ニートの人たちへのワークショップ・・など

昨日、ニートと呼ばれている人たちへのワークショップをしました。

・・って言っても、実はどんな人が相手でもあまり変わりません。といっても、する内容が変わらないというわけではなく、何をしようか、ということはほとんど決めずにそこに行って、その場に必要だと思うことをしていきます。

で、どんな人でもその日、その時間によっていろいろな自分が出てくるので、誰が相手というのはあまり関係ないのです。

ニートとか、あるいはもうちょっと若いと不登校とか、そういう視点からの分類は役に立つときには立つけど、全然役に立たないこともあって、それよりたとえば蹴上がりができる人とできない人で分けたり、前屈で下まで手が届く人と届かない人で分けたり、ポーカーで負けが混むとやけになる人とならない人で分けたり、電車で目の前にご老人が立つと寝たふりをする人としない人で分けたりとか、そんな分類の方が役に立つこともあります。むろん全然立たないこともあります。

前日は、特別支援(と分類されている)の子と、その夜に大人の方向けのクラスがあり、そしてニート(と分類されている)の人たちのワークショップと、さまざまなクラスがあって、とってもいろいろなことを考えさせられた数日でした。

が、考えたことは書きませ〜ん。何か言われると面倒なので・・。

そうそう、僕がネットを始めたのは1992年くらい・・・だったかな。そのころはまだだネットが楽しい時代で、今みたいにうるさい人はいなかったなぁ。パソコン通信にはいたけどね。

インターネットをしている人が少なくて、あまり匿名じゃなかったからかも知れない。

・・などと考えながらネットを探していたら「インターネットマガジン」のオンライン・アーカイブがあって、そこの1996年のインターネット・エクスポのインタビューに僕の記事が載ってました。

303ページです。懐かしい!能のホームページと甲骨文のページを作っていたんだ。

1996年はインターネット・エクスポがあったんですね。坂本龍一が電脳オペラなんかをやったりしてましたね。

この記事で「3年前」とあるのは間違いで4年前。あ、インタビューの時期の関係かな。

やっとフレームとかが使い出せたころで、でもまだフレーム対応のブラウザが少ないので(Netscape2.0以上だったかな)、極力フレームを使わないということで作ってました。

そうそう、いまは同僚ロルファーになっている中村直美さんも、そのちょっと後あたりからホームページを作っていました。すごいヒット数で、そのころどこかのテレビ番組で養老猛さんが「自分の本は売れても何千冊だけど、中村さんのホームページは日に何千ものアクセスがあってすごい!」なんてことを言ってました。

いま考えるとネットアイドルのさきがけのような存在だったなぁ。でも、中村さんは今のようにたんたんと好きなことをやってたけどね。

  安田

小学校と朝日カルチャーセンター

昨日は、昼間に小学校2コマと夜は新宿の朝日カルチャーセンターがありました。

・・って、日記風で今日はいきます。


小学校は、まずは「語り」でひとこま。対象は5、6年生。夏目漱石の『夢十夜』から「第三夜」と、同じく漱石の『吾輩は猫である』より、餅を食ってしまったところ。音楽は、そこの小学校の音楽の先生。『・・猫』ではネコフンジャッタ!アレンジバージョンで、とても楽しかった。

小学生たちも楽しんでくれた(怖がってくれた)ようで、次回は『怪談』も聞きたい、ということ。

よっしゃ!また来年やります。


それから、(いわゆる)特別支援クラスの5、6年生の子たちと漢字の授業。甲骨文字を読んでいきました。

これはちょっと驚きの経験でした。

甲骨文字というのは不思議な文字で、現在僕たちが文字を使うような用途には使われていなかったようです。人に読ませたり、歴史なんかを記録したり、そんなことをする記号としてのソレではなかった。

どちらかというと神さまに対する「呪物」に近いものです。

でも、呪物というには抽象化されているし、偏や旁や、そしてすでに六義(象形、指事、会意、形声、転注、仮借)もある。すなわちじゅうぶんに「記号的」でもあるわけです。

まあ、言ってしまえば、呪物と記号の境界にあるようなもので、時代が記号を生み出しつつある、そんな息遣いが感じられるようなものなんですね。

ところが、大人になって甲骨文字を読もうとすると、「これは現代の漢字に直すとコレ!」っていう風にだったり、「これは××の形だから、漢字だとこれ」とか、その間の息遣いをすっ飛ばして、思わず記号として見てしまいます。

そして、子どもに教えるときにも<漢字の成り立ち>などといって、やっぱり現在の記号の昔バージョンみたいな感じで教えてしまいます。でも、これは甲骨文字そのものから見ると間違いで、そうやってみてしまうと甲骨文字自体の持っている、あの呪的なパワーや、時代の持っている息遣いというものをほとんど感じられない。

で、彼らはまさに甲骨文字そのもののような見方をしたんですね、これが。

じゃあ、具体的にどんな風に甲骨文字に対していたのか、というのをさっきから書こうとしているんですが、全然うまく書けません。

こういうときは無理にまとめようとすると、とっても頭の産物になってしまうので、これからもいろいろところでこんなことをやっていって、自然に何かが立ち現れてくるのを待とうと思います。


ああ、朝日カルチャーセンター(新宿)について書く時間がなくなってしまいました。

昨日から始まったのは全5回の「ロルフィング」のクラスです。いつもの通り、大貫さんにお手伝いいただいてのクラスです。

今回の受講生の方は、体がとっても柔らかい方が多い!これまた驚きです。なんか昨日は一日中、驚いていたな。

第1回目はオリエンテーションも兼ねてということで、ロルフィングについて30分ほど話をし、あとは呼吸のセッションをしました。2時間のクラスです。

そして、最後に「もの」と「こと」についてふれながら、ディファレンシエーションとインテグレーションについての話をして終わりました。これはいつかここでも書いてHPに載せておきたいことです。・・が、これまたうまく書けない。

いつも朝カルは時間通りには終わらない・・・。すみません。

終わってから大貫さんは質問攻めに合っていました。といっても受講生の方に教えていただくことも多かったようです。朝日カルチャーセンターの面白いのはここで、実は受講生の方々の中に僕たちよりもずっとすごい人たちが入っていらっしゃることがよくあります。

あの時間、あの空間に限定しては一応<受講生/講師>という「立場」にはいますが、実は時間や空間が変われてば、それは反転しても全く不思議ではない、そんな受講生の方々がたくさんいらっしゃるカルチャーセンターです。

ですから受講生同士の方々で話し合ったり、セッションしあったりする時間を多く取っています。それによってより大きな収穫を得られることが多いからです。

さてさて、次回は呼吸のセッションの続きでちょっと激しいことをやって、それから足のセッションに移ります。

 安田

枕詞について『玉勝間』より


昨日、購入した『玉勝間』から枕詞についての記述を紹介したいのですが、その前に「枕詞」「興」の関係についてちょっと書きます。

「枕詞」とは、たとえば「あしびきの」とくれば「山」とくる、例のあれです。高校の古典の授業などでは「訳さない」などと言われて、どうでもいい存在として片付けられたりもしますね。

もう一方の「興」は、中国最古の詩集といわれる『詩経』の中で使われます。『詩経』は、昔は五経のひとつとして、とっても道徳的に読まれていたのですが、20世紀初頭あたりからさまざまな人(マルセル・グラネ、聞一多、松本雅明、赤塚忠、白川静など)が、古代祭祀との関係で読み直そうと、楽しい研究をたくさんしてくれています。

で、その中でも「興」はとても重要なテーマで、まず朱子は「興というのは、最初に<あるもの>を言っておいて、そして実際に詠もうというもの引き寄せるものだ」としています。朱子の説明にあるように「枕詞」の古代中国版のようなものです。

この「興」は、近年では呪術的言語だといわれています(来た、来た!)。

あるもの、たとえば「桃」などを「興」として読みます。「桃」は『古事記』などでもそうですが、とっても神聖な働きをもった「呪物」です。しかも、それは妊娠、出産に関連した呪物です。で、その妊娠・出産の呪物である桃(自然)が「女性」とか「嫁ぐ」とか、そういう「人事」を引き寄せるのです。自然と人間との古代的結合です。

日本の「枕詞」も似たような性格を持ちます。折口信夫などは「まくら」というのは「ま+くら」で霊が宿るところだなんていいます。言葉自体に「霊」が宿っている、それが枕詞です。

さて、では本居宣長は『玉勝間』の中(岩波文庫版上P.317)でどういう風に言っているかというと、まずこの「枕詞」ってコトバは古代にはなかった、たぶん中昔の末のころにできた言葉であろうとし、枕というのは「頭(かしら)に置くからだ」と誰もが思うだろうが、それは違うんだよ〜!といいます。

そうではなく、「頭(かしら)をささゆるもの」だから「枕」というんだというのです。さらにそれは「頭」だけではない。すべてのものの「浮きて間のあきたるところを、ささゆるもの」を枕というのだ、として「歌枕」のたとえなどを出します。

この「ささゆる(支える)」というのがとっても面白い!

というのは中国版枕詞の「興」というのは、甲骨文字では図Aのように書きます。これは真ん中にある「同(図B)」、これは「盤」という神器ですが、それを、四方から四つの手(図C)で支えている形なのです。

tm_kyou.jpgdou.jpgte.jpg

左より図A(興)、図B(同)、図C(手)

『礼記』という、やはり五経のひとつの本には「上下(しやうか)の神を降興す」とあります。神様には上の神様、すなわち「天」と、下の神様、すなわち「地霊」がある。で、天(上の神)には「降」という儀礼をし、地霊(下の神)には「興」という儀礼をしたようなのです。この「興」が、中国版枕詞の「興」と関係があるかも知れない。

この漢字を見ると、神道の「神籬(ひもろぎ)」を思い出します。

神社の以外のところで神様を迎えるときには、木の台の上(八脚台)に枠を組んで、そこに榊、紙垂と木綿(ゆう)を取り付けて、一時的な(tembrorary)神社というか神棚、すなわち神域にします。八脚台は、形としてはまさに「同」です。で、これは昔は能の鏡板の松のような聖木の周囲に、玉垣をめぐらしてて注連縄で囲って、神を招いたのがもとで、それを神籬と呼んだらしいのですが、このテンポラリーな神域っていうのがいいなあ、なんて思うのです(『玉勝間』の中には熊神籬なんかも出てきて、これまた面白い。これまた後日)。

すみません。ちょっと話が飛びます。先日、部屋の整理をしていたら昔、録ったキャンベルの『神話の力』(第四回目)のビデオが出てきて、整理をそっちのけで、見ていたのですが、その中で聖地の話になりまして、昔は聖地なんてものはなかった。なぜなら、どこもかしこも聖地だったからだ、と言ってました。ここも、そこも、あそこも聖地だから、神様を呼ぶときにちょっとした仕掛けを作って(それが「同」ね)テンポラリーな神域にすれば、どこでもOK!っていうのが本来の姿なんですね。

さて、戻ります。

聖なる呪物が、何かによって「支えられている」限りにおいて、そこに神霊(地霊)が宿る。古代における自然の呪物、それを木の台の上で支えると、そこに神霊が降りたり、地から湧き出たりする。この呪物をコトバにしたのが「枕詞」であり「興」で、それによって神霊としての本当のコトバが降りたり湧き出たりして、そこに宿る。で、「支えられている」限りだから、その支えである木の台が取り除かれると、神霊も消えうせて、そこは日常の時空間に戻ってしまう。

まさに「興」であり、宣長の「ささゆる(支える)」です。

なんてことを考えていると、宣長さんの「浮きて間のあきたるところ」ってのから、さまざまな妄想が湧き出てきます。日常の時空間にぽっかりと穴があいて、そこにうようよする神霊・悪霊が湧出しようとする、その穴を埋めるためのものが「枕」のようにも見えてきます(これはたぶん違いますが、そんな妄想が湧き出てくるってこと)。

で、呪物=>コトバっていうのがまた面白い。呪物は「モノ」なのに、それが「コト」の「ハ(端)」、すなわち「コト」になる。

枕詞によって引き寄せられた「モノ」は、実は「コト」だった・・のですが、話がどんどん長くなり、そろそろ仕事をしなければならないので、「モト」と「コト」に関してはまた後日!

 安田

岩波文庫 今月の復刊

岩波文庫の復刊シリーズはドキドキです。

特に今月はすごい!

詳しいラインナップは岩波書店の復刊のページでごらんいただくこととして、さっき本屋さんで衝動買いしただけでも以下の通り。

『玉勝間 全二冊』
『武道初心集』
『玉台新詠集 全三冊』
『孝経 曾子』
『聖アントワヌの誘惑』
『アウグス ティヌス 省察と箴言』
『聖テレジア 完徳の道』

あと、『ラ・フォン テーヌ 寓話 全二冊』と『ダンテ 新生』は行った本屋さんにはなかったけど欲しい・・。

『玉勝間(本居宣長)』は、まずは一冊を書店の近くのドトールで読んでしまった(むろん飛ばし読みだけどね)。面白い!本当に面白い!今度、そのうちのいくつかを紹介しますね。

次に『聖アントワヌの誘惑(フローベール)』。これも読み始めると止まらない。これは声に出して読むに限る本です。表紙の説明をちょっと抜き書きすると「一種の夢幻劇的小説」で、「テバイス山上で隠者アントワヌは、一夜の間に精神的生理的抑圧によって見たさまざまな幻影に誘惑されながら・・」となって「幻覚の発生様式、当時の風俗習慣など、完璧な美しさと厳密な様式を持つ傑作」とあります。面白そうでしょ。

『玉台新詠集』と『孝経 曾子』は持っているけど、線とかバシバシ引いちゃうので、新しいのもあっていいかな・・と。こんな風に何冊もある文庫がたくさんあります。

今日は、このほかに古本屋さんでも10冊近い本を買ってしまった。

そちらに関してはまた・・。

 安田

子どもに「語り」を

この数日は子どもたちがらみのことをしています。小学校に行ったり、箱根神社に行ったりです。

来週は、渋谷区の臨川小学校で「語り」と漢字のお話をします。

「語り」は、かなり前からちょこちょこやっていたのですが、三年前に女優の水野ゆふさんと出会ったことによって定期的に行うようになりました。水野さんとは『ふたりのノーラ』というイプセンの「人形の家」を元にした作品を、能と新劇でするという無謀な公演で知り合ったのですが、せっかくならばこの不思議なコラボを何とか形にしようと思って、いろんな機会を作ったり、本を書いたりしました。

作品が文学作品が多いので、「語り」というよりは朗読かな。でも、本は持たない。僕は能の発声を中心に使って行い、水野さんは新劇のそれで行います。

松岡正剛氏の「ハイパーコーポレート・ユニバーシティ」で呼んでいただいたときにも、させていただきましたた。そのときの模様は『千夜千冊』に書いて下さっています

小学校では、夏目漱石の『夢十夜(第三夜)』と『吾輩は猫である』を行う予定です。『・・猫』は、猫が餅を喰ってしまって大変になる、という箇所で、とっても面白く、漱石ですから、むろん文章としては難しいのですが、かなりウケます。

普段は能管をはじめ、プロの音楽家の人に音楽をお願いするのですが、小中高、そして大学などではボランティアでお邪魔することが多いので、音楽の先生に音楽をお願いします。

ほとんどがアドリブで、しかも三度とか四度、五度のような普通の和音は使わないで下さいとお願いするので、大変のようです。でも、最後は楽しんでやっていただけます。

漢字は甲骨文を読んだり、自分の名前を甲骨、金文で読み書きしたりという授業の予定です。

 安田

ペケから二番目



ずっと論語の話を書いているので、飽きましたね。少し離れます。

今回はちょっと自慢っぽい話ですので、「そんなの読みたくねえよ」って方は最初から読まずに閉じてください。あとで文句を言わないように。

さて、今回の本、『能に学ぶ「和」の呼吸法』は企業関係の方も読んでいただいているらしく、企業研修であれをやってほしいという連絡を本が出て1、2週間後にいくつかいただきました。今までの本ではなかったことです。

「能」と「企業」という結びつきはびっくりですが、実はもう20年ほど前になりますが、中小企業診断士という、当時、通産省がやっていた試験の勉強をするために、某講座に通ったことがあります。

これは友人の会社の取締役を頼まれたので、一応ビジネスのことを知っておかなきゃと思ってビジネス本を読んだのですが全然理解できなくて(というより読み始めるとすぐに寝ちゃって)、資格の勉強なら眠らないんじゃないかと思って始めたのがきっかけです。

一次試験が8教科なので、1教科2回で全16回プラス2回(だったかなぁ)が一次試験の講座。毎回、試験があるのです。

で、僕はその最初の試験で、ペケから二番目でした。クラスは40人くらいだったかな。かなり勉強をしたつもりだったのですが散々の結果・・。

でも、実はこのペケから二番目というのは自分の学習史の中でよくあることで、慣れっこです。高校のときに実力試験という勉強しても仕方ないという試験があったのですが、その最初の地理で学年(400人くらいいた)でペケから二番目。ちなみにペケの奴とは今でも親友。数学の最初の中間試験もクラスでペケから二番目。

そうそう、小学校二年のときに掛け算九九もクラスでペケから二番目。ただ、これは最後まで(ってことは今も)覚えなかったから、長い目でみれば本当はペケだったかも知れないけど・・。

謡(能)の稽古をはじめたときにも全然声が出なくて、こりゃあダメだって感じでしたし、ロルフィングの勉強のときのも最初はかなりの劣等生で、同僚の中村直美さんに頼み込んで毎朝トレーニング会場の近くのカフェで特別講義をしてもらいつつ、凌いでいました。

      ◆◆◆◆◆

で、中小企業診断士の勉強のときも、最初の試験を返してもらうときに、先生から「君は絶対落ちる」と太鼓判を押されたのですが、それは慣れているので「ふんふん」と上の空で聞いていました。

どうも僕は不器用らしくて、最初は全然、勘がつかめないんですね。すごく勘がいい人っていうのはいるのに、ここら辺のメカニズムはよくわかならい・・。

でも、このペケから二番目というのは慣れてみるとなかなかよくて、まず格好をつける必要が全くなくなる。となるとアホみたいな質問もできるし、それで先生や同学から呆れられても、相手も「こいつはそんなもんだ」と諦めているから「かわいそうに」って顔くらいで何とかなる。

で、勉強方法もめちゃくちゃやっても大丈夫。

ビジネスの世界が全然わからなかったので、教科書は一度置いて、マンガ日本経済入門を読んだんだけど、これも全然わからない。ビデオ屋さんに行ったら、そのアニメ版があったので、まずはこれを観る。それでも正直わからない。

で、次はビジネス映画を観る。ビデオ屋さんにあるのは全部観る。日本のも外国のも。20年前だからあまりなかったけど、でも全部観た。

次はビジネス小説。これは日本のを読む。これはいっぱいあった。その次は伝記。松下幸之助とか中内功とか、そんな人の伝記を読む。

で、またマンガ日本経済入門に再チャレンジ。アニメもまた観る。マンガやアニメのいいところは、何度観ても疲れないってことですね。

そのうちにわかってくるんです。まずはマンガね。そしてちゃんとした講座にもマンガを持っていって座右の書にしたりね。「なんだコイツ」って思われていたかも知れないけど、どうせペケから二番目だからみんなあまり気にしない。

最後は40人ほどいたその講座の受講生もどんどん減っていって、結局、一次試験を受けたのは14人。半分以下。で、僕はペケから二番目だったのに合格!

    ◆◆◆◆◆

でも、これは当たり前の話で、自分は頭の中ではマンガ日本経済入門の主人公なわけだから、試験で落ちたら、そりゃあ試験の方が悪い・・なんていうくらいに思っているわけです。だから落ちても、受かってもどうでもいい。

これがペケ2の強さですね。優等生では絶対こんなこと言えない。

でも、もともと自分の勉強のためにやったので、合格しようがしまいが、全く意味はないし、合格証すらどこかに行ってしまってます。

そうそう。

小学校から大学まで、卒業アルバムっていうものを持っていない。確かにあったはずなんですが、今はない。卒業証書もなければ、教員免許もない。むろん通知表もない。本当に自分には過去があったのか、と思うくらい何もない。

みんなどこかにいってしまいました。親もそこら辺は執着しない性格らしく、取っておいてくれてもいない。まあ、子どもが取ってないものを親が取っておいてあるというのも変な話ですが・・。

でも、そんなこといいつつ、実は高校の卒業アルバムのみ手元にあります。自分のものは失くしてしまったのですが、これは親友からの預かり物。

彼はいま失踪中です。

K.S.もしどこかでこれを見ていたら連絡くれよ〜!

古い文字の話



論語は今とは全然違う文字で書かれていた・・ってことを昨日は書きました。

じゃあ、孔子が生きていた時代の文字はどんな文字だったかということは、話が長くなるのでまたの話として、せっかく論語を読むんだったら、やっぱりその時代の文字で読んだ方がいいなじゃないかと思っています。

で、そう思ったのは『易経』の読書会をしたときでした。

もう5、6年くらい前になりますが、友人たちと『易経(周易)』を読む会をしていました。週に2、3回、早朝に集まり、2年くらいかけて「乾」と「坤」以外を読みました。「乾」と「坤」は最初にあるのですが、これを飛ばして読むのは足利学校方式です。むろん足利学校では、「乾」と「坤」もあとで読みますが、これはもっと先に延ばそうということで一応休会にしました。

テキストは漢文大系版です。

このテキストのいいところは注釈が、伊藤東涯(とうがい)王弼(おうひつ)のふたつが載っているということです。

伊藤東涯は儒家的な考え方で、そして王弼は道家的な考え方で注しているので、その両者を読めて、とっても面白い。

で、その読書会をしていたときに、これはやはりもっと古い文字で読んだ方がいいんじゃないか、って話になりました。

ちなみに『周易』は、周の文王が卦辞64を作り、その子である周公旦が384の爻辞を作り、さらに孔子が十翼と呼ばれる注釈を書いたと伝えられています。



周の文王といえば殷の最後の時代、紀元前11世紀くらいですから、多分ウソだろうとは思うのですが、まあ、そんなこと言わずにそれを信じて、『周易』をその時代の文字、すなわち金文や甲骨文に直して読んでみると、これが非常に面白い。全然違う世界がそこに現れます。

大盂鼎・・・といっても読書会の仲間は、高校以来、漢文なんて読んだことないという人たちで、いわんや金文・甲骨文をや!だったので、『周易』自体をちょっと中断して「大盂鼎(左写真)」や「毛公鼎」などの金文や、それから甲骨文も読んだりもしました。甲骨文は島邦男氏の『殷墟卜辞研究』や赤塚忠氏の『中国古代の宗教と文化』から選んで、氏らの古代祭礼の再現の説とともに読みました。

これに関してはまたいつか・・。

で、こういう金文や甲骨文を読むときに、現代は白川静氏のおかげでかなり楽になりました。なんといってもCD-ROM版ですらあります

でも、注意したいのは、やはりひとりの説ではちょっと・・ということです。むろん学者の方ですと、さまざまな視点からの研究をするとは思うのですが、僕たちのような趣味で読むものたちでも、漢字の語源的なことを考えるには以下の三人のものを参考にしたいと思うのです。

・白川静(一番入手しやすいし、面白い)

・加藤常賢(とっても確実です。基本!抑えておきたい。湯島聖堂での講義が『漢字の起源』という本になっているけど、ヤフオクか古本屋でしか入手できません)

・藤堂明保(音韻の方から攻めている。字形の方からの説明はイマイチですが音韻から攻めることは非常に重要です)

で、この三者(あるいはもっといろいろな)のうちのどれがいいかは、どうぞご自分でお考えください。

そうそう、オリンピックのおかげかどうか中国では古典の基礎資料の出版が相次いでいます。上海に買いに行きたいと思っています。買いたいのは以下の二種類。重いので当然、船便で送る。

・殷周金文集成 中華書局 修訂増補本
・甲骨文校釈総集 全20巻 上海辞書出版社(上海古籍出版社?)

・・では、また。

論語は本じゃなかった



論語のことを考えていたときに、孔子の生きていた時代には、いわゆる「本」というものがなかったということを知ったときは驚きでした。いや、それよりも文字を書いたり、読めたりした人も非常にすくなかった。孔子自身ですら文字を書いたり、読んだりすることはできなかったか、あるいはそんなに堪能ではなかった可能性すらあるのです。

ですから僕たちが論語というと思い浮かべる和綴じの・・・
和綴じsmallこんな本は、原論語からはかなりかけ離れたものなんですね。これはすごいことです。

まあ、でも論語の享受史的に考えれば本としての論語を読んでいた方がずっと長いので、論語は本だって考えても、それはそれでいいのですが、でも一度ここから離れて論語を読んでみると、また違う論語の姿が見えてきます。

じゃあ、論語は何に書かれていたかというと、これは本当のところはよくわからないのですが、多分、竹簡かなあ。いや、たぶん何にも書かれていなくて、あるときまでは口伝で伝わっていて、それから竹簡になって、で、それから紙に書かれたんでしょうね。

あ、そうそう。竹簡というのは、細く切った竹に字を書いて、それを紐でつないだもの。「册(冊)」って漢字は昔はこんな風に・・・
冊書かれていて、これは文字を書いた竹を紐でつないだ形です。でこぼこの縦線が竹ですね。

少し多くなるとぐるぐるっと巻くので、いまでも一巻、二巻なんて言い方で残っています。たまに竹簡を作って遊ぶと楽しいです。それはさておき・・。



じゃあ、紙に書かれていない、すなわち本になっていないということはどういうことなんだっていうと、そりゃあいくつかありますが、なんといっても「携帯」ができない。

でかい竹簡を持ち歩くことなんてできないし、なんといっても貴重ですからそう簡単には買えないし、貸してくれない。大英図書館にある羊皮紙に書かれた本よりももっと貴重だったはずです。

だから論語を学ぶ人たち=孔子を知らない孔子学派の人たちは、今の僕たちみたいに岩波文庫の論語をポケットにねじこんで、いつでもどこでも読む、なんてことはできなかったのです。羨ましがるだろうなあ。彼らは。

じゃあ、どうやって読んでいたかっていうと、それもよくはわかりませんが、想像すると、たとえば師匠から一文を口写しに教えられて、それを弟子たちは数日反芻しながらさまざまな思考を巡らす。それが論語の読み方だったんじゃないかと思うのです。

で、これはとっても豊かな読み方で、じわじわじわじわと滋養が溢れてくる。本当においしい論語の読み方です。



「本がなかったって言ったって、論語の中には詩書(詩経と書経)を学べ、とあるじゃん。詩経と書経は本としてすでにあったはずだ」という反論があると思いますが、確かにあったかも知れませんが、でも孔子の時代はそれは本当にすごく貴重で、孔子といえどもそう簡単には目にできなかったんじゃないかな。ましては学派の人たちは入手できなかった。

でも、『平家物語』も、そして能の謡曲もちょっと前までは全部口写しだったわけで、詩書もそうだったんじゃないかな、と思うのです。謡曲二百数十番を節を間違えずに全部覚えることを考えれば、詩経や書経の暗誦はそんなに大変なことではありません。

そうそう、それと論語は(これまた当たり前ですが)今とは全然違う字で書かれていた、これも大事です。

・・が、それに関してはまた書きます。

『論語』を書いています

先日、祥伝社さんから呼吸法の本を出しましたが、いまは『論語』の本を書いています。

『論語』の本は本当にたくさん出ていて何を今さらって感じですが、いま書いているのは『論語』を身体性から読み直してみようというものです。頭を使う訓古学な読みは学者の方がたにお願いするとして、こちらは体を使って、頭とは違う面から『論語』を読んでみようという試みです。

孔子はとっても行動的な人で、『論語』は身体的に読んでみると全然違う読み方ができるのです。

●最初の出会いは悲惨だった

『論語』に始めて出会ったのは中学生のとき。

・・・なんて話は本になるときには多分書かないので、こういうのをブログに書いておきます。

さて、私の出身は千葉県の銚子市。それも海鹿島(あしかじま)という、当時は駄菓子屋さんすらなかった海辺の町です。

海鹿島といっても島ではなく町名で、うちは門を出ると三歩で砂浜という超海辺です。中学時代の先生に「海鹿島町波打ち際番地」などといわれていました。

もちろん本屋さんなんてありません。ですから小学校高学年になるまで(教科書以外の)本を読んだことがありませんでした。高学年になって最初に読んだ教科書以外の本は『古事記物語(鈴木三重吉)』と『雲の墓標(阿川弘之)』。教科書に比べれば断然面白く、何度も読み返しました。

で、中学ですが、ここも同級生のほとんどは船乗りになるという学校で、勉強なんかしなくてもいい!という雰囲気の学校だったので、やっぱり読書はほとんどしなかったなかで『論語』との出会いです。むろん、国語の授業で。

最初に読まされた『論語』は本当につまらなかった。

が、これはとっても有名な本だ、と先生はノタマウ。あ、ちなみに中学時代の国語の先生は、体育の先生です。国語の先生はいたのかなあ。うちのクラスは、体育の先生が国語の先生も兼ねていて、とっても体育会系の国語で、かなりめちゃくちゃなことを教えられたな、って後になってたくさん気づきました。

さて、そんな中、偶然、市街地に出ることがあって、本屋で『論語』の注釈書を購入して読み出したら面白い。

そして、高校になって麻雀をしながら、麻雀と甲骨文との深遠な関係に気づいたときに『論語』のさらなる面白さにも気づいていきました。

麻雀と甲骨文に関しては内田樹氏がブログで書いて下さっているので、そちらをごらんいただくことにして、麻雀と『論語』の間に甲骨文が入ってくれたおかげで、『論語』がさらに面白くなったのです。

あ、これから連載の原稿を書きますので、続きはまた後で・・・。

今日から始めます

今年(2008年)はHPをちゃんと更新するって言ってたくせに全然更新していないじゃないか、それならブログくらいやれ!というお叱りが知人たちから多く、ブログなるものをしてみることにしました。

・・・が、なにせ不慣れなもので、途中でやめてしまうかも知れませんが、それまでの短い(か長いかは未定)の間、どうぞお付き合いください。

ノートパソコンをよく落とすので、パソコンの消耗が激しく、特に書籍用の原稿を書いているときにはイジメのようにクラッシュしたり、お釈迦になってりします。で、やっと先日出た祥伝社さんの『和の呼吸法』の最後の方に中古PCとEmobileを購入したので、外からでもネットができるようになりました。

それもブログをやってもいいかな、と思った理由のひとつです。

でも、ブログといっても個人的なことと、能のことは書きませんので悪しからず・・・。

 安田
  • ライブドアブログ