論語は本じゃなかった



論語のことを考えていたときに、孔子の生きていた時代には、いわゆる「本」というものがなかったということを知ったときは驚きでした。いや、それよりも文字を書いたり、読めたりした人も非常にすくなかった。孔子自身ですら文字を書いたり、読んだりすることはできなかったか、あるいはそんなに堪能ではなかった可能性すらあるのです。

ですから僕たちが論語というと思い浮かべる和綴じの・・・
和綴じsmallこんな本は、原論語からはかなりかけ離れたものなんですね。これはすごいことです。

まあ、でも論語の享受史的に考えれば本としての論語を読んでいた方がずっと長いので、論語は本だって考えても、それはそれでいいのですが、でも一度ここから離れて論語を読んでみると、また違う論語の姿が見えてきます。

じゃあ、論語は何に書かれていたかというと、これは本当のところはよくわからないのですが、多分、竹簡かなあ。いや、たぶん何にも書かれていなくて、あるときまでは口伝で伝わっていて、それから竹簡になって、で、それから紙に書かれたんでしょうね。

あ、そうそう。竹簡というのは、細く切った竹に字を書いて、それを紐でつないだもの。「册(冊)」って漢字は昔はこんな風に・・・
冊書かれていて、これは文字を書いた竹を紐でつないだ形です。でこぼこの縦線が竹ですね。

少し多くなるとぐるぐるっと巻くので、いまでも一巻、二巻なんて言い方で残っています。たまに竹簡を作って遊ぶと楽しいです。それはさておき・・。



じゃあ、紙に書かれていない、すなわち本になっていないということはどういうことなんだっていうと、そりゃあいくつかありますが、なんといっても「携帯」ができない。

でかい竹簡を持ち歩くことなんてできないし、なんといっても貴重ですからそう簡単には買えないし、貸してくれない。大英図書館にある羊皮紙に書かれた本よりももっと貴重だったはずです。

だから論語を学ぶ人たち=孔子を知らない孔子学派の人たちは、今の僕たちみたいに岩波文庫の論語をポケットにねじこんで、いつでもどこでも読む、なんてことはできなかったのです。羨ましがるだろうなあ。彼らは。

じゃあ、どうやって読んでいたかっていうと、それもよくはわかりませんが、想像すると、たとえば師匠から一文を口写しに教えられて、それを弟子たちは数日反芻しながらさまざまな思考を巡らす。それが論語の読み方だったんじゃないかと思うのです。

で、これはとっても豊かな読み方で、じわじわじわじわと滋養が溢れてくる。本当においしい論語の読み方です。



「本がなかったって言ったって、論語の中には詩書(詩経と書経)を学べ、とあるじゃん。詩経と書経は本としてすでにあったはずだ」という反論があると思いますが、確かにあったかも知れませんが、でも孔子の時代はそれは本当にすごく貴重で、孔子といえどもそう簡単には目にできなかったんじゃないかな。ましては学派の人たちは入手できなかった。

でも、『平家物語』も、そして能の謡曲もちょっと前までは全部口写しだったわけで、詩書もそうだったんじゃないかな、と思うのです。謡曲二百数十番を節を間違えずに全部覚えることを考えれば、詩経や書経の暗誦はそんなに大変なことではありません。

そうそう、それと論語は(これまた当たり前ですが)今とは全然違う字で書かれていた、これも大事です。

・・が、それに関してはまた書きます。

『論語』を書いています

先日、祥伝社さんから呼吸法の本を出しましたが、いまは『論語』の本を書いています。

『論語』の本は本当にたくさん出ていて何を今さらって感じですが、いま書いているのは『論語』を身体性から読み直してみようというものです。頭を使う訓古学な読みは学者の方がたにお願いするとして、こちらは体を使って、頭とは違う面から『論語』を読んでみようという試みです。

孔子はとっても行動的な人で、『論語』は身体的に読んでみると全然違う読み方ができるのです。

●最初の出会いは悲惨だった

『論語』に始めて出会ったのは中学生のとき。

・・・なんて話は本になるときには多分書かないので、こういうのをブログに書いておきます。

さて、私の出身は千葉県の銚子市。それも海鹿島(あしかじま)という、当時は駄菓子屋さんすらなかった海辺の町です。

海鹿島といっても島ではなく町名で、うちは門を出ると三歩で砂浜という超海辺です。中学時代の先生に「海鹿島町波打ち際番地」などといわれていました。

もちろん本屋さんなんてありません。ですから小学校高学年になるまで(教科書以外の)本を読んだことがありませんでした。高学年になって最初に読んだ教科書以外の本は『古事記物語(鈴木三重吉)』と『雲の墓標(阿川弘之)』。教科書に比べれば断然面白く、何度も読み返しました。

で、中学ですが、ここも同級生のほとんどは船乗りになるという学校で、勉強なんかしなくてもいい!という雰囲気の学校だったので、やっぱり読書はほとんどしなかったなかで『論語』との出会いです。むろん、国語の授業で。

最初に読まされた『論語』は本当につまらなかった。

が、これはとっても有名な本だ、と先生はノタマウ。あ、ちなみに中学時代の国語の先生は、体育の先生です。国語の先生はいたのかなあ。うちのクラスは、体育の先生が国語の先生も兼ねていて、とっても体育会系の国語で、かなりめちゃくちゃなことを教えられたな、って後になってたくさん気づきました。

さて、そんな中、偶然、市街地に出ることがあって、本屋で『論語』の注釈書を購入して読み出したら面白い。

そして、高校になって麻雀をしながら、麻雀と甲骨文との深遠な関係に気づいたときに『論語』のさらなる面白さにも気づいていきました。

麻雀と甲骨文に関しては内田樹氏がブログで書いて下さっているので、そちらをごらんいただくことにして、麻雀と『論語』の間に甲骨文が入ってくれたおかげで、『論語』がさらに面白くなったのです。

あ、これから連載の原稿を書きますので、続きはまた後で・・・。

今日から始めます

今年(2008年)はHPをちゃんと更新するって言ってたくせに全然更新していないじゃないか、それならブログくらいやれ!というお叱りが知人たちから多く、ブログなるものをしてみることにしました。

・・・が、なにせ不慣れなもので、途中でやめてしまうかも知れませんが、それまでの短い(か長いかは未定)の間、どうぞお付き合いください。

ノートパソコンをよく落とすので、パソコンの消耗が激しく、特に書籍用の原稿を書いているときにはイジメのようにクラッシュしたり、お釈迦になってりします。で、やっと先日出た祥伝社さんの『和の呼吸法』の最後の方に中古PCとEmobileを購入したので、外からでもネットができるようになりました。

それもブログをやってもいいかな、と思った理由のひとつです。

でも、ブログといっても個人的なことと、能のことは書きませんので悪しからず・・・。

 安田
  • ライブドアブログ