の料理人は調理人ではなかった

ブログの更新が滞っており、申し訳ございません。

年末、新年と東京を離れることが多く、バタバタしています。合間にTwitterはしています。

http://twitter.com/eutonie

さて、先日、黛まどかさんとロルファーの中村直美さんと食事をしたのですが、そのときに黛さんも僕も(いわゆる)おいしい食事にはほとんど興味がない、ということが判明!

むろんおいしいものは嫌いではないのですが、しかしだからといっておいしくなければいけない!というわけでもない。

以前に東京から和歌山まで山の道を歩いたときも、ほとんどインスタントラーメンだけですごしました(ときどきパン)。かなりの日数、人に会わないのですから、なるべく軽く、そして水で増えるものといったらインスタントラーメンが最高です。

黛さんはともかく、僕は貧しい漁村で育ったし、家だってそんなに裕福ではなかったためか、子どものころの夕食はかなりの割合を、そこら辺にあるものですませていました。

まずは海に行って、アサリやベーボ(貝)や海草や、そんなものを取ってくる。周りの家が全部が漁師なので魚はよくもらった。砂浜からは浜ボウフとか蓬とか、そんなものも取ってくる。そして防風林に入ってキノコを取ってきて、さらに火を起こすための松ぼっくりも拾ってくる。父はマサカリで木を叩き切り、子どもたちはナタでそれを割る。海に潜ってカキを取ってくることもあった。あ、ウニもいっぱいあった。

よく、「そんな自然のものを食べることができて、それは贅沢だよ」と言われますが、そんなことはありません。自然のものではなく、「そこら辺にあったもの」なのです。

◆◆◆◆◆

古代の料理人は男性でした。

それは料理人が、「火」と「金(金物)」を司る職業だったからでしょうか。

古代の中国の話ですが、「夏」王朝を倒し「商(殷)」王朝を建てるのにもっとも功績のあったのは「伊尹(いいん)」です。彼は料理人でした。また包丁の名前の由来となった料理人、包丁(ほうてい)も、殷の湯(とう)王の秘伝の舞を伝えたと目される、特別な人です。この舞は雨乞いの舞です。それを舞うことができたのは王だけだったのです。

となると、どうも料理人は、ただ人ではなかったらしい。

が、この料理人という言葉で、いまの調理人と思い浮かべてはいけない。

彼らにとっては味は重要ではない。味に関する語はかなり新しいのです。彼にとって大切なことは、いかに正しく肉を割くかとか、いかに火を使うかとか、そういうことだった。

これは古代の祭祀における王の役割に似ています。・・となると、彼らこそ王の業を「する」人たちだったのでしょうか。

だからこその伊尹(いいん)であり、包丁(ほうてい)だったのですね。

味がどうのこうのなんてチマチマしたことにこだわってなどいないのです。

一白水星とか(2):お正月スペシャル第3弾!

さて、昨日の話はごちゃごちゃしていてわかりにくかった!という方。

まとめです。次の二点がわかっていれば大丈夫。

(1)まずは自分の星の出し方。

自分の生まれ年(西暦)を分解して、で、それらをすべて足していくという作業をし、最終的に一桁にして、さらにそれを「11」から引きます。

例)1962年生まれ
1+9+6+2=18 さらに→1+8=9
で、 11−9=2 →で、「二黒」です。

(2)「今年、自分は八卦でいうとどの性質なのか」ということを知る。

今年は上記の計算をすると「八白」になるので、八白の年用の年盤を使います(これについては昨日の話を見てください)。

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これを見て、たとえば一白の人だったら今年は「兌(だ)」、二黒の人だったら今年は「艮(ごん)」になります。

さて、ではこの「兌(だ)」とか「艮(ごん)」とかには、どんな意味があるんだろう、というのが今日の話です。

◆説卦伝(1)

このことの説明が書いてあるのが『易経』の「説卦(せっか)伝」です。この説卦伝には八卦のさまざまなメタファーが書かれています。説卦伝にはいろいろ書いてあるのですが、基本は以下の表です。

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たとえば、あなたが四緑の人だったら「坎(かん)」なので・・

「水」とか「陥る」とか「潤す」がキーワードになるのです。で、実際に占いが書いてあるような暦で「四緑」の人の今年の運勢を見てみると、たとえば次のように書いてあります。

「・・くぼみに足をとられやすくバランスを崩したり、物事の動きが思う様に行かない運気になりそうです」云々。

・・と、あとはこれを敷衍していろいろ書いてあるのですが、基本はキーワードである「水」とか「陥る」から考えて、あとはさまざま書いているわけです。

確かに「坎(かん)」は、あまりいい卦ではないと解釈されているのですが、実はこれが悪い卦だと思われるようになったのは割合新しく、『易経』の中の「坎」の卦を見ると「孚(まこと)あり。維(こ)れ心、享(とお)る。行いて尚(とおと)ばるることあり(あるいは「たすけあり」とも)」などとあります。

「坎」には誠がある。だから心はむろん通るだろう。障害はあるが果敢に行動すれば人の賞賛を得られるし、助けてくれる人もいるだろう。

・・って悪くないでしょ。さらにこの注釈(特に王弼のね)などを読んでいくともっと面白い。

というわけで暦に書かれていることをそのまま信じるのではなく、それが『易経』の中でどのように書かれているか、それをちゃんと知ることが大事なのです。

◆説卦伝(2)

説卦伝にはさらに詳しいメタファーがありますので、それも書いておきますね。いちいち読むのは大変なので必要なときに眺めて、読み解きに役立ててください。

【乾】
天、円、君、父、玉、金、寒、冰(こおり)、大赤(真っ赤)、良馬、老馬、瘠馬(よく走る馬)、駁馬(虎や豹をも食うという馬)、木の果。

【坤】
地、母、布、釜(事物を成熟させる)、吝嗇(手放さない)、均(平等)、子母牛(子をよく産む牛)、大輿(大きな神輿)、文(あや)、大衆、柄、黒(もっとも純粋な色)。

【震】
雷、龍、玄黃(天地の色)、大塗(大きな道路)、長子、決躁(思い切りがよく、しかしうるさい)、蒼筤竹(青々と茂った竹)、萑葦(荻と葦)。馬にたとえればよく鳴き、馵足(後ろ足が白い馬)、作足(足の速い馬)、的顙(額の白い馬)。栽培する植物にたとえれば反生(豆類)。動きは非常に健であり、草木が茂って色鮮やかである(蕃鮮)。

【巽】
木、風、長女、繩直(定規を正しく当てること)、大工(匠)、白、長、高、進退、果断ではない、におい。人にたとえれば髪が薄くなったり、額が後退した人。白眼が多く、市価の三倍で売ることができるような人。基本的にはさわがしい。

【坎】
水、水を流す溝、隱伏(地下水脈)、弓や車輪のように、ものを矯めたもの。人にたとえれば憂いが多く、心の病や、耳の痛みというイメージ。身体の水ということで血も。色は赤。馬にたとえれば、姿の美しい馬。心せわしい馬。下り首、蹄が薄くなった馬、足を曳きずる馬。災い多い車。どこにでも通ることができる。水の精霊である月。どこにでも入れるから盜人。木にたとえれば堅くて芯が多いもの。

【離】
火、日、電(いなづま)、中女、甲胃、戈兵(武器)。人にたとえれば大きなお腹の人。乾く。すっぽん、蟹、たにし、はまぐり、亀。木にたとえれば幹が空ろになって上の方が枯れかかった木。

【艮】
山、徑路(こみち)、小石、門闕(上に物見がある宮城の門)、売れた果実、門番、宦官、指、狗、鼠、虎や豹。木にたとえれば堅くて節の多い木。

【兌】
沢、少女、巫(巫女、男巫)、口舌(ものをしゃべること)、幹などが折れること、実が落ちること。土地でいえばアルカリ性の強い土質。妾、羊。

◆といわけで

ちょっとぐちゃぐちゃしていましたが、占いの暦に書いてあることの簡単な説明でした。

でも、もっと基本的なことをいえば、八卦を生まれ年に当てはめるとかっていうこと自体が変なのですが、それについて云々していくとまたまた長くなるのでやめておきましょう。

あ、あとこれで自分流の占いも作れちゃうでしょ。「動物占い八卦版」とか「身体占い」とかね。

八卦の表を見て、一白の人だったら「ぶた」とかね。あ、ブタって言われるとイヤだから「いのしし」にするとか。

身体だったら「耳」だね。「あなたを身体でいえば<耳>です」なんて、よくわからないけど面白いかも。

いろいろ考えられます。

では、この話は一応これでお終いです。今度、少人数寺小屋の易のときに、もうちょっとお話しします。

一白水星とか(1):お正月スペシャル第2弾!

昨日は「今年はどんな歳?」というのを干支から考えてみましたが、今日もまたお正月スペシャルです。

今回の話はメモを取りながら読んだ方がわかりやすいです。

うちの師匠の神社では、ご祈祷にみえた方に東京神明館なるところ発行の「家庭本暦」を配っています。これに似たような暦はよく出ていて、書店などでも高島易断とか、いろいろなところがそのような暦を出しているのを見ることができます。

これはただの暦ではなく、一年間の占いも含まれていて、まずはその人の生まれ年で、「あなたは一白水星」とか「あなたは二黒土星」とかが決まり、そして「今年の運勢はこれこれですよ」とか「何月の運勢はこうですよ」とかいうのが○とか●などのアイコン付で示されています。

これで一喜一憂する人も少なくありません。

が、いくつかの本を見比べてみるとわかるのですが、ある本では今年は最悪だと書いてあるのに、他の本では割りといいことが書いてある。これってなぜなのでしょうか。

今日はこれを考えてみたいと思います。

で、最初に結論なのですが、実はあれは八卦のメタファーをどう読み解くかによって、吉になったり、凶になったりするのです。ですから、本家本元の八卦を知って、さらにそのメタファーを自分で読み解くという作業をすれば、吉も凶も本来はない。ただ、メタファーの読み解きだけがあるのです。

ですから書きたいと思っているのは・・・
(1)八卦の知り方
(2)八卦のメタファー

ですが、今回は「(1)八卦の知り方」について書きます。

が、むろんブログで書くことには限りがありますので、今度、易の講座でちゃんとやります。ご興味がある方はそちらにどうぞ(受講料はお賽銭でいくらでも結構ですから、どうぞお気楽に)。

◆まずは魔方陣の話から

2・9・4
7・5・3
6・1・8


これ、知ってますか。たて、横、ななめをどのように足しても「15」になるという魔方陣です。

「憎し(294)と思えば七五三(753)。618は15なりけり」って覚えました。

今回はこれを覚えておくとわかりやすい。はい。では、声に出して「憎し(294)と思えば七五三(753)。618は15なりけり」。覚えましたか。

では、次の図を見てもらいましょう。

kouten01


これは「後天図」と呼ばれるもので、まあ、その説明は今回は省くとして、よく占いなどに用いられるものです。これが例の「一白水星」とかいうものの原盤です。「一白水星」とかそういうのは「九星」と呼ばれています。あ、「水星」とか書いてないですね。以下のようになります。

一白=水星
二黒=土星
三碧=木星
四緑=木星
五黄=土星
六白=金星
七赤=金星
八白=土星
九紫=火星

さらに、「憎し(294)と思えば七五三(753)。618は15なりけり」の魔方陣になってるでしょ(いまは赤の部分は気にしないでください)。

東洋の伝統で文字は右から左に書くので逆になっていますが。それと「南」が上になっています。これは要注意です。

が、慣れないと、やっぱり見づらいと思うので上を北にしますね。さ、いかがですか。下から「憎しと思えば」になりますね(これは左→右)。

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◆年と九星の計算方法

さ、ではここで自分の年がどれなのか。あるいは友達の年がどれなのか。さらには今年はどれなのか、それを計算する方法を紹介します。超カンタン!

たとえば1972年生まれの人がいるとする。

(1)まずは、これを「1」「9」「7」「2」とバラバラにして、それを足します。

1+9+7+2=19

(2)答えがこのように10以上の場合は「19」も「1」と「9」に分けて、それを足します。

1+9=10

(3)で、最後に「11」からこの答えを引き算します。★なぜ「11」から引くのかについては深く考えないことにしましょう。

11−10=1

で、この人は「1」の人、すなわち「一白」の人だということがわかります。

もうひとつ例題。

これはつい最近生まれた人。2008年生まれ。

(1)2+0+0+8=10
(2)1+0=1
(3)11−0=10

あれ?「10」だと九星に当てはまらない。この場合はまた「1+0」をして「一白」にします。まあ、例外はこれだけかな。

最後に今年ね。2010年。

(1)2+0+1+0=3
(2)答えがひとけた(=3)なので、ここの計算は不要
(3)11−3=8

今年は「八白の歳」だということがわかります。

★東洋の占いになぜ西暦?という疑問は当然沸くと思うのですが、それを云々していくと、ここで話が終わってしまうので気づかなかったフリをして進みましょう。それがオトナ!

◆真ん中に注目

さあ、さっきちょっと無視しておいた「赤い字」は易の八卦です。「はっけ」、正式には「はっか」と読みますが、八卦についてここで書いていくと、またまた話が長くなるのでWikipediaで見てください。

人を生まれ年によって「八卦」に分類して、いろいろ考えようというのが、この方法の基本です。でも「八卦」なのに「九星」。ひとつあまってしまいます。

ここでもう一度、さきほどの「後天図」を見てみましょう。

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真ん中に「赤い字」が入っていない「五黄」がありますね。これがあるから八卦が九星になるのです。で、しかもこれは「中央」でとても大切。色も「黄色」、すなわち皇帝の色です。

◆年によって盤が変わる

この後天図ですが、実は年によって変化するのです。

たとえば今年は「八白」の年ですから「八白」がこの中央に入ります。そして全体もこれに連れてグルグルっと廻ります。言い方を変えれば、「基本の後天図」というのは「五黄」が中央に入った年の後天図だということができます。

じゃあ、どんな風に変わっていくか。これを知るには「八卦」と「九星」との関係を知っておいた方がいいでしょう。さらにそれらが方位とも関係してきますので、それも書いておきます(ああ、だんだん説明をはしょってきた)。

さて、両者の関係は以下のようになります。

一白水星=「坎(かん)」→北(1)
二黒土星=「坤(こん)」→南西(2)
三碧木星=「震(しん)」→東(3)
四緑木星=「巽(そん)」→南東(4)
五黄土星=「なし」→中央(5)
六白金星=「乾(けん)」→北西(6)
七赤金星=「兌(だ)」→西(7)
八白土星=「艮(ごん)」→北東(8)
九紫火星=「離(り)」→南(9)

これって覚えにくそうなのですが八卦のメタファーを知れば、案外覚えやすいです(次回ね)。

◆変化しま〜す

じゃあ、どうやって変化するのか。それにはまず次の表を見てください(表はクリックで大きくなります)。

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基本の盤は、「五黄」が真ん中(5)のところに入ります。「坎(1)」のところには「一白」が入り、「坤(2)」のところには「二黒」が入るという具合に、外側の円の数字と内側の円の数字が一致しています。この表の赤い枠のところです。

が、今年は「八白」の年なので八白が真ん中(5)のところに入ります。そういうときにはこの表の「八」(赤い↓)のところを見ます。すると。「坎(1)」のところには「4(四緑)」が入り、「坤(2)」のところには「5(五黄)」が入ります。これを盤にしたのが下図です。左側には基本の盤も載せておきました(図はクリックで大きくなります)。

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これは「八白」の年(すなわち今年ね)には、たとえば「四緑」の人は「坎」の性質に支配され、「二黒」の人は「艮」に支配されているということなのです。

じゃあ、「坎」とか「艮」の性質って何なんだ!ってことなのですが、それは明日以降にお話ししますね。

しかし、今回の話、目の前ですると簡単なのに文字にすると面倒くさくて、わかりにくくなりますね。「わかんないや」という方は、ぜひ易の講座にお出ましください。

★ここに挙げたのは風水の年盤です。気学の年盤と風水の年盤は角度が違うのですが、そこら辺も今回は扱いません。

今年はどんな歳?

今年はどんな歳?

さて、今年、平成22年(2010年)を干支(えと)からみると、どんな歳か。

干支でいえば今年は庚寅(かのえ・とら)の歳です。「庚」も「寅」も変化のシンボル、激しい変革の年になるかも?

▼干支による年

・・という話を始める前に、干支によって歳を考えるって?という話をしましょう。

まずは、干支の組み合わせってどいうことか、ということ。これはご存知の方も多いと思いますが、念のために・・。

十干は「10」、十二支は「12」ありますね。これをずらしながら組み合わせていくのです。

十 干:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸
十二支:子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

最初の10日間は上の十干と下の十二支をそのまま組み合わせればいいので簡単。

1.甲子
2.乙丑
3.丙寅

・・となります。で、こうしていくと十干は10で終わってしまうのに十二支はまだ2つ残っている(以下は上下で「甲子」のように見てください)。

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸・○・○
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

そこで残ったところにもう一度、甲乙・・と入れていくのですから、こうなります。

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸・甲・乙
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

・・で、こんな風にどんどんずれていく。

丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸・甲・乙・丙・丁
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

このようにしていくと、もう一度最初の「甲子」が出てくるのは60回目。で、今でも60歳を「還暦(暦が一度、戻ってくる)」といいます。

さて、このような干支、すなわち十干と十二支の組み合わせは「殷(いん)」の時代から使われていました。いま発掘されている考古資料だけから考えても、少なくとも3,300年以上も前から使われていた方法なのです。

ただ殷の時代には、それは「日」に対して使われていて「年」に対しては使われていませんでした。干支が年に使われるのが一般的になったのは、かなり新しく、今から2、000年くらい前です(正確な所はちゃんと調べていません。すみません)。

・・というわけで、本当のことをいうと「干支から考える今年はどんな歳?」っていうのは殷や周の人が聞いたら「???」となるのですが、それはまあ気にせず話を進めます。

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【十二支】=寅

まずは十二支の方から見ていきます。今年は「寅歳」です。虎の年です。

●千里を走る虎

虎は洋の東西を問わず「速く走る」動物の象徴です。

英語で虎を「タイガー」といいますが、これは「チグリス」という語から来ています。社会の授業で「チグリス、ユーフラテス」と習った、あれです。

チグリスというのは古代ペルシャ語で「矢」の意味。矢の飛ぶごとく疾駆する動物だから、虎は「チグリス」であり「タイガー」なのです。

東洋でも虎は千里を走るといわれ、虎退治で有名な加藤清正などは「千里一跳(ひとはね)虎之助」などとも呼ばれています。千里を一跳ですから速く走るどころではない。

さらにその疾駆するときは風を呼び、万物をなぎ倒す。そんなわけでまずひとつ。

千里を疾走する虎のように、今年は大きな、そして速い飛躍のある年でしょう!

●子を愛する虎:虎の子

大切なものを「虎の子」といいますが、これは虎がわが子をとても愛して育てることから来ています。また、チグリス(俊足)なる虎のもっとも速く走るのが、子を奪われたときだともいいます。

子を守るのは動物の本能だといいます。が、子を虐待する親も増えています。こういう現象を見て「人の本能が崩壊してきている」と歎く人もいます。

そんなことはないと思います。

人は人間になった瞬間に、あらゆる本能が弱くなった。それは「学習」の成果を高めるためです。孔子が「人は教育による違いはあるが、生まれつきによる違いはない」と言ったように、人間は学習によってどんな人間にもなり得るのです(とペスタロッチも言いましたが、むろんそれは言い過ぎです)。

となると、いわゆる本能的なことが弱い人というのは「学習能力」が高い人だということになります。

子どもを虐待してしまう人。群れが苦手な人。自分の生活のために外に出て行くのがイヤな人・・・。という人は非常に進化した人たちなのかも知れません。

で、そういう人こそ、正しい学習、特に子どもの頃の学習がとても大きな成果を発揮するのです。

たとえば子どもの頃にDVを受けたり、日常的に目撃したりすれば、学習能力が高いのだから自分もDVをするようになるし、受けやすくなる。「いい大学に行けば、将来が【楽】になるよ」と教育されれば【楽】であることが一番いいと学習するから、いい大学を出た後は家で引きこもる。

ある意味、当たり前の話。

が、学習能力が高いわけですから、本当にちゃんとした学習が再びなされれば、うまい具合に社会適応(どころか、もっとすごくなること)が可能なんじゃないかと思います。それには孔子のいう「礼」を研究することがいいヒントになるんじゃないかな、と思い、今年はマジメにそれを考えてみようと思っています。

あれ、いつの間にか自分の抱負になっている。

●強気をくじき、弱きを助ける

虎はとても強いので、アニメなどでは邪悪なものとして扱われたりもします。

東映のアニメに「わんわん忠臣蔵」というのがありました。虎は仇役です。役名は「キラー」、殺し屋。むろん「吉良上野介」の「吉良〜」です。ちなみに主人公の犬の名前は「ロック」。ロック=大石。大石蔵之助です。

が、昔の人は虎に正義を見ました。

虎は小児を襲わないといわれています(本当かどうかはともかく)。虎が襲うのは自分より強いもの。柔弱な小児に対しては優しい愛情を注ぎます。また、虎は自分に敵意を持たない者も襲いません。まさに「強気をくじき、弱きを助ける」、そんな正義の味方のような動物が虎なのです。

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【十干】=庚(かのえ)

十干の庚を「かのえ」と読むのは、十干を2つずつのペアで「木・火・土・金・水」の五行に当てはめて、各々「兄(え)」、「弟(と)」に配します。

甲=木(き)の兄(え)
乙=木(き)の弟(と)

丙=火(ひ)の兄(え)
丁=火(ひ)の弟(と)

戊=土(つち)の兄(え)
己=土(つち)の弟(と)

庚=金(か)の兄(え)←これ!
辛=金(か)の弟(と)

壬=水(みず)の兄(え)
癸=水(みず)の弟(と)

●収穫の年

「庚(かのえ)」という漢字の意味について古代の辞書である『説文(せつもん)』には「秋時、万物庚庚として、実(みの)るあるに象(かたど)るなり」とあります。秋に万物が実るのが「庚」の年、そしてそれを収穫・脱穀するのも「庚」の年です。

実りと収穫です。

去年までこつこつと努力をしてきた方、成果が出なくても地道に培ってきた方は、それらのことが実り、収穫することができる年になるかも。

●激しい改革の年

「庚(かのえ)」は「金(か)の兄(え)」で、季節でいえば秋です。しかも、激しく変化する秋、それが「庚」の年です。

「庚(コウ)」は「更(コウ)」でもあります。「更」とは「更改」、改めること、改まることです。

改まるといっても、「更改」とは全く新しいものに変わることではありません。現状の上に何かが重なって「改新」することであり、あるいはそれ以前のものと、また「交代」することです。

去年までの自分に何かが重なって、新たな自分が生まれる、そんな可能性がみえるのが「庚」の年です。

●大人は虎変する

虎は四神でいえば白虎。白は「白秋」という語があるように、やはり「秋」です。虎は秋の動物なのです。「庚」も秋でした。

秋とは変化の象徴です。

今年は十干も秋、十二支も秋、まさに大きな変化がありそうな予感がします。

『易経』の変革の卦である「革」には「大人は虎変す」という言葉が見えます(そのすぐ近くには有名な「君子は豹変す」があります)。

虎は秋には、その毛皮が美しく変化する。虎は最も威のある動物。人であれば「大人」です。あたかも虎の文様が、変化の秋の到来とともに色を変じて輝くように、大人はおのれ自身を一新して、輝かします。

それが「大人は虎変す」です。

なんか激動の年になりそうな予感が・・・。

DEN05:復讐の隠喩

今年最後の「DEN」シリーズはリトアニアの話です。

バルト三国のひとつであるリトアニアは、風光明媚で、そして女性が強く、美しいことで有名です。しかし、そのようなことはともかく、リトアニアの人々との出会いは、それまでの人生観を一挙に変えるほどの衝撃がありました。

「明日も今日と同じ日が訪れる」という前提で暮らす毎日。そんな前提が一挙に崩される日が訪れたら私たちはどうなってしまうのか。ノストラダムスの大予言から始まり、いま話題の「2012」まで、人々はそのような日の来ることを恐れながらも、しかしどこかで心待ちにしています。

が、現実はそんなに甘くはない。そのような破局の日の後にも、日常は再び訪れる。再び訪れた、その日常の中で、私たちはどうやって生き直すことができるのか、それを考えさせられました。奇跡は起きないのです。

ここに書いてあるリトアニア公演以降、何度か彼の地を訪れました。そのときの写真を次回のブログでは載せておきますね。

【血ワ牛肉マウ●第五場】

<復讐の隠喩>

昨年(1999年)末、喜多流の松井彬(まつい・あきら)氏を団長とするポーランド、リトアニア公演に参加した。リトアニアでは、グレタという20歳の女姓が通訳をしてくれたが、彼女に山会うまで、この国についてはほとんど知らなかった。

今ではとても長閑なこの国で、たった9年前に「血の日曜日」と呼ばれる事件が起き、多くの市民の血が流されたということも彼女からはじめて聞いた。

1991年正月、リトアニアでは旧ソ連からの独立の気運が高まる中、突然ソ連軍の武装部隊が首都ヴィリニュスの議事堂を包囲した。抗議のために死を賭して議事堂にたてこもる議員たち。最高責任者である最高会議議長は、その一触即発の緊張を和らげるために、何とピアノに向かってチュルリョーニスの「海」を弾く。むろん彼も死を覚悟していた。

議会を守ろうと、数万人の市民が集まる。市民は武器を持たずに非武装の抵抗を示したが、ソ連軍の戦車や装甲車はそんな彼らを轢き殺し、女性1人を含む13人の命が消えた。

「5歳だった弟は、二階の窓から戦車に向かって泣きながら小枝を投げていました」

当時、12歳の少女だったグレタは、そんな弟を抱きしめながら、両親不在の家の中で恐怖と怒りに震えていた。それから9年、独立を勝ち取ったリトアニアで、グレタは国際経済学を大学で学びながら、自ら会社を経営する魅力的な20歳の女性になった。

社会主義から資本主義へ、まさに180度の価値観の変化についていけずに、無気力や非行、そして自殺に走る者も多いという。突然変わってしまった祉会に対する不満、旧ソ連に対する恨みもあるだろうし、そんな世の中に復讐をしたいと思うだろう。

しかし彼女は、いつまでも恨んだり、不満を言ってみても仕方がないという。この環境の中で「すごく幸せになることが一番の復讐」だと信じている。

近年、何度も大国の侵略を受けながらも、ついに心だけはまつろわなかった民の娘は、強固な、しかしとても優雅な意志を持つ。それは「優雅な生活」を「復讐」の隠喩に置き換えようとしたフィッツジェラルドのまさに実践版だ。

肉体的には服従を強いられても精神は決してまつろわぬ人々は、優雅に復讐するための知恵を隠喩という形で得るのだろうか。

そして、われらが能の中にもそのような精神の一部を見ることができるのだ。

たとえば能『土蜘蛛』がある。

この能は、隼人舞発生の神話を思いださせる。

自分の釣り針に固執した兄、海幸(うみさち)は、弟の山幸(やまさち)の得た塩盈玉(しおみつたま)でなぶられたあげくに結局は降参する。それ以降、海幸の一族は、山幸一族への服従を示すために塩盈玉で溺れた様を演じ続けることを強いられ、それが隼人舞という芸能になったという。

海幸の子孫たちは、おそらくは征服者たちの嘲笑と蔑視の中で、一族の敗北のさまを演じ続けたのだろう。その永遠に続く屈辱の記憶の繰り返しは、彼らから復讐への意志を奪い、その深部に底なしの空洞を空けてしまう。

征服者による恐ろしいほど残酷な心理作戦だ。

そして、『古事記』や『風土記』にも登場する勇猛な民、土蜘蛛族も朝廷軍に服従を替ったときから、同じ目的のために屈辱の芸能を強いられることになったのではなかろうか。

しかし、現在の『土蜘蛛』にその悲壮感はない。

能一番を見終わった観客の脳裏に鮮明に残るのは、土蜘蛛を退治した独(ひとり)武者ではなく、首を切られたシテ、土蜘妹であろうし、その拍手は見事に首討ち落とされた土蜘蛛に向けられる。能では『土蜘蛛』はすでに屈辱の芸能ではなくなっている。

『土蜘蛛』からは、屈辱の芸能を誇りの芸能へと変換させた土蜘妹一族による隠喩化への意志を読むことができる。武力では征服者に勝てないと悟った彼らは、屈辱のまねびを続けていくうちに、芸能を通じて復讐するという隠喩を考えたのだろう。

そして、その隠喩は単なる修辞法ではなかった。自分たちの理解者には伝わらなければ意味をなさず、しかし為政者にその意志を見破られれば一族の絶滅に直結するという、生死を賭けたギリギリの修辞術だった。

<2000年3月号>

★チュルリョーニス:1875年〜1911年。リトアニアを代表する作曲家、画家。35歳の若さで亡くなったが、彼の絵画や音楽はリトアニア国民の精神的な支柱となっている。音楽では「海」、「森林で」のように自然をテーマにした作品が有名。→Wikipedia

★ちなみにリトアニアはヨーロッパ最後の異教国家。異教って言葉がよけいなお世話だけど。→リトアニア大公国

DEN04:西暦二千年の大掃除

さてさて、「DEN」シリーズの4回目です。

年末年始の話です。ただし、これはちょうど10年前、1999年の年末に書いたので千年紀の最後の年末でした。世紀末よりもすごい千年紀末。

号としては2000年の正月号です。

1600字という字数制限の中で、たくさんの書きたいことを一挙に書いたのでジェットコースターのように速い文体です。何がなんだかわからないままに終わってしまうかも知れません。ぜひ、ゆっくりと解凍しながら読んでみてください。今回に限って「◆◇◆◇◆」を入れて節で分けてみました。

今度、これを倍くらいの量にして書いてみようかな、などと思っています。

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【血ワ牛肉マウ●第四場】

<西暦二千年の大掃除>

年末の憂うつは、大掃除に尽きる。忙しさを言い訳に散らかしっぱなしにしている自分が悪いのだが、憂うつなものは憂うつだ。放っておけば、これ見よがしに箒(ほうき)を部屋の入り口に立てかけておく山の神がいる。

さて、やっと大掃除の憂うつから解放されたと思って正月、またまた新年定番の能『高砂』で、お婆さんの箒に出会う。

ところで、どうもこのお婆さんの箒がクサイ。簡素な能の小道具群の中で、この箒はよくできすぎている。作りではお爺さんの熊手にも劣らない割に、お爺さんの熊手に比べるとその存在意義が薄すぎる。

これには何かわけがあるはずだ。

ということで、大掃除の恩人、箒の不審を晴らすために、まずは箒のイメージを見てみよう。

      ◆◇◆◇◆

箒といえば、まず掃除。特に、払暁の神社を掃き清める巫女さんの緋の袴はすがすがしい。西洋に行けば魔女の箒。高砂のお婆さんも魔女なのかなあ、などと思ってみる。そうそう、客に早く帰ってほしいときには、箒を逆さに立てる呪(なじな)いなんていうのもあった。

ここで、「神社」・「魔女」・「呪い」と、ちょっと怪しい三拍子がそろう。

そういえば『古事記』では、天若日子(あめのわかひこ)の葬儀の日、河雁・鷺・翡翠(かわせみ)・雀・雉などの鳥が喪屋に集まる中、鷺が箒を持つ役割をするが、箒に喪屋とはいよいよ怪しい。

さらに喪屋の近くの産屋では、箒は妊婦の枕元に立てて(しかも逆さまに立てて)使われる。ここでは箒は女性を助けるお産の神様だ。女性といえば、山の神を祭るときに、その依代・呪物としても箒を使う。

産屋ということで、能『鵜羽(うのは)』の鵜の羽なども箒と同系統とみることができるだろうし、神の依代ということでは狂女の笹も同じだろう。箒が魔女の乗り物ならば、西洋でも箒には呪物としての役割があったのだろうか。

といううちに今度は、「箒」・「女性」・「呪物」という三役がそろった。

      ◆◇◆◇◆

「女」篇に「帚」をつけると「婦」になるが、甲骨文では、「箒(★)」だけで「婦」という意味に使っている。

★箒の甲骨文字
houki

しかし、この字を「フ」と読む根拠が以前から納得いかない。

そこで呪文のイメージを借りて、「婦」は「巫(フ)」だと勝手に決めてしまう。「巫」は「舞(ブ)」にも通じるので、それならば「箒」は「舞」とも関係があるのだろうか。

字形で見れば、「箒(★↑参照)」は、茅(ちがや)を立てた形のようである。鳥の羽にも見える。

『周礼(しゅらい)』や『詩経』には茅を持って鳥の如くに舞いながら、風を呼び雨を招く風師や雨師と呼ばれる巫たちの姿が現れ、『説文解字』には「巫」とは舞で神を降すものとの釈文がある。また、巫が天帝と交信し、雨を呼ぶ能力を持つことが要求されたことは『左伝』にも記されるし、天若日子の葬儀の日には、箒持ちの鷺たちは「遊び(歌舞)」をしたと『古事記』にある。

お、箒と舞がつながった。

      ◆◇◆◇◆

となると、能『高砂』のお婆さんも、神社の巫女さんも箒を持って祭りの庭を清めているように見えてはいるが、実は箒舞を舞いながらこっそりと神霊と交信しているのかもしれない。

やはりこれはただ者ではない。

さらに、我らの卑小な身体を大宇宙と同一と考える神道の伝統を併せ考えれば、彼女たちが清めているのは実は自分自身なのかもしれない。神社を清めることは、体内の宇宙を清めることで、日常生活の汚れの中に隠れてしまっている自分の中の神を探し出すことにほかならないのだ。

ならば、箒を持って登場する『高砂』のお婆さんは、観客の心身を清めて、その神様を探し出す手助けをしているのかもしれない。

さてさて、西暦二千年は世紀末最後の年。一年通してこの百年間、いや千年間の師走と考えることができるかもしれない。汚れきった心の中や、ついでに家の中までも、一年間かけて掃除でもして、自分の中の神様でも探すとするか。

<2000年1月号>

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DEN03:うたてやな

またまた「DEN」からです。こんなに立て続けに投稿しているのは、今年度中に「5」まで行きたいと思っているからです。

今回は『ワキから見る能世界』(NHK出版)を書く元になったエッセイです。

1999年11-12月号です。もう10年も前の話なんだ。

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【血ワ牛肉マウ●第二場】
<うたてやな>

カウンセラーの友人がいます。芸術療法を専門とする彼は、公立の相談所で思春期の女の子たちを主なクライアントとしながら、大学でも講義を持ちます。もの静かな、思索的な、そして優しいといったカウンセラーのイメージとは程遠く、クライアントの女の子たちに彼の評判を聞くと、皆めちゃくちゃなことを言います。いわく、「品がない」、「なんにも知らない」、「うるさい」云々。要するにバカにされています。

しかし、彼の同僚によると、そのカウンセリングはかなりの成果を上げており、それは彼のずっこけな性格がクライアントに安心感を与えるからではないかとのことですが、もちろんそれだけではないでしょう。

さて、能を、特に複式夢幻能を、「思い」発露の場という意味で、カウンセリングの場面に似ていると指摘する人は少なくありません。

そして、その複式能の前半には、「名所教え」や「宿借り」といった定型が使われるケースが多いのですが、それら定型の一つに「愚か」だとか、「うたてやな」とか言いつつ、シテがワキをやり込めるというものがあります。

例えば、能『隅田川』では舟に乗せる、乗せないの問答や都鳥の一件、また能『杜若』では業平の東下りにワキが驚く場面などで、「心なき」船頭や僧が「優しき(優雅な)」シテにやり込められます。★

この定型対話は、「場」の統治者をワキからシテへと徐々に変化させるのに、重要な役割を果たします。

「げにげに」とワキが自分の非を認めだすあたりからは囃子のアシライも入り、そしてやがて地謡に引きつがれるときには、舞台はシテの「思い」を発現する場へと、完全な移行をはたします。自分の「場」に変化した舞台上で、シテは思う存分その思いを述べ、成仏への、あるいは正気への道を突き進むのです。

また観客にとっても、なんとなくよそよそしかった舞台が、いつの間にか一人ひとりの心の中に侵入し始めるのもこのあたりです。★★

しかし、ワキがそのような故事を全く知らない者でないことは、「げにげに」という言葉にも暗示されています。では、彼はシテに優越感を持たせるために、わざと知らないふりをしていたのでしょうか。いや、そのような偽善的な思いやりは、残恨のシテも、カウンセリングでのクライアントも望んではいないでしょうし、見破られてしまうに遠いありません。

ワキの心なき返答は、日常を生きる私たちの何気ない答えの象徴です★★★。しかし、非日常的存在のシテはそのような返答を許しません。

ただ知識としてのみ知っているワキと、己れの思いに根差した知を有するシテ、両者の間にある知の質的な相違がこのような問答を生み出し、ワキはシテの存在に庄倒されます。日常生活代表者のワキの視点からいえば、白き鳥が都鳥であることも、業平が東下りしたことも知ってはいました。

ただ知識としてのみ、そのことを知っていた(だからこそ容易に忘れ得た)ワキが、シテというその思いを体現している非日常的存在に出会い、瞬間的「信解」に至る過程こそが、この定型なのではないでしょうか。

そして、ワキがこの劇的な変化を経て、ただの「知る」から「思い知る」への移行が成就した時、その「場」は初めて共有されて、身に残る思いが実体化したシテは、その本来の姿を現し得るのです。

ワキという言葉は、「わく(解く)」の連用形名詞化としてみることができるでしょう。それには三つの用きがあります。すなわち、観客にとっては見えざる幻を見せて分からせてくれるという意味の「分く」であり、シテにとっては錯綜した記憶を名料理人、包丁(ほうてい)の如くに解いてくれる「解く」でしょう。そして、ワキ自身にとってはこの「信解」による瞬間的な自己成長の過程こそが、「わく」ではないかと思うのです。

カウンセラーの友人も、ずっこけであるお陰で、常にこの過程を受け入れる余裕を持ち続けているのでしょう。

<1999年11-12月号>

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『隅田川』より
シテ「なうなう我をも舟に乗せて賜はり候へ。
ワキ「汝は狂女ごさめれ。いづくよりもいづ方へ下る人ぞ。
シテ「これは都より人を尋ねて下る者にて候。
ワキ「たとひ都の人なりとも。面白う狂へ狂はずは。此の舟には乗せまじいにて候。
シテ「うたてやな隅田川の渡守ならば。日も暮れぬ舟に乗れとこそ承るべけれ。かたの如く都の者を。舟に乗るなと承るは。隅田川の渡守とも。覚えぬ事な宣ひそよ。
ワキ「狂女なれども都の人とて。名にし負ひたる優しさよ
シテ「なうその詞はこなたも耳に留るものを。彼の業平もこの渡にて。名にしおはゞ。いざ言問はん都鳥。我が思ふ人は有りやなしやと。なう舟人。あれに白き鳥の見えたるは。都にては見馴れぬ鳥なり。あれをば何と申し候ふぞ。
ワキ「あれこそ沖の鴎候ふよ。
シテ「うたてやな浦にては千鳥とも云へ鴎とも云へ。など此隅田川にて白き鳥をば。都鳥とは答へ給はぬ。
ワキ「げにげに誤り申したり。名所には住めども心なくて。都鳥とは答へ申さで。
シテ「沖の鴎と夕波の。
ワキ「昔にかへる業平も。
シテ「有りや無しやと言問ひしも。
ワキ「都の人を思妻。
シテ「わらはも東に思子の。ゆくへを問ふは同じ心の。
ワキ「妻をしのび。
シテ「子を尋ぬるも。
ワキ「思ひは同じ。
シテ「恋路なれば。
地「我もまた。いざ言問はん都鳥。いざ言問はん都鳥。我が思ひ子は東路に。有りやなしやと。問へども問へども答へぬはうたて都鳥。鄙の鳥とやいひてまし。実にや舟ぎほふ。堀江の川のみなぎはに。来居つゝ鳴くは都鳥。それは難波江これは又隅田川の東まで。思へば限なく。遠くも来ぬるものかな。さりとては渡守。舟こぞりて狭くとも。乗せさせ給へ渡守さりとては乗せてたび給へ。

★★

最初に謡われる地謡は「初同(しょどう)」といって、ちょっと特別な扱いがされる。情景を謡うことが多いのだが、その中にはすでに心象が歌いこまれている。

以下は能『殺生石』の初同

地歌「那須野の原に立つ石の。那須野の原に立つ石の。苔に朽ちにし跡までも。執心を残し来て。又立ち帰る草の原。もの凄しき秋風の。梟、松桂の。枝に鳴きつれ狐、蘭菊の花に隠れ住む。この原の時しも、ものすごき秋の夕べかな、もの凄き秋の夕べかな。

★★★
How are you? I'm fine, thank you.の類。

全くの余談だが若くして亡くなった才能ある友人は、高校一年の時に英語の関西弁訳をしていて、How are you?を「もうかりまっか?」、I'm fine, thank youを「ぼちぼちでんな」と訳していた。

天才は若くして亡くなる。僕は凡才だからまだ元気!

DEN02:チベットで聞いたあたらたらたらり

さて『DEN』の二回目です。

今回はチベットの話。いろいろな本で、このことは書いていますが、その初出です。

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【血ワ牛肉マウ●第二場】
<チベットで聞いたあたらたらたらり>

チベットは、さまざまな顔で私たちを引きつけます。

仏教の聖地として、あるいはシャングリラのモデル地として、あるいは明峰チョモランマをはじめ数々の名山を有する登山基地として、常に人々の憧れの対象になっています。

そして、私たちに親しい、いかがわしくも魅力的な顔のひとつに、『翁(おきな)』の「とうとうたらり」チベット語説があります。

この説は、昭和3年に朝日新聞紙上で「古今の学者連顔色なし」というスキャンダラスな見出しとともに、河口慧海(えかい)による『翁』チベット語表記とその日本語訳を付して発表されました★。

慧海師によるとこの詞章は太陽賛歌だというのです。

しかし、その後に能勢朝次氏や表章氏など斯界の権威によって完膚なきまでに叩きのめされ、現在ではほとんど再起不能の状態です。

反論の中心は「そんなチベット語はない」というもので、この反論が当を得ているならば慧海師もいいかげんなことを言ったものです。

1980年代、そんな経緯もよく知らないままに、私はチベットを訪れ、しばらく放浪をしました。

標高約4000メートルという空気の希薄さは、にわか仕込みの理性など一挙に吹き飛ばし、不在のダライラマの威厳を呈してそびえるポタラ宮や、五体投地の巡礼を迎える名利ジョカン(大昭)寺に異教徒の私ですら崇拝の念を感じました。

極彩色の曼陀羅に囲まれた堂内には、不思議な倍音を有するチベット声明の深い響きや変拍子の打楽器の音に唱和するパーカッシブな読経の声々が満ち、ヤクの油を使った灯明の炎や香りとあいまって仏国現前の幻影を生み出します。

一歩外に出れば、微笑みながら姨捨の山に向かう老女の一行や、あっけらかんと一妻多夫の性的正当性を語る女子高生★★などに、確かにここは私たちの文化とは異質の常識を日常規範とする生活空間であることを実感しました。

一泊300円にも満たない安宿の居心地は悪く、多くの時間を民家ですごしました。そしてある日、その家で『翁』の「とうとうたらり」によく似た歌を耳にしたのです。

聞けば、それは『ケサル王伝説』と呼ばれる叙事詩の一部とのこと。ケサル王とは伝説の英雄王であり、この歌は幾世紀にもわたって漂泊の吟遊詩人たちによって伝承されてきた大長編叙事詩であることを教えてくれ、さらに自分は専門の語り手ではないがと言いながらも、何冊かの本を示しながら歌ってくれました。

この叙事詩は、散文と韻文との混合文体で、「とうとうたらり」は韻文の部分の冒頭にしばしば唱えられる章句です。

よく聴いてみると、それは「とうとうたらり」ではなく、「あらたらたらり」だったり、「たらたらたらり」だったり、その他いろいろなバリエーションがあって、どうも定まったものはないようです★★★。

この詞章のチベット語での意味を尋ねたところ、「意味などない」とつれない返事。慧海説はここでもあえなく敗れ去ったのですが、なぜそれを歌うのかと、さらに尋ねると、「これは神降しの呪言のようなものだ」として、次のようなことを語ってくれました。

この句を唱することによって、語り手にケサル王の霊が降りて来る。霊をうけた語り手は、一種の神懸かりの状態になり、自身がケサル自身に変身して、その叙事詩を己れの事跡として語るというのです。

それならば、「とうとうたらり」を謡った後に翁面をかけて神になる『翁』の構造ともよく似ています。『翁』の「とうとうたらり」も神降しの呪言として考えることは、そんなに無理なことではないでしょう。

しかし、だからといってこれだけで『翁』がチベットから伝わったなどと決めつけるのはあまりに短絡的すぎるし、ケサル王叙事詩の発生年代が確定していない今、それを云々することはできません。

それよりも、一介の野次馬として、彼我の降神呪言の音韻が似ていることにとても興味が引かれます。

「た」行、「ら」行という歯茎音を繰り返すことによって一種の憑依状態を引き出そうとする彼我の呪言の類似性は、大袈裟ですが両者の精神風土の根っこにある元型的な傾向を暗示しているようで面白いと思うのです。これはチベットと日本だけでなく、ひょっとしたらいろいろな地域に見い出せるかもしれません★★★★。

<1999年9月号>

********注********

▼「シャングリラ」が登場する『失われた地平線』(J.ヒルトン)は現在、絶版中でアマゾンなどでもすごい値段がついています(僕は英語版も含めて数冊持ってます!)。高校時代に読んで、とても影響を受けたました。「読んでみたい!」という方は図書館か、ぜひ復刊リクエストを--->

★朝日新聞昭和3年4月10日(『謡曲大観』では4月13日となっているので注意)

★★チベットの方の家に遊びに行ったら壁には何人かの男性の写真が飾ってあって、お母さんは「これみんな私の夫なの。いい男でしょ」と自慢する。女子高生の娘に一妻多夫について尋ねたら、「だって一夫多妻だと男性がモタないでしょ」と笑いながら答えられた。とてもきれいな女の子だったのでドキドキした。

現在は(多分)一妻一夫制はほとんど存続していないんじゃないかな。

★★★これについてはまた今度。

★★★★「たりらりら〜」とか、巻き舌でする「ららららららら〜」とか「れれれのおじさん」とか、ら行、た行のような歯茎の裏側を連続して刺激するような音は口内の快感を生み出し、そしてそれを際限なく繰り返すことは変成意識を呼び起こすのではないだろうか。

********資料********
『翁』初日。
翁「とう/\たらり/\ら。たらりあがりらゝりとう。
地「ちりやたらりたらりら。たらりあがりらゝりとう。
翁「処千代までおはしませ。
地「我等も千秋さむらふ。
翁「鶴と亀との齢にて。幸ひ心に任せたり。
翁「とう/\たらり/\ら。
地「ちりやたらりたらりら。たらりあがりらゝりとう。
千歳「鳴るは瀧の水。/\。日は照るとも。
地「絶えずとうたりありうとうとうとう。
千歳「絶えずとうたり常にとうたり。
千歳「処千代までおはしませ。
地「我等も千秋さむらふ。
千歳「鶴と亀との齢にて。処は久しく栄え給ふべしや。鶴は千代経る君は如何経る。地「萬代こそ経れ。ありうとうとうとう。
<後略>

DEN01:心のあばら屋が見えてくる

『DEN』という雑誌がありました。

1999年7月に創刊の古典芸能の雑誌で、10年間続き、2009年7-9月号で休刊になりました。最初は隔月刊だったのですが、途中から季刊になり、それでも50号が出ました。

国際的な免疫学者の多田富雄先生らが中心に、渡辺さんや竹下さんなどが実務を行って頑張って出されていました。写真は、森田拾史郎さんです。

ここら辺に関しては今度ゆっくり書きます。

さて、私(安田)も第1号からずっとエッセイを書いてきました。執筆陣の中では唯一、一号も落とさなかった!ということだけが自慢の気楽なエッセイですが、実はここに書いたことが『ワキから見る能世界(NHK出版)』や『身体感覚で「論語」を読み直す(春秋社)』に活きています。

『DEN』連載のときには、いつもギリギリまで何のアイディアも浮かばず、でもギリギリになると、舞台で座っているときに「あ、そうか」といろいろなことが浮かんできました。締め切りと舞台がなかったら、できなかった連載です。

◆◆◆◆◆

さて、その連載ですが、読者の方もあまり多くなかったので、せっかくなのでブログで再録したいのですが、と元DENの竹下さんに相談したら、「どうぞ、どうぞ」というご返事をいただきました。

元のデジタル原稿はすでになくなってしまっているので(僕自身も書いてしまったものには興味がないので、だいたい捨てるか消去してしまいます)、雑誌をスキャニングしながら掲載していきたいと思っています。

スキャニングとOCRを使って手作業でコツコツやっていきますので、変な文字のミスとか、変換間違いとかがあるかも知れません。どうぞご容赦を(しかしご指摘いただけると助かります)。

また、いま読むと書き直したいところもあるのですが、明らかな誤り以外はそのままで行きます。

『奥の細道』もまだ終わらないのに!とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、そちらもちゃんとやっていきますので、どうぞご寛恕のほどを。

さて、連載のタイトルは「血ワ牛肉マウ」です。

これは竹下さんがつけてくれたタイトルで、「血沸き肉踊る」を僕がワキであることと、やはり能だから踊るではなくてマウだろうということでのタイトルです。

では、今回は第1回目です。

はじまり、はじまり〜!

◆◆◆◆◆

【血ワ牛肉マウ●第一場】
<心のあばら屋が見えてくる>

酒席でカラオケに盛り上がっている最中に、白けたもう一人の自分がふと顔を出す。あるいは、わかっちゃいるけどやめられない悪癖に自己嫌悪の日々。自分ではどうしようもできない、自己の裏側にうごめくこの心の働きは、意識の背景として、時には意識以上に私たちに影響を与えることがあります。

無意識や下意識よりはもう少し広い範囲で、それを「背景意識」と呼んでみます。

古来の表現者たちも、意識と背景意識の双方を同時に表現したいという欲求をもったに違いありません。絵画ならば、背景の中にヒントをこっそり隠しておくこともできますが、音楽や言語芸術のような時間とともに流れていくものでは、なかなか大変なことです。

昔からいろいろな方法が試みられていますが、まず西洋に目を向けて、ワグナーの大作『ニーベルングの指輪』の仕掛けをみてみます。

この作品では、背景意識を表現するのにライトモチーフ (示導動機)という仕掛けを使っています。ライトモチーフは、音楽によって人物や事物を象徴します。これはプロレスラーが登場する時に鳴るテーマに近いのですが、ライトモチーフは人物や事物だけでなく、そのものの感情や思考、さらには下意識や背景意識までも象徴するのです。

『指輪』全曲中、ライトモチーフを使って背景意識を表現しているところで最も有名なのは、『ワルキューレ』におけるヴォータンの怒りのシーンです。

神々の世界の支配者であるヴォータンは、自分の命令を無視した愛娘の女騎士(ワルキューレ)ブリュンヒルデを烈火のごとき怒りをもって叱ります。その時に演奏される音楽や歌は、当然激しい怒りに満ちたものです。

しかし、よく耳を澄ますと、その怒りの響きの奥に、バスクラリネットとファゴットの、音としては極めて控えめな、しかし深い響きをもった楽器によって演奏される「ヴォータンの挫折」と呼ばれるライトモチーフを聴くことができます。

その仕掛けによって、私たちは当のヴォータンですら気づいていない、彼の背景意識を、そこに読み解くことができるのです。

日本の文学・芸能では、掛け詞、縁語、枕詞、序詞といった和歌の修飾技法を使います。和歌が生んだこの技法は、能という対話形式の長詩を得て、主題とは直接関係のないもう一つの世界、あるいは存在しないはずの風景すらもソフトフィルターのかかった半透明の映像として観客の脳裏に描き出します。

例えば、能『藤戸(ふじと)』★の前半で老女の思いを地謡が述べる部分。

『藤戸』では、能が始まってすぐに緊張した場面が現れます。わが子を殺した佐々木三郎盛綱に「恨み申しに参りたり」と詰め寄る老女。それを「音高し何と何と」と知らぬふりをする盛綱。そして、それに続く老女のクドキ★★。

地謡は、その緊張感を受けて老女の思いを静かに謡います★★★(下歌(さげうた)、上歌(あげうた))。地謡の詞を一語一語、心の中に反射しながら、いつの間にかシテの心中に引き込まれていく観客は、上歌に入るやそこに突如現れる異質な風景に驚きます。

それまで瀬戸内海の島廻りや児島の海岸の情景など、海辺の風景が占めていた観客の脳裏に幻のあばら屋が突如出現するのです。

これは、ここまで一貫して使われてきた「海」系の用語に対して、「山」系の用語が修辞の詞として使われ出したがために現出した幻です。この荒野に見捨てられた一軒のあばら屋、それは老女の心の風景、背景意識が実体化したものです。そして、上歌(あげうた)後半にはその景色は消え去り、再び海辺の景色が現れますが、しかし荒野のあばら屋の残像は老女の心の内を象徴する通奏低音として、いつまでも鳴り続けるのです。

能にしろワグナーにしろ、このような読み解きの楽しさを得るためには、かなりの予習が要求されます。しかし、私たちがその苦行も厭わず舞台に通い続けるのは、思いも掛けない新しい発見をし、かつその読み解きに成功した時に生じる脳の感情半球と知的半球の結合のもたらす歓喜の瞬間を忘れることができないためではないでしょうか。

<1999年7月号>

********注********

★能『藤戸』
<前シテ>漁夫の母 <後シテ>漁夫の霊
<ワキ>佐々木三郎盛綱 <ワキツレ二人>従者
源氏方の武将である佐々木三郎盛綱は、藤戸の先陣をしたその恩賞に、備前の国の児島をもらった。日もよい今日、その島に領主として入ったが、そこにひとりの老女が現れる。

彼女は「罪もない我が子を海に沈めた恨みを申しに来た」と盛綱に詰め寄る。盛綱は最初、「そんなことは知らない」と突っぱねるが、よく聞けばその子とは確かに、盛綱が刀で刺し殺し、海に沈めた漁師。

この海は月の出によって浅瀬が変わる。そこを知れば敵には知られずに海を渡ることができる。漁師を盛綱にそのことを教えた。その知識によって盛綱は先陣を切ることができたのだが、同じことを敵に知られないように漁師を殺したのであった。

盛綱は、母にその時のありさまを語り、彼の妻子を世に立つようにしよう、もう恨みを晴らせというが、母は「自分もわが子と同じように殺せ」と盛綱に詰め寄り、その刀に手をかけようとする。盛綱に払われた母は「我が子を返せ」と人目もはばからず臥し転び泣き続ける。

母をなだめ家に帰した盛綱らが、彼の男の霊を慰めるために法事を行っていると、水の中から水死した男が現れ、水底にすむ悪竜の水神となって、盛綱に恨みをなそうとする。

が、法(のり)の力で弘誓の船に乗り、生死の海を渡って彼岸に至り、成仏をしたのであった。

★★
なう猶(なほ)も人は知らじとなう。中々にその有様を現して。跡をも弔らひ又は世に。生き残りたる母が身をも。訪ひ慰めてたび給はゞ。少しは恨も晴るべきに

★★★
下歌「いつまでとてか信夫(忍ぶ)山。忍ぶかひなき世の人の。あつかひ草も茂きものを何と隠し給ふらん。
上歌「住み果てぬ。此の世は仮の宿なるを。此の世は仮の宿なるを。親子とて何やらん。幻に生まれ来て。別るれば悲しみの。思ひは世々を引く。絆となって苦しみの。海に沈め給ひしをせめては弔はせ給へや。跡弔はせ給へや。

正月の寺子屋、早速訂正です

すみません。先ほど書きましたお正月の寺子屋、二回目の曜日が間違っていました。

20日(水)です。

よろしくお願いいたします。
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