このごろいろいろなこと

今日は寺子屋です。

いまだにPCの設定ができていないので、なかなかブログが書けません。すみませんがTwitterもご覧ください。

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今年から開始時間が変更になっています。19時30分ですので、どうぞお間違えのないよう。場所はいつもの東江寺さん。今日のテーマは「過ち」です。受講料はむろんお賽銭!

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◆◆◆◆◆

さて、この数日間はいろいろなことがあり、そしていろいろと考えることがありました。忘れないうちにブログに書いておこうと思うのですが、バタバタしているとすぐに忘れるので、まずはタイトルだけ。

[島根県知事との座談会周辺]
・出雲神楽の中の託宣儀礼(憑依する祖霊)
・目がたくさんある面と「方相氏(周礼)」
・さまざまなオロチ(立つ大蛇、膝行する大蛇、長い大蛇)
・「神楽」は神ではなく祖霊を招く芸能だった
・祖霊とは血縁ではなく地縁的祭祀共同体の祖先だった
・古典芸能の可能性とこれからについて

[某企業のトップの方のためのレクチャー周辺]
・千年ブランドとしての能、二千年ブランドとしての論語(聖書、仏典)
・「辻」の芸能、「座」の芸能とSNS
・危うい約束の上に立つ共同幻想が崩れつつあるという実感

[黛まどかさんの国語の授業]
・依代としての「季語」と能の執り物
・旅とは夢のようなもの

[日光までの小旅行]
・室の八島に曽良が行こうとしたこと
・歌枕とは本当は何だったのか
・室の八島にはなぜ煙が立つのか
・室の八島の木はなぜ双生の木が多いのか

[倫理研究所でのデススタディ・レクチャー周辺]
・思い出(思い出すことと忘れること)としての葬儀

★当たり前だけど、そこに行って始めてわかるということが多い。そして、これも当たり前だけど、そこにいるときには何もわからないということも多い。

過ち(2):論語百選のために

論語キーワードシリーズの第二弾、「過ち」の続きです。

前回は「過ち」とはどういう意味かを考えました。

詳細は前回のブログをご覧いただくことにして、簡単にいえば、「過ち」とは、ある状況において身についてしまった「過剰」なるものなんじゃないか、というのが前回の話です。

それはたとえば「子供時代」とか「思春期」とかいう時間的なことの場合もあれば、あるいは「日本」とか「銚子(あ、僕の出身地)」とかいう空間的なこともある。本来、それは次に行く時に、通過儀礼とか、あるいは関所とか、そういうところを通過するときにうまく払い落とすのだけれども、それが果たせなかったときに(次の社会からすれば)「過剰さ」として身に残ってしまうことがある。

そんな身に残った過剰さが、次の社会に行ったとき発動したもの、それが「過ち」なんじゃないかと思うのです。

で、その「過ち」は『論語』によれば「改める」ことによって消失してしまうのですが、この「改」というのは、いま私たちが使っている「あためる」といってすませてしまうほど単純なものではなく、どうも何かの秘儀らしい、それを今回は見ていきましょう。

●「改」の意味

「過ち」を消失させてしまうという、「改」という秘儀、それはどんな儀礼だったのか。まずは「改」の字義を見てみることにします。

「改」の字は甲骨文の中にもあります。

が、ほんの数例。しかも前後の関係からその語源を想像できるというようなおいしい文脈の中では使われていない。ただ、ひとつだけいえることは何かの儀礼ではありそう(生贄を焼くという儀礼のすぐ近くで使われている)。

それよりも甲骨文の中では(そして金文でも)、この字(改)の左側が「巳」になっていることに注意!です。いまは「己」なのですが、昔は「巳(へび)」だったのです。右側(攵)は鞭を持って打つ形です。

kai

さて、そんな形の「改(巳+攵)」ですが、語源にはやはり2説あります。

●「改」の語源説(1)蛇を打つ儀礼

(1)蛇を打つという儀礼

まずは白川説です。

この字は「蛇形のものをうつ呪儀で、これによって自己に加えられた呪詛を変改することができるとされた」と書きます。

蛇を打つことによって自分の呪詛を変えるという儀礼があったかどうかは(少なくとも僕は)ちょっとわからないのですが、まあ、あるかも、とは思います。すみません。ちゃんと文献に当たっていません。本か何かにするときには、ちゃんとあたりますね。

でも、祭祀の「祀」の字が示すように、「祀(まつ)り」と「巳(へび)」との関係は深そうです。蛇は呪的な動物なのです。

iwau

また、蛇を打つという習慣は、いまでも世界各国で見ることができます。大蛇(おろち)退治だって、その流れと見ることもできますね(本居宣長も似たようなことを言ってる)。

そうそう、甲骨文の中で「改」という字は少ないと書きましたが、たとえばこんな字は、もうちょっと多く見つけることができます。

ta_koukotsu

鞭を持つ手を除くとこんな字になります。

ta_hebi

同じ蛇でも頭が大きい。そして周りに点がついている。この点は、この蛇が海蛇とか川蛇とかいう、水に棲む蛇だということを示すか・・。あるいは甲骨文字でこういう点は血をあらわす場合が多いので血かも知れない。

この文字、ふつうは次の字が当てられるます(現代ではほとんど使わない字)。

ta_moji

で、この文字は生贄を引き裂いて祀る儀礼のようで(なら点が血っていうのもいいかな)、そうなると後述(2)の追儺(ついな)にも似てきます。

●「改」の語源説(2)鬼や魑魅魍魎を打つ儀礼

(2)鬼や魑魅魍魎を打つ

「巳」という音(オン)が「魑」とか「魅」と通じることから、蛇ではなく鬼や魑魅魍魎を打つ儀礼ではないかという説もあります。こちらは加藤、赤塚説。

鬼や魑魅魍魎を打つなんて、蛇より荒唐無稽っぽいですが、実はこれは伝統があって『礼記(らいき)』(月令)にも出てくる「難(な)」、日本でいえば追儺(ついな)です。節分の豆まきのもと。

たとえば月令の季春(3月)の項には「九門に難(な)し、磔攘(たくじょう)す」とあります。都城の九門で追儺(ついな)、すなわち鬼やらいを行い、牛とか羊の生贄を裂いて磔(はりつけ)にし邪気を退散せしめるのです。

生贄を裂いて磔なんて<它攵>にも似てるでしょ。

季冬(12月)には、「難(な)」の儀礼を大いに行い、さらには土牛を作って寒気の去ることを祈るとあります。

ちなみに『周礼(しゅらい)』(夏官)には、熊の皮をかぶり、黄金の四つ目の面をつけ、黒い衣に喪すそを身に付け、戈(ほこ)と盾をもち、百隷をひきいて鬼やらいをする「方相氏」という職掌が書かれています。

熊の皮をかぶって四つ目の仮面だなんて、こっちの方が鬼みたい。島根県の古代出雲歴史博物館で十六目の仮面を見ました(クリックで拡大)。これはヤマタノオロチの仮面。八つの頭で目が二つだから十六。

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これもオロチ(大蛇)だから蛇ですね。

●「打つ」といってもいろいろあるよ

「改(巳攵)」というのは蛇説にしろ、鬼(魑魅魍魎)説にしろ、何かを打つことによって、かけられた呪いを解くという、そんな儀礼のようです。

そうか!「過ち」とはかけられた呪いだったんだ。よかった。過ちを犯した僕が悪かったわけじゃないんだ!

なんていい気になっていると大変ですが・・・しかし、となると「過ち」を改めるというのは、ただ口で「はい、改めます」と言うとか、心で「次回からは改めるようにしよう」と決めることではなく、「打つ」という動作を伴った身体的儀礼によって、それは行われるということのようですね。

「打つ」ということから、たとえばそれは「鞭打ち」なんかもその系統のものかも知れません。よく、狐憑きの人とか、そんな悪霊を追い出すときに聖なる植物で打ったりします。また、教育の罰に鞭を使うことは不思議と世界共通です。教育の「教」の右側にも鞭を持つ手「攵」がついているように、教育も「改める」と関係があります(当然!)。

後妻(うわなり)打ち」なんかもこの系統かな。打ってしまえば、あとはすっきり!

先生とか師匠とか親などが怒鳴ったりするもの「打つ」と関係がある。

「呵(か)ッ!」という語のは「可」が入っているでしょ。「可(カ)」というのは横隔膜を一瞬にして強く振動させる、すなわち打つことによって出る音。

「歌」という字の中にも「可」はあります。日本語の「うた」は「打つ」から来たという説もあります。

「打つ」というのはただ殴るというのではなく、実は呪的行為だったんですね。

でも呪的行為ならば痛くなくてもいいじゃん、と思うでしょ。で、それを実現するには、鞭ではなく柔らかいもので打てばいい。神社のお祓いとかね。紙でさらさらってされちゃう。

あるいは蛇を打つとか、その人の身につけていたものを打つとかという代理的な打つも生まれる。これは絶対痛くない(が、心は痛い場合がある)。

身体を打つでも代理物を打つでも、ともに大切なのは「呪的行為」としての打つということ。ただむやみに打てばいいというものではない。どこかに聖性、非日常性がなければならない。そんな聖性がベースになって打つ身体儀礼が「改」なのです。

何かを打つことによって、祓いが完成するのです。

●「改」とは呪的に変更されること

そうそう。

「巳」が「己」に変わったとき、音も「シ」から「カイ」に変わります。

「カイ」の意味は更新の「更(カウ)」です。変わること、何かが新たになること、それが改(あらた=新た)まることです。

ちなみに「更」という漢字は昔は以下のように書かれていました。

kou_kanji

この字にも下に鞭打ち=「攵」が入っています。また「変更」の「変」の下にも同じく鞭打ちが入っているでしょ。昔の漢字もあげておきましょう。

hen

「改」という儀礼によって、<呪的>に、ものを変更しうるという考えがベースにあります。

僕がよくやっちゃう過ちも、ただ反省するんじゃなくて「改」という身体儀礼を使って<呪的>に変更する必要があるんだなあ。

では、現代において呪的身体儀礼としての「改」はどうするのか。

それはまたおいおい考えていきたいと思います。一応、本稿はここまで!

ご清聴、ありがとうございました。

過ち(1):論語百選のために

●今回は「過ち」

『論語』百選の章立て、第二弾は「過ち」です。

自分の人生から過ちを引いてしまったら、ほとんど何も残らないんじゃないかというくらいに過ちの専門家を自負する僕は、このテーマは「待ってました!」です。

よく過ちを犯します。一度の過ちならば許す。二度やるのは直そうという気がないからだ!

・・なんて甘い、甘い。二度どころか、三度でも四度でも同じ過ちを繰り返す。

だから『論語』の「過ちては則ち改むるに憚(はばか)ることなかれ(過則勿憚改)」とか「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う(過而不改、是謂過矣)」なんていう句はグサリとくるのです。

が、『論語』をよく読んでみると「過ちを二度しない(不貳過)」と孔子が評すのは顔回だけ。顔回は、孔子が「自分も彼の人には及ばない(吾與汝弗如也)」というほどの高弟。となると孔子ですら同じ過ちを繰り返すということをしていたのかも知れない、などと自分の都合のいいように考えてしまう。

・・これが過ちを引き起こす元!

●「過」という漢字は3つの意味で使われる

さて、『論語』の中で「過」という字は全部で32回、章でいえば全25章に出てきます。

むろん、すべてが「過ち」という意味で使われているわけではありません。「過」は次の3つの意味で使われます。

(1)通過する

(2)やり過ぎ
 「過ぎたるはなお及ばざるが如し(過猶不及也)」

(3)過ち

全25章のうち「通過する」は6章、「やり過ぎ」はたった2章、残りの17章では「過ち」という意味で使われています。「過」の大部分が『論語』では「過ち」なのです。やはり「過」といえば「過ち」です。

●「過」の語源:二説

が、わかった気になっている、この「過ち」。本当はどんな意味なんだろう・・と思って甲骨文や金文を調べてみるとほとんどない。というか、全然ない。

白川静氏は、「これが『過』だ!」という金文の文字を揚げています。

ayamachi

う〜ん、ちょっと今の「過」というには無理があるかな。

この字はちょっと置いておいて、では「過」という漢字の語源は何か。二説紹介します。

(1)呪いの秘儀

白川氏によれば、「過」という字の声符の「咼(か)」は、「残骨の上半に、祝祷を収める器(口:さい)の形を加え」た字であり「過」とは「呪詛を加える呪儀」だという。呪いの秘儀ですね。

しかも、この字は「しんにょう」が付くので道に関係する。「特定の要所を通過するとき、そのような祓いの儀礼をしたのであろう」と書かれています(字通)。

いつもながら面白すぎる解釈。

(2)通過する

穏当な加藤常賢氏や赤塚忠氏は、こうはいかない。

「咼(か)」とは同音の「夥(か)」、すなわち「多い」という意味で、「行き過ぎること」が原義ではないか。「通り過ぎる」が原義ね。これは『説文』に近い。

さて、どちらが正しいかは、それを確かめる材料が少なすぎるのでわからない。が、「あやまち」も「すぎる」も「やりすぎ」も、元はすべて同じだから、それらはすべて関連しているはずです。

でも、まだよくわからない。こういう時は「過」を「X(意味のわからない未知の漢字)」にしておいて、もう一度『論語』に戻ります。

●「X(過)」の性格2つ!

『論語』から「X(過)」にはどういう性格があるのかを見てみると、次の二つが特徴的です。

(1)「改(あらためる)」ことを求められるもの

「過ちては則ち改むるに憚(はばか)ることなかれ」とか「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う」とかいうように、過ったら改めることが大事。

もちろん、そう簡単に改められないから、われら小人は困ってしまうのでうすが、実は「改」とは、ある特殊な儀礼をいう。そしてその儀礼をすることによって、「X(過)」は消失してしまうらしい。う〜ん、いいなあ。

これ(「改」の儀礼)については後述。

(2)党(郷党)においてするもの

孔子は「人の過つや、各々、その党においてす(人之過也、各於其黨)」と言っています。「X(過)」は個人のものでなく郷党(地縁的な祭祀共同体)に付随するもの。

個人の責任じゃないんだもん、仕方ないねって感じ?

●「過」について3つの可能性

さあ、ということを踏まえて、再び「過」を見てみますが、今度は「過ち」というところに視点を固定して、じゃあ、この字がなぜ「過ち」なのかということを考えてみると、次の3つの可能性があるんじゃないかと思うのです。

あ、その前に「過」の旁の「咼」は下の「口」の代わりに「月」にすると「骨」になるでしょ。だから白川氏は、残骨の上に祝祷を収める器の形を加え云々の説明をしました。加藤氏や赤塚氏のような穏当な説の方が基本的には好きなのですが、しかしやはりこの「骨」による呪礼のイメージはどこかに残っていると思うのです(以下は「咼」です)。

ayamachi02

ちなみに(1)〜(3)は各々関連します。

(1)通過の呪礼の失敗

ある特定の場所を通ったことによって憑いてしまった何か。あるいは特定の場所を通過するときに行った祓いの儀式がうまくいかなかった状態。それが「過」。

通過儀礼なんて語がありますが、そういうメタファーとしての通過だけでなく、実際に「ある特定の場所」を通過するときに呪術儀礼が必要だった、そんなことがあったんじゃないかと思うのです。

日本でいえば今でもお神輿の先頭にいる神官が辻では必ずお祓いをします。また、昔は歌枕を通過するときには必ず歌を詠んだ。そんな類の、修祓儀礼をすべき通過点があった。

そこでは祓いの儀式をしたのですが、たまにそれうまくいかないことがあった。その状態が「過」ではなかったか。

(2)土地に付随する穢れが過ち

いや、いや。通過だけではなく、ある場所にはそこ特有の<何か>がある。他の土地の人は、たとえばそれを「穢れ」と呼んだりする。そこにいるときには気が付かないし、発動しないけれども、他の地に移ると急に発動する「穢れ」。

孔子が「過ちはおのおのその党においてす」と言った、あれ。

たとえば卑近な例でいえば、外国に長くいて帰国すると、「日本って醤油臭い」と思ったりする。韓国に行くとキムチの臭いがする。でも、少しそこにいると、まったく気にならなくなる。が、帰国するとみんなから「キムチくさい」と言われたりする。

そんなの。

その土地にいるときには何でもないのに、他の土地からすると変(へん)ってやつ。

古代におけるそれは、もっと広い意味での「臭い」。地縁的祭祀共同体である「郷党」の決まりとか掟とか風習とか、そんなあらゆるものをひっくるめたものが醸し出すナニか。

若いころ(80年代)中国を放浪していたときに、交通費や宿泊費を安くすまそうとして中国人のフリをして過ごした。入国したらまずは中国の床屋さんに入り、中国の服を買い、いろいろ工夫をしてやっていると、かなりうまくいくんだけれども、時々バレルことがある。それはこの「臭い」のせい。

だから孔子は廟に入ると事々に問うたし、執礼のときには特別な言語である「雅語」を使ったりした。郷に入っては郷に従う。

で、通常はA地点とB地点との境を「通過」する時点で、それを祓うんだけれども、それがうまくいかないことがある。それが「過ち」になる。

(3)はみ出してしまったもの

さらには、その穢れのようなものが身についた状態。このデッパリの部分も「過ち」。

それは「過」という語が示すように、身の内に修まらず、ちょっと出っ張っちゃった状態。

(今は知らないけど)当時の中国に長くいたりすると、肉の骨などを机の上に食い散らかす習慣がついた。それを帰国後にすぐ直すのは難しく、周囲からは「お前の食い方、汚いよ」とか言われた。

帰国子女なんかもよく体験する、目立ちすぎちゃう状態もこれ。アメリカという国ではそれは普通の状態だったけど、日本に戻ると言動が「過剰」ではみ出し、すなわち「過ち」になっちゃう。

あるいはADHDの子とかもそうかも知れないし、孔子の弟子の子路なんかもそうだったのかも知れない。

土地だけでなく各家庭での躾や、さまざまな条件での生育過程において、どうもいま生きている共同体にとっては好ましくない言動をしてしまうこともある。それもこれ。あるいは所謂「大人社会」のルールからすると<はみ出し>だとか、そのほかにもたくさん、まあ、いろいろな<はみ出し>、過剰さが「過ち」。

これをよく僕はやります。

●罪と過ち

さて、いろいろと書いてきましたが上記の3つは実はほどんと同じです。

「過ち」とは(正確にいえば)自分のせいではない!

これって大祓の祝詞の中の罪の定義、「天の益人が過ち犯しけむ罪科」、天にいるすばらしい人々があやまって犯しちゃった罪っていうのに似ているね。

で、大祓ではそれは大声で唱えて祓うことによって消失してしまうのと同じように、「過ち」も「改」という儀礼をすることによって消失してしまうのです。

じゃあ、「改」という儀礼とは何か。

それは次回に書きます。

次回、ちゃんと書くことを期待して!

が、過って忘れちゃったらごめんなさい。

祈り:先日の寺子屋

先日の寺子屋は「祈り」をテーマに行いました。

いま論語の中から百句を選ぶという作業をしているのですが、まずは10の章を立て、その中で10句ずつ選ぼうと思っています。で、まずは章立てをしちゃおうというわけで、近くにいる知人を中心にいろいろ聞き回っています。

論語の中から20数個のキーワードを選び(「天」とか「仁」とかね)、その中で興味あるのはどれ?10個選んで、といってやっています。で、ベスト10は今のところ以下(まだ途中)。

「遊、鬼、道、過、天、友、悪、老、時、祈」

これらが章になったら、なんか論語っぽくないでしょう。全然、違う本みたい。

で、この中から寺子屋でひとつずつやって行こうと思っているのですが、先日、「祈り」をしました。なぜ最初にやったのが祈りかというと、これはあまり深い意味はなく、祈りの謡をでっかい声で謡いたいなあ、と思ったからでした。

謡ったのは『黒塚(安達原)』の中の祈りの部分です。次回も続きを謡います。

さて、それはともかく「子、怪・力・乱・神を語らず」という論語の章句から、孔子は神秘的なこととはまったく関わりを持たなかった人だ、と思っている人もいますが、そんなことはありません。孔子のいう「礼」とは祖霊と出会うための方術ですし、孔子一門の「儒」とは、巫祝、すなち後代の陰陽師にも似た人々だったのです(という説もあります)。

祖霊を招いたり、祈祷したりという、現代から見れば神秘的事項に属することも、孔子にとっては当たり前のことだったのです。

ただ、ことさら「怪・力・乱・神を語らず」と言ったのは意味あることで、これをいま詳述していると話が遠くの方に飛んでいってしまうので、また今度ということにしますが、しかしいま巷に溢れるちょっと怪しいスピリチュアルなことは孔子は避けたと思われます。

例の「義を見てせざるは勇なきなり」の句の前にある「その鬼にあらずして祭るは諂うなり」などというのなんかがそれを示します。

●孔子の祈り

いまの日本人は「神様」というと白い服を着て、長いヒゲを生やして、おじいさんで・・という、キリスト教だか、道教だか、神道だかわからないカミサマをイメージすることが多い。で、「おいのり」というと、両手を組んで膝をつけて「天にまします」という、あれをイメージする人が多い。

神社のそれはお祈りではなく、お願いかな。

じゃあ、孔子の祈りはなんだ。

『論語』の中に「祈」という漢字は出てきません。「いのる」というのは「祷(示+壽)」という漢字を使います。現代でも「祈祷」というときに、この漢字を使いますね。

孔子の病気が重くなったときに、弟子である子路が祷ることを孔子に薦めるのですが、そのとき孔子は「丘の祷ること久し(丘之祷之久矣)」、もうずっと祷ってきたよと子路に言うのです。

怪力乱神を語らなかった孔子にとって、しかし「祈り」は日常のことだったのです。

さて、ところが「祈」の字も「祷」の字も古代の文字の中にはありません(ある、という説もあります)。

じゃあ、どんな漢字を使っていたか、それを甲骨文から探してみましょう・・ということで寺子屋では甲骨文を紹介しました。

古代人が祈るのは、まずは収穫(稔り)です。健康とか成功とか恋愛なんかよりも、まずはお腹がいっぱいにならなければ話にならない。だから豊作を祈るのです。収穫(稔り)を祈ること、それを「祈年」といいます。

「年」が稔りです。「年」と「稔」は発音が同じでしょ。が、「祈」という漢字がないのですから、むろん「祈年」という語もありません。

じゃあ、何か。それを次の甲骨文から見てみます。

祷り甲骨

●「いのり」はどの字?

寺子屋では、この甲骨文の中で「いのり」を意味するのはどの文字か?ということを皆さんに探してもらいました。これはなかなか難しかった。

形が似ているのはこれ。これが「いのり」だという意見もありました。

kawa

が、残念ながら違います。

なかなか当たらないので、「じゃあ、この字は何だ?」ということで、以下の字が何かを考えてもらいました。上の甲骨文のどこにあるかわかりますか。

nen

まずこの字の上の部分(nogi)が「禾(いね)」だということを話し(似てるでしょ)、この下に「子」が付く、以下の漢字は何だ?と聞きました。

kisetsu

すると中学生の女の子が「季!」と即答。正解!

「季」とは「禾(いね)の妖精」かも、なんて話をして、じゃあ下の「子」が成長して「人(成人)」になるのは何だ?季節が成長すると何になる?なんて聞いていたら、ある方が・・

「年!」

正解。

もう一度、さっきの漢字。

nen

これが「年」、すなわち「稔(みの)り」です。となると今、探索しているのは「祈年」に対応する語なのでこの「年」の上にある漢字、すなわち以下の文字が、それなのです。

inori_koukotsu

今の漢字に直すと、これです!

inoru_small

うーん、今の漢字って言われても・・ってくらいに、あまり見ない漢字です。PCのフォントには入っていない(から、これは画像)。小さい漢和辞典にもないかも。大漢和にはむろんあります。

が、この字を「いのる」と読んでいいかは、諸説あるところで大漢和は『説文』の説を載せていますので「はやい(疾い)」とかいう意味。奔走の「奔」に似ているでしょ。

白川静氏などは「もとむ」とか「まつりす」とか読んでいて、祈るに近い。で、赤塚忠氏が「祈年」という熟語との関係から「祈る」と読んでいいんじゃないの、と言われています(『中国古代の宗教と文化』)。

寺子屋では、ここからこの甲骨文を解読していったのですが、長くなるのでここでは省略!

●玉串奉奠と「いのり」

inori_koukotsu

さて、じゃあ、これは何の形なのか、というと「植物」を逆さにした形。

能の狂女が笹を持つように、植物は何かが依り憑くための依代(よりしろ)です。神や祖霊などは植物にわらわらと寄ってきて、そしてそれを持つ人に憑依する。

能では笹が憑依植物としてよく出てくるけれども、榊も出てくる。ふつうは「神の木」という名を持つ「榊」がその代表かな。

じゃあ、なぜ逆さなのか。

これは玉串奉奠をした人なら、あ、同じだ!と思うでしょ。玉串奉奠では、最初に榊をいただく時には普通の向きでいただき、それを神前に捧げるときには、逆さにする。

tamagushi

「さかき」という名は、神域と人間界との「境」にある木という説とか、聖木をあらわす「栄木」だとか「賢木」だとかいろいろありますが、ひょっとしたら逆さの木の「逆木」かも。

でも、実は「境」も「栄」も「賢」も「逆」も、そして「咲く」も「裂く」もみんな一緒なんですね。神と人との境界を一時的に引き裂く。まるで能管のヒシギのような役割です。その引き裂かれた通路である揚幕を揚げて、産道のような橋掛りを抜けて神霊はここに出現する。

●祈りとは「型」

もうちょっと日本の話をすると、たとえば神社に行ってお参りをする。

お賽銭をちゃらんと入れて、まず二礼。それから二回拍手を打って、もう一度、礼をする。

あれ?お願いをするヒマがない。

そうなんです。参拝の型の中には「お願い」は入っていない。で、それは当たり前なんです。

「心だに誠の道にかないなば 祈らずとても神や守らん」という句があります。もし、本当の祈りならば、いつもそのことが心に引っかかっているわけだから、ことさらお願いをする必要はない。手を合わせている間だけ、「あの人と恋人になれますように」なんて言っているようでは甘い。そのほかの時には違うことを考えているわけですから。

昔の話。

男の人が「いつも君のことを思い出していたよ」と女性にいうと、女性から「思い出すということは忘れていた時があったんでしょう。いつも思っていたならば、思い出すなんてことはなかったはずよ(思ひ出すとは忘るるか 思ひ出さずや忘れねば)」なんていうのがあります(『閑吟集』)。

怖い、怖い。

祈りとは願いとは違うのです。自分の心の誠を「型」として神様に示すこと、それが祈りです。だから甲骨文字の祈りも、「逆さにする」という行為つきの植物なのです。

でも、そんなんで心の誠を見られちゃったら大変かも・・・。

ちなみに「祈りても験(しるし)なきこそしるしなれ 祷るこころに誠なければ」という歌もあります。

かわいいのは一休禅師のこれ。

「心だに誠の道にかないなば 守らぬとても此方(こち)はかまわぬ」

「こちはかまわぬ」っていうところが一休さんらしい。

孔子もいいます。

「天に罪を得たならば、どこに祈っても無駄だ(罪を天に獲(う)れば、祷る所なきなり)」

祈りとは、心の奥深くに沁みこむまでそれを思うこと(念)で、そうなると全身がそのまま「祈り」になる。で、その祈りの身体で、祈りの「型」を行うこと。それも祈り。もちろん、そんな型をしていないときにも、祈りの身体である体は、常に祈り体制!

それが孔子の祈りなのかも。

だから子路が「病気平癒のために祷りましょうよ」といっても、「俺は常時、祷っているもんね」と孔子は言えちゃうんですね。

ちょっと尻切れトンボですが、今回はここまで・・・。

詳しくはまた本になったときにでも(笑)。

次は「過ち」について。

故に

『古事記』は、日本最古の歴史書といわれていますが、その中には漢字の用法の誤りがいくつかあります。その中でも「故」の誤用は面白いので、それをちょっと・・。

「故」は「ゆえに(because)」という意味です。『古事記』では「かれ」と読みます。

Aした→「故(かれ)」→Bした

となれば当然、Aをした→「から」→Bをした、という用法が一般的です。お腹がすいた→「から」→ご飯をたべた、とか、むかついた→「から」→殴った、とか。

『古事記』の中でもむろんこのように「because」という意味での使われ方もないことはないのですが、でもそれよりずっと多くのところで「故」は「and」の意味で使われているのです。

「で、で」・・って使われ方。

お腹がすいた→「で」→ご飯をたべた、とか、むかついた→「で」→殴った、とか。理由のようにみえて理由ではない。

ま、正確にいえば、これは誤用というのには当たらない。

「故」の漢字そのものにも「and」の意味もあります。でも、接続詞としての使い方としては周代の金文ですら「ゆえに」であり、やっぱり「ゆえに」がその基本の意味です。

★ちなみに金文では「古」を「故」に使う。

◆◆◆◆◆

『古事記』、特に上つ巻を「故」に印をつけながら読んでいくと、「どうも、古代の日本人には<ゆえに>と<そして>の違いってなかったんじゃないか」と疑いたくなることがあります。そのくらいにめちゃくちゃ。

・・というよりも、<ゆえに>を引き出す<WHY?>が、そもそも少ない。

ちなみに「なぜ」という語自体は江戸も後期(だったかな)に生まれた語で、それまでは違う表現(なにゆゑ、とか)が、いろいろ使われていました。が、それはともかく、その前に<WHY?>って何なんだろう?ということを考えてみましょう。

<WHY?>は理由を尋ねる疑問詞である、ということで安心してはいけない。じゃあ、なぜ人は理由を尋ねるのか。

と考えると、これまたいろいろあるのですが大別すると次の三つになります。

(1)問題解決のため
(2)自分が安心(納得)したいため
(3)人を責めるため

胸に手を当てて考えればすぐにわかるように、人が<WHY?>を使う理由は(3)→(2)→(1)の順です。純粋な(1)なんかはほとんどない。

(1)のフリした(2)、(1)のフリした(3)なんかは、よく見かける。

◆◆◆◆◆

「(2)自分が安心(納得)したいため」の<WHY?>の人に対しては、ちょっと面倒だけれども、気長に説明すれば落着する。

でも、非常に面倒くさいこともある。その人の論理の筋道と、普段の自分の論理の道が全然違う場合は、本当に大変。相手の論理に合わせる必要がある。同じならば最初っから「なんで?」って聞かずにわかるから、まあ大変なのは当たり前。

その人が納得できるようなアプローチを探って、「わかんない」って顔をしてたら、違うアプローチからまた攻めて・・。

でも、そんなことをしているうちに、話がだんだんウソに近くなってくることもある。そして、限りなくウソっぽくなったあたりで相手が納得する・・なんてこともよくある。

というか「安心」する。ああ・・。時間のムダであることが多い。

が、もっと面倒なのは「(3)人を責めるため」に<WHY?>を使う人。この人をさらに分けると、それをわかってやっている超イジワルな人と、自分では意識せずにやっている人がいる。

失敗やイタズラをした子供にお母さんが「何度言ったらわかるの」と言っているときなどは後者の好個の例。子供が「あと10回!」などと言ったらぶっとばされるけど、そういわれるまでお母さんは、自分が責めるために質問しているということにあまり気づいていない。

でも、こういう人に「スミマセン」と謝っても、「謝ってほしいんじゃなくて、私が聞いているのは後、何度いったらわかるのってことなの!」なんてなる。全然、違う道を歩いているので、どこまでいっても交わらない。

(2)の人と(3)の人に対して、孔子は「道、同じからざれば相ともに謀らず」と言っている。親子は仕方ないけど、一緒にお仕事はしたくない。

◆◆◆◆◆

話を戻します。

「故」が「ゆえ」という意味に使われていないということを最初に指摘したのは本居宣長さん。『古事記伝』の中で書いています。が、彼は疑問を提示しただけで後は知らんぷり。

それ以降の注釈者の方たちも、この問題はあまり重視していない。

不思議だ。

ちなみに『古事記』の<WHY?>は、海原を治めよという命令を無視して、いつまでも泣いているスサノオに父、イザナギが「なぜ(何由かも)命令したところを治めず、いつまでも哭いているのだ」と尋ねるところ。

それに対してスサノオは「妣(はは)の国である根の堅州国に行きたいんだ!」と答え、それならばとイザナギはスサノオを追放する。

で、このエピソードを見ると、父の<WHY?>は追放のための<WHY?>であり、(3)のようにも見えるけど、でも、これはスサノオの希望を叶えた追放であり、そういう意味では(1)問題解決の<WHY?>であるといえるでしょう。

◆◆◆◆◆

それに対して『旧約聖書』を見てみます。

『旧約聖書』の最初の<WHY?>はカインとアベルのところに出てくる。

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4:1 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。
4:2 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
4:4 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
4:5 カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
4:6 主はカインに言われた。「【どうして】怒るのか。【どうして】顔を伏せるのか・・」
*************

・・ここです。

キリスト教徒ではない僕などは、この質問は「わかっているクセに【どうして】なんて聞くのはひどい!」と思ってしまうのです。まさに(3)の質問です。

で、さらに追い討ちをかけるように次のようにいいます。

***********
4:7 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
***********

で、その予言通りに、「カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した」となるのです。

カインにしてみれば、主によって最初から仕組まれた罠に嵌められたって感じ。しかも「どうして、どうして」と矢継ぎ早に質問を浴びせかけられ、答えに窮する。

こういう問いは『旧約聖書』には、かなり多いのです。

だからって西洋と東洋の違いが云々なんていう気はないのですが、しかし「故」を元にもう一度『古事記』から奈良、平安、鎌倉、室町と読み直して、日本人の論理って何だろう?って考え直してみたい気がしています。

ああ、時間が・・。

ボートの三人男

このごろブログがなかなか更新できず、すみません。

Twitterにはちょこちょこ書いているのですが、こちらに書かないのにはちょっとしたわけがあります。

恒例になっているのですが、二年に一度くらいPCが壊れます。で、この年末にも一度壊れ、新しいもの(といっても中古)に変えました。が、今年は年末年始が激動で、まだほとんど何もセッティングをしていないのです。

そんなわけで気楽なTwitterばかりに書いています。

さて、今朝のTwitterに次のように書きました。

今日、明日と島根のため、昨夜は早く寝ようと目に付いた紀行文学を持ってベッドへ。が、これが大失敗。面白すぎて全然、寝付けなかった。多分30年ぶりくらいの再読。『ボートの三人男』ジェローム・K・ジェローム(丸谷才一訳)。

・・で、その続きを。

この小説は、気鬱に取り付かれた三人の紳士と一匹の犬が、テムズ河をボートで漕ぎ出すという物語。代表的な傑作ユーモア小説(裏表紙の解説より)。

昨夜も、適当なページをめくって読み始めたのですが、どのページも面白い。

昨夜、めくってしまったページには次のようなエピソードが・・・。

食事前は喧嘩腰で、不機嫌で、言葉つきもガミガミしていた仲間が、食事後には互いにほほえみあい、互いに愛し合うようになった・・という状況で・・

***************

われわれの知性が消化器によって支配されていることは、実に不思議であると言わねばならない。胃袋がそう望まない限り、われわれは働くこともできなければ、考えることもできない。胃袋はわれわれに対し、こういう感情を持て、こういう情熱を持てと、命令するのである(中公文庫P.139)。

***************

・・などとあり、胃袋の命令が細かに描写される。

●エッグス・アンド・ベイコンを食べたあとの胃袋の命令→「働け!」

●朝食と黒ビール→「眠れ!」

●紅茶(一人前茶さじ二杯分いれて三分以上おいたもの)→「さあ、起きろ。お前の力を示せ。雄弁にして荘重、荘重にして温良なれ。自然と人生を明晰な眼で見つめよ。思考の白い翼をひろげて天たかく翔(か)け、荘厳な魂のごとくに、下方にうずまく世界を見下ろしつつ、星たちの長くつづく道を通りぬけて永遠の門へと至れ」

●温かい軽焼パン(マフィン)→「野の獣のごとく怠惰であれ。魂を失え。いかなる空想、いかなる希望、いかなる恐怖、いかなる愛、いかなる生命の光も持たぬドンヨリとした眼の獣となれ」

●ブランデーをたっぷり→「さあ来れ、阿呆よ。歯をむきだしてゲラゲラ笑いながらドタリと倒れろ。ちょうどお前の仲間が笑うときのように。他愛もないことを喋り、意味のない言葉をペラペラ口にしろ。ほんのちょっぴりのアルコールに小猫のごとくに溺れ、正気を失うところの哀れな人間はいかに仕様のない間抜けであるかを、世界に示せ」

などと、まさに裏表紙の解説に書かれるごとく「ユーモア小説」と呼ぶにふさわしい筆致なのですが、しかし訳者の丸谷才一氏によれば本書はもともとテムズ河についての歴史的および地理的な展望の書、旅行案内の書として書かれたとのことです。

だからこそ面白いのでしょう。

四民の方外『奥の細道』プロジェクト

NPO法人『天籟』の来期事業として、四民の方外『奥の細道』プロジェクトが本格的に始動!

四民の方外とは士農工商の四民の外に生きる!という江戸時代の俳諧師の生き方。不登校とか引きこもりとかニートとかリストラとか<四民>の付けた呼び名に安住せず、四民の方外での生き方を探る旅を。

・・とTwitterに書いた。

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芭蕉は、世に出ることがほとんど不可能!という出自をもつ。彼は「そんなのイヤだ」とさまざまな努力をするがすべて裏目。ついに「士農工商」という四民の外に生きよう、と決意。さまざまな紆余曲折と工夫と、そして「奥の細道」の旅でそれを完成させた。

「社会(四民)」の中で生きるのがキツイ人々を、無理やり「社会(四民)」復帰させようとしているのが今の政策。不登校やニートや引きこもりに対するね。で、これが全然、うまくいってない。

・・・ではなく、むしろ積極的に「社会(四民)」の外で生きると決意することによって、その方法を探り、そしてその力を「社会(四民)」に還元する、そんな方途があってもいいだろう、と思う。

そのために大切なのは「旅」。からだを使うこと!

定住していても心は放浪という「定住漂泊」があるように、自分の殻に閉じこもったままでも、しかし体は放浪するという「引きこもり漂泊」があってもいいんじゃないか。

在原業平の東下りの旅なんてモロそれだし(彼は杜若と出会うことによって外に目が向く)、「歌枕見て参れ」と追放された実方の旅だってそうだし(彼は客死してしまう)、なんといっても能のワキ僧の旅は、もうまさにそれ(彼は亡霊と出会う)!

『奥の細道』だってそうだ!

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で、平日の一週間、歩けるような立場にいる人(仕事をしてないとか、学校に行ってないとか=「社会(四民)」の外にいる人)と『奥の細道』を歩きつつ、歌枕に出会ったり、俳句などを通じて抒情世界と親しんだり、そして何より自分の身体と出会ったりする旅をする、というのがこの企画。

ロルファーの大貫毅朗さんも一緒に歩きます。事前に行う「歩きたい体を作るワークショップ」と、歩きながらのアドバイス、そして一日歩いた後のメンテナンスを、大貫さんと安田とが行います。

また、臨床心理士も一緒に歩き、歩きながらの「てくてくカウンセリング」も実施の予定(これはまだ調整中。なんといっても一週間なので)。

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最初は深川〜日光までの、ほぼ旧・日光街道に沿った旅。詳しい日程は、またアップします。

このプロジェクトにCGやCMを手がけている(株)グリオより、記録用のビデオカメラと、それをアップロード・更新するための(未発売ですが)iPadをご提供いただきました!

皆様の有形無形、物品、金銭のサポート、お待ちしております。

そうそう。できれば宿泊の先々で寺子屋を開ければと思っております。お心当たりの方、どうぞよろしくお願いいたします。ご興味のある方、寺子屋を主宰してやろうという方、ご連絡をお願いいたします。担当者より連絡をさせていただきます。

info@watowa.net

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いまは国土地理院の25,000分の1の地図と格闘中!

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古代中国の音楽論(1)

このごろTwitterでは、中国古代の音楽論とお茶がちょっとした話題になっている。

http://www.twitter.com/eutonie/

中国古代の音楽論の言いだしっぺは橋本麻里さんで、彼女と新潮社の足立真穂さんは、内田樹さんをして「現在考えらうる最強の女性エディターコンビである」と言わしめた怪傑コンビのお一人です。

さて、中国古代の音楽論として多分、もっとも整っていたのは「楽経」だったはずなのですが、これが焚書坑儒で(この説、異論あり)散逸してしまい、いまは見ることができません。

で、現存するもので見ることができるのが・・

●『礼記』の楽記(「楽経」の注釈だったという説あり)
●『荀子』の楽論
●『呂氏春秋』の楽に関する諸編

・・などが儒家系統の主なもので、Twitterで話題になったのはこのうちの『礼記』と、そしてここからはちょっと外れた道家系の『荘子』咸池楽論(礼運編)でした。

日本の芸道における「道」が、楽記や咸池楽論からの影響では、という林屋辰三郎氏の説を橋本さんが紹介されたことから始まり、いろいろな人がちょこちょこと書いたのですが140文字のTwitterでは限度があり、欲求不満の気持ち悪さを解消する意味もあって、その話題をこちらに引き継ごうと思って書いています。

●孔子は「楽」を重視していた

さて、これらの音楽論よりも、もっと早い成立の音楽論が『論語』の中の音楽論です。とはいえ、それは音楽論としての集大成はなされていず(『論語』自体に一貫した思想はない)、孔子が音楽について断片的に述べているだけなのですが、これが面白い!

まず、孔子は礼より何より「楽」を重視していたということから。

孔子は、「詩」に興り、「礼」に立ち、「楽」に成る・・と言ってます。

子曰、興於詩、立於禮、成於樂(08-08)

「興」とか「立」とか「成」とかについて書いていくと、もういつまで経っても何も始まらないのですが、少なくとも論語の中では、自分の息子に孔子自身が、まずは「詩」を学べといい、それから後日、次に「礼」を学べといったところからすると、これらは学ぶ順番であることは確かです。

「楽」は最後。<成>ですから完成。最後の仕上げが「楽」なのです。

●武器としての「楽」

孔子は諸国を放浪(遊説)しましたが、その目的のひとつが諸国に散在している「楽」の収集だったのではないかという説もあります。それは小泉文夫氏が世界中を旅してワールドミュージックを収集した!というのとはちょっと違って、もっと政治的意味、あるいは呪術的な意味があった収集でした。

孔子が「韶(しょう)」の楽を、斉の国で聞いたとき、三ヶ月、肉の味がわからなくなり「楽が、この境地に至っていたとは想像もしていなかった(不圖爲樂之至於斯也)!」と驚嘆したというエピソードがあります。

これはただ単に感動して肉の味がわからなくなった・・のではなく、本当に味を感じなくさせてしまう力が韶の楽にあったのではないでしょうか。いまあれば最強のダイエット音楽。

敵の戦う気力を削いでしまう音楽とか、聞くだけで死に至る病に罹らせてしまう音楽とかも、たぶんあった。あ、『左伝』に載っているエピソードでは、聞いてもいないのに楽団と旗を見ただけで死病に罹る楽もあった(桑林の舞)。

知人のチベット人がダライラマの通訳でニューヨークに行ったときに、チベット声明をやったのですが、気持ちが悪くなって退席をした人が多くいて、「悪魔の和音」と呼ばれたと言ってました。チベット人や日本人には心地よい声明も、アメリカ人には悪魔の和音となる。

味方は平気なのに敵にはキツイ。これは最強の武器です!

●楽を求めての諸国放浪

周王朝は、そういった危険な楽を諸国に分散したんじゃないかな。今でいうと、原子爆弾のボタンを分散して置き、全員が同時に押さなければ発射しないようにしたようなもの。

で、孔子はそれらを収集しようとしたのかも。

論語の中には、なぜこんなのが入っているのか?と、よくわからない文章がたまに入っています。次のもそれ。

・大師(音楽の長官)である【摯(し)】は斉の国に行き、
・亞飯(二度目の食の時の学楽師)である【干(かん)】は楚の国に行き、
・三飯の【繚(りょう)】は蔡の国に行き、
・四飯の【缺(けつ)】は秦の国に行き、
・鼓の【方叔(ほうしゅく)】は河に入り、
・トウという鼓を打つ【武】は漢に入り、
・少師(副官)の【陽】と磬を打つ【襄】は海に入った。

(大師摯適齊、亞飯干適楚、三飯繚適蔡、四飯缺適秦、鼓方叔入于河、播●(兆+鼓)武入于漢、少師陽撃磬襄入于海[18-09])

なんかメモみたいでしょ。

これは『史記』「孔子世家」の中の、孔子と楽師・襄子とのエピソードや、「殷本紀」の中の、殷の大師と少師が祭祀の楽器を携えて周に亡命する話などや『尚書』なども併せて考えると面白いのですが、ここではそこまで書いている余裕はないので省略しますが、しかし亡命のときに、祭祀の楽器を携えて行くというのが面白い。

昔、ミグを携えて亡命したソ連将校がいたけど、それを思い出す。そのミグを分解して諸国に置いた。

ここでは「楽」ね。諸国には周王朝の王子たちが封じられている。王の命令ひとつで王子たちは、その部品を持って王朝に集まる。・・と、すごい武器が出来上がる・・はずだった。

むろん、孔子のときにはすでにそれは形骸化していて、何がなんだかわからなくなっていた。でも、孔子はなぜかそれを知っていて、収集しようとした。で、どこにどんな「楽」があるのかをメモした。

「楽」収集の旅のための備忘録、それが、このよくわけわかんない文章。

って、読むと面白いでしょ。学者の方には絶対、許されない読みですが、そんなことをしても許される(というか最初から無視されている)のが在野の魅力です。

だから原『論語』(ってものがあったらですが)は、実は「楽」の秘伝書としての性格もあったんじゃないかなと思うのです。たとえば次の文なんかはかなり怪しい。

師摯の始め、関雎の乱(亂)は、洋洋乎として耳に盈(み)つ。

(子曰、師摯之始、關雎之亂、洋洋乎盈耳哉[08-15])

何が怪しいかは、またいつか・・。

ちなみに、いまはあまり人気がない「郷党」編なんかも、そんな風にして読むとすごく面白いのです。

黛まどかさんの国語の授業

以下、メルマガの再録です(一部、変更してあります)。

**************

先日、お知らせした黛まどか(俳人)さんの、著者による国語の授業、特別編の詳細が決まってきましたのでお知らせいたします。これから黛さんとのやり取りの中で、お知らせすべきことが出てきましたら、その都度お知らせいたします。

定員は70名ですが、現在約25名からのお申し込みがあります。残り45席ですので、参加をご予定の方はお急ぎください。

kokugo@tenrai.or.jp

●黛まどかさんの国語の授業

日時:2010年2月20日(土)14:00〜16:30

・場所:東江寺(東京都渋谷区広尾)

【参加費:一般3,500円。天籟会員2,500円】
なお、NPO法人『天籟(てんらい)』の賛助会員(個人)の方は二名様まで、賛助会員(法人)の方は五名様まで招待券を発行いたします。

黛まどかさんの公式ホームページ

http://madoka575.co.jp/index.html

<内容>
第一部:黛まどかさんによる授業
    俳句とサンチャゴ巡礼のお話が中心になる予定です。

<休憩>

第二部:対談とパフォーマンス(黛まどかさん+安田登)

「旅」、「彷徨」ということを中心に黛さんは俳人の立場、安田は能楽師の立場から対談をしていきます。芭蕉を例に出すまでもなく、古来、詩人の多くは旅人でした。黛まどかさん自身も、はサンチャゴ・デ・コンポステーラ(星の巡礼路:世界遺産)をはじめ、さまざまな旅をされています。また、能も漂泊の旅人が土地につく霊と出会う物語が多く、旅、漂泊は欠かせません。

なぜ古来、人は旅をしたのか。そして、現代において、それはどのような意味を持ち得るのか。対談を通じて、そんなことも考えていきたいと思っています。

参加を希望される方は、まずメールでご予約をお願いいたします。

kokugo@tenrai.or.jp

●著者による国語の授業、これからのラインナップ

黛まどかさんから始まる「著者による国語の授業」ですが、本当はNPO法人「天籟(てんらい)」の事業年度である4月から開始される講座です(〜8月)。今回の講座は事前の特別講座です。

4月以降の講師の方々は以下の皆様になります(あいうえお順)。

・内田樹さん
・片平秀貴さん
・林望さん
・安田登
・(もうお一方:ただいま交渉中)

★こちらも詳細が決まり次第、お知らせいたします。なお、黛さんの授業の時に事前予約も承る予定です。

●NPO法人『天籟』始動!(以下、再録)

国語の授業の参加費に「天籟会員」とあるけど、それって何?と思われていらっしゃると思います。

「日本中の子どもたちに能の授業を!」ということで2000年に創設されたNPO法人が『天籟』です。その『天籟』が、「日本中に<寺子屋>を!」と、新たに始動しました。

「寺子屋」の中には、能の授業も、著者による国語の授業も、そしてもちろん『論語』も含まれます。

少子化ということもあり、公立の学校には外部から専門家を招くための予算があまりありません。NPO法人『天籟』は、低予算でも、あるいは予算が全くなくても、能の授業や寺子屋を出前しちゃおう、という団体です。もちろん子どもたちだけでなく大人向けの講座やワークショップも行います。

その活動費は、皆さまからの会費や寄付を中心に成り立っています。授業やワークショップなどの参加特典もございます。ぜひ会員になっていただければと存じます。

ホームページ改正中ですが、以下が仮のホームページです。

http://www.tenrai.or.jp/

なお、会員登録の際にエラーが出る場合は以下にメールをいただけばと存じます。
info@tenrai.or.jp

どうぞよろしくお願いいたします。

古代の料理人は調理人ではなかった

ブログの更新が滞っており、申し訳ございません。

年末、新年と東京を離れることが多く、バタバタしています。合間にTwitterはしています。

http://twitter.com/eutonie

さて、先日、黛まどかさんとロルファーの中村直美さんと食事をしたのですが、そのときに黛さんも僕も(いわゆる)おいしい食事にはほとんど興味がない、ということが判明!

むろんおいしいものは嫌いではないのですが、しかしだからといっておいしくなければいけない!というわけでもない。

以前に東京から和歌山まで山の道を歩いたときも、ほとんどインスタントラーメンだけですごしました(ときどきパン)。かなりの日数、人に会わないのですから、なるべく軽く、そして水で増えるものといったらインスタントラーメンが最高です。

黛さんはともかく、僕は貧しい漁村で育ったし、家だってそんなに裕福ではなかったためか、子どものころの夕食はかなりの割合を、そこら辺にあるものですませていました。

まずは海に行って、アサリやベーボ(貝)や海草や、そんなものを取ってくる。周りの家が全部が漁師なので魚はよくもらった。砂浜からは浜ボウフとか蓬とか、そんなものも取ってくる。そして防風林に入ってキノコを取ってきて、さらに火を起こすための松ぼっくりも拾ってくる。父はマサカリで木を叩き切り、子どもたちはナタでそれを割る。海に潜ってカキを取ってくることもあった。あ、ウニもいっぱいあった。

よく、「そんな自然のものを食べることができて、それは贅沢だよ」と言われますが、そんなことはありません。自然のものではなく、「そこら辺にあったもの」なのです。

◆◆◆◆◆

古代の料理人は男性でした。

それは料理人が、「火」と「金(金物)」を司る職業だったからでしょうか。

古代の中国の話ですが、「夏」王朝を倒し「商(殷)」王朝を建てるのにもっとも功績のあったのは「伊尹(いいん)」です。彼は料理人でした。また包丁の名前の由来となった料理人、包丁(ほうてい)も、殷の湯(とう)王の秘伝の舞を伝えたと目される、特別な人です。この舞は雨乞いの舞です。それを舞うことができたのは王だけだったのです。

となると、どうも料理人は、ただ人ではなかったらしい。

が、この料理人という言葉で、いまの調理人と思い浮かべてはいけない。

彼らにとっては味は重要ではない。味に関する語はかなり新しいのです。彼にとって大切なことは、いかに正しく肉を割くかとか、いかに火を使うかとか、そういうことだった。

これは古代の祭祀における王の役割に似ています。・・となると、彼らこそ王の業を「する」人たちだったのでしょうか。

だからこその伊尹(いいん)であり、包丁(ほうてい)だったのですね。

味がどうのこうのなんてチマチマしたことにこだわってなどいないのです。
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