講演の準備について

昨日のブログでは、本当はこちらを書くつもりだったのですが、続々入ってくるチベット暴動のニュースと、その反応の衝撃があまりに大きくて、思わず政治的な話になってしまいました。

      ◆◆◆◆◆◆

さて、土曜日は講演を頼まれて箱根まで行ってきました。聴いてくださった方は250名ほどで時間は1時間半。

講演とかワークショップとか授業とかは大好きです。ほとんど嗜癖と言っていいほど好きで、文章を書くよりはずっと(×8くらい)好きです。だから朝日カルチャーセンターとか学校の授業とか、あるいは今回のような講演とかは、終わるととても元気になります。

・・が、肉体的にはとっても疲れるので、帰ってからはバタンキューと眠ってしまいます。スポーツをした後の疲労感に似ています。その夜に原稿とかブログとかは全くできません。やるとしたら家に帰る前にどこかのカフェに寄ってやっていきます。

これは1時間半の講演でも、あるいは8時間でも同じくらいに疲れます。不思議です。

      ◆◆◆◆◆◆

でも、たまに講演で困るときがあります。

それは依頼してくださった方から、「どんな内容にするのか事前にちゃんと教えてほしい」とか、学校などでは「授業案を出してください」なんていわれたときです。まあ、気持ちとしてはわかるのですが、これは本当に困ってしまいます。

最初のころは真面目にそういうのを出して、しかもレジュメなんかも作って、それに従って講演なんかをしていたのですが、そうなると本当につまらない。聴いてくださる方も眠っている方がチラホラ・・。そこである時から、やはりこれは自分に向いていないと、ヤメにしました。

とはいえ何も出さないわけにはいかないので、かなりきっちりしたものを一応出し、主催者の方の顔は立て、そしてきっちりで安心させておいて、本番はそれを無視して(というか本番のころには完全に忘れている)やります。

事前準備はむろんします。だいたい演題というのが決まっているので、それを見て「こんなことを話そう」とか「こんなことをやろう」とかいうアイディアを、ひとつひとつポストイットに書いて、それをペタペタと情報カードに貼っていきます。

ここで「これを最初に話して、次にこれを」なんて、ちゃんと並べないことが大事です。適当に貼ります。

この作業も会場に向かう電車の中でやることがほとんどです。その方が霊感(!)が沸きます。

で、講演が始まると、最初の方に問いをいくつか聴いている方に投げかけます。これは1,000人くらいの会場でもやります。その応えによって、どんな風に話していくか、どのようなことを中心に話していくかが自然に決まってきます。

あ、ここで「応えがこういうのが多いから、こういう順番で話していこう」と「頭」で考えちゃダメです。こういうときに頭はすでにアガっているので、頭に任せると大体失敗します。自然に任せるというか、お腹とか脊髄とか、頭以外の感じに任せた方が(少なくとも僕は)うまくいきます。

あとは能の構成法である「序破急」になるように時計を気にしながら、話を組み立てていきます。むろん反応によって途中でも、どんどん変えていきます。もうほとんどジャズのセッションのようなつもりです。

この「序破急」のすごさはちょっとびっくりですが、この話はまた長くなるので、またいつか・・。

      ◆◆◆◆◆◆

話す内容を事前にちゃんと決めていってうまくいくのは、講演者がとっても有名な人の場合だけじゃないかな。とっても有名な人だと、聴衆は最初から「聴こう」と思っている。講演というよりもパンダを見にいくようなものなので、何をしても大丈夫。

それが僕のように有名じゃなく、かつ聴衆が200人とか1,000人とかになったりすると、聴いている方は「自分は大勢のひとりだ」と安心しているので、もう最初から「寝よう」と思ってくる。そこまででなくても「面白かったら聴いてやる」くらいのつもり。

だから、ちょっとでもスキを与えると眠られてしまう。むろん序破急の「破」の部分では眠さも大切なのですが、前述の通りそれはまた別の機会に。

というわけで絶対に作らないのはパワーポイントです。聴衆としての自分の経験からでも、パワーポイントを使った講演で、心から面白いと思ったのはひとつもない。まず、ちょっと暗くなるのでそれだけで眠くなります。しかも事前に書かれているものなのでライブ感がない。それとパワポがやけにひどい出来だったり、あるいは逆にやけに凝っていたりすると、これまたダメです。パワポに使われている感じ。

とはいえ、以前に3DCGの本なんかを書いたこともあり、CGをいじるのは好きなので、こういうのを作るのはどっちかというと好きです。だから友人のパワポ資料作成を手伝ったり、代わりに作ったりもしている(CGアニメを入れたりね)のですが、自分では絶対使いません。

友人に聞けば、パワポ資料を作って、それを印刷して配布する、というのが条件の講演もあるみたいで、そういう講演を引き受けたら大変ですね。

僕は絶対受けません!

      ◆◆◆◆◆◆

講演にしろ、授業にしろ、自分の知っていることを話すだけでは意味がないと思っています。自分ひとりっていうのは絶対たいしたことないでしょ。これはどんなにすごい人でもね。で、そこにはせっかくたくさんの人がいるわけですから、その人たちは自分と同じくらいにはすごい。だから、それだけ人が集まれば、そこで何か新しいことは生み出されるはずです。むろん、ひとりひとりの心の中で生まれているものもあって、それは見えないわけですが・・。でも、同様に自分の中にも何かが生まれているはず。

事前に決めたり、パワポを作ったりしたりということは、そういうことは起きないという前提になってしまう。それなら本を読んでもらった方がいい。

自分も会場にもポストイットとかメモとかを持っていって、途中で思いついたことはバシバシ、メモしてしまいます。で、それを元に話がぐわっと変わったりもします。

さて、土曜も面白いことを思いつきました。

・・が、それをここに書けるようになるには、まだまだ時間がかかります。

 安田

チベットの暴動

今日、池袋を歩いていたら街宣車が止まっていて、チベット暴動に対する中国政府の対応を批判する演説をしていました。で、その下では法輪功の人たちが、やはり同様の反対運動をしていてチラシ配りをしていました。

チベットには1987年以降、行ってません。

能の『翁』の冒頭の謡である「とうとうたらり、たらりら」チベット語説(河口慧海師)を確かめるためラサに行き、その年、土地の古老から、それに非常に似た歌が『ケサラ王伝説』という英雄叙事詩にあるという話を聞き、実際に歌ってもらいました。ここら辺の事情については、かつて書いた(『ワキから見る能世界』NHK出版)ので省略します。

で、もっと調べるために88年に行こうとしたら予定が立てられなくて(やはり一ヶ月以上はいたい!)、翌年の89年に行こうとした大暴動。それを外国人が煽ったということで、それ以来、外国人のチベット行きが非常に制限されるようになりました。

当時は知り合ったラサの人のうちに泊めてもらったり、お寺でも明け方まで話し込んだりできたのですが(多分、内緒で)、それ以来はラサの人と外国人が二人っきりで話しこむなんてことはおろか、ふつうに話をすることすら禁止。すべてがすでに決まったルートを歩かされるだけの(それがいかに自由に組み立てられるように見えてもね)旅行になってしまったそうなのです。

87年に知り合いになった日本人が、数年前にラサを再訪したのですが、彼からそういう話を聞いたので、もう行ってませんでした。

それが今回の大暴動の報道。現在は記者も含めて外国人も入れないとのこと。

どうなるんだろう。オリンピックも含めて・・・。

でも、これが街宣に使われたり、法輪功の何かに使われたりすると純粋に怒れなくなるなあ。

 安田

上海から朗報

小田原にあるCLCAというNPO法人の子供たちに謡を教えたり、あるいはときどきいろいろな方を紹介してワークショップなどをしています。

CLCAの最初のCは「こども」、Lは「生活」、次のCは「文化」という、その三本柱で、世の中にNPOなどというものができる、ずっとずっとずっと前(どのくらい前なんだろう)から寄宿型の教育をされていた「はじめ塾」というところが母体になってできているNPO法人です。

さて、このCLCAの子供たちがいま中国に行ってます。新作能の『九頭龍(くずりゅう)』を引っさげて、蘇州で文化交流をするためです。実は蘇州ぐみはもうちょっと後で、まずは先行グループが上海に入っています。

で、僕は今回は一緒に行けなかったのですが、ナント厚顔無恥にも「上海に行ったら上海古籍書店に行って本を買ってきて。船便で送っていいから」とお願いしてしまいました。遊びじゃないのにね・・。

さきほど電話があり、あった!ということ。そして船便の手配も終わったとのこと。やった!!

前のブログにも書いた以下の本です。

・殷周金文集成 全8巻
・甲骨文校釈総集 全20巻

合計28巻!またまたうちの本棚が大変なことになりますが、しかしとっても楽しみです。

これってたぶん、北京オリンピックおめでとう!出版のような気がして、もう来年か再来年には入手できないかも知れないなんて思っていて、こりゃあ上海に行かなきゃなあって考えていたくらいですから、本当にすごく嬉しいです。

うちにも「三代吉金文存」や、いくつかの甲骨文の本(いろいろバラバラに出ているので大変)はあるのですが、これでかなり整理されて揃いそうです。中味を見てないからわかりませんが・・・。

日本でも漢籍はどんどん入手不可能になるし、頼みの綱だった台湾も古典を出していた出版社が倒産しています。こんなときメイン・ランドでの古典の見直しと出版はとても嬉しいです。

ただ、チベットの話は本当に悲しいけど・・。これに関しては、もう少し情報が入ってきてから書きます。

カトリックの典礼と・・

能の笛方の槻宅(つきたく)さんとは、いろいろなところでワークショップをご一緒させていただいています。今年も東京、島根などいろいろなところであるので、昨日(あ、一昨日になってしまった)はその打ち合わせをさせていただきました。

・・が、実は打ち合わせはそっちのけで、槻宅さんからカトリックの典礼のお話を伺ったのですが、これが非常に面白かった。能や中国古代(特に殷)の宗教儀礼との関連から考えると、本当に面白すぎです。西洋なのに不思議だな、と思ったら、原始キリスト教は西洋発生じゃないというお話。なるほど、そういえばそうです。

門外漢の僕にわかりやすく説明してくださったことと、伺いながら書いた自分のメモなので間違いもあると思います。どこかに書くときにはちゃんとした文献に当たろうと思っておりますが、以下、そのときのメモを・・・。

典礼は大きく分けると「コトバの典礼」と「感謝の典礼」とになる。

●言葉の典礼
行列で入ってくる
歌などがあり
あいさつなどがあり
祈り
朗読×3(予形→対形→原形)
 ※予形は旧約、対形は使徒書簡など、原形は福音書
説教

[ここでテーブルに移動]

●感謝の典礼:最後の晩餐の再現(祈り、磔刑の前の晩)
テーブルに供え物(奉納)
手を洗う★
侍者が手伝って準備
典礼文
 序唱・・これに関しては槻宅さんに非常に面白いご自説あり
 奉献文・・最後の晩餐を中心に組み立てられた祈り
パンを掲げて「これは主の体」云々
歌:毎週末、キリストの再誕までこれを繰り返すという内容
主の祈り、握手
アニュス・デイを歌いながらパンを割る(これが非常に重要!)
パンをぶどう酒につけたり・・
 配ってパンを食べる
 ぶどう酒を飲む(というのはこのごろあまりやらないらしい)
 ・・濃茶はここから来たかという説もあるとのこと

◆◆◆◆◆◆

特に感謝の典礼は重要で、キリストの体を自分に受けるため、すなわち聖体拝領。コミュニオ(神との一体化)

プロテスタントではこれを「想起」と考えるが、カトリックではキリストの「現存」と考えるとのこと。

この「現存」というのがとっても面白いのと、あと手を洗うというのもかなり引っかかりますが、これについてはまた後日に。

すみません、今日はメモだけで失礼します。

 安田

『きょうの健康』とMBTの靴

NHKのテレビテキストの『きょうの健康』に、この4月号から連載を始めました。津村先生の写真をドーンと載せて、僕の文は500字くらい。いつもながら他人のふんどしで相撲を取っているような連載です。津村先生、ありがとうございます!

さて、4月号の『きょうの健康』の見本誌が数日前に届いたのですが、表紙をめくるとわがふるさとの銚子が載っていました。が、僕の育った海鹿島は載っていませんでしたが・・。

銚子に行って魚食べたい!いわしがうまいです。

で、さらにパラパラめくっていたらMBTの記事(広告かなあ)もあった。

実はこの数日間、MBTの靴を履いています。あ、MBTって知ってますか。Masai Barefoot Technologyの略で、マサイの人たちの裸足の歩行技術をスイスの人が靴にしたようなのです。子どものころはかなりの時間、裸足で過ごしていたなあ、と思い出しました。浜で遊ぶときは、当然ですが靴なんかだと砂が入っちゃうので裸足ですし、道路もあまり舗装されていなかったので裸足、むろん家は裸足だしね。

僕はこの靴の存在は知らなかったのですが、朝日カルチャーセンターに履いていったら、まずはカルチャーセンターの担当の二階さんが履いていて、しかも身体系の講師には履いている人が多いとのこと。う〜ん、そうなんだ。

で、MBTですがDVDやパンフもあったのですが、それは見ずに履いています。というのは最初に履いたときに、これは自分の体で調整しながら履いた方が面白そうだなと思ったからなのです。

というわけで、履いていますがとっても面白い。

ブログなので個人的なことを書くことを許していただければ、今まで自分にあう靴が全然なく、Regalから始めてさまざまな靴を試し、いまはただ一種類の靴だけを履いています。が、それは革靴なのでスニーカーやら何やらいろいろ買ってはみるんですが、全然あわずにすべて靴箱にほぼ新品のまま入っています(スニーカーは娘が持っていきます)。

で、MBTもどうかなと思い、試してみているのですが、なんか歩いているというよりも自転車に乗っているときのような感じで歩けます(ってわかりますか)。だから歩くのがとても楽だし、どんどん歩きたくなります。

前にも書いた(かな)ように、歩くのはとっても好きで、東京から富士山まで歩いて往復というのは本当に何度もやったし、学生時代は電車代を節約するために東京から銚子まで歩いて帰省したり、一度は東京から和歌山県まで歩いたりもしました。だから歩きやすい靴というのは、すごく好きです。

深層筋の活性化にはSubtle(かすかな)動きがいいのですが、MBTですと大きく足を踏み出さなくてもいいので、大腰筋のSubtleの動きで歩くことができ、たぶんからだの中で大腰筋が活性化されているんだろうな、なんて感じながら歩いています。

MBTを進めてくれた方が言っていたことですが、すり足の要領で歩けるんです。

・・なんてことを書きすぎると広告になっちゃうので問題点も。

ひとつは依存性のおそれ。舞台に行くときは普通の革靴を履いていくのですが、これが歩きにくく感じてしまいます。手放せなくというか足放せなくなりそうでコワイのですが、まあいつも買う靴と価格もほとんど変わらないので、これはあまり問題ないかな。

それとまだうまくいかないのは立っているとき。電車で長い時間立っているときなどは、普通の靴よりも疲れます。特にあまりつり革を使わないようにしているので余計疲れるのかも知れません。ひょっとするとこれは無理な筋肉の使い方をしているのかもと調整しながら電車に乗っています。

さてさて、これからどうなることか。ときどきレポートします。

 安田

大貫さんのワークショップ

朝日カルチャーセンターでいつも一緒にしていただいている大貫さんのワークショップがあります。両方とも定員4名(!)という、超濃そうなワークショップです。ご希望の方はお早めにどうぞ!

もっと詳しい情報は大貫さんのHPで

★自分の体を探検しよう!

漠然とした体の感覚をより明確にするために、体の主要な筋肉を学び、実際に触れ、今までとはひと味ちがった新しい体の使い方を探求していく講座。ロルフィングをはじめ様々なボディワークのエッセンスを使ったエクササイズやペアワークも提供。

第1回 4/13 体の土台である足をテーマにします。
第2回 5/18 体のトラブルがよく起きる体の背面がテーマです。
第3回 6/8 最後は胸、腕、首そしておなかに触れ内臓にもせまります。

時間/13:00〜16:00
場所/HEALING AND ROLFING(R) SALON AXIS
料金/\4000(定員を減らしたので、若干値上げさせて頂きました。すみません)
定員4名

★マラソンランナー集まれ〜!

マラソンランナーのための、体のメカニズムを理解しながら運動能力を向上する講座。やさしいストレッチ方法や、ボールを使ってのセルフケア、簡単エクササイズなど行いながら、ご自身のウイークポイントを見極める。

第1回 足から膝にかけて
第2回 腰からハムストリングスにかけて

時間/14:00~17:00
場所/HEALING AND ROLFING(R) SALON AXIS
料金/¥4000
定員/4名

《お問い合わせ・お申し込み》
 HEALING AND ROLFING(R) SALON AXIS
e-mail<info@salon-axis.com>
 大貫(オオヌキ):090-9676-2449

  安田

朝日カルチャーセンター:ロルフィング2回目>受講生の方向け

昨日は中学校で4時間授業があり、夜は朝日カルチャーセンター(新宿)でした。

さて、朝日カルチャーセンターは、ロルフィングの2回目。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。ひとつのワークがかなり深くなってしまい、多くのことができませんね。

「呼吸」の続きと「足」でした。また大貫さんにお手伝いいただいての講座です。やったことを大貫さんが送ってくれましたので、まとめておきますね。

すみません。これは昨日の受講生の皆さまのためのブログです。

●話
・「こと」と「もの」(2)
 「あたしって気にしないタイプだから」とかいう話・・。

・ここでやったことはどうぞご自由にお使い下さい、という話
後生可畏
述而不作
 術という漢字や道という漢字の説明もしました

・「徳」の話

●ワーク
・胸郭ワーク
  前への呼吸
  後ろへの呼吸
  横への呼吸

・足裏の探求

・γ(ガンマ)タッチの練習
 肩で

・γタッチで足首をゆるめる

・トラッキング

・足裏呼吸(基本)

以上です。

いかがでしょうか。覚えていらっしゃいますか。

 安田

宣長さん

本当に本居宣長っていいなあ、って近頃思ってます。

・・と言っても、読んだのは『古事記伝』(文庫で四冊)と『玉勝間』(こちらは二冊)だけで、これは必読だよっていう『うひ山ぶみ』、『源氏物語玉の小櫛』、『直毘霊』も読んでいないし、しかも、どうもあとは『うひ山ぶみ』以外は当分読みそうもない(『直毘霊』は来年読みそう)から、小林秀雄みたいに研究したり、膨大な思索をしたりはできないけど、でもとっても好きだ〜!

だからこれから宣長さんって呼んじゃおうかな、などとも思っています。

そうそう、小林秀雄の『本居宣長』よりも、宣長さん本人の書いたものの方が簡単だよ、多分。ただ古文っていうのがちょっと引っかかるけど、それさえなかったらね。でも、現代語にすると難しくなるし、やはりみなさん古文と漢文は読めるようになりましょう。

で、読みながら(っていうかパラパラ眺めながら)「なんかどこかで読んだことあるような感じだよなあ」ってデジャブしていたら、「ハッ!」と思いついたのが、まずは熊楠。『十二支考』を眺めているときの感じに似ている。

・・でも、『玉勝間』なんかはもっといろいろなことを書いているしなぁ、って思っていたら、「そうだ!J・Jだっ!」って思った。

J・Jっていっても、もう知らない人も多いだろうなぁって思うんですが、植草甚一氏です。

植草甚一に関しては上のWilipediaからあとはリンクを辿ってどんどん調べていってください。高校時代に最も影響を受けた人のひとりで、英語の勉強方法とかジャズとかミステリーとか映画とか、そして喫茶店で本を読む楽しみ、そうそうコラージュとか不思議な日記とか、みんなJ・Jから教わった。

本居宣長が植草甚一だなんていうと怒る人も多いかも知れないけど、J・Jが宣長さんに似ているっていえば大丈夫かなぁ。本当に読んでいるときに感じる、あの静かな高揚感がとっても似ているんです。しかも、読み終わったあと、絶対歩きたくなる!

本居宣長についてなんか書こうと思うと、とっても大変そうだけど、でもそこはブログの気楽さで、前に『玉勝間』の中から枕詞について書きましたが、また書きます!

そうそう、先日、大修館書店の『言語』の連載に宣長さんのことで書いたことがあって、それの一部を書きますね。『言語』では「神話する身体」というテーマで連載をしています。

 安田

昨日の朝日カルチャーセンター

昨日(土曜日)は朝日カルチャーセンター(新宿)でのクラスがありました。

テーマは「コア感覚を育てる身体技法」です。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございます。

どんなことをしようか、ということは、さまざま用意はしていくのですが、それはトランプのカードのようないっぱい用意していき、その中から何を出すかということはその場でみなさんの雰囲気や、要望によって決めていきます。

ですからレジュメのようなものがないので、ここで昨日やったことをまとめておきますね。

●最初に「コア」とは何だろう、というところから始めました。コアといっても

・体の芯としてのコア(背骨を中心として、その周囲についている筋肉+内転筋)
・丹田のようなコア
「心(シン)」としての概念的なコア

・・の3つがあります。

・・というところから始まったのですが、やっているうちに出る参加者のからのご希望がかなりマニアックなものが多く、思ったよりも時間がかかってしまいました。

●ワークとしては以下のようなことをしました。括弧内はロルフィングのセッションの何回目と関連するか、ということを示してあります。

芯で向きを変える(2)
足裏揉み(2)
足裏呼吸(1、2)
足裏の目で歩行(2、5)

前屈(脳神経システム)

腕ブラ(菱形筋)(3)
仙骨ゆるめ(うつ伏せで呼吸をして)(6)
梨状筋ゆるめ(うつぶせで手技を使い)(6)
腰方形筋ゆるめ(横向きで)(3)

足ブラ(大腰筋)(5)
背中触れ大腰筋歩行(5)

摺り足(コアによる歩行)(4、5、6)
盲目歩行

●話は次のような話をしました
3つのコア
モノとコト
「歩く」と「走る」
「大」「立」「王」と呼吸
「こころ」「思ひ」「心(シン)」

以上です



このテーマ(コア感覚)での講座も、もう何度も行なっていますが、毎回毎回、参加される方がコアな方になってきて、セッション自体がなかなか濃くなってきます。上のワーク一覧を見ると、第4セッション(内側)と第7セッション(頭部)がほとんどないのですが、いまにそこら辺もやるようになるかも・・。ここら辺はかなり濃いワークになります。

そうなると4時間でも足りませんね。

月曜日は、朝日カルチャーセンター(新宿)で『ロルフィング』のクラスです。呼吸の続きから行いますが、こちらでは第4や第7の濃いワークもします。

  安田

疲れた!16,000字!

某大学から依頼されて研究紀要のために16,000字くらいでエッセーを書きました。1,600字じゃなくて、16,000字!原稿用紙40枚。

エッセーで16,000字って多いでしょ。

実はこれはもともとはエッセーではなく、その大学で、大学院生と先生方を対象にした講演会があって、そこで話をさせていただいたことがあり、そこで話したことをまとめる、というものだったのですが、その内容はすでに本(『ワキから見る能世界』NHK出版)に書いたことだったので、今さら同じようなことを書くのもナンなので、ということで新たなエッセーにしたのです。

で、ちゃんと締め切り守って、それを出したのが7月。その後、何も連絡がなく、「これは不採用になったのかな」と思っていました。ちなみにその講演会、および原稿の依頼は、その大学で教授をしている悪友からのもので、でも提出した相手はその悪友ではなかったために、確認するのも悪く、「まあ、いいか」とその原稿に手を加えて、ほかの雑誌の連載にまわしてしまいました。

・・なんてことをやっていたら、先月、急に紀要を出すので校正を・・という連絡。もう7ヶ月も経っているのに・・・。

「おいおい、それはもう使ってしまったよ」というと、「それでも構わない」とのこと。

でも、それじゃあ、あんまりなので、新しいのを書きます・・ってことで書き始めたのですが、なかなか進まず、やっと昨日、出来上がりました。

「こと」と「もの」、死者の時と生者の時、世阿弥の「妙」、それと『古事記』との関連性など、いま興味のあることをワイワイと書き散らかしました。

ちなみに僕は原稿を書くと、中学生か高校生に読んでもらいます。で、寝ちゃうようだったら書き直したりします。今回のはちょっと難しかったようですが、相手が院生だからいいかとそのまま出しました(でもエッセーです)。

その間にも連載の原稿がいくつかあったり、当たり前ですが舞台があったり、語りがあったり、ワークショップがあったり、授業があったり、遊びがあったり、ともだちとあったりがあったりといろいろあったりはあったにはあったのですが、しかし一ヶ月くらいかかってしまいました。

でも、これでちょっとスッキリ!

週末の舞台が終わったら、その夜から心置きなく次の原稿にかかれます。

いや〜、しかし『論語』は面白い!

  安田
  • ライブドアブログ