月曜日の朝日カルチャーセンター

月曜日は新宿の朝日カルチャーセンター。ロルフィングの4回目でした。

で、これは例によっての復習ブログですので、主に受講された方向けです。

というわけで、受講していただいた方、ありがとうございました。

私の講座にいらっしゃる方は、かなり筋肉好きというかマニアが方が多く・・・あ、違うかな。中にそういう方がいらっしゃって、皆さんがだんだん影響されるのかなあ、まあそんなわけで、どんどんマニアックなセッションが増えてしまいます。

今回もかなり濃い内容でした。みなさん、お宅に帰られてから大丈夫ですか。

前回などは筋膜へのアプローチの練習をしたら、レクチャーの間もご自分の腕をじわーって伸ばしたりしていたし・・・。電車の中などでやったら怪しい人だし、ご家庭の食卓では嫌われるので、ご注意ください。

●最初に「死生観の話」をしました。

・「生」の先に「死」があるという直線的な、<近代的生死観>と・・

・始原としての「死」から再生の「生」が始まり、また「死」→「再生」と、そのサイクルが循環する<神話的死生観>・・

の話です。

世阿弥のいう「初心」との関連や、これを日常で考えるとどういう風になるか、また身体との関連ではどういう風に考えるかという話を、『易』などもごちゃごちゃに混ぜて、またわけわからない話をさせていただきました。

ちょうどお彼岸も復活祭も近い日だったので(終わってますが)、そんなことを考えていました。

●腕ブラ復習

前回にやった菱形筋の復習です

●足ブラ

腕ブラの足バージョン。こちらは大腰筋の活性化です。

●腰方形筋ワーク

ベッドで行う腰方形筋伸ばしです。ひとりでもできますが、ペアの方に触れていただくとより楽に伸びます。

今回は、これがかなりマニアックになりましたね。ただ伸ばすだけでなく、みなさんすごいことやってました・・・。

●大腰筋ワーク

大腰筋に触れるというワークをしました。腹筋との違いに注意です。動いたときに「あ、硬くなった」と思ったらそれは腹筋だった、ということがよくあります。

●腰方形筋・大腰筋セルフ

立って行う腰方形筋のセルフワークと、椅子(あるいは正座)で行う大腰筋のセルフワークでした。

次回は最終回。お楽しみに。

 安田

未詳倶楽部:予告編

土曜、日曜と松岡正剛氏主宰の未詳倶楽部で「遊び」をしてきました。

能の笛方の槻宅(つきたく)聡さんにご一緒願いしました。

松岡さんとトークをさせていただいたり、レクチャーをしたり、ワークショップをしたり、パフォーマンスをしたりと大騒ぎの二日間でした。

土曜日は前のブログの通り、横浜の朝日カルチャーセンターがあったので、それが終わって、新幹線に飛び乗り静岡へ。

さまざまなことが起きたのですが、このことは徐々に書いていきます。詳しい内容は松岡さんもセイゴオちゃんねるで書かれると思います。

しかし、ハードな二日間でした。

初日などは部屋に帰って休めたのが夜中の2時。そのあとちょっと読書をして(このごろ非常に気になっている本があって、それを読んでいます)、翌日は8:30出発だったのですが、日課の写経やら、朝食やらがあるのでやはり6時起き。ほとんど2時間睡眠で日曜日のセミナーに突入。セミナー終了は17時。

でも、終わってからも新たな発見というかインスピレーションが沸き、特に「楽」という漢字について思うところがありました。

ここら辺は今度詳しく書きます・・・が、また漢字の話です。

漢字の話って、読んでいる人はどうなんだろう。つまらないかなあ。

まずは予告まで・・・。

 安田

横浜朝日カルチャーセンター:3/22(土)

土曜日の横浜、朝日カルチャーセンターにご参加いただいた方向けへの復習ブログです。

ほとんど四連休の土曜日という、とても大切な日にご参加いただき、ありがとうございました。

テーマは「和の身体技法とロルフィング」の二時間講座でした。

17:30終了で18:22の新幹線に乗らなければならなかったため、最後はバタバタと失礼しました。

ロルフィングも能もご存知ない方が多かったために最初にロルフィングと能について30分ほど話をしました。

それから「座る」、「立つ」、「腕ブラ」、「足ブラ」、「すり足」などを行ないました。

特に「腕ブラ」と「足ブラ」は、ご自宅でもぜひお続けください。

すみません、簡単で。不明なことがございましたら、和と輪のホームページからお問い合わせください。

 安田

土取利行さんのソロ・ライブ

土取利行さんのソロ・ライブがあります。

土取さんといえば、本当の(!)フリー・ジャズ・パーカッショニストで、ピーター・ブルックの芝居の音楽をずっとされているのでほとんど日本にはいらっしゃらないのですが、去年・今年と珍しく日本にいらっしゃいます。

氏をご存知ない方は、ぜひ氏のHPやネットで検索されると音楽好きの方は、ちょっとびっくりすると思います。フリー・ジャズだけでなく縄文の音をはじめ古代の音楽の復元もされていて、NHKの『知るを楽しむ』などにも氏の音楽が使われたりしています。

土取さんとは松岡正剛さんの紹介でお会いして那須の二期倶楽部の七石舞台で、桃山晴衣さんや近藤等則さんと共演させていただき、それ以来とっても親しくさせていただいています。

なかなか日本では土取さんのライブに接する機会がないのすが、今回はかなり間近で見れるし、しかもソロという信じられないほどの好機です。音楽好きの方はぜひ!

・・が、場所は甲府です。

3/29(土)夜19:30から桜座というところでされます。

前売り3,500円、当日4,000円というのも信じられないほどの安さだなあ。桜座は今回初めて知ったのですがHPを見て驚きました。ここの公演はすごいですね。

実はこの日は予定があったのですが、ちょっと早めに切り上げて甲府に飛んで行こうと、ただいま調整中です。

 安田

MBT再び

以前にMBTの靴のことを書きましたが、あれから舞台に行くときと、着物で歩くとき以外はいつもMBTを履いています。

少なくとも自分にとっては非常に気持ちがいい靴です。

さて、ある方からMBTについてうかがった話です。

その方はご高齢の方で、やはり人から進められてMBTを購入したのですが、疲れてしまって結局は履かなかったということ。ところがロルフィングを受けてから履いたら、全然問題なく履けて歩くのも楽になり、今では手離せなく(足離せなく)なってしまったとのこと。

MBTを購入されたけど疲れてしまったという方、足をチェックしてみるといいかも。MBTってそういうのを自然に矯正することもできるのかなあ・・・。

僕にとってですが、MBTは履くというよりも装備するって感じに近いです。紐を結んでから、靴の中でどちらかに足が引っ張られていないかをチェックしながら足の位置を調整したり、紐を締めなおしたりします。足をぶらんと楽にした状態で、足先がちゃんと膝の前に出ているかどうかをチェックするのです。

これをやると歩いていてとても楽です。MBTを履かれている方、ぜひお試しあれ。

 安田

百万の姿

昨日は国立能楽堂で能『百万(ひゃくまん)』がありました。おシテは観世流の高橋弘先生です。

ブログには、舞台のことは基本的には書かないのですが、『言語』(大修館)の連載、「神話する身体」のことでいろいろ考えていたら、詞章がとても面白いなあと思って・・。

「百万」というのは女曲舞(くせまい)、すなわち舞を舞う人で、この曲では夫にも子にも別れて物狂いになってしまった母親が、嵯峨にある清涼寺の大念仏の場で曲舞を舞うと、仏様の霊験でわが子に再会するというお話です。

・・・が、山姥の山廻りを曲舞に作って謡うのを得意とし「百万(ひゃくま)山姥」と呼ばれている遊女もいたり、遊女系のお話だと思われるものです。

そうそう、昨日は土取利行さんともお会いして、ちょうど「あそび」の話をしていました。土取さんとお会いすると、いつも教わることがたくさんあります。

で、能『百万』で、彼女が自分の姿を描写するのに・・

肩を結んで裾にさげ
すそを結びて肩にかけ

・・・というのがあります。

「肩を結んで裾にさげ」というのはまだしも「すそを結びて肩にかけ」って、どんな格好だろうと思うのです。すそを結んで肩にあげてしまったら・・。下着なんか、つけてないしね。

何か違う意味があるのかなぁ。

前々からこの詞章は不思議だったのですが、いまちょうど考えているのが神話と裸体で、特に性器を露出することとその意味なので、今まで以上に気になってしまいました。

有名なのは天岩戸神話でのアメノウヅメノ命ですが、その他にもいくつかあります。

このことについては『言語』の原稿を書き終わったら、また書きます。

 安田

殷王朝における上帝祭祀について

先日、キリスト教のミサについてメモのようなものを書きましたが、今日は古代中国の王朝である殷王朝の上帝祭祀について書きます。

古代におけるさまざまな儀礼間にどのような関連があるのかを考えたいと思っています。

そして、それが神話の中にどのような描かれているか、またそれが私たちの日々の営みのどんなところから生まれてきたか、そしてそれを現代という文脈の中で考えたときにどのように考えられるか(心身ともにね)・・なんてことを考えています。

で、それを大修館書店の『言語』の連載に書いていきます。・・が、今回はまだ無理そう。

今回もメモ的に書きますので、以下の文章は、多分ほとんどの人には「つまらない」と感じられてしまうと思います。後日、もう少しわかりやすく書きます。

あ、殷王朝というのは現在、その存在が確認されている中国最古の王朝です。近頃は、その前の夏王朝の存在もかなり確実視されてきてはいますが、殷王朝のすごいところは甲骨文や金文による文字資料が存在するということです。

「上帝」=「帝」というのは殷王朝における最高神です。次の時代の周になると、これが「天」になります。

上帝への祭祀は戦前くらいまでは殷王朝には存在しなかった、なんていわれてました。島邦男氏が『殷墟卜辞研究』(弘前大学版)で上帝祭祀は存在したとして、その祭祀について書かれ、赤塚忠氏が『中国古代の宗教と文化』(角川書店→研文社)の中でその祭祀の復元をされています。

以下は赤塚忠氏の復元されたものを、メモとしてまとめたもので、今度行うセミナーで使うためのものです。

※島邦男氏の『殷墟卜辞研究』はすべて手書きです。甲骨学会の会報も手書きだったんですよね。PCとかない時代だったし、甲骨文字や金文、さらにはその釈文だって活字にない字ばかりなので・・。

というわけで以下も「ない漢字」は適当なものに直してあります。

●殷王朝における上帝祭祀の復元 赤塚忠

上帝祭祀は祈年祭として行われていた

【準備】
時期・冬至〜陰暦三月が多い

・卜問
 祭場
 祭るべき神々とその儀礼
 犠牲の種類と数量
 参加すべき者と分担
・狩猟
 狩猟
 漁
 羌人の捕獲
・祭場の準備・・山を背にし、水に臨む地を祭場とし祭壇などを作る
 土・・大地の象徴、諸神を寄りつかせる→四土
 宗・・祭りの宮
 邑・・模擬的な邑(参集した王以下の群臣・諸族が宿る)

【招神と供饌】
・降雨と降雨を促す祭礼
・禰(みたまや)に祈り、酒を飲んで(あるいは酒を捧げて)その霊を受ける
・錙鞭堯卜蕁木を組んで焼く。犠牲を焼いて捧げる。柴
・酒礼・・河に対して行うことが多い
 ※衣を送ったり、船を浮かべたりもする
・方禘
 方:神職者が四方から祭場に神霊を招き寄せる呪術儀礼
 禘:招いた神霊を定められた神位に鎮座させる呪術儀礼
   最重要は風(上帝の使者)を祭って、年間の天候の順調が推移を促すこと
・犠牲の供饌
 卯・斬・剛・俎など、犠牲を切り裂いて、その生々しい血を出して、それを捧げる
・祭る順序
 その地の神→上甲以下の先王→河→岳、虁(夔)などの諸神→王の黍礼
 先王を一定の系列で祭る。族祖の霊の獲得による王の聖化。
 先妣も祭る:女性神。

・上帝に対する供饌=将(將)
 この儀礼を行い得るのは王の他は「婦好」「婦邢」などの女性と諸族長のみ
 犠牲の骨を捧げることが重要か
 「凡」の祭礼もともに行われた。神霊を呼び寄せる。
・上帝の一撃:上帝が王の供した「將」に一撃を下す。
       上帝の嘉納の象徴儀礼
       「尸(かたしろ)」がいたか。賓・客

★主祭者から主宰者への性格の転換

【藉田】
以下の儀礼は王自ら行う。が、婦邢が行うことも少なくない。

黍と灌
 黍:禾(あるいはそれを象徴する植物)を植えて、これに水を廻らす
 灌:水を注ぎかける泴(盥)
 降雨と豊穣の予祝儀礼

藉田:鍬で耕す儀礼

【労酒】
労酒:饗宴。直会。
魯:慶賀。歌舞を伴う予祝をする。

【帰還】
帰国の卜問

※ミサと比べてみると面白いでしょ。これと大嘗祭とを比べるとまた面白いです。
※女性の役割が非常に大きい。これは大嘗祭も同じ。これについてはゆっくり考えたいです。よく言われる、女性の

 安田

チベット再び

いやはや、チベット暴動はすごい状況になってきましたね。本当のことが何もわからない、というのがすごい。こんなにネットも普及しているし、中国ももうあまり秘密主義ではないよ、という顔をしているのに、これだけ何もわからせないということを貫き通せるのは、さすがの老獪さですね。

アメリカもヨーロッパも経済のことがあるから「オリンピックには出ん!」なんて強気はいえないし、なんかルワンダのようでもありますね。あの老獪さに比べれば、どうも利権がからんで複雑そうな日銀総裁問題でわいわいしている日本なんて、本当に若い、若いって感じです。

というわけで、チベット問題はどこまでが事実で、どこまでが憶測かわからないので、それ自体に対するコメントなんかは誰もできないんじゃないかな。でも、テレビに出ている人たちなんかはしなければならないから大変ですね。

というわけで、自分がチベットに行った1987年のときのことを。

『最後の授業』という小説があります。フランス・ドイツの国境の町(フランス領)が舞台で、ドイツに占領され、学校ではもうフランスは今日限り使えなくなるという、フランス語での最後の授業の模様が書かれた小説です。

小学校の授業で読んだのかなぁ。

当時、チベットでも中学以上ではチベット語を使うことが禁止されていました(小学校はどうだったか覚えていない)。学校で使うのは中国語のみ。チベット語を使うと、鞭で叩かれると、ある高校生は言ってました。

そして生まれる子供も、チベット名ではなく中国語での命名が奨励されていた。むろん日常的にはチベット語を話していたけど、それでも中国語が国語で、チベット語は第二言語。

・・そんな話を聞いて『最後の授業』を思い出しました。

リトアニアの人で知り合いが何人かいます。知り合った当時、大学を卒業して少し経ったくらいの人たちですが、彼らはみな5、6ヶ国語を操ります。それも、たとえばロシア語ならトルストイを読むし、ドイツ語ではゲーテを読むほどに。

で、彼らが操るのはどんな言語かと考えてみれば、それらはすべて、かつて占領されていた国々の言語なのです。

一番最近のは英語。むろん、これは<いわゆる>”占領”ではなく、経済的占領ですが。だからリトアニアは地理的には英国の方が近いのですが、英語はアメリカ英語。むろん、これも非常に流暢。

一番間違えるのはリトアニア語だとか・・。文法が!異常に!難しい(ちょっと習ったのですが、サンスクリット語の文法に似ていて、すぐに挫折)からもありますが、それでも悲しい・・。

『ショアー』という映画の中で、ユダヤ人は「聖書を読む人々」である、という定義があったような記憶があるんだけど(違う作品かなぁ)、ユダヤ人はもうずっとずっと前に土地も言語も奪われて、それでもユダヤ人たり得ていた。

もし日本人から日本語を取り上げられ、そしてこの列島から追い出されたら、何を以て日本人たり得るんだろう、そんなことをもう20年以上も考えています。こういうことを考えたのもチベットでの体験が元です。

さて、そのころのチベットですが、そんな状態でしたが、まだ街路ではダライ・ラマの写真もワッペンも売られていたし、実質、一妻多夫制も残っていました。公衆トイレだって、中国のように横の板がないだけでなく、前後もなく、みんな仲良く大便していたし、なんといってもトイレに男女の別もなかった。泊まっていけ、泊まっていけと一宿一飯の恩義に預かったりと、大都市のラサでさえ、まだまだのんびりしていた。

それが89年の大暴動で大きく変わってしまった。

今回の暴動のあとではどうなってしまうんだろうか。

 安田

ロルフィングの不満(1)3回で見直し

「ロルフィングを受けたんだけど、よくわからなかった」とか「全然よくなかった」とかいう相談というか苦情が、去年あたりから和と輪のメールや同僚ロルファーの中村直美さんのところに寄せられます。

今年はもう6件もあって、まだ3月だというのになかなかのペースです。

苦情というのは、言う方もなかなか言いにくいもので(ネットのように匿名だと簡単すぎて、これまた意味ないけど)、しかも本人にではなく僕や中村さんにわざわざ言うというのは本当に大変な決断だったんだろうなぁとお察し申しあげるのですが、ですからこの6件の苦情の陰には数十倍の方がいらっしゃるに違いないと思っています。

で、そういう相談をわざわざお寄せいただく方は、本当にご自分の体を何とかしようという気があるので、中村さんから残りのセッションを受けたり、あるいは10セッションを受けた方はポストセッションという形で受けてみると、「今まで自分が受けたのと全然違った」という方がほとんどなのです。

うちに不満をお寄せいただく方の多くが、「何をされているのかわからなかった」とおっしゃっています。僕の『ロルフィング』の本のリンボウ先生の体験を読まれて、「もっとがっしりやってもらえるつもりが、ただ手を置かれていて、指示をされるだけで、これなら自分でやってもいいじゃん」とか「なんかスピリチュアル系みたいなノリで変だった」などといわれます。

でも、そういうことが好きな方もいて、そういう方の場合は中村さんや僕からロルフィングを受けると逆に不満を感じて、ほかのロルファーに苦情を言っているかも知れません。ふたりともタッチは割合しっかりとしていますし、またスピリチュアルなことやメンタル的なことを期待されても「ロルフィングではそれは扱いません」って割合冷たく言ってしまうので・・・。

というわけで、これはロルファーの上手い下手という問題というよりも、相性の問題が大きいと思うのです。

    ◆◆◆◆◆◆

ロルフィングは「きく」はずです。これは、きいた「気」とは違います。明確にわかる「変化」がそこに生じます。もし生じてなかったら、それは失敗の可能性、大です。むろん、その変化というものが受け手の期待するものかどうかはともかく(たとえば腰痛が全快するとかね。それは難しい)、しっかりした変化はそこに生まれます。

本にも書きましたが、3回受けてみてダメそうだったら、あるいは変化の兆しが見えなかったら、早めにロルファーを選びなおした方がいいと思います。

僕は自分のクライアントの方にもそれを薦めることもあります。

むろん変化が起きにくい人というのはいます。ただ、その場合はかなり初期のころにロルファーから「今はロルフィングを受ける時期ではないのでは」という提案が出ると思います。変化すべきときでないのにロルフィングを受けるのは、時間もお金も無駄になるし、なんといっても大事な<最初のロルフィング体験>をムダにしてしまいます。

というわけで、「これはちょっとだな」と思ったら、ぜひロルファーの見直しをしてみてください。

ただ、たまに「誰かいいロルファーを紹介してください」というメールをいただくのですが、これは残念ながらできません。少なくとも自分が受けたことのないロルファーのよしあしはわからないし、ロルファーも日々変化をしているので本当にわからないのです。

すみません。

で、この問題はこれからも何度かに分けて書いていきますね。

 安田

3月17日(月)の朝日カルチャーセンター>受講生の方へ

今日は新宿の朝日カルチャーセンター、ロルフィングの講座でした。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。そして、いつもながらお疲れ様でした。

今日は3回目。ロルフィングの第3セッション的な内容を中心に行ないました。またまた大貫さんにお手伝いいただいての講座です。

●最初に『易経』の艮(ゴン)の話をしました。もう少し詳しく書きますね。

艮の卦辞(これについては次回に説明します)に「その背に艮(とどま)りて、その身を獲(え)ず。その庭に行きて、その人を見ず」とあります。

心が止まるべきところ、すなわち背中にしっかりと止まっていれば、体が動いても、それで心が動き乱れることがない。すなわち身体はあってないような境地になれる。内に身体がないならば、外の世界に対しても心が動くことはない。朝廷のようなところに行って、貴人に会っても、そのような人はいないのと同じくらいの平常心でいられる。

・・なんて意味でしょうか(普通の注釈書とはかなり違う解釈ですが)。

この境地はともかく、まずは「背中にとどまる」、あるいは「背中で休む」という感じを得ていただくのが今日の目的でした。そのためにしたことは以下の通りです。

●菱形筋の話
 犬の菱形筋の話などもしました

●タッチの練習
 コーンスターチを使って行ないました。
 (1)Touch
 (2)Sink
 (3)Contact
 (4)Move
 ・・が、これがかなりかかって、ここまでで約1時間。

●前腕で練習
 筋膜へのタッチを練習しあいました

●菱形筋を受かって腕上げ
 腕を上げるのに菱形筋を意識するとどう違うかを体験

●腕ブラ
 菱形筋を伸ばす

●肩胛骨でいろいろ遊ぶ

●肩胛骨の内側に指を入れる

●背中で休む

●筋肉の記憶の話

・・でした。

いかがですか。覚えてましたか。

次回は大腰筋や腰方形筋にアプローチしたりして、かなりコクなります。お楽しみに&覚悟しておいでください。

 安田
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