大貫さんのワークショップ

朝日カルチャーセンターでいつも一緒にしていただいている大貫さんのワークショップがあります。両方とも定員4名(!)という、超濃そうなワークショップです。ご希望の方はお早めにどうぞ!

もっと詳しい情報は大貫さんのHPで

★自分の体を探検しよう!

漠然とした体の感覚をより明確にするために、体の主要な筋肉を学び、実際に触れ、今までとはひと味ちがった新しい体の使い方を探求していく講座。ロルフィングをはじめ様々なボディワークのエッセンスを使ったエクササイズやペアワークも提供。

第1回 4/13 体の土台である足をテーマにします。
第2回 5/18 体のトラブルがよく起きる体の背面がテーマです。
第3回 6/8 最後は胸、腕、首そしておなかに触れ内臓にもせまります。

時間/13:00〜16:00
場所/HEALING AND ROLFING(R) SALON AXIS
料金/\4000(定員を減らしたので、若干値上げさせて頂きました。すみません)
定員4名

★マラソンランナー集まれ〜!

マラソンランナーのための、体のメカニズムを理解しながら運動能力を向上する講座。やさしいストレッチ方法や、ボールを使ってのセルフケア、簡単エクササイズなど行いながら、ご自身のウイークポイントを見極める。

第1回 足から膝にかけて
第2回 腰からハムストリングスにかけて

時間/14:00~17:00
場所/HEALING AND ROLFING(R) SALON AXIS
料金/¥4000
定員/4名

《お問い合わせ・お申し込み》
 HEALING AND ROLFING(R) SALON AXIS
e-mail<info@salon-axis.com>
 大貫(オオヌキ):090-9676-2449

  安田

朝日カルチャーセンター:ロルフィング2回目>受講生の方向け

昨日は中学校で4時間授業があり、夜は朝日カルチャーセンター(新宿)でした。

さて、朝日カルチャーセンターは、ロルフィングの2回目。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。ひとつのワークがかなり深くなってしまい、多くのことができませんね。

「呼吸」の続きと「足」でした。また大貫さんにお手伝いいただいての講座です。やったことを大貫さんが送ってくれましたので、まとめておきますね。

すみません。これは昨日の受講生の皆さまのためのブログです。

●話
・「こと」と「もの」(2)
 「あたしって気にしないタイプだから」とかいう話・・。

・ここでやったことはどうぞご自由にお使い下さい、という話
後生可畏
述而不作
 術という漢字や道という漢字の説明もしました

・「徳」の話

●ワーク
・胸郭ワーク
  前への呼吸
  後ろへの呼吸
  横への呼吸

・足裏の探求

・γ(ガンマ)タッチの練習
 肩で

・γタッチで足首をゆるめる

・トラッキング

・足裏呼吸(基本)

以上です。

いかがでしょうか。覚えていらっしゃいますか。

 安田

宣長さん

本当に本居宣長っていいなあ、って近頃思ってます。

・・と言っても、読んだのは『古事記伝』(文庫で四冊)と『玉勝間』(こちらは二冊)だけで、これは必読だよっていう『うひ山ぶみ』、『源氏物語玉の小櫛』、『直毘霊』も読んでいないし、しかも、どうもあとは『うひ山ぶみ』以外は当分読みそうもない(『直毘霊』は来年読みそう)から、小林秀雄みたいに研究したり、膨大な思索をしたりはできないけど、でもとっても好きだ〜!

だからこれから宣長さんって呼んじゃおうかな、などとも思っています。

そうそう、小林秀雄の『本居宣長』よりも、宣長さん本人の書いたものの方が簡単だよ、多分。ただ古文っていうのがちょっと引っかかるけど、それさえなかったらね。でも、現代語にすると難しくなるし、やはりみなさん古文と漢文は読めるようになりましょう。

で、読みながら(っていうかパラパラ眺めながら)「なんかどこかで読んだことあるような感じだよなあ」ってデジャブしていたら、「ハッ!」と思いついたのが、まずは熊楠。『十二支考』を眺めているときの感じに似ている。

・・でも、『玉勝間』なんかはもっといろいろなことを書いているしなぁ、って思っていたら、「そうだ!J・Jだっ!」って思った。

J・Jっていっても、もう知らない人も多いだろうなぁって思うんですが、植草甚一氏です。

植草甚一に関しては上のWilipediaからあとはリンクを辿ってどんどん調べていってください。高校時代に最も影響を受けた人のひとりで、英語の勉強方法とかジャズとかミステリーとか映画とか、そして喫茶店で本を読む楽しみ、そうそうコラージュとか不思議な日記とか、みんなJ・Jから教わった。

本居宣長が植草甚一だなんていうと怒る人も多いかも知れないけど、J・Jが宣長さんに似ているっていえば大丈夫かなぁ。本当に読んでいるときに感じる、あの静かな高揚感がとっても似ているんです。しかも、読み終わったあと、絶対歩きたくなる!

本居宣長についてなんか書こうと思うと、とっても大変そうだけど、でもそこはブログの気楽さで、前に『玉勝間』の中から枕詞について書きましたが、また書きます!

そうそう、先日、大修館書店の『言語』の連載に宣長さんのことで書いたことがあって、それの一部を書きますね。『言語』では「神話する身体」というテーマで連載をしています。

 安田

昨日の朝日カルチャーセンター

昨日(土曜日)は朝日カルチャーセンター(新宿)でのクラスがありました。

テーマは「コア感覚を育てる身体技法」です。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございます。

どんなことをしようか、ということは、さまざま用意はしていくのですが、それはトランプのカードのようないっぱい用意していき、その中から何を出すかということはその場でみなさんの雰囲気や、要望によって決めていきます。

ですからレジュメのようなものがないので、ここで昨日やったことをまとめておきますね。

●最初に「コア」とは何だろう、というところから始めました。コアといっても

・体の芯としてのコア(背骨を中心として、その周囲についている筋肉+内転筋)
・丹田のようなコア
「心(シン)」としての概念的なコア

・・の3つがあります。

・・というところから始まったのですが、やっているうちに出る参加者のからのご希望がかなりマニアックなものが多く、思ったよりも時間がかかってしまいました。

●ワークとしては以下のようなことをしました。括弧内はロルフィングのセッションの何回目と関連するか、ということを示してあります。

芯で向きを変える(2)
足裏揉み(2)
足裏呼吸(1、2)
足裏の目で歩行(2、5)

前屈(脳神経システム)

腕ブラ(菱形筋)(3)
仙骨ゆるめ(うつ伏せで呼吸をして)(6)
梨状筋ゆるめ(うつぶせで手技を使い)(6)
腰方形筋ゆるめ(横向きで)(3)

足ブラ(大腰筋)(5)
背中触れ大腰筋歩行(5)

摺り足(コアによる歩行)(4、5、6)
盲目歩行

●話は次のような話をしました
3つのコア
モノとコト
「歩く」と「走る」
「大」「立」「王」と呼吸
「こころ」「思ひ」「心(シン)」

以上です



このテーマ(コア感覚)での講座も、もう何度も行なっていますが、毎回毎回、参加される方がコアな方になってきて、セッション自体がなかなか濃くなってきます。上のワーク一覧を見ると、第4セッション(内側)と第7セッション(頭部)がほとんどないのですが、いまにそこら辺もやるようになるかも・・。ここら辺はかなり濃いワークになります。

そうなると4時間でも足りませんね。

月曜日は、朝日カルチャーセンター(新宿)で『ロルフィング』のクラスです。呼吸の続きから行いますが、こちらでは第4や第7の濃いワークもします。

  安田

疲れた!16,000字!

某大学から依頼されて研究紀要のために16,000字くらいでエッセーを書きました。1,600字じゃなくて、16,000字!原稿用紙40枚。

エッセーで16,000字って多いでしょ。

実はこれはもともとはエッセーではなく、その大学で、大学院生と先生方を対象にした講演会があって、そこで話をさせていただいたことがあり、そこで話したことをまとめる、というものだったのですが、その内容はすでに本(『ワキから見る能世界』NHK出版)に書いたことだったので、今さら同じようなことを書くのもナンなので、ということで新たなエッセーにしたのです。

で、ちゃんと締め切り守って、それを出したのが7月。その後、何も連絡がなく、「これは不採用になったのかな」と思っていました。ちなみにその講演会、および原稿の依頼は、その大学で教授をしている悪友からのもので、でも提出した相手はその悪友ではなかったために、確認するのも悪く、「まあ、いいか」とその原稿に手を加えて、ほかの雑誌の連載にまわしてしまいました。

・・なんてことをやっていたら、先月、急に紀要を出すので校正を・・という連絡。もう7ヶ月も経っているのに・・・。

「おいおい、それはもう使ってしまったよ」というと、「それでも構わない」とのこと。

でも、それじゃあ、あんまりなので、新しいのを書きます・・ってことで書き始めたのですが、なかなか進まず、やっと昨日、出来上がりました。

「こと」と「もの」、死者の時と生者の時、世阿弥の「妙」、それと『古事記』との関連性など、いま興味のあることをワイワイと書き散らかしました。

ちなみに僕は原稿を書くと、中学生か高校生に読んでもらいます。で、寝ちゃうようだったら書き直したりします。今回のはちょっと難しかったようですが、相手が院生だからいいかとそのまま出しました(でもエッセーです)。

その間にも連載の原稿がいくつかあったり、当たり前ですが舞台があったり、語りがあったり、ワークショップがあったり、授業があったり、遊びがあったり、ともだちとあったりがあったりといろいろあったりはあったにはあったのですが、しかし一ヶ月くらいかかってしまいました。

でも、これでちょっとスッキリ!

週末の舞台が終わったら、その夜から心置きなく次の原稿にかかれます。

いや〜、しかし『論語』は面白い!

  安田

ニートの人たちへのワークショップ・・など

昨日、ニートと呼ばれている人たちへのワークショップをしました。

・・って言っても、実はどんな人が相手でもあまり変わりません。といっても、する内容が変わらないというわけではなく、何をしようか、ということはほとんど決めずにそこに行って、その場に必要だと思うことをしていきます。

で、どんな人でもその日、その時間によっていろいろな自分が出てくるので、誰が相手というのはあまり関係ないのです。

ニートとか、あるいはもうちょっと若いと不登校とか、そういう視点からの分類は役に立つときには立つけど、全然役に立たないこともあって、それよりたとえば蹴上がりができる人とできない人で分けたり、前屈で下まで手が届く人と届かない人で分けたり、ポーカーで負けが混むとやけになる人とならない人で分けたり、電車で目の前にご老人が立つと寝たふりをする人としない人で分けたりとか、そんな分類の方が役に立つこともあります。むろん全然立たないこともあります。

前日は、特別支援(と分類されている)の子と、その夜に大人の方向けのクラスがあり、そしてニート(と分類されている)の人たちのワークショップと、さまざまなクラスがあって、とってもいろいろなことを考えさせられた数日でした。

が、考えたことは書きませ〜ん。何か言われると面倒なので・・。

そうそう、僕がネットを始めたのは1992年くらい・・・だったかな。そのころはまだだネットが楽しい時代で、今みたいにうるさい人はいなかったなぁ。パソコン通信にはいたけどね。

インターネットをしている人が少なくて、あまり匿名じゃなかったからかも知れない。

・・などと考えながらネットを探していたら「インターネットマガジン」のオンライン・アーカイブがあって、そこの1996年のインターネット・エクスポのインタビューに僕の記事が載ってました。

303ページです。懐かしい!能のホームページと甲骨文のページを作っていたんだ。

1996年はインターネット・エクスポがあったんですね。坂本龍一が電脳オペラなんかをやったりしてましたね。

この記事で「3年前」とあるのは間違いで4年前。あ、インタビューの時期の関係かな。

やっとフレームとかが使い出せたころで、でもまだフレーム対応のブラウザが少ないので(Netscape2.0以上だったかな)、極力フレームを使わないということで作ってました。

そうそう、いまは同僚ロルファーになっている中村直美さんも、そのちょっと後あたりからホームページを作っていました。すごいヒット数で、そのころどこかのテレビ番組で養老猛さんが「自分の本は売れても何千冊だけど、中村さんのホームページは日に何千ものアクセスがあってすごい!」なんてことを言ってました。

いま考えるとネットアイドルのさきがけのような存在だったなぁ。でも、中村さんは今のようにたんたんと好きなことをやってたけどね。

  安田

小学校と朝日カルチャーセンター

昨日は、昼間に小学校2コマと夜は新宿の朝日カルチャーセンターがありました。

・・って、日記風で今日はいきます。


小学校は、まずは「語り」でひとこま。対象は5、6年生。夏目漱石の『夢十夜』から「第三夜」と、同じく漱石の『吾輩は猫である』より、餅を食ってしまったところ。音楽は、そこの小学校の音楽の先生。『・・猫』ではネコフンジャッタ!アレンジバージョンで、とても楽しかった。

小学生たちも楽しんでくれた(怖がってくれた)ようで、次回は『怪談』も聞きたい、ということ。

よっしゃ!また来年やります。


それから、(いわゆる)特別支援クラスの5、6年生の子たちと漢字の授業。甲骨文字を読んでいきました。

これはちょっと驚きの経験でした。

甲骨文字というのは不思議な文字で、現在僕たちが文字を使うような用途には使われていなかったようです。人に読ませたり、歴史なんかを記録したり、そんなことをする記号としてのソレではなかった。

どちらかというと神さまに対する「呪物」に近いものです。

でも、呪物というには抽象化されているし、偏や旁や、そしてすでに六義(象形、指事、会意、形声、転注、仮借)もある。すなわちじゅうぶんに「記号的」でもあるわけです。

まあ、言ってしまえば、呪物と記号の境界にあるようなもので、時代が記号を生み出しつつある、そんな息遣いが感じられるようなものなんですね。

ところが、大人になって甲骨文字を読もうとすると、「これは現代の漢字に直すとコレ!」っていう風にだったり、「これは××の形だから、漢字だとこれ」とか、その間の息遣いをすっ飛ばして、思わず記号として見てしまいます。

そして、子どもに教えるときにも<漢字の成り立ち>などといって、やっぱり現在の記号の昔バージョンみたいな感じで教えてしまいます。でも、これは甲骨文字そのものから見ると間違いで、そうやってみてしまうと甲骨文字自体の持っている、あの呪的なパワーや、時代の持っている息遣いというものをほとんど感じられない。

で、彼らはまさに甲骨文字そのもののような見方をしたんですね、これが。

じゃあ、具体的にどんな風に甲骨文字に対していたのか、というのをさっきから書こうとしているんですが、全然うまく書けません。

こういうときは無理にまとめようとすると、とっても頭の産物になってしまうので、これからもいろいろところでこんなことをやっていって、自然に何かが立ち現れてくるのを待とうと思います。


ああ、朝日カルチャーセンター(新宿)について書く時間がなくなってしまいました。

昨日から始まったのは全5回の「ロルフィング」のクラスです。いつもの通り、大貫さんにお手伝いいただいてのクラスです。

今回の受講生の方は、体がとっても柔らかい方が多い!これまた驚きです。なんか昨日は一日中、驚いていたな。

第1回目はオリエンテーションも兼ねてということで、ロルフィングについて30分ほど話をし、あとは呼吸のセッションをしました。2時間のクラスです。

そして、最後に「もの」と「こと」についてふれながら、ディファレンシエーションとインテグレーションについての話をして終わりました。これはいつかここでも書いてHPに載せておきたいことです。・・が、これまたうまく書けない。

いつも朝カルは時間通りには終わらない・・・。すみません。

終わってから大貫さんは質問攻めに合っていました。といっても受講生の方に教えていただくことも多かったようです。朝日カルチャーセンターの面白いのはここで、実は受講生の方々の中に僕たちよりもずっとすごい人たちが入っていらっしゃることがよくあります。

あの時間、あの空間に限定しては一応<受講生/講師>という「立場」にはいますが、実は時間や空間が変われてば、それは反転しても全く不思議ではない、そんな受講生の方々がたくさんいらっしゃるカルチャーセンターです。

ですから受講生同士の方々で話し合ったり、セッションしあったりする時間を多く取っています。それによってより大きな収穫を得られることが多いからです。

さてさて、次回は呼吸のセッションの続きでちょっと激しいことをやって、それから足のセッションに移ります。

 安田

枕詞について『玉勝間』より


昨日、購入した『玉勝間』から枕詞についての記述を紹介したいのですが、その前に「枕詞」「興」の関係についてちょっと書きます。

「枕詞」とは、たとえば「あしびきの」とくれば「山」とくる、例のあれです。高校の古典の授業などでは「訳さない」などと言われて、どうでもいい存在として片付けられたりもしますね。

もう一方の「興」は、中国最古の詩集といわれる『詩経』の中で使われます。『詩経』は、昔は五経のひとつとして、とっても道徳的に読まれていたのですが、20世紀初頭あたりからさまざまな人(マルセル・グラネ、聞一多、松本雅明、赤塚忠、白川静など)が、古代祭祀との関係で読み直そうと、楽しい研究をたくさんしてくれています。

で、その中でも「興」はとても重要なテーマで、まず朱子は「興というのは、最初に<あるもの>を言っておいて、そして実際に詠もうというもの引き寄せるものだ」としています。朱子の説明にあるように「枕詞」の古代中国版のようなものです。

この「興」は、近年では呪術的言語だといわれています(来た、来た!)。

あるもの、たとえば「桃」などを「興」として読みます。「桃」は『古事記』などでもそうですが、とっても神聖な働きをもった「呪物」です。しかも、それは妊娠、出産に関連した呪物です。で、その妊娠・出産の呪物である桃(自然)が「女性」とか「嫁ぐ」とか、そういう「人事」を引き寄せるのです。自然と人間との古代的結合です。

日本の「枕詞」も似たような性格を持ちます。折口信夫などは「まくら」というのは「ま+くら」で霊が宿るところだなんていいます。言葉自体に「霊」が宿っている、それが枕詞です。

さて、では本居宣長は『玉勝間』の中(岩波文庫版上P.317)でどういう風に言っているかというと、まずこの「枕詞」ってコトバは古代にはなかった、たぶん中昔の末のころにできた言葉であろうとし、枕というのは「頭(かしら)に置くからだ」と誰もが思うだろうが、それは違うんだよ〜!といいます。

そうではなく、「頭(かしら)をささゆるもの」だから「枕」というんだというのです。さらにそれは「頭」だけではない。すべてのものの「浮きて間のあきたるところを、ささゆるもの」を枕というのだ、として「歌枕」のたとえなどを出します。

この「ささゆる(支える)」というのがとっても面白い!

というのは中国版枕詞の「興」というのは、甲骨文字では図Aのように書きます。これは真ん中にある「同(図B)」、これは「盤」という神器ですが、それを、四方から四つの手(図C)で支えている形なのです。

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左より図A(興)、図B(同)、図C(手)

『礼記』という、やはり五経のひとつの本には「上下(しやうか)の神を降興す」とあります。神様には上の神様、すなわち「天」と、下の神様、すなわち「地霊」がある。で、天(上の神)には「降」という儀礼をし、地霊(下の神)には「興」という儀礼をしたようなのです。この「興」が、中国版枕詞の「興」と関係があるかも知れない。

この漢字を見ると、神道の「神籬(ひもろぎ)」を思い出します。

神社の以外のところで神様を迎えるときには、木の台の上(八脚台)に枠を組んで、そこに榊、紙垂と木綿(ゆう)を取り付けて、一時的な(tembrorary)神社というか神棚、すなわち神域にします。八脚台は、形としてはまさに「同」です。で、これは昔は能の鏡板の松のような聖木の周囲に、玉垣をめぐらしてて注連縄で囲って、神を招いたのがもとで、それを神籬と呼んだらしいのですが、このテンポラリーな神域っていうのがいいなあ、なんて思うのです(『玉勝間』の中には熊神籬なんかも出てきて、これまた面白い。これまた後日)。

すみません。ちょっと話が飛びます。先日、部屋の整理をしていたら昔、録ったキャンベルの『神話の力』(第四回目)のビデオが出てきて、整理をそっちのけで、見ていたのですが、その中で聖地の話になりまして、昔は聖地なんてものはなかった。なぜなら、どこもかしこも聖地だったからだ、と言ってました。ここも、そこも、あそこも聖地だから、神様を呼ぶときにちょっとした仕掛けを作って(それが「同」ね)テンポラリーな神域にすれば、どこでもOK!っていうのが本来の姿なんですね。

さて、戻ります。

聖なる呪物が、何かによって「支えられている」限りにおいて、そこに神霊(地霊)が宿る。古代における自然の呪物、それを木の台の上で支えると、そこに神霊が降りたり、地から湧き出たりする。この呪物をコトバにしたのが「枕詞」であり「興」で、それによって神霊としての本当のコトバが降りたり湧き出たりして、そこに宿る。で、「支えられている」限りだから、その支えである木の台が取り除かれると、神霊も消えうせて、そこは日常の時空間に戻ってしまう。

まさに「興」であり、宣長の「ささゆる(支える)」です。

なんてことを考えていると、宣長さんの「浮きて間のあきたるところ」ってのから、さまざまな妄想が湧き出てきます。日常の時空間にぽっかりと穴があいて、そこにうようよする神霊・悪霊が湧出しようとする、その穴を埋めるためのものが「枕」のようにも見えてきます(これはたぶん違いますが、そんな妄想が湧き出てくるってこと)。

で、呪物=>コトバっていうのがまた面白い。呪物は「モノ」なのに、それが「コト」の「ハ(端)」、すなわち「コト」になる。

枕詞によって引き寄せられた「モノ」は、実は「コト」だった・・のですが、話がどんどん長くなり、そろそろ仕事をしなければならないので、「モト」と「コト」に関してはまた後日!

 安田

岩波文庫 今月の復刊

岩波文庫の復刊シリーズはドキドキです。

特に今月はすごい!

詳しいラインナップは岩波書店の復刊のページでごらんいただくこととして、さっき本屋さんで衝動買いしただけでも以下の通り。

『玉勝間 全二冊』
『武道初心集』
『玉台新詠集 全三冊』
『孝経 曾子』
『聖アントワヌの誘惑』
『アウグス ティヌス 省察と箴言』
『聖テレジア 完徳の道』

あと、『ラ・フォン テーヌ 寓話 全二冊』と『ダンテ 新生』は行った本屋さんにはなかったけど欲しい・・。

『玉勝間(本居宣長)』は、まずは一冊を書店の近くのドトールで読んでしまった(むろん飛ばし読みだけどね)。面白い!本当に面白い!今度、そのうちのいくつかを紹介しますね。

次に『聖アントワヌの誘惑(フローベール)』。これも読み始めると止まらない。これは声に出して読むに限る本です。表紙の説明をちょっと抜き書きすると「一種の夢幻劇的小説」で、「テバイス山上で隠者アントワヌは、一夜の間に精神的生理的抑圧によって見たさまざまな幻影に誘惑されながら・・」となって「幻覚の発生様式、当時の風俗習慣など、完璧な美しさと厳密な様式を持つ傑作」とあります。面白そうでしょ。

『玉台新詠集』と『孝経 曾子』は持っているけど、線とかバシバシ引いちゃうので、新しいのもあっていいかな・・と。こんな風に何冊もある文庫がたくさんあります。

今日は、このほかに古本屋さんでも10冊近い本を買ってしまった。

そちらに関してはまた・・。

 安田

子どもに「語り」を

この数日は子どもたちがらみのことをしています。小学校に行ったり、箱根神社に行ったりです。

来週は、渋谷区の臨川小学校で「語り」と漢字のお話をします。

「語り」は、かなり前からちょこちょこやっていたのですが、三年前に女優の水野ゆふさんと出会ったことによって定期的に行うようになりました。水野さんとは『ふたりのノーラ』というイプセンの「人形の家」を元にした作品を、能と新劇でするという無謀な公演で知り合ったのですが、せっかくならばこの不思議なコラボを何とか形にしようと思って、いろんな機会を作ったり、本を書いたりしました。

作品が文学作品が多いので、「語り」というよりは朗読かな。でも、本は持たない。僕は能の発声を中心に使って行い、水野さんは新劇のそれで行います。

松岡正剛氏の「ハイパーコーポレート・ユニバーシティ」で呼んでいただいたときにも、させていただきましたた。そのときの模様は『千夜千冊』に書いて下さっています

小学校では、夏目漱石の『夢十夜(第三夜)』と『吾輩は猫である』を行う予定です。『・・猫』は、猫が餅を喰ってしまって大変になる、という箇所で、とっても面白く、漱石ですから、むろん文章としては難しいのですが、かなりウケます。

普段は能管をはじめ、プロの音楽家の人に音楽をお願いするのですが、小中高、そして大学などではボランティアでお邪魔することが多いので、音楽の先生に音楽をお願いします。

ほとんどがアドリブで、しかも三度とか四度、五度のような普通の和音は使わないで下さいとお願いするので、大変のようです。でも、最後は楽しんでやっていただけます。

漢字は甲骨文を読んだり、自分の名前を甲骨、金文で読み書きしたりという授業の予定です。

 安田
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